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*浜松ついこないだの昔話14

昭和の最後辺りのお話し。その時分私は街中(まちなか)のとある所を職場としていてしかも土日すらも交代で仕事に来ていた決して普通とは呼べない曜日感覚の生き方をしていた。

詳しい記憶は時間の経過という藪の中なので分け入りながらのお話しなので曖昧模糊とした事実と離れた記述になるやもしれぬが創作のつもりではありませんあくまで実際の体験の思い起しですのであしからず。

日曜日。新川公園という公園とは名ばかりの小さなスペースがあった。極めて昭和的な護岸工事によってコンクリートに囲われて用水路にしか見えない新川という川の上にコンクリートの蓋をして広場としてた。そこには大東亜戦争時の苛烈な空襲や艦砲射撃にも耐え抜き逞しく生き抜いた「市民の木」と呼ばれた見事な枝ぶりのプラタナスの木が植わってた。川の上に木が生える筈もなくどこぞから立ち退きを喰らってここに移り住んだのであろう。新川は自然の川であるが街中を流れる時はどぶと化し幾ばくかの異臭を放ちて馬込川へと合流して行く。

川に生き物が棲めることが奇跡ながらも、下流から迷い込んだ亀が苦しそうに頭をもたげて息をしてる姿を橋の袂(たもと)から見かけたことがある。その身の不幸を哀れに思う気持ちとそれでも生きてる逞しさとが入り混じって生臭い匂いに包まれながらも暫く見やっていた。無神経な大人でさえ見つけれたのだから好奇心の欲に取り付かれてる子供に気づかれない訳がなく、私が立ち去ろうとした時分にはそれを捕んまそうとしてるガキ共が獲物を見つけたかのようにコンクリートに覆われた川辺に下りていって行く様が見えた。彼らがその被害者をどうするのか多少興味が無い訳ではなかったが自分の小さい頃獲物をどうしてたか思い出して悪いようにはしないだろうと勝手に想像してその興味を打ち消し夏の暑い日差しを避けて市民の木の木陰でハンケチで汗を拭いながら一休みしてる人を横目に立ち去った。

休日になると新川公園でフォークギター抱えて聞いた事もない多分オリジナルであろう曲を音割れ寸前くらいのスピーカーの音量で演奏してた集団をよく見かけた。別に良いと思ったらおあし頂戴という生活の糧を得んが為の作業ではなく、ただただ自分達の作った世界を聞いて欲しい、あわよくば感動協調して欲しいというパフォーマンス集団だったような記憶。プロとは程遠い話術と演奏。たまあにそれに便乗してなのか場所取りに先越されたのか宗教のビラ巻き集団がやって来たりもしてた。どういう曲かはキレイさっぱり忘却の彼方の飛んで行ってしまってるが多分「平和」がキーワードっぽかったようなイメージが残ってる。その後この輪が大きく膨らんだという話しは聞いた事はないのでそう言う感じのレベル(あくまで楽曲が)ということで想像して貰えばほぼ間違いない。数人が足を止めていたりもしてここは生活の場ではなく街(消費の場)だというインパクトづけは確かにあった。それでも最初から最後まで聞く熱心な人はそうはおらず行き交う人の中で行われてた。多分全て我慢強く聞いてたのは市民の木くらいなものだったであろうか。

歩行者天国という都会のイベントに触発されて、松菱から西武までの大通りを歩行者に開放するとかしてた頃。ブラスバンド(マーチングバンド)の行進パレードが行われてた時期もあったっけ。ヤマハとか吹奏楽ということなら浜商とかが有名で、他にも色んなチームが存在してる。それらのチームがパレードするのだがこの迫力は結構なお手前できちんと感動出来た。陽気なアメリカ人がパレードが好きというのもわかる気がするくらい気分が高揚するものである。西武前からスタートし松菱か郵便局前辺りまでをパレードして新川公園で道具を終って解散という段取りが多かった記憶がある。演奏し終わって歓談する上気した輪を市民の木は眺めていたんだろうなと思う。イベントとしては華があって私は好きなのだがいつの間にか執り行われなくなった。

アクトができてからは、風に乗ってエレキギターの掻き鳴らすリズムが流れてきて人の流れは駅周辺からアクト辺りと東に移動し始めた。追い討ちをかけるように松菱がこけて西武も引いて流れが変わった。ザザができる辺りからは職場の異動で街を徘徊することもなくなり傍観者たりえなくなってしまったが今街はどうなっているんだろうか。平日のお昼辺りだと板屋町付近には学生らしき若者が湧いて出てきたみたいに溢れてるけど、少なくとも彼らは消費の為に街を闊歩してはいない。日常の生活から離れた「街」というイメージはもうスクリーンやゲームの画面の中にしか存在しないのだろうか。そこを歩くだけで普段から離脱できるような環境は煙草の吸殻すら見かけない綺麗さが備わったとしても浜松の街には私では見つけられなくなってきている。無論歳食って憧れに対して鈍くなったせいではあろうが。少なくとも目的もなくともとにかく街にいれば遊びとして楽しいという暇人は少なくなり目的地に向かってせっせと歩いてる人が大勢になってることは確かであろう。

新川公園にあった市民の木は赤電の高架によって又再びの立ち退きを喰らって今はひっそりと郊外で余生を暮らしているそうな。街で育った市民の木に聞けばそれぞれの時代、人々がなにしに行き来したのか教えてくれそうな気がする。人そのものが変わったのかそれとも箱が対応できていないだけで人そのものはなんにも変わっていないものなのか。もっともしょっちゅう立ち退き喰らってるからちんぷりかあって口きいてくれんかもしんないけど。今が安住の地にならんことを祈るばかりです。

因みに「浜松 市民の木」で検索すればどういう木なのか写真付で解説されてるサイトがありますです。

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