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鹿男あをによし最終話

最終回は儀式の模様とその後片付けの展開でした。謎と云うか理解できていなかった部分の解明としては、

何故意味ある場所に学校が造られたのか。

先代の狐の使い番(運び番?)が狐からご褒美として貰った願いの財力でそれらの地を先代なりの意思で守ろうとした。その手段が学校をその地に建てるということであったと云う事。

シルシは解除出来るのか

結果として無事解除できた訳ですが、それでひと悶着あって地固まる展開に進んだ訳ではあります。が、シルシってペナルティじゃなかったんですかねえ。「元に戻せ」が「願い」と云うのはふ~んという感じでした。使い番にしか出来ないことがチューと云うのは劇的でしたが劇なのでこれもアリなんでしょう多分。

儀式の内容

観た通りの出来事でした。凝ってましたが結構あっさりとした感じだったんですが、重大なことって案外こんなものなんだろうなと逆に納得しました。

人間模様はどうなる

小川と藤原、それと長岡と福原は目出度し目出度し。だけど福原先生には「教えてくれないんだ。」小冶田は再び邪馬台国近畿説のヒントを与えて貰って鹿に笑われる他力本願ながらも意欲復活。総じて丸く収まる展開でした。

これについての感想を云えば、小川と藤原は東京の人間にはもう見えなくて奈良が相応しく見えました。なので、小川が奈良に戻るって形の方が私的にはハッピーエンドなのになあと思えました。小冶田にヒント与えて教えなかったんだから他力本願でも構わず手段を問わない小冶田としては答えを鹿から教えて貰ったという小川を引き止めて聞き出そうと奔走して小川を留め置こうとするってのもアリのような気がしました。

答えて貰えなかったのは

鼠の使い番は登場しなかった。

新たな疑問(というかツッコミ)

「め」(三角縁神獣鏡)は儀式が終了した後、堀田の道場で神棚にて保管されると云う事になったらしいが、破壊された(学術的価値が消えた)訳ではないのだから小冶田がまだ狙ってもおかしくないのに何故素直に諦めたのか。意気消沈はしてたのでなんらかの釘をさされたような事はあったんでしょうが。

他言無用とは言われてないようで、しかもサンカクは普段(最近)は道場で保管されてるらしく、保管者が使い番・運び番に選ばれるかどうかは別としてもサンカクの正体は保管管理する者が伝承していかなければ次に伝わっていかないとしたら。これだけ長い年月の間には文献なりなんかで人間世界の中で儀式とかが記録として残っててもおかしくない。なまずの伝承のみと云うのはちと疑問に思えました。ま、誰もこんなこと信じちゃくれないってことなんでしょうけど。

全話通しての印象としましては、新鮮な発想と青緑っぽい絵柄と世界感それにキャラクター達はとても気に入りましたが空気感が間延びした感じに取れてしまって、1クールと云う逆の制約みたいなのを感じてしまう不届き者の私です。

第一話を振り返ると一話丸々使うような内容だったのかしらむと今振り返ってもそう思えますし、一気に観た方がのめりこめそうな感じでした。もちろん2時間スペシャルじゃあ足らなさ過ぎますけど、もう少しコンパクトにまとめて堀田の正体が分かったときのようなスピーディな展開で全編が進んだらより面白さが増したのかしらむと思うところであります。もちろん享受するだけのド素人の一視聴者が具体的にどこをどうのとかいう知恵はありませんけど。

とにかく一度見直ししたくらいはんなり進むのでつい前のことを忘れがちな展開でしたが、まったり感を感じた以外は嫌いじゃないですこういう作品は。確かに自分のペースで読める小説が売れたというのも理解できますし、役者さん方も見甲斐がある方ばかりで愉しかったです。

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