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エジソンの母第三話

未来が読める人がいる筈も無く、天才の可能性を持つものとイレギュラーで社会性を持ち得ないものとの違いを見極めることなんて果たしてできるのだろうかという疑問を投げかけてるのかなとも感じるドラマの印象です。

学校の同級生とか近所、あわよくば親戚の中から「天才」でなくとも「有名人」が出現してくれたら私の人生楽しいだろうにと思うことがありましたわ。自分じゃなれないってことくらい早くに気付いていたから、せめてそういう人間を知ってる。しかも向こうもこっちの事を知ってるなんてことになれば、自慢げに言いふらして意味も無い優越感を味わえるんじゃないかということですよ。

今のところそんな人はいないんで「類は友を呼ぶ」という真実の言葉の説得力を痛いほど噛み締めているわけですが、そんな私ですので「天才」の可能性のある未完成な人間というのは見たことありません。なのでテレビで見るしかなく、これがそうだという設定になっているからこの子のやることなすことを、それなりに理解しようとして観てるわけですが。

もし、そういう将来の姿が見えていないとしたら私には松下さん演じる先生のやることなすこと全てに共感すると思います。杉田さん演じるお母さんも決して悪役としてでなく子の将来を憂う必死な母親と映る事でしょう。

今のところこの「天才の卵」を「将来の天才」と認識しているのは母親と美浦(谷原さん)の二人(もしかしてBOBA校長も)だけです。美浦には立場上の説得力があるから規子(伊東さん)も引っ張られてそう思っているのかもしれませんが、現実的にそういう「天才の卵」というのがもしかしたらたくさん存在してるけど、周りの不認識で孵化する前に割ってしまっているとしても、そうそう美浦のような発見者(お墨付きを与えてくれる人)は世の中に多く出回ってる訳ではないでしょう。

そういう意味で、受動的にではなく普通の人の代表ともいえる規子自らがこの子の特異性を発見し守り育むという姿勢でないといまいち現実の社会にフィードバックできる要素が見当たらないような気がします。なのであまり美浦を便利使いし過ぎてしまうとこれは特異なケースであって現実社会へのメッセージであるというパワーが失われてしまわないかと余計なお世話を感じてしまいました。

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