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エジソンの母第二話

第一話の感想書いてたかと思ってたら、きっちりボケかまして書いてませんでした。

第二話で特に印象が残ったのが、BOBA校長の朝礼でのシーンでした。高みから大人の目線と立場から物申す訳でなく、生徒達の目線にまで下がってさりげなく教え諭す光景は、ええこと言うわあと感激しましたです。年齢を問わず説得力のあるお話しでした。

周囲の大人の保護によって才能は伸びる。そんな簡単なことが分かっていながら現実の社会はイレギュラーな歯車を必要としない。以前は利き腕さえも道具の関係などで全て右に統一されていたくらい、のびのびと羽ばたかせることには消極的なものです。だから集団生活を基とする学校社会では昔ほどではないにせよ規格に沿った歯車をよしとする。

それが社会に出れば、いきなり天才を社会は必要とする訳で、そんな都合よくある日突然変異する筈もなく。そんなこんなで矛盾を抱えた社会への投げかけをテーマをしたドラマなんでしょうか。第一話の冒頭でのノーベル賞みたいな授賞式から始まるドラマですから、あれが妄想的夢ということでなければ、「天才は育つ」というお話しでしょうからこれからも現実社会との軋轢に苦悩する展開になっていくのでしょうか。

それにしても傍若無人な子供達には、社会の歯車として規格どおり生きてきたつもりの私としては、なに自分勝手にやってるんだと怒れてきてしまいます。「けじめ」というみんなで生きる上のルールと言うものがある筈で、はしゃぐときも大人の言うこと聞くときもきちんと使い分けることくらいは最低限はして欲しいなと観ててそう思えました。ルールを打ち壊す事が天才の使命なのかもしれませんがだからと言って天才基準で世の中廻ってたらルールなき無法地帯になっちゃうような気がします。

それに直ぐキレル甘えの塊のような自分勝手な社会性の欠如した大人が増えつつある今、そういう予備軍を作ってしまったら世の中悪い方向にしか進んでいってしまうんじゃないのかと不安を憶えたりもします。特別扱いしろ(隔離しろ)と言うつもりはありませんが、誇張されてるとは言え松下さん演じる教師の言い分が正しいと感じなくもないです。天才だけ育てりゃいいやと言う訳でもありますまいに。みかんとかの農作物じゃないんだから「選別」はしないで欲しいなと。欲深いこと能天気に書いてます。

一体どうやって素直な社会にも優しい人間として普通の子供と天才を共に社会に送り出すのか、そのお手並みというものを拝見したいものです。

母親が「信じる」というのは必然でしょうね。親がその才能を発見していなければ始まらないというのはよく理解できます。でも自分の子を芸能人にしたがる夢見る親がこういう考えに便乗するのは嫌だなあと。単に自分の夢を子供に押し付けてるだけの人と一緒にならないようには描いて欲しいです。

子供達から受ける印象が天衣無縫なうちは観れるんですけど傍若無人に感ずる事が多いようだと私的には観づらいドラマになりそうな作品という感想です。

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