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*どうだかいねー・どうだかいやー

どうだろうという意味。別に説明の必要もない言葉ではあるが、使い分けについての違いがかすかにある。無論集落によって異なるので遠州全般に言えることではないのかもしれない。

「どうだかいねー」若干肯定的なほうに意識が傾いている時に使われる。

「どうだかいやー」幾分否定的なほうに重心が傾いている時に使われる。

例文

「この道であってるだかいねー。」

  (この道であってるのかなあ。)

「どうだかいねー。もうちっと行ってみすか。」

  (どうだろうねえ。もう少し行ってみようよ。)

「この道であってるだかいねー。」

「どうだかいやー。誰かん聞いたほうがええらあ。」

  (あってんのかねえ。誰かに聞いたほうがいいんじゃないの。)

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なんか凄い面子

松重豊さんのブログ「修行が足りませぬ」の記事「竹箒」を見て驚きというかなんというか。眞島秀和さん・BOBAさん・森下能幸さん&ブログの主松重さん、なんと同じ事務所の方だったんですね。初めて知りました。

私的な共通点は矢口作品に出演されてる方々ということで、特にBOBAさんに至ってはワンピースで機械協力BOBA optionと記載されてるくらい矢口・鈴木両監督に近い方ですし矢口作品映画だと「裸足のピクニック」と「歌謡曲だよ人生は」以外は全て出演されておられる。

松重さんは「アドレナリンドライブ」で不死身のターミネーターな怖いお兄さんだったし、森下さんと眞島さんはSGでお弁当屋さんと解体業のお兄ちゃんで出演されておられたし。

丁度今日は松重さんがNHKのスタジオパークに出演されておられました。番組でブログを発信することの意義を述べておられたところが印象的でした。

顔を売るご商売の方とはやはりブログに対する姿勢と言うものが違うんだなと。私のような出来る事なら匿名性を隠れ蓑に思った事を書くのとはエライ違いです。

BOBAさんとこのブログも充実してるんですけど松重さんのブログはまめです。でもこちらの事務所さん(名前存じないんですが)会社としてのHPとかはないんでしょうかねえ。というのも以前私、眞島さんのことをほんのちびっと記事に書いたんですが、「海峡」放映以降凄くアクセス数が増えてるんです。しかもいまだに途切れることなく。検索ワードは、「海峡」放送時には眞島秀和プロフィール。最近は眞島秀和ブログで。

皆さんブログやられていらっしゃるようなのでここはひとつ眞島さんにもブログ立ち上げて欲しいものです。っていうか「海峡」前に立ち上げてくれてたら最高にいいタイミングだったような気がしました。

松重さんのブログは面白いので当然お気に入りに入っております。飲みニケーションの内容も多々ありますのでお子ちゃま向けとはいえませんが。一見の価値はあるかと。

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医龍2の6

第10話。最終回への序章。さあ面子は揃った。あたあもう、迷うことなく全力で「時間がない」雄太の命を救え。という決意と決断の回ですな。

ここまできたら山越え谷越え乗り越えて、艱難辛苦乗り越えて各々方抜かるでないとばかりの吉良邸討ち入りぞってか。ここまできたら「救えなかった」なんてありえないわけで、これから起こる様々な試練にひたすら打ち勝つドラマの醍醐味を最終回で味わえるわけでいとをかし。

ハラハラドキドキの仕掛けとしては野口の妨害と運送中のトラブルを見せてくれたわけですけんど、それに加えて来週はどんな試練が追加されるんでしょうか。

終わりが確定してる(患者の命を救う)といっても過言ではない筈で、なのでそこに至る試練をいかにクリアしていくかが最大の見せ場でしょう来週は。先が読めないどんでん返しが最近多い中で、これだけ王道的なドラマは珍しくなってるような気がしないでもないんですが思い過ごしでしょうか。

終わりが読めないと試練を乗り越えるのかどうかさえもわからなくて辛いと感じてしまうんですけれど、最後こうなるってわかってるとMじゃないけどもっと試練をと思っちゃいますねえ。苦労した分報われる喜びが大きいってやつですか?

