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太陽と海の教室第3回

時と場所をもわきまえず携帯で写真を写さんとす「憐れなる」人間というフレーズはとても説得力のある表現でありました。もちろん悪ではないですがひとかどの人物では決してない可哀想(現実的には怒れますけど)な人。

永遠に残せるものなんてこの世には存在しない。ましてや気を抜けば直ぐ旧式となる最先端のものなんて瞬間だけの存在でしかない。災害や災難時での携帯は、本人は記録写真の安易な気持ちであろうが、するべき事は他にあるだろうとつい思ってしまいます。その場に居るのに画面を通して直接見ようとしないから、おかしなフィルターを通す格好となって自身が傍観者という錯覚に陥る。助けや救いを求めている人達を何故直接その目で見て反応しようとしないのか。現場の当事者として自分は何が出来るかと何故考えようとしないのか。

最近の群衆の中での事故などの模様がテレビで流されると遠巻きに携帯構えている輩が必ず映っていてむなしい。普段そう思えているから「憐れなる人間」というフレーズは共感できます。

でもそれと今回の親が入院して弟達の面倒見なくてはならなくなり学力が落ちて現実の荒波の中で溺れそうないたいけな生徒を救うための行動とがどう一致するのかよくわかんないですけど。おそらく彼は「憐れなる人間」ではなく「教えるに値する人間」ということなのでしょうか。結局「あいつらは思っている以上に強い」といって弟たちを送り出す後押しをしたのだから、お迎えに来た時に説得するつもりだったのが生徒達の勝手にとった行動によって崩れたのは心外だったんでしょうか。それとももっと過激に家族を守るなら偏差値偏重の生き様を否定(就職)せよとでも言うつもりだったんでしょうか。結果として後悔残さず納得してから分かれろそしていつか迎えに行けと言いたかったってことなんでしょうかねえ。よく終着点が理解できませんでした。

「責任」というフレーズはいなせでしたね。「やりたくないこと」も説得力と言うか拍手喝采な言葉で「おとこ」を感じますです。「誰かがやらなければいけないんだ」という繋がりも見事でした。それにしても戦場並みの血まみれの修羅場が用意されていました。単なる逃避の鬼ごっこで出られなくなるって設定かとたかくくっていたんですが、こりゃ確かに「誰もやりたがらない」ことを具現化して説得力ありますですわ。このあと彼がどうなるのかは来週へ続くと言うことになるのでしょうけどさすがにこれだけのことが落ち着くと一件落着と思えてしまいます。ホントはこの後の方が人生を左右する重大なことに繋がるのでしょうけど。

アメリカの映画とかだとこれでエンディング(一件落着)でも普通にありですけど、邦画だったらここからの事後処理の心理戦がテーマになることが多いので、このドラマがどっち系なのは推し量る基準ともなりそうな来週の展開です。だって立ち入り禁止区域に勝手に入り込んで船の部品壊した訳だし、どうみても入院でこれでまた学力の遅れが生じるでしょうし、理事長が黙っている筈もないだろうし。こういう諸々はしょってきたらアメリカンなドラマと推察できそうです。

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2・2008年のテレビドラマ」カテゴリの記事

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