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遠州弁認知計画

以前遠州・三河は日系ブラジル人を含む海外から就労に来ている人が多く住んでいる地域で、その彼らがそれぞれの国に帰っていけば(その人数が多ければ多いほど)話す日本語は遠州弁ゆえ、世界的規模でいけば日本語=遠州弁となる。

と、遠州弁認知計画をぶったのであるが、今回は成功から学ぶと云う視点で遠州弁認知計画を考察してみる事とする。

現在の普及方法としては、芸能人さんによる方言ポロリ作戦に頼わざるを得ない状態であるが、関西弁、特に大阪弁が認知に至った経緯を参考に認知を図れないものかということである。そしてその理由を考えてみると、その理由は漫才にあるのではないかと思われたのであります。

共通語の中で独り方言は洒落にならずに浮いてしまう。しかし方言は会話とした場合に成立するものと思われる。大阪の漫才芸が関東をも凌ぐものとなりその会話の話芸が全国に流れていくことによって違和感のないものとなって今では当たり前の存在として独り大阪弁でも浮くことなく存在できているのではないか。関西の落語も秀でているが漫才ほど注目されなかったのは会話調であっても会話そのものではなかったのではなかろうかと。

したがって大阪弁がこのように成功したならば遠州弁だってやってやれないことはないのではと思ってしまうのである。ましてや江戸の下町言葉の語源の一つとして徳川家康公と共に江戸に移り住んだ三河・遠州・駿河衆の方言があるといわれているだけに。それを武器にすれば遠州弁は関東の人にとって聞きなれない新しさの中にどこか懐かしい印象を与えることが出来るのではないか。

ただし遠州弁はきつい汚い表現でもあるのでこれを浄化してからでないと認知は困難を極めると想像されるのが難点ではある。でも、どつき漫才という人の人格無視するような人をはたく行為でさえお笑いとして認知されてるご時勢なだけに一発勝負で手を加えない遠州弁で勝負という冒険も全てナシということではなかろうて。「アホ」がいいなら「馬鹿」だってええじゃないかってことで。

それともうひとつ難しいのは、遠州弁を話す人は自分が方言喋ってるという自覚がないため、普通にその地域で生活していくと方言を忘れてしまうということである。何が方言でとかは人から注意されないと分からないのである。なにが方言かをきちんと把握しておかなければいけないのが面倒であろう。

誰かそういう漫才コンビが出てこないかなあと思うとりますです。現実的には他の地域出身の方でその土地の方言駆使して漫才繰り広げられる方おられないんで机上の空論なんですけどね。

ちなみに余談ではありますが静岡県人の傾向としては人に手をあげるお笑いは引く人が多いと思われる。

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