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我はゴッホになる!愛を彫った男・棟方志功とその妻

実在の人物を描いた半生記であり、過去においても幾度かドラマ化されたものでありますし、まだご存命だったご本人をテレビで拝見した記憶もありということで。結末顛末がうろ覚えながらも読めるので、どうしても新鮮味を求めるのではなくその完成度に期待してしまう私であります。

物語はゴッホのような画家になると上京してきた若者の苦闘の末見事実を結ぶまでを描いたもので殆どが混迷を描くものであり快は深いけれども決して多くは描かれていないものです。もちろん名を成す者の恒として当の本人は苦労などとは露ほどにも思わずひたすら邁進に勤しむ成長記ではありますが。凡人が見たらその心模様なぞ推し量れる筈もなく呆れて見守るしか術が無いのでありますが、周囲の人々からの視点なのか天才からの視点からなのかによって随分印象の変わる物語のような気がします。

そういう意味ではこのドラマでの切り口は周囲それぞれの人々から見た視点を繋ぎ合わせると主人公の全貌が見えてくるというものだと思えました。

劇団ひとりさん渾身の一撃という勢いでした。天才ゆえのその精神構造が良く分かんない謎めいた部分がきちんとあって、それぞれの人に見せる顔(甘えや敬意)の振り分けができていてなにより憎めない純粋さが滲み出ていて芸術家らしい芸術家に映りました。慣れるのに時間掛かりましたけど一心不乱という言葉が適切に思えました。ひとつの事に集中して複数のことを同時に出来ない不器用さというのもなんとなく伝わってきました。だから最後のシーンに繋がるんでしょうけど一度に同時に愛せないけど同じように愛してるんだろうなと思えました。多分主人公には優先順位なぞ存在していないだろうと。

主人公の迷える苦悩が境地に達するまでの葛藤なのか認められない苛立ちなのか慟哭の表現につかれましては上手いなあとは存じますがそこから光明を見出す瞬間の見えない光りが放たれるかのような閃きのシーンとかよく見えなかったなという感じはしました。それはそういう作りによるものでしょうけど。激昂の生き様と創作模様。それと比べて出来上がる穏やかな作品のギャップというものが不思議でもあり魅力でもありますです。仏師や刀鍛冶のお方だと身を清め聖なる領域にて作品を作るというイメージが私にはあるだけにそれとは正反対のような創作シーンはいつ見てもミラクルです。

それを支える香椎由宇さんが見事でおました。香椎さんはご結婚されたのかこれからなのかよく知りませんが、とにかくなんと形容すればいいのか言葉が上手く見つかりませんが腰が据わったというか芯が出来たというか、ぶれない力強さが感じられますです。ふわふわした感じがしない大地に根ざしたしっかり感とも言えるかもしれません。

ご容姿だけ窺うとその端整さからとても昭和の苦労を背負って立てる風には見えないのですが、最後の堪忍袋の緒が切れる様が見事であったように耐え忍ぶ姿が画になってました。癇が高ぶるのではなく耐えに耐え抜いた末のあのシーンはホント見事でした。怒るとかの浅い感情の起伏表現でなく心の奥底から湧き出てきたような感情の発露のほとばしりという勢いを感じました。

貧乏もなんとか様になってられますしそういう境遇でも錆びない凛としたものを感じもしました。以前はちょっと世界を斜めから見てる様な徒党を組まない一匹狼のような孤高さを感じさせるような役が多かったイメージがあったのですが、結婚を転機に役柄の幅がとても広がられたように思えます。年齢の化かし具合も見事で三人の子持ちにも無理感はなかったように見えました。

家が狭いので客人が来ると子供連れて外で待つって光景なんか久し振りに観てそういやあそういう光景昔の映画やドラマとかでよく見たよなあと思いだしたりもしました。この作品では女房子供を隠匿してたというせいでしたけど。昔観たということでは記憶が間違っていなければ渥美清さんが演じられてたような記憶がありますです。それと比較しようにももう殆ど憶えてませんのでこの作品は案外と新鮮に観れました。ただ夫唱婦随という言葉はこういう夫婦のことを言うんだろうなと思ったのは記憶してます。それからすると今回は付き従うというイメージよりも協力というイメージの方が幾分強めに見えましたけど。

藤木さんは正直あの髪形なんとかならんかったのかという想いがありますです。でもあれですよね才能のある人間と競うのも羨ましい限りですけど才能のある人間のそばにいられるってのも羨ましい限りですよホント。支えるというのはなにも援助や支援だけではなく切磋琢磨して競い合い刺激し合うことも含まれる筈で。孤高なんてものは言葉のあやで人である限り誰かと繋がりあってるものだと思うんですわ。決して彼らは敗者で棟方志功が勝者などではなく棟方志功を作り上げた要因として誇れる人生を送ってると思えます。周りに誰もそんな人物がいない人間からしてみればホントそう思えます。

こういう苦労の末の達成感を味わうドラマって連続ドラマで割ってしまうと結婚と最後くらいしか開花がなくてあとは苦悩や苦節を丹念に描かざるを得なくて全体としてはどよよんとした空気感に包まれやすいので一気に最後まで見切れるこういうスペシャルで正解だと思います。もちろん随分とはしょってるなあと思える部分もありますけどそれは役者力でカバーしてもらうとして。ひとつのシーンで幾つもの情報を与えてくれる役者さんが重要なんでしょうねおそらく。

お気に入りのシーンは、最後のあだけ具合と姉さんの死にまつわるシーンでした。ひたすら優しいお姉さんの鶴田真由さんがよかったです。

褒めて甘やかすからこういう夢追う人が育つんだと思いますけど才能を伸ばすにはこういう人が欠かせないでしょうね。才能が開花したからいいようなものの花開かず朽ちていったらお兄さんともどもこれでよかったんだろうかと思われるんでしょうかそれとも一片の悔いも無しなんでしょうか。保障がないだけにどういうお気持ちでおられたんでしょうかねえ。なんか気になりもしました。ドラマとは関係の無いことですけど。

いまこういう人物が登場できる環境が日本にあるのかどうかは知りませんが、誰かのために身を犠牲にしてでも尽くす兄さんや妻のような「献身」が存在してるのは多少疑問であり懐古でもあるのでしょうか。なにせ今と違って全うに生きてても食べていくのにさえも精一杯な時代に支えていったのですからそういう行いは半端じゃない頃のお話しですから。

あと強烈な郷土愛もなんかよかったです。

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2・2008年のテレビドラマ」カテゴリの記事

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