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フルスイング第五話

当たり役という呼び名がまだ存命ならば、まさしく高林先生は高橋克実さんの当たり役でしょう。高林という人の説得力は実在の方をモデルにされてるとは言え抜群の存在感と説得力を感じます。こういう人なら周りが変わるのも理解できるというものです。

そして、先生のセンセイ。そのセンセイの先生は教え子というめぐり巡って人は成長しあう生き物なのだということなのでしょうか。天童先生(里見さん)が教師道を極めた指標となるべき人物だという説得力に打ち負かされました。揺るぎない信念を持ち、されど胃の痛みと恒に闘い続ける人間としての弱さを隠し持ちながらも成すべき事を成す様は頭が下がる以外の何者でもありませんでした。怒る叱るということに責任が伴うというのは重い言葉でした。結局今の世の中責任からみんなして逃れたいからこうなっちゃっているのかもしれないのかなとも我に置き換えて考えてみたりもします。

そういう人ですら教わるものが存在し続けるというのは深いです。お山のてっぺんに立つ事なんて一生出来ないのかなと不安になったりもしますが、それでもそんなことは本人だけの内面の問題であって、周りの人から見れば間違いなく頂上に位置することになるのでしょうね。

歳をとると1年や2年の挫折や遠回りなんて些細なものだと分かるものですけど、高校生くらいだと日々や年数の問題ではなく挫折が経験ない分恐ろしさのあまり我や先を忘れるものなのですね。ましてや遠回りなんて思いもつかない考えなのかもしれません。そういうとても脆い人間を見守り育てる「先生」という職業は特異な職種なんだとつくづく思わされるドラマでもあります。

職業に就けば出来る奴と出来ない奴はもっと露骨に区別されます。共同作業であるならば足を引っ張るくらいの言われようにもなるものです。学校という職場よりももっと千差万別な集団に等しく接するというのは大変な労力と忍耐が必要なのだと感心するばかりです。

受験合格や就職内定といった成果は眼に見えても、巣立つ生徒に対していい教師であったかのかという正解は見えないのですから教師のやりがいってなんなのでしょうねえ。

それにしても来週最終回。もう終わりかいって気分です。

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