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エジソンの母第八話

天才の卵の環境はいかなる場所で孵化させるのが最善かと云う問いかけに思えた回でありました。教育委員会というコワモテのお方の提示という若干権力をちらせつかせながらの押し売りのような描かれ方ではありましたが、普通である必要など無いからより自由に知能を遊ばせる事ができて、それを否定する力と云うものから隔離するという利点は確かにありますわな。

親が面倒見れないから人口孵化場で育てろと云ってるみたいな作り手の意図を何気に感じますからドラマ上ではそういう条件の提示に対して拒否権を発動するものと予想されますが、少なくとも周りの平均に合わせなくてもいいからお互いの摩擦による心のやけどはしなくて済みそうではあります。

でも、発明や発見のヒントは身近なものから生まれるとか云うのをなんとなく色んなとこで耳にしたりすると、普通の人間でいることの重要性というものも大切な要素のような気もしてきます。それを裏打ちするかのように加賀美という天才の生き様の社会性を放棄してまでも研究に打ち込む姿として提示されているようです。この人を善と見るか可と見るか否と見るかは見た人それぞれの解釈でしょうけども。

別に天才というジャンルでなくても売れない役者やミュージシャンとして置き換えれば判り易いお話しで、目が出なければ社会にお荷物同然となる訳ですから加賀見先生(松下さん)のそういうのこりごりというのも説得力のある行動です。ここで描かれる天才は脳みその天才ですが、容姿の天才、運動神経の天才、人を惹きつける天才とか色々とある訳ですからややこしい話しであることは確かです。

どこぞの国のスポーツ教育のように、幼い内から発掘し英才教育を施し優遇する代わりに脱落していくものには見向きもしない過酷な生存競争を体験させる事がいい事なのかと云う疑問と、一般常識とまではいかずとも世間を知らないことによる本当に必要とされるものがなんなのか分からなくてただ知識欲を満たすためにのみ突っ走ってしまう可能性とかを考えると、当たり前に生活している中でその才を生かすことが凡人にも天才にも幸福な事のような気もしてきます。

でも教師も親も大変だろうなあと思わずにはおれませんけど。明らかに異分子たる存在を周りの子供が本能として持つ独特の残虐性から排除しようとする行動(つまりいじめ)をとらないのがドラマ上唯一の救いの設定なんでしょうか。忍耐力と包容力が物言う世界なんでしょうねきっと。

で、脱線話しですが、あんな都会というか現代に秘密基地なんか構築できる余裕のある土地なんかまだあるんだあとHE~でした。入れるのは仲間と認知されたものだけ、集めてるものも(時代性はありますから多少違いますけど)、共有というルールも、女子には内緒という掟も変わんないというのは、今の世では絶滅した秘密基地を、作ってた大人がドラマの中で復活させたゆえの決まりごとをそのまま使ったのか、今でも細々と存在していてその決まりごとが今も昔も不変なのかちょっと気になりました。

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