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エジソンの母最終話

子供の火遊び。一大イベントですな。ひょっとしたら誰にでも心当たりのあることなんじゃないのでしょうか。直接的に自分が当事者でなくても学校という範囲の中でならこういう経験したことがあるんじゃないでしょうか。

それにしても罪を一人に被せるという展開には合点がいきませんわ。あんなもん共同謀議で連帯責任を問われるべきであって、朝礼で明日は我が身のこととしてみんなで反省すべき事だと経験しておりますです。それとも現代はこういうのが至極当然な個人主義の時代なんでしょうか。人の振り見て我が振り直せという言葉は見せしめと変化してることなんですかねえ。

あいつが火遊びしようなんていうからこうなったなんて、そんなの止めない奴も悪いと言われた時代に育った人間なんで、そんな事言って自分だけ逃げたら後で仲間はずれにされるの決まってましたもの。ドラマでは自分たちが後で反省するという表現でしたけど私らの時代じゃ周りが(子供同士)ほっときませんて。総スカン食いますよ。嘘はついても言い訳するなの時代でしたなあ。嘘はばれますけど言い訳は巧妙で賢しい(さかしい)ですからねえ。「恥ずかしいまねするな」といわれた時代でしたっけ。

逸脱しますが、昭和が懐かしいというのなら、そこで生活していたルールや掟というものもきちんと提示すべき気がいたします。社会(公)は大きな我慢大会の場であったということを。みんなが共用するものには我を抑えてみんな我慢するものだと。自分勝手に思うとおりにいかなきゃ気が済まない奴は容赦なく警告を受けるのが当たり前の時代だったことを。そんなやりたいことしたいなら自分の家でやれと家(私)との明確な区別が存在していたことを。自分らしく生きるのは私で公ではないということを。

で、本題に戻りますけど、出来る限りの努力はしたが彼はそれを越えてしまって手に負えない状況に陥ったので残念ながら最早これまで。という学校の立場という展開でしたが、なんかひっかかる印象でした。業務と考えればあながち間違ったものではないですけど、「庇う」という観点から考えるとなんか冷酷とも思えてしまう感覚でした。まあ最後が良かった良かったで無事お開きな展開で結果終われましたけど。

でも大杉漣さんの存在感は凄いです。このリアル感はどこから導き出されるのでしょうか。身近におられる人を観察した結果なのか頭で構築した産物なのか分かりませんが、とにかく凄いです。今回は全てのセリフに含蓄があり、これだけでもこのドラマ観てよかったと思えたくらいでした。物凄い役者さんだと改めて思い知らされましたです。

最終回にも関わらずドラマと殆ど関係の無い感想に終始してしまいましたが、考えてみればずっとそうでした。ドラマとしてよりも企画と役者力を愉しめた作品だったということなんでしょうか。

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