この日の為に頑張ってるという生きる張り合いみたいなものが観ている自分にも感じられる最終回になるといいなあと思っております。

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申し訳ない

12/13に私ごときのブログにありがたくもトラックバックして戴いた方に申し上げます。

私の操作上の手違いにより誤って削除してしまいました。お気を悪くしないで下さればありがたいのですが。

トラックバックの多くは何かの宣伝広告目的のものか、野郎心をくすぐるような妖しい誘惑のお誘いのものとかがそれなりに多くて。一体この機能の意義ってのがよく分かっていないんですが、会うことはなくとも人として繋がりの輪を広げる道具であるのならこんな社交的なものはないわけで、その分別に頭を使っているのですが不注意してしまいました。

私の心情は批判・非難は苦しいので出来れば避けたいものですが、繋がりを否定するものではありませんので今回の失態をお許しいただいてまたお寄り下されば幸いです。

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記事数500越え

丁度と言うわけではないのだが、気がついたら越していた。下書きというか書き殴りのままが100近くあるんで気がつくのが遅れてしまっていた。記事にしたところで最新ネタしかアクセスがないんだから、記事として積み重ねてとっといたところで誰が見るでもないに。ねえ。

しかし、ノートと違って容量があるのでいちいち消してスペース確保しなくてもいいのは楽チンだし、掲載後でも消しゴム無しで書きかえれるのもでけるし。重宝してますわこのメモ帳は。

でもまあ話しのネタを500も思いついたと言うのは自分にしては良くやった部類であることに間違いない。もっともオリジナルなんてなんにもなくて誰かが作った作品を鑑賞して御託を並べてるだけのものなんですけどね。自分にしか書けないものを見つけてその道に邁進できれば幸せなんですけど、とりあえずは人の褌で相撲を取って書くことに馴れていければそのうち閃きが訪れるんじゃないかなと淡い期待を抱きつつ1000目指していかすかのえ。

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*でけすかあ

「できすかあ」・「できるけえ」とも言う。意味は、出来る訳がないだろう。又は無理ゆうなよ。共通語の「(そんなの)できるかあ!」と同じニュアンス。

開き直りというかあだけたときに使われることが多い。似たような表現で「知らん」と言うのもある。他には「でけへん」・「できひん」・「できゃせん」とかもある。

例文

「んなのでけすかあ」

  (そんなの出来るわけないだろ。)

「いんやおんしゃならやりかねん。」

  (いやいや君ならやりかねない。)

「ばかこいちゃかんて。人んなんだと思ってるよー。」

  (冗談言うなよ。人をなんだと思ってるんだ。)

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働きマン第10話

おっしゃー!ですわいな。6話で風邪こじらせてまでも働きマンに変身したのが自分や仕事のためではなく、新二のために。だからこそ可愛いなあと感じてたのに、別れちゃうなんて「嫁にしたくない女NO.1」てセリフなるほどなあと説得力を感じたんですが、最後のシーンと最終回の予告でもしかして?と期待をしてなんか来週が愉しみです

新二とより戻さなきゃ納豆喰うじゃないや納得できません。頑張ってる人にはきちんとしたご褒美が訪れなくてはならないのです。非現実的だとたとえ揶揄されたとしても、それが観る者に夢を与えてくれるのがドラマの醍醐味じゃないですかあ。恋も仕事も両手に花でウェディングじゃないやエンディングを迎えて欲しいところです。あくまで私の希望です。

ってなことを前回も書いたんですが、そうなってくれそうな最終回で期待増です。

10話でのお話しに戻りますが、今回は二点が主題だったと解釈してます。親の愛情と事故現場での傍観者の存在。

「子離れしてくれ~」というセリフは嫁にいかない限り無理でしょう。女親は結婚してから娘とは新たな関係性が生まれるものですが、男親は嫁にやってしまえば途切れてしまうもんでしょうに。娘の行く末が心配なんて反語のようなもんでむしろ逆の心境のような気がしました。面倒みれるのも今のうちだけという。娘にしてみれば男親の心理なんてわからないもんなんでしょうね。弘子は別れ際までにはしんみりとしてたけど、おそらくは親の心子知らずな気がします。もっとも逆に弘子が何にしんみりしてたのかはよく分かりませんでしたけど。

