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あんどーなつその4

國村隼さんはやっぱしれっと上手いっス。人間の付き合いの深さを挨拶ひとつで表現してしまうあたりなんざもう脱毛ものです。余分なものが映えてないってことで。シンプルイズベスト。しょっぱなの「うな勝」の旦那との挨拶するシーン観てそう思いましたです。

しほりんも親方とかおかみさんとかへの神妙な表現と恋人?友人?に対する弛んだ表現が使い分けられていてしかもカマトトぶってる風に見えてしまうえげつない訳でもなくニュートラルな内面(うちづら)と外面(そとづら)のメリハリが自然でさりげなく上手いっス。

裏表のないおかみさん(風吹ジュンさん)。しかも気配り上手ときたもんだ。恩着せがましく厚かましくもなく気づかれ(ため息)いつするんだろうと変なとこに興味がいってしまうほど良く出来たお方です。そういう意味でかくあらんと願う理想みたいな人物を厭味なくよいしょと景気づけせずとも何気に肩肘張らず演じておられる風吹さんもすんごいス。

この回のドラマの展開は、住み込みとなって浅草の住人となったなつ。そうなったことによって今までのお客という目線だけでなく歓迎会されたりの普段付き合いの輪の中に入りそれなりの息遣いを感じることとなる。そんな中で目に見えない成長の成果というものに人生の勝ち負けという要素がこんがらがって目先が霧に包まれしかも後輩の存在との比較で優劣まで妄想してそこから逃げ出すように思わず飛び出してしまった同じ境遇の職人の卵と出会う。人の振り見て我が振り直せ。そう思っていたら今度は自分が凡ミスかまして人の事言えた義理じゃないことになりへこむ。はてさて明日に向かってどう心を立て直すかなつ。という展開。

「そういうことだ」という親方の言葉でその意を汲み取れるなつは賢い人のようです。何?それ。食べてないから分かんないじゃんと思いながら観てましたが、その後迷える弟子同士の遠く見つめてのぼやきの中で答えが呟かれていたようです。ですが当たり前すぎてなんか分かったような分かった気になっただけなのかよく分かりませんです。言わんとしてることは分かるんですけど、職人の道は深いです。技術を持たない人間には計り知れない領域ですこと。私らいつも同じように上手くいくはずがない、トラブルを如何に上手く潜り抜けるか臨機応変こそ命という人種なので。もう根本的に発想の元が違うようです。

飛び出した弟子が気まずい中戻った際の土下座は誠実でありました。土下座は屈辱・屈服を表わす行為ではなく誠意を表わす行為なのだと。それを迎える親方の「言葉にしなきゃ駄目だ」と諭された上での「言葉」は感動しましたです。オールクリアって勢いで気分爽快でおました。

色々となんとかにまつわるホントか嘘かの由緒話しが一話にひとつ差し挟まれていて、ためになるのかならぬのか。少なくとも現実に観光で行く時には趣が増すワンポイント観光アドバイスみたいな要素がありますです。前回は「お猿さん」今回は塔の元建ってた所での願掛け。その前はなんでしたっけ?見直す暇ないのでその内にということにしますですが、

決してとんでもない出来事が起きるわけでもないのに一気に引っ張られるこの感覚はどこから湧いてくるのでしょうか。役者力によるものもとても大きいのでしょうけど江戸風味を嘘くさくなく自然に表わしてるとことかも結構大きいような気がしてくるご町内の皆さんの雰囲気です。王道のドラマは私好きなほうじゃないんですけど決めのセリフがホントはずれなしでこれは観れますです。イケメンも美少女も出てこない作品ですので若い衆がついてこれるかは知りませんけどこれはよくでけたドラマでおます。私にはそう映っておりますです。お金や欲より大事なものがあると想って生きてる人達を観るのは羨ましいと思えるのか心が和らぎます。怒る叱るということがどういうことなのかしっかり見せてくれるところもいいですよね。

ただ相変わらず真っ白いお天道様の光りってのは理解できないですけど。

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2・2008年のテレビドラマ」カテゴリの記事

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