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CHANGEその3(第4・5話)

なんかとても安心して見ていられるドラマです。どちらかというと○戸黄門とか○くせん見てるみたいな。キャラクターの役割が非常に明確で含みはあれど見てる側を裏切らない分かりやすさからそう思えるのでしょうか。ヤマ場もきちんと設定されていてそこできちんと大見得切れるのは流石の説得力を感じますです。こういう部分が群像劇とは異なる大黒柱たる主役がでんと鎮座ましますドラマの醍醐味なんでしょうやはり。映画の「バカヤロー」シリーズではないですが、こんなこと言ってみたいやと思えることをはっきり述べる口上もスカッとする要因に感じられます。少なくとも人を殺(あや)めない必殺仕事人的な悪を成敗いたすという負の切捨て的な方向ではなく恒に前向きな未来への展開が心地よいのでしょう。

それにしても「人は同じじゃないみんな違うことをまず認識せよ。」というセリフはなるほどと思いましたです。出来ればラスト・フレンズの宗佑にも総理の口からこう言って欲しいものだと。

現実的とは離れた一歩間違えればマンガみたいな人間性の集合体がうごめく様ですが、各人なにやってもその行動がアリかなと思えてくるその強引さが快感ですらあるかのようです。主役の器が広いから何気にその周りを自由度を羽ばたかせて思いっ切り弾けても主役が拾い上げてくれる度量の大きさをも感じますです。

元気があれば何でも出来るを地で行くようで、健康でなければ始まらないのはやはり基本なんでしょうねえ。はぶせにされても寝る間も惜しんで勉強(?)してその労をひけらかさない辺りは人格者だろうなと感心するところですが。休みの日くらい寝かせてよなどと思う奴では無理な世界のようです。

シンデレラストーリーが1~3話までとしたら4話以降は孤立無援からの脱却(一人づつ総理の器を知る)という流れのようです。そしてこの流れはストーリーテラーからして見れば実に不愉快なシナリオにない展開で出るくいは打たれる的な要素も含んでいそうです。一難さって又一難という修羅場を潜り抜けるサバイバル要素ではなく仲間集め的な要素が愉しみの主な味なんでしょうか。そうすると来週は誰が?という興味があるところではあります。

初登場した頃は現実的な人なのに総理に感化されてくと多少マンガチックにぶっとび始めるとこが気がかり(大丈夫かこの国は?)に思えなくもないですが、それはみんな夢見てるからなんでしょうかねえ。と、いうか総理に夢を乗せてるって感じ?

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2・2008年のテレビドラマ」カテゴリの記事

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