で、余分なことなんでしょうけど今回の松方弘子は娘というか子供としての可愛さに見えました。こういうとこまで作り込んでるとしたら菅野美穂という役者さんはバケモノみたく上手いってことになる訳で。まさかねとは思うんですがもしそうだったらすんげーっすマジで。

事故現場での弘子の視点というのは、同感というか確かにそう思いました。

人の生死に関わる事ばかりでなく、何か事あるごとに携帯構えている景色は私的には不気味でしかありません。目に焼き付けると言うか、自分の眼でモノを見ない・記憶に宿さずに、携帯と言う機械に頼る様は異様です。永遠とはどれくらいを指すのかという問いに、死ぬまでと答えることもひとつの正解だとすれば、機械は永遠ではない。だけど鮮烈な記憶はその人にとって永遠に残るものの筈でしょうに。だとすればまず記憶に留め様としないのはその人にとってたいしたことではないと言うこととも言える訳で。事故がたいしたことないなんてどうかしてるとしか思えません。携帯と言うフィルターなぞ通してモノを見るから現実が見えてこないとも言えそうです。

で、肝心の記事は「今の世の中何かが違う。その思いをストレートにぶつける・・」というくだりからだけではどういう内容というか切り口にしたのか私の頭では想像できませんでした。問題提起で終えたのか、かくあるべきとまとめたのか意見を述べたのか事実のみを第三者的に伝えたのか。リアルに疑問に思ってることなのでその記事読んでみたいです。

さてもさても、最終回はどうなることやら。ホント愉しみですわいな。でも録画でしか観れないんだろうな多分。

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*すっころぶとひっころぶ

両方とも転ぶと言う意味であるが、その使い分けは

「すっころぶ」は、滑って転ぶようなときに

「ひっころぶ」は、ひっかかって躓いて転ぶようなときに使われる。

バナナの皮でステンという事であれば「すっころぶ」で

紐に足を取られてドテンという事であれば「ひっころぶ」という使い分けであろうか。

遠州弁かどうかについては、引っこ抜く、すっこ抜くというのが全国的であるならば遠州弁ではないということになる。まあ多分全国的のような気はするが。でもこれが「ひっとらまえる」(ひっつかまえる)は多分に遠州弁臭い気がする。

例文

「スケート初めてやったもんではあすっころぶすっころぶ。たっとった時間の方が短いくらいだったよー。」

  (スケート初めてやったからもうね転ぶ転ぶ。立ってた時間の方が短いくらいだったよ。)

「急いどったもんでえ、階段の段飛ばいて降りとったらやー。足んもつれてもう思いきっさひっころんじまった。どいてーやー。」

  (急いでいたから階段、段飛ばしで降りてたら、足がもつれてしまって。それでもう思い切り転んじゃって物凄く痛かった。)

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ハッピーフライト

ついに待ちに待った矢口史靖監督の最新作が来年観れるらしい。SGからもう3年近くにもなるのだろうかタイトルは「ハッピーフライト」。矢口監督が飛行機ヲタクで自分の趣味を基に飛行機にまつわる新しい切り口のお話しらしいです。

矢口作品といえば、野郎がシンクロしたり女子がビックバンド演ったりという発想のユニークさが目立つところが一般的には有名かもしれない。けれどもサクサク進むテンポのよさや澱みないお話しの流れを忘れないようにしないと。起承転結というかドラマの展開も、目線が観客から観た視線であって決して唯我独尊にならない親切さを感じるのです。ターゲットを絞らずに誰にでも受け入れられるようにと。そういう難しい事に挑戦してる監督さんです。

航空ネタなのでシンクロやジャズというある種のブームを引き起こすということは流石にないでしょうけど、鉄っちゃんに続いて飛行機ちゃんてのも認知されるようになるのかな。過剰に期待して抑圧になってもあれでしょうけど愉しみは膨らみますわな。

