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ルーキーズ第9話まで

同時期に観てたからどうしても比較してしまう凡庸なる視聴者ですが、「らすとふれんず」がタイミングの悪さと言い出せないちぐはぐさで物語を組み立てていたのに対して、この「ルーキーズ」はドンピシャのタイミングと思いの丈をぶつけ合う軋轢で物語が編みこまれているようで、その両極端さが痛快で愉しかったのかもしれないと片方が終了してこれだけ残って初めて気づいた感じがしますです。もちろんそんな単純なものではありませんが強引に解釈するとそう思えてきますです。

それと、ストーリーや試練がどうたらこうたら言うものではなく川藤というキャラクターを愉しむドラマでそれに揺さぶられる豪傑たちとの出会いという感じがしてきますです。体育館での説法も悦でした。もうここまでくると説得とか説教とか言う表現より説法という言葉が適切のように思えますです。

見てるだけで画になる存在感を愉しむキャラとか、こういう奴いるいると思わせる息づかいを感じさせるキャラとか、絶対こんな奴いねえよだけどこんな奴いたらいいよなあと思わせてくれるキャラなど色々と面白いと思わせてくれるキャラの種類はあるものですが、川藤は間違いなくこんな奴いねえよというキャラの系統でしょう。

ドラマの中でしか出会えない人間。最近はマンガの世界でしか巡り会えないけれども、このドラマの原作がマンガだけれども、人が実際に演ずることによって架空のものが少しでも現実っぽくなることは悪いことではないような気がしますです。嘘くさいとしらけるキャラとかもありますが、川藤は嘘くさいほど誠実で真摯であればあるほどその存在価値が増してく勢いを感じます。

なにごとにも現実と直結しなければリアルじゃないという考えも否定しませんが、ありえない他人の夢に現実の自分がのっかるのもええじゃないかと。

ただなんでしょうかねえ、敵とか障害はたくさん出てくるんですけど、比較基準がないのが物足りない感じがあります。野球チームとして彼を知り己を知ればといった今自分たちがどのレベルの領域に潜んでいるのか。練習試合の結果とかで表わされているのでしょうけれども、そこんとこがよくわかんないと夢は手に届くレベルなのかあくまで意気込みの目安にしか過ぎないのかでは受けるイメージがんこ違いますからねえ。実際の試合内容とかの提示がなくスコアボードでの想像から推察するしかなく、こいつらどんだけ強いんだというもっと冷静な評価とかいうのが知りたいところではありました。負けられないという精神力だけで押し通すのはさすがにしんどいなと。

気づけばもう9話。おそらくはこの後はグラウンドにおいて甲子園への道を描くことになっていくんでしょうが、ダークホースのミラクルなのかやればできる連中なのかアホな私にも理解できるように整理しておいて欲しかったです。それと常識で考えれば喫煙・暴力沙汰と生徒も先生も起こしてるんだから、現実は旅の恥は掻き捨てとばかりの壁の落書きとか先輩から後輩へのかわいがりとかですら責任をとらされる世界と云う事を思えば明らかに現実の高野連参傘下の甲子園を目指すお話しとは一線を画しているのでしょうに。そういう意味も含めてこの世界での彼らのいろんな意味でのポジションをより第三者的な視点から明確に評価判断しといて欲しかったです。メディアが騒げばいちころな危うさを感じるチーム事情という爆弾とかは見たくは無いですからね。

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