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あしたの、喜多善男第11日

高らかに勝利宣言!全話観たぞー。面白かったぞー。善かったぞー。

視聴率的には高くはなかったらしいけど、観なかった人に「ざまあみさらせ」と思わず吼えたくなる様な快感すらありまする。最初と最後だけ観たってこの感動は味わえんぞと。終わってみれば全てが緻密に作りこまれていて、それに気づかず当初ダルイとすら感じた自分が如何にドラマ観るのが下手な人間かと痛切に思い知らされた感じがします。

最初からと云うか毎回インパクトを求めるお気楽な風潮を善しとしてきた自分を反省し、ひとつの終焉に向かって着実に盛り上がってくというか登りつめてく爽快さを改めて感じました。我慢も快楽への予兆だということを。

そういやあ昔は運動中に水飲むなと云う時代で、その時の蛇口からごくごくと飲み干す水道水のなんと旨かったことか。なんかそんな感覚を思い起させてくれたような感じです。ああいう精神論根性論を優先させた行為というものを経験したことのない人達が大半を占める今としては、こういう作風は受け入れにくいもんなんでしょうかねえ。ま、いくらなんでも勘繰り過ぎでしょうけど。

で、最終回の感想といたしましては、

まず久し振りにCmがうっとおしいと思ってしまいました。Cmが展開の変化の一部のアクセントともなってると普段思って観てるんですが。「なんだよお!いいとこでえ。」と一人ツッコミしてしまいました。

そして画のなんと美しいことか。写真とそっくりの風景って。あんな風景西欧の景色であって日本に存在する筈ないと信じてたけど、マジありました。ホント綺麗でした。綺麗なとこで華麗に「体を破壊する」のは美学だと変に納得してしまいました。それに輪をかけてお芝居のセリフがいつのまにか心の叫びに替わる情感のナレーションが乗っかる小憎らしい演出で、身の回りは昨日のうちに、今日は心の整理といった全ての清算を済まさんとするかのような、後は凄惨を待つだけという盛り上げに見事にはまって泣きそうでした。

それでもいざ死に向かわんとする喜多善男の躊躇する様は見苦しいものだけれどなんか感動しました。ネガティブ善男に後押しを求める姿と平太が説得しようとする際のタメ口は生と死の葛藤が交叉する非常事態であることがビンビン伝わってきて(半々というより生のほうが強かった印象でした)、後はやり直すきっかけというか理由を捜し求めているようで。

「弱くたっていいじゃないか。」このセリフにはずしりときました。今まで搾取され続けてきた喜多善男の人生は絶望に値するものであったとしても、絶望は過程の途中であって結末ではないと諭されてる想いでした。私はこの言葉でジーンときたんですけど「カレーが食べたい」とか「なんでも言うこと聞くから」とか「頼むよお喜多さんよお」で納得された方おられるんでしょうか。確かに平太の存在は大きい筈で、利用とかではなく真摯に止めに入ると言う行為も感動もんでした。これでも納得ですけど私は「弱くてもいいじゃないか」が一番心に響きました。

華麗を選ばずカレーを選んだ喜多善男でありました。

その後の整理のような展開も大人の世界っぽくて甘くなくほろ苦いものでしたが、甘いもの好きな私でも納得の心晴れ晴れなエンディングに思えました。観始めの頃は喜多さん別に美学で終わるなら死んでもいいかあなんて考えてたのが嘘みたいにコロコロ心が変る優柔不断な私です。

振り返るとやっぱいいですわ。小日向文世さんでしょ、松田龍平さんでしょ、小西真奈美さんでしょ、栗山千明さんでしょ、生瀬勝久さんでしょ、今井雅之さんでしょ、後出てこられ方みんなすんげえ方ばっかだったもんで役者力バリバリ堪能できましたし。お話しの展開も振り返ってみれば緻密で筋が通っていたし予想外な展開で凄かったし。余韻も残るし。これで何が足りないのか私にはよー思いつきません。

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