誰が出るのかとかは勿論わからないけれど、誰が出て欲しいとかでいちいち要望と言う名の御託を述べるつもりは毛頭なく無条件で来年の愉しみが出来た。なので死んでる場合じゃない。

「歌謡曲だよ人生は」のDVDでのコメントを飛行機を眺め望める場所で行ったのは、ある種のサインであった訳かと。兎にも角にも朗報だぁ。

ちなみに矢口監督のお名前の「史靖」は「しのぶ」と読みますですハイ。

追記

3/28、全面協力するANAからのニュースとして、4/10~4/19までの期間エキストラを募集するという記事がありました。私は皆さんふるってご参加くださいということを書きたいわけじゃなくて、肝心なのはもう撮影が始まるぞ!ということでありましょう。ということは、もう主要キャストは決定していると考えるのが普通であろう。にもかかわらず発表はない。

まあ今までの作品からしてマル秘事項ではないだろうけど制作発表とかはいつもしていないから今回に限ったことではないのだけど。監督が言いたくないんだから誰が出るのか少しでも早く知りたいなどという余計な詮索はしないというのがベストな待ちの姿勢なのであろうて。だからエキストラに行く人には守秘義務を厳密に守って欲しいと願うばかりです。あとエキストラがヘボいと映画全体がしょぼく見えてしまうんですよねえ。ですから行かれる方は是非とも芸能人目当てにいくようなミーハーな気持ちじゃなくてより映画を作るために参加すると言う意識を持って欲しいものです。

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歌謡曲だよ人生は

オムニバスだし色んな風の噂からして物凄く愉しみと言うほどではなかったんですけんど。観終わったらほんわかしてきました。で結局通しで観てましたスキップ・早送りのお世話にならないで。風説なんて結構いい加減なもんですなあ。

興行成績を押し上げるべき若い世代には時代や人それぞれの思い出が存在しない分ついてこれない作品群なんでしょうけど、「誰もがく口ずさめる」感覚を共有できる人にはそれなりに沁みる映画のような気がします。ちなみに私のリアルタイムは女のみちと乙女のワルツくらいで後に関しては聞いた記憶はあっても想い出はありません。でも東京ラプソティは想い出はないけど東京への憧憬という想いは浮かびました。(昔の想いですけどね)それでもこの映画についていけたのですから、曲を知らない若い衆でもついてこれるかもしれないですね。普遍というかいい曲ばかりの選択ですから。

つくりは丁寧で決してテレビサイズで満足するような画じゃあなく、ストーリーとかアイデア勝負だけのものでもないような気がするのでやっぱしデカイサイズで観てみたいです。

かといってどこからでも入れるお気軽さも兼ね備えているような感じもするので、なんか独りじゃなくて温泉ランドみたいなくつろげる広いホールみたいなとこで寝っ転がりながら大勢の人と観ても面白そうだなあと。結構空間を共有するのが気持ちいいような気がしてきます。歌にまつわる想い出は人それぞれ違っても理由の説明できない共有感を味わえてそれもまた愉しいそうだなと。

各話毎に好き嫌いを言って分解してああたらこうたら言うよりか、人生色々あらあなというイメージで捉えた方が愉しめます。多少自分には当てはまらなくてつまんなくてもそういう奴もいるさあって感じで。あくまで好みのもんですからね。難しく考える必要はあまりないような気がしないでもないです。感覚だけで充分でしょう。それとも私の見方が足りないのかな。

「歌謡曲だよ人生は」というタイトルどおりの内容だなあと思いましたが、見る前の印象は正直だっせータイトルと感じました。観た後は納得なんですけどね。こんだけバランバランなお話し群で構成されてるのにひとつの映画として観れるのは「歌謡曲」という縛りが効いてるからなんでしょうね多分。エンディングの東京ラプソティがまとめとして秀逸で観終わったぁって満足感ありました。それなりに切ないお話しとかもありましたから終わりよければ全て善しって感じでほんわか気分でエンドロール見れました。

