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猫の餌やり

生きとし生けるものに自愛の精神で接して何が悪い。人だって誰かに何かに迷惑を掛け続けていなければ生きていけない生き物ではないか。存在するものはしょうがないじゃないか。自然に生きるなら受け入れて共存すべきだ。

動物ごときに自分の生活リズムを犯されたり狂わされたくない。いるといないとでは明らかにいないほうがいい。以前米国で橋が崩れた原因が鳥の糞による腐食だったそうじゃないか。いていい場所と悪い場所というものがあるんだから生活の場で共存なぞ考えない方がいい。

野良猫に餌をやることの功罪というものを読んでの思ったこと。猫に限らず鳥の餌やり野生動物の餌付けなどやる側の理由とやらない側の理由は食い違う。

私的には、鳥は光るモノに対して攻撃性があるのか、バイクや車のミラーにしょっちゅう糞をかけられて怒れている。鳥の糞の腐食性は半端ないすからねえホント。それでも「とりぱん」とか読むと癒しと感じてしまう。俗に言う都合のいいケースバイケース主義。極めて軟弱なATフィールドを張った使徒みたいなものだろうか。ガンジス河でバタフライなんてドラマの中の他人の出来事だろうなきっと。

躾と言うかお互いが得するルールというものが成立してる関係ならいいんでしょうけど野性に躾なんてね普通無理でしょう。人間の側が折れるしかないような気がするのですが、その度合いが人それぞれ過ぎて軋轢が生まれるんでしょうね。人間が食物連鎖の頂点にいるという驕りがある限り人が生活する場所は人間のものであって野良に餌やるだけで後知らんという事は無責任といわれるんでしょうね。共に生きるなら責任をもって「飼う」という管理下におけと。

でも共存を願う側にしてみれば、友達を管理する人はいないだろうし他種族であろうとも相手の自由を尊重するというのは包容力の大きさを感じるわけでもあるのでそれは羨ましい限り。

で、お前はどっちの立ち位置なんだと問われても、修行が足らないのでどっちつかずのどちらもなるほどと思う「うなずき族」なんですわ。でもいつかは優しい動物になりたい傾き具合です。すけなくとも餌をくれてる人を見ると優しい人なんだと思うし迷惑だから止めろと言うことはしていない。

ちなみに「すけなくても」は(少なくても)と(助なくても)を掛けた遠州弁的な表現です。どうでもいいことですが。

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