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ヒットメーカー阿久悠物語その2

時代の寵児に阿久悠の存在ありといった風情を漂わす時代と共に駆け抜けた印象を与えるドラマです。番組の最後に言葉の紡ぎ方についてその時代に漂っている言葉を拾い集めて形にするみたいなまとめをされていましたが、それは時代を作ったのか時代の波に乗ってたのかどっちなんでしょうかねえ。おそらくは0から作り上げるのではなくある程度の予兆とかのあるものをアンテナでキャッチ(受信)するところから作り上げていくものだったのでしょうか。何を伝えるかと言うテーマを基にメモ(資料)や起きている事象に遭遇して肉付けしていかれたのでしょうか。少なくとも単なるスケッチではなく人間の本質に訴えるテーマありきの感じがします。でなければ時代が移り変わった今でも消耗品として消えていった訳でなく歌い継がれているのは不変性があるからこそでしょう。

物書きとしての阿久悠さんといえば産経新聞に晩年連載された読み物を楽しみにしてたのですが恒に強烈なぶれない芯みたいなものを感じて、これが昭和の時代を最先端で駆け抜けた人とは想像出来ないような「不変」というものを私は感じました。もちろん当初から確固たる型が存在してた訳ではなく自己の持つ内面を吐露するかのようなねとねとした作品とかを経た後、回帰するかのように幼い頃に憧れた映画のプロデューサーのようなものを詩に籠められていかれたようですが。

ドラマの大きな流れとしては前半部においては阿久悠さんの人生の歩みとそれにともなう言葉の接し方の変化が描かれていますが、後半部分からはひとりの物語ではなく新しいうねりを作り出した豪傑達が集い進んでいくという展開に変わったように思えます。「仲間」はいいもんだとつくづく思いますです。馴れ合い慰めあう後ろ向きなものではなく向こう傷は男の誉れみたいな前向くことだけ考えていける集団は憧れます。池内博之さんと及川光博さんがいい味出されてました。なんかこの輪の中にいたい気になりました。

画の色味がなんか心に残るなと思ったらなんと長田勇市キャメラマンだったのですね。当時の映像とのちゃんぽんだからさぞかしご苦労もあられたとは思いますがとても空気感が当時のことを思い出させてくれるようでええですわ。もちろん美術部のスタッフさんの力量によるものも大きいのでしょうけど。ちなみに同姓同名の別人でなければ、長田さんが手がけられた作品は映画で「ウォーターボーイズ」・「タカダワタル的」・「サマーヌード」・「群青の夜の羽毛布」・「がんばっていきまっしょい」・バカヤロー!私、怒ってます」・「ファンシイダンス」・「歌謡曲だよ人生は」などなど観ておりますです。非常にクリアな画でありながらなにを見ればいいのか私のような素人に対してもさりげなく誘導してくれる分かりやすさがあって私は好きです。今回の公開CMのシーンとかみたいに時々斬新な画とかも見せて驚かせてもくれますし。

一回目観た時は、時代と共に歩んだ人というイメージでしたが、繰り返し観てみると自分が時代に合わせるのではなく幼少期からの経験値の積み重ねによって表現方法に幅がでてきてそれと今の時代が合致したものを引き出しから出して歌詞としたという感覚に変わりました。しかも決まりとか常識とかは永遠のものではないという信念が根底にあるようで。この人が関わる限り組織に動脈硬化なんて症状は起きないんだろうなという感想を持ちました。まあとにかく全力で駆け抜けたお方であることは間違いのないところで凄い人だと改めて感じたしだいです。

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