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方言の恐怖

3/14のめざましテレビで、医師不足により他府県からのお医者さんを招く事象において、方言により患者との意思疎通がままならないで多少の混乱をきたしている事例と云うものを紹介されていた。

こう云う話しを聞くと、言葉は全ての人に伝わることが理想だということが伺える。遠州弁という方言をネタとしている私としては方言化計画を推進してる訳ではないが推奨してるという理屈も成り立つので反社会的な行為をしてるのかしらむとビビらなくもない。

で、テレビで伝えたまとめとしては、若い世代はテレビ等に接する機会が増え、核家族化少子化等で方言の伝承が消えつつあるが、高齢の人にあっては、翻訳集をパソコンで取りまとめて有効活用しようとする動きがみられると締めくくっておられた。

私のブログは言葉遊びなのでこういう動きに協力できる有用なネタは皆無だから傍観するのみだけれど、思った事はふたつ。

*方言は無くすべきか否か

*何かを訴える際基本言語が確立していないと精神に負荷がかかる。浜松では中南米から来られている人が大勢いる。長年住めば子も生まれ育つものであるが、小さい頃に否応も無く二ヶ国語を使い分けなければならない状態で、それが負荷となって言語能力に無理が生じているというレポートを見たことがある。つまり熱いものにさわってしまった時、即座に反応しなければならない時どちらの言葉が優先されるのか分からなくなるということである。

最近幼児期から英語を習わせる教育方針を選択される親御さんが多いと聞くが、こういう話を聞くとまず正しい日本語を確立させる事の方が生きる上で重要なんじゃないのかと真剣に思う。自分の意思が相手に通じないからキレるたあけものが増えてるのは言葉を知らなさ過ぎるという理由もあるのだろうと思うのです。

まあ結論というか、方言は狭い範囲で肩寄せあって生きてきた先人達の感情の発露を社会性の許す範囲内で素直に表現してきたものだから他所の衆が理解できないというデメリットはあっても、なくなったほうが良いとは思わないのが私のスタンスであります。

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