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太陽と海の教室第7回その2

まずは迅速なる再放送の放映に感謝いたします。8話の前に観れるのとそうじゃないのとでは大違いですので。

で、7話なんですが、これはもうほとんど「濱田岳」を愛でる回の様相を呈しておりました。「綺麗な死なんてないんだ。」というテーマが主題ではありましたが、一人で何とかできると思った甘さ(無茶)が引き起こした苦悩というものが色濃くて八朗(濱田さん)ばかり観てた勢いでありました。

濱田岳さんは独特の間と語りかける対象が一人に対しての時の包み込むような誠実さが窺い知れる話法が秀でておられる感じです。言葉以外のなにかが伝わって来るような感じです。

物語は誰にも愛されていないと思っている雪乃(大政さん)が八朗にSOSを発してそれに応えようとするも力不足で右往左往してしまう八朗。ついにはどうにもできなくなって櫻井(織田さん)に救いを求めるというものでした。

誰にも愛されていないと自らが判断した理由が、家族との不協和、恋人の裏切り、親友と思い込んでいた事への裏切り。見事にオンパレードな境遇でありまして、死で解放されてお星様になりたいと真に願う動機付けとしては孤独の深さが滲み出てたんですけど、何ゆえ八朗を巻き添えにせんと欲したのか。もちろん自殺はブラフ(餌)で、孤独からの解放を願ったのでありましょうが八朗でなければならない理由がよー分かりませんでした。そりゃ誠実なのは読めますけど同じクラスにいたのなら灯里(吉高さん)との関係性に気づかない筈がなく、一種の略奪行為であることを自覚した上での所業といわざるを得ないわけで。

雪乃の行為総てが追い詰められて常軌を逸している状態にあるとはいえ理解し難いのであります。上から目線や横並びが厭で召使いが欲しかったんでしょうか。よく分からない謎だらけのお方です。故にどうすりゃええんじゃいという解決案も浮かんではこず、八朗と同じ目線でドラマを追ってた感じもありますです。こういう描き方は引き込まれますです。親切丁寧に総てを分かり易く描くよりも多少のことは自分で推し量れと頭の体操を要求するくらいのほうがボケ抑止にもなるってか。

そういう未確認物体を得心させようとするのですから櫻井先生は凄いお方です。この回はまだ途中で次週(今晩)に続くですからその手立てが如何なるものか得と拝見であります。

それにしても若さゆえの残酷さが出ていて、遠慮会釈なしに傷つけあう痛々しさが自分にとってはもう何10年も前のことなのに、その悩んでた頃の精神状態(明日が見えない)を思い起されるようでパワーありますわ。おっさんとしてひとつ言えることは社会に出れば仕事と個人は全くの別物となって、個人に興味を持つ人なんて誰もいなくなるということ。そういう意味では逃げ場が作れるので10代よりかは気が楽にはなる。仕事さえ出来ればいやな奴とも付き合わなければならないしいい奴であっても仕事が出来なきゃお荷物でしかない。相性だけで人が動くことはないのだということ。だから全力で付き合うわけではないのだから気は楽になる。もちろん辛抱というものを憶えなければならないんですけど、我慢とは微妙に異なるんですけどね。

話し飛びますが、後、よくわかんなかったのが、自殺をほのめかす掲示板への書き込み。それが数あるであろう3年生のクラスの中でどうしてうちのクラスだと判断したんでしょうか。

八朗の行動で、誰にも言うなよを真に受けてしまうのも理解不能な部分ではあります。櫻井先生に対してだと「ちくる」ことに繋がるのでNGでしょうけど、灯里に対してはこれから自分が起こす行動についての理由説明(きちんとした言い訳)をするのが普通なのになぜしなかったのか。もう召使いとして新たに生きるんだと言う覚悟を決めた割には未練たらたらでその中途半端さがよくわかんなかったです。大人じゃないから若さゆえの無知でなんでも済まされるといえば通るんですけど、釈然としない行動意思ですた。

次回に答えが導き出されるんでしょうけども。

それと理事長。言うこと聞かないからといって櫻井先生を橋の下で拾ってきたようないらん子扱いするんならなんで首にしないんでしょうか。カリキュラムから逸脱した授業とかやってるしって、これはいっちゃあお終いか。

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2・2008年のテレビドラマ」カテゴリの記事

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