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モンスター・ペアレントその12(第11話)

実は今回上手く書けたと思ったんですが、昨日に続いて保存しようとしたらエラーになって記事が消えてしまいまして、それで泣く泣く書き直していまして、ガクッと肩が落ちた状態ですので、いつも以上に乱文ご容赦願いますです。なんかウィルスとか飼ってるんでしょうか私、知らぬ間に。

気を取り直して、ひねくれた感想を言うならば、最初は現実に起きている学校の現場でのほぼ実在のモンスターペアレントをドラマで提示してみんなでこの歪んだ世界を考えて見ようじゃないかという趣旨のお話しなのかと思っていたんですが、どうもそうではなくて、高村樹季という人の成長記という内容のドラマだったんだと。

当初はモンスターペアレントの迫力に押され気味で観ていてなんだかなあ状態でしたけど後半に近づくにつれて徐々に倒すべき敵として白黒つけるのではなく理解して行くという様だともっと早くに気づいていれば違う観方で愉しめたのかなという気分がありましたです。

でも、ラスボスを倒すべく教育委員会の窮地を救うための舞台に上がっての演説がとても良かったのでこれもアリなのかもと素直に思えました。このセリフを言わんが為に10話を費やして積み上げてきたんだろうなと思える程言い尽くした感がありましたです。演説の要旨についてはドラマを観た人が味わうべきものと考えますのでここでは書きませんが、裏でこそこそなどではなく公衆の面前で駆け引きなしのど直球勝負のような様は、爽快感があって溜飲が下がると言うかホントよかったですよ。

もちろん現実の教員採用における贈収賄とかが出来うるくらいの権力を有している教育委員会とこのドラマにおける権威も権力も持たない弱い立場にさえも映る善意のみが武器の教育委員会とを混同してしまうようなお人好しではありませんけど。

モンスターと学校との「歩み寄り」が解決の糸口であるというのは、勝ち負けのみで生きてきた人にとっては人としての人生の階段を一段高見に昇ったってことになるんでしょうかねえ。確かにノルマ達成至上命題とか敗者を生んで落とすというような世界からすればより人として正解のような気がしますです。勝者と敗者の境がお金とかで判断される社会は本当は貧しいというのは一理ありますから。でも法律では捌く(裁くではなく)事が出来ないことが幾らでもあるというのは如何に道徳というか善意(相手を思いやる)によって世の中が成り立ってるんだとは改めて思い起こされます。言ったもの勝ちみたいな世界というのはそういう隙間をついてくるということなんでしょうかねえ。もちろん我慢を忘れたことによる弊害によるものの方が大でしょうけど。

で、脱線話しに入りますけど、城山先生(草刈さん)って高村先生(米倉さん)の味方?理解者?言うこと聞かないやんちゃだけど可愛い我が子同然?一体全体どういう存在だったんですかねえ。終わってしまった今もなんかよく理解できておりませんです。敵とか障害とかじゃないことだけは分かるんですけど、いつも言ってたセリフ「期待してますよ」というのは何を期待されてたんでしょうか。この結末は城山先生にとってどうだったのか。謎のままのさよならでした。

それと、ラスボスの言い分(成績上げろ)はなにか王侯貴族が支配してた頃の論理みたいでしたけど、よくよく今を見回してみれば政治家さんはほぼ世襲に近いしタレントさんも親の七光りで2世さんがうしょうしょおられるしという風に、色んな世界に於いて生まれながらの差というのは、あながちとんちんかんな過去の論理ではないのかなと思ってしまいました。別にそういう境遇の子供たちが帝王学のような凡人がやらなくて済むような義務を学んだりした上での話しなら聞く耳あっても不思議じゃないですけど、親の金と権力だけで本人は凡人と同じことだけやっててその上で差別しろというのは納得出来ることではないですわな。

でもまあ、エンディングは明日が続く晴れやかな爽やかさに満ちていてタイプですた。もし万がいつパート2があるのだとしたら今度こそモンスター対峙を爽快かつ壮快に和睦が無事成るとこまでと術後観察の部分まで描いて欲しいところであります。なにせ「歩み寄り」ですから退治と言う文字は使えないので。

役者さんのお芝居についての感想とかはあるんですが、この記事がまたエラーで消えてしまうとショックなので、分割して気が向いたらその13で書こうかと思うちょります。

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2・2008年のテレビドラマ」カテゴリの記事

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