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おせん(第九・十話)

終わり方がえらく玉虫色のぼかし満載でしたけど、前回とのセットとして観たら見所がたんとありましたです。おせんさんが光ったというよりも周りが映えて観えた印象です。

手間隙ばかりかかって儲けが少ない。だけど味は何物にも変えがたい。全ての人がその味を認識していれば消え行くはずの無い話しではありますが、味覚そのものが退化している現代では詮無い事なのでしょう。それに追い討ちをかけるようなケチャップ王子の登場はトドメのようで、二つの異なる買収計画を跨いでのとても良く繋がった展開でした。不完全なものなら無くしてしまったしまったほうが良いと言う考えも極端ではありましたが、本枯れ節にまつわる様は迫力ありましたです。ここはもう役者力満載でただ堪能するのみでありました。

方言についてのたあけた話しはせっかく感銘を受けたのに水を差す野暮になるのでなにも言うことはありません。が、少年時代の記憶シーンに登場されてた少年の発音が普段聞いてるイントネーションに近いものでありました。遠州弁のイントネーションからすれば異なるのですが本物の静岡県人なのか子供固有の吸収力の賜物なのかは分かりませんがおお~近いと思いましたです。

それにしても内藤さんの敵役も、敵役はこうじゃなきゃというお手本みたいな天晴れ具合でありました。情に流されない。物言いが横柄で不遜。しかしボロを出すような驕りを見せない。どうすりゃ潰せるんだと思いもつかないような鉄壁な堅牢さを感じましたです。この時点で予想した解決案としましては、1・壱升庵の馴染み客で金池(内藤さん)よりも上位の力を持ったものがホワイトナイトとして壱升庵の窮地を救う。2・先代女将がホワイトナイトとして登場して一発逆転の秘策を授ける。3・町内会で団結してみんなの力で対抗する。4・最早これまでとばかりに最後っ屁を放って意地を見せ美しく散らんと心意気を魅せる。5・相手が自爆する。6・建物自体が価値を持つ。つまり文化財指定されるとか。

結果的に、5案の内部告発はよっちゃんさんが企むも粋じゃないとばかりに却下でした。どうせ系列だから切捨てというトカゲの尻尾きりで社長までは届かない話しでしたでしょうけど。1案と3案・6案は影すらなく却下どころか存在しなかったです。松方さんやでえくさんの登場無しでした。で、2案の先代女将が登場してきた時はああやっぱりこうなるんだと思いました。思いましたけど先代女将がおせんさんに授けたものは私の考えたその場しのぎの延命措置というものではなくこいつぁ一本綺麗に取られた心意気でした。発想の転換というよりも「つなぐ」ということの真髄は人にあり、決して現状の姿形を維持することにあらず。いやあ建物に火をつけようとした時は一体全体何考えてるのか皆目見当がつきませんでした。江戸っ子らしさ全開でした。こんなもんにとらわれるくらいならいっそ燃やしちまえってのは格好よかったです。その後のすっきり決意が固まったおせんさんも良かったですけど、先代女将ひたすら格好良かったです。でも肝心の強大な敵の対処についての解答にしては泣き寝入りみたいで解決にはなっていなくて、しかも私の考えた案は全て却下されたってことになる訳で。はてさてじゃあどうすんだという疑問を持ちつつ見てました。

子供の登場で、迷子の時点の自然への無知加減からこれが糸口なのかなとも思っていたのですが、意外と意外な展開でした。私は子供がこれは美味しいこんなの初めて食べたみたいな子供の喜ぶ姿を見てというのと、おせんさんのさりげない啖呵もあって社長が心打たれて我が子への愛に目覚め改心して引くのかと思ってたんですが。まさか料理を否定してケチャップかけるとは。観ているこちらも唖然とする光景でした。おせんさんまたかつぶし持ってきてなんちゅうガキだ許せんとばかりに鉄槌食らわすのかと思ったくらいでした。その光景があまりに唖然過ぎてその余韻引きずったままいつの間にか終わっていたって感じでしたです。

最近の子供の料理を一品づつ食べきるというのも変だと思ってたんですけど、なんでもかんでもケチャップ・マヨネーズってのは見ていて気持ち悪くなりました。九話の始めで味覚は幼いころに確立されてその味を終生追い求めると謳ってましたけど、その言が真実ならばもうこの子は救い様の無い状態になっているとも勘繰れる訳でありまして。ま、確かにあんな光景みたらビジネスオンリーのライフスタイルの完全無欠の敵役であろうとも親と言う立場で見れば我が子の不気味さには気づきますわなあ。でもそれが壱升庵の存続とどういう繋がりがあるのかと言うのが説得力薄味インスタント味って感じでコクも旨味もあったもんじゃない印象でしたけど。終わりのよっちゃんさんの再スタート(壱升庵に戻らなず心を別なところで繋げる)ってのはとてもドライでよっちゃんさんらしいといえばらしいですけどこんなんでいいのかしらむとも思えましたです。

脱線しますが、白熊さんのお話し。おせんさんがあれから考えてと言う反論ですけど、私は明日は我が身とは思わないのか。白熊がいなくなるということは環境が棲むに適してないから滅ぶのだから当然人間にも影響が及んでくるんだから白熊の次は自分たちだという風には思わないのかと言うかと思ったんですが違いました。

次に繋がる余韻を感じさせる日常の連続性を表わしてのエンディングでしたけど続編とかの予定がおありなんでしょうかねえ。私は歓迎ですけど。ってそうか!繋げるがテーマなんだからこういう繋がり(続編)あると思わせての終わり方かあ。凝ってるなあと思い直しましたです。

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