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なんだかなあ5

基本自分の命と生活は自分が守るべきものであって、それが出来なくなった時白旗を上げて病院や警察に救いを求めるのでは?委ねる以上は助けてくれる側のルールに則るべきのような気がする。

だのに助けを求めておきながら自分の意にそぐわないからといってあだけるのはどうかと思う。自分の意を通したいのなら助けを求めずに自分で何とかすべきではないのだろうか。

公共の事に限らず、金銭の授受が行われれば全て「私は客。お金を払っているのだから奉仕するのは当然。」という感覚があるのだろうか。もう感謝の念を持とうなどという倫理では済まされない領域に世の中が入り込んでいるみたいだ。まあもっとも最近ではその金銭すら支払おうとしない甘えた奴が多いらしいけど。親に甘え社会に甘え我儘放題に生きてるようでもある。

とある国で大規模災害が起こって、救援物資が不足の状態でヘリコプターから群がる人々にむかって食料などを投げ落とす光景がテレビで映し出されていた。当然生きるために人々は群がり我先にと奪い合いが始まっていた。映像は乳飲み子を抱えた母親がなにも取れず悲嘆にくれている様をアップで捉えて締めくくっていた。

日本だって戦後の混乱期はかくの如くであったようであるが、明らかに今の物が溢れている日本人同士の無法者とは別物なのではないだろうか。被災地での彼らはなりたくもないだろうが生きるために動物化しているのであって、自分の思い通りにならないとか損だ得だで思考する我欲とは結果は同じだとしても精神は違うものだと思うのです。

自分の意見を言う。相手の立場を思いやる。今の世の中この相矛盾した行為で優先されるのは自分の意見を言うことが優先のような気がする。こういう考え方ってひょっとして、欧米かっ!

以前は公衆の場で揉め事起こしたり大声だしたりすれば家族や知人などが「恥ずかしいから止めて・恥ずかしい真似するなよ」とかでたしなめられる光景が多々あったもんだが、最近はよってたかって事を荒立ててる光景すらあるほど「恥」という精神が失われつつあるのであろう。何を「恥」とするのかその抑止力が影をひそめてしまって見えなくなっている。

結論としては、甘える事が当たり前という自立心のない輩が増えたんだろうな。もうひとつは相手への思い遣りで成り立ってきた社会が自己表現の巧みさで成立する社会に変わりつつあるということだろうなと。どちらにも乗り遅れてる私は搾取される側で人生終わりそうだ。でも甘える方は出来なくもないか。

そんなこんなで、罰(ばつ)を与える世の中よりも罰(ばち)が当たる世の中の方がいいかなと最近思うようになりました。自分が臆病なのでどうしようも出来なくて誰かにどうにかして欲しいという甘えではありますが。

罰を与える・鉄槌を食らわすといった人が人を裁かなければ抑止力にならない世の中よりも。

因果応報。悪しき行いをすれば誰にもばれなくても法律で裁かれなくとも必ずその報いが巡ってくるんだという畏怖心による抑止力の方がいいかなと。

良くもあり悪くもある「迷信」という名の倫理感が失われて「教え」というものがなくなりつつあることの是非はともかくとして、誰かがいつも見てるんだぞ。だから悪い事なぞしてはいけないんだぞという畏怖する心はあっても良いんじゃないのかなとつらつら思うわけです。それを人がやると監視と言うことになるわけで決して良いことじゃあないけれど。人じゃあなければいいのかなと。

人ではなく見えないなにかにジャッジを委ねる曖昧模糊とした倫理感だけれども、八百万の神々や背後霊・守護霊・先祖霊・精霊などなどありとあらゆる天空に住まう人ではないものに手伝って貰えばなんとかなるんじゃないのかとふとね。

まあ体の良い神頼みってことになるんでしょうかねえ。でもそれくらい首に縄つけとかなきゃ直ぐ噛み付く凶暴なのがうろうろしてる今日この頃ですわ。もし噛み付かれたら出てくるセリフは「死ね」ではなく「ばち当たれ」といきたいところです。

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