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おせん(第八話)

神輿は神の乗り物。ゆえに人が乗り物にあらず。人が乗らば不遜なり。ということと、変えてはならないものと譲れないものは頑固と呼ばれるくらいの強い意志がなくては守れないという二点セットの展開のお話しでした。それとちくりとブログの功罪なんかも織り交ぜて結構いつもよりかは慌しい感じがいたしましたです。これはまあこれで面白いんですけどね。

神輿のお話しは超現実的なもので実際に東京のお祭りでは問題となっていること。幸いなことに浜松は神輿という文化はないので、かような被害に遭遇する問題は発生しないし、そもそも神事ではないので質が違うのですが神輿の意味を聞けばそりゃ乗るほうがなあという気はしますです傍観者としては。だけどアドレナリン出まくりの高揚した精神状態は一種の押さえの利かない興奮状態でもある訳で、珍品堂さんの「言えない」という空気感もようく分かる気がしましたです。もっとも経験がないので何故神輿に乗ろうとするのかという神経が理解は出来てないんで一概に正論ぶったところで説得力はないですけど。

それをおせんさん如何にしてこの難問を回避するかというのが味噌でしたが、啖呵切って「ざけんじゃねえよ神輿をなんだと思ってるんでえ。」といくのかと思いきやその前の一勝負でぎゃふんと言わせて気を削いでこの話しはなかったことにと相成りや。やっぱどちらにも利があるのでしょうか是か否かまではきっちりけりはつけることはありませんでした。上手くすり抜けたと言うかあしらったと言うかなんか大人の世界のなあなあ感が滲み出ててそれなりに深いものを感じましたです。

そしてもうひとつの主題。題材は「藁」。ことの始まりはブログに掲載されたことにより予想外の注文を多く抱えてしま。それにより保管していた藁の異常消費に補充が間に合わなくなりその確保に追われるも策尽きる。それによる決断として薪で代用する・注文を断るといういずれかの選択を迫られることになるおせんさん。その決断は後者。何故と理解に苦しむ周りの人々。その理由は最善をお出しすることが壱升庵。だから時代が過去よりも今が良い物をもたらすなら取り入れ、時代がそれを許さなくなっても過去のままが良いのならそれを維持する。それが出来なくなったら壱升庵ではなくなるということ

ドラマでは楽をしたらその流れの歯止めが利かなくなるから(料理屋が手間を惜しんでどうするという戒め)みたいな表現で表わされてましたがそう的外れではないとは思うちょります。それにしても発端がブログにおける口コミパワーによるもの。悪意なぞなくても相手(対象)が存在する以上良くも悪くも影響が及ぶ。もちろんそんな世の中動かすほどの影響力を持つブログであるからこその痛みなんですけど、知らないうちに人を傷つける怖さを垣間見たような想いが湧きましたです。

この回はおせんさんの回というよりもテル子(鈴木蘭々さん)の回のようでした。登場人物の中で一番言葉が生きてる勢いでテル子の存在は当初から気持ちよかったんで愉しめましたです。それにしても、おせんさんが突如居なくなって珍品堂さん迎えに行って無事解決ってくだりは意外だったです。中止すると決断したのに時代遅れと非難されて中止の意思を翻しての行動というのは分かります。上手く行くかどうかの一か八かだからみんなにおおっぴらに言えなかったってのも分かります。困った時はお互い様という下町根性で祭りの担ぎ手が一肌脱ぐいなせさも分かります。でも誰にも告げずに行くかぁ普通?とな。そりゃ残された方は誰だって心配するでしょうし他の材料の手配の準備とかもあるでしょうに。私はてっきり高木ブーさんがなんとかすると踏んでたんですが、そこはやっぱりブーさんでした。

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