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エジソンの母第五話

今回は感性の問題ですかあ。ドラマの中での良い絵と悪い絵。その違いとは絵を見る大人の側の目的によるものであって。それを描いた子供の状態を映す鏡としての心理テスト的に判断するためのものなのでしょうか。その子の状態を把握するためのチェックであって、芸術とはことなるものなのでしょうね。この場合の子供に絵を描かせる理由と言うものは。

これが芸術への追求と言うことになれば、良い悪いの問題ではなく感じるものがあるかどうかの問題なのでしょう。感性は好き嫌いの激しく分かれるものですから人それぞれでいい絵は異なるでしょう。学校教育の中における絵の存在価値は芸術とは異なるために存在しているような気がします。

だけど感情というか情緒を測るものさしだとするならば、良いから褒めるとか悪いから直せというのはまた話しがややこしくなるというか使用目的が違うんじゃないのかという疑問も湧いてきます。なんか二兎を同時に追ってるみたいで芸術と情緒の発露は紙一重ということなんでしょうか。より深く表現するための技術を伝えることは必要ですけど、こういう場合はこういう表現でみたいな形式に捉われてはいけないということでせうか。

だけど本当はこうだこうあるべきが理想というような正解をドラマでは提示してくれなかったので、現実に対する問題提起なのか、後はお好きに判断してという投げかけなんでしょうか。イマイチすっきりしない回であったような、放置された印象を受けました。家のガラス割られて怒ろうと思ったら逃げちゃった悪ガキに無性に腹が立つオヤジの気持ちが今になって分かったみたいな感覚です。ガラス割ったことに怒れてるのか謝らず逃げたことに怒れてるのか自分でも分からないという感じですか。まあその、絵が分かる人なんてそうそういませんから非常に現実的だといえなくもないお話しですけど。

いつも書いてますけどこのクラスの中に「天才の卵」がいると思ってるから秩序を越える出来事が毎回起こっても理解しようと見ていられるけど、単に教師の成長期を描いたドラマだったら子供の我儘にとてもじゃないけどついていけない内容です。でも毎回感想が思い浮かぶということは自分でも気付かないとこで印象に残るドラマなんだということでしょうか。お母さんが物腰態度の低い方なのでそれで救われてる部分が大きいのも確かです。

母親といえばこのドラマで少し不思議だなと思えることは、母親には「何故何故どうしてどうして」追求攻撃を天才の卵はあまりしないということです。まあ、「それは内緒」遠州弁で言うところの「いいとこまんじゅう」の使い方が上手いということなんでしょうけど。

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