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斉藤さん第四話

スカッと爽快と言うわけにはなかなか行かない現実的な正義のお話です。「お母ちゃん恥ずかしいから止めて。」ともし万が一子供に言われたら悩みこんでしまいそうな感じがします。もちろんドラマの中の息子は良く出来た子で決してそんなこと口にしたりはしませんが。

拙者ならば、家族のしがらみがないよう天涯孤独の「斉藤くん」にして、強きをくじき弱きを助ける是々非々を押し通す野郎のお話しにして、何か事あるごとに正義を貫く様を描きます。そして、強きものよりの報復として刑に処されようとても自分の正義を信じ抜き、決して前科が次々と増えようともくじけることなく終生押し通す様を描きます。周りは長いものに巻かれない「斉藤くん」を内心拍手しても現実的には和を乱す迷惑者として扱う。そして最後は誰に感謝されるでもなく孤独死していくも最後の表情は穏やかな極楽往生であった。って感じで。

正義はただじゃ出来ないと言うテーマでいかがでしょう。

ま、こんなヲタ話しはおいといて、今回のお題は「謝る」ということで。以下はドラマから逸脱した内容となっております。

幼稚園と言う世界だから明日に繋がるわけですが、社会においてはその前に「許す」世界を構築しなければいけないんじゃないのかなと思わないでもないです。平気で土下座を強要したり、過ちを徹底的に追及することで溜飲を下げて満足し、相手がその後どうなろうとも知ったこっちゃない。

会社とかを舞台にしたドラマなんかだと、ミスやトラブルというものが必ず描かれる事が多いのですが。人間がやる以上必ず発生するそれらですが、「何かをやろうとして起きた前向きなミス」と「なにもしないから起きた後ろ向きなミス」という風に良く分けられています。「前向きなミス」はしょうがないというむしろ良くやったという位の評価として描かれることが多いのですけど、社内で明日に繋がると評価されたとしても社会が評価しないのが現実なのではないのでしょうか。

そんな現実だから謝るのが馬鹿らしい、謝ろうが開き直ろうが徹底的に叩かれてしまうことに変わりはないんだ。だからばれない限りは隠せるものなら隠した方が楽だ。ばれたらどうせ終わりなんだから。

正義は叩く事にあり、過ちは正すのではなく追い出すものだと。二度と再びのチャンスは与えない、潰す。潰される。もう武士の世ではないのだから武士の情けは過去のもの。

世の中やはり「許す」べきものと「許さざる」べきものとの区別をきちんと判断できる社会にしたほうがいいんじゃないのかなと。なにもかもヒステリックに糾弾するのはいかがなものかと。そう思えました。社会がまだ集落単位で成り立っていた頃は「村八分」的な過ちでない限り「許す」世界だったんじゃなかったのかなと想像してしまいます。今は世界が広すぎて野次馬の数がそれに直接関わるものを凌駕してるともいえるのではないでしょうか。

もっとも泣き寝入りする事がいいことだとは到底思ってもいませんけど。やり過ぎなことが多いんじゃないのかなとふと思えたまでです。

それにしても観月さんが高校生からおばちゃんと呼ばれて、しかも違和感がないのかあ。などと歳月を感じる今日この頃です。

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