個人的な愉しみは矢口作品が観れる事・柴主さんと長田(勇市)さんの画が観れる事・山下敦弘監督が役者さんとして出てる事などなど。

矢口作品は起承転結がはっきりしててやっぱ好きですわ。江口さんも出てたし。早く次の作品発表するかワンピースの新作田舎でも観れるようにしてください。

画についてはなんとスタッフいっしょくたあにクレジットされててどの作品が誰の画なのか分かんなくしてあって、なんかどれか当ててみろと試されてるようでしげしげと見てしまいました。外れてると恥ずかしいのですけんど、4・7話は柴主さんっぽいのかなと想像しとります。違ったら素人故ごめんなんしょ。お分かりの方がいたらツッコンで下さい。

山下監督、出てられるの知らなくて画面に突然出てきたときはびつくりしました。山下監督ってなにかの役者さんのインタブーで、演技指導については口で説明されるよりも自ら演じてみせるタイプだと言う事を記憶してるので、役者さんより上手いといわれるお芝居に興味がありました。で、感想なんですがモロ山下ワールドの住人でおました。ま、本人なんだから当然なんですけど。

役者さんがホントがんこ出てらっしゃられていて、山口監督もおっしゃってたけど瀬戸朝香さんのバスガイド姿も見所だしそれ意外にもさりげなく出てくるすんげえ役者さん観てるだけでも愉しいんで予想外と書いては大変失礼なんですが、見所もツッコミどころもそれなりに満載で当たりのDVDでした。ちなみにDVDのパッケージかなりインパクトあります。私的には買う為にレジカウンターに持ってくのに一瞬躊躇しました。

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*しゃーあんめえ

しょうがない。関西風だとしゃあない。野郎言葉なので女性の場合は「しょーないじゃん」・「しょんないじゃん」が一般的。関西風とちゃんぽんになった「しゃあないらあ」という表現も良く使われる。イントネーションについては関西風とは異なる。抑揚をつけないのが「しゃーあんめえ」である。赤い彗星の「しゃあない」的イントネーションと関西風の「しゃあない」は共存というかどちらも人それぞれで使う融合地域でもある。

例文

「なんでえこの運転わあ。どあぶねえじゃんかあ。見ちゃおれん。」

「しゃーあんめえ?おとつい免許とったばっかだもん。」

「・・・・降ろせ。ちゃっと降ろせ。死にたあない。」

「ま、ま、まあまあそういわすとお。もうちっとでつくで我慢しない。」

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働きマン第9話

師走です。能天気マンの私ですらリアルタイムで番組観れなくなってます。

なんで休みの日にまとめてヨーイドンとマラソンの如く一気一気!という状態。

こういう時好みが自覚がなくても出るもんですなあ。観たいものから手が出る次第で。食べ物は好きなもの最後に食べる主義なんですけどドラマは何故か観たい順。

と言うことで働きマン後の方になりました。なんでかってえと、新二と別れたから。働きマン松方に正直感情移入出来ないんです私。むしろ新二の方を分かりたいって感じで。

風邪をこじらせても頑張る姿が可愛く見えたのは、新二とのために働きマンに変身したからであって、そういうところがいじらしいなあと思ったんですが。なんかきっぱりって感じで、そこんとこは人生が永遠に続く中のワンシーンとして現実的というかリアルだなあとは思うんですが、ドラマという区切りのある時間枠の中でしかもこれだけ新二といる空間を描いてきた以上、仕事も最愛の人も両方手に入れるというハッピーなエンディングを期待してしまうものです。

影響力というものがどれほどあるのか分かりませんが、何かを犠牲にしなければ何かを成せないというのは(現実だとは思いますが)このドラマを見て自分も頑張ろうとか勇気をもらったとかいう励ましや応援としてのメッセージが伝わらず、リアルな社会描写ドラマになってしまう気がしてきます。

私より上の世代だとモーレツ社員とか働き蜂だとか揶揄されても皆一心不乱に働いてた時代に、すちゃらか社員で「サラーリーマンは気楽な稼業と・・・・」という真逆の人間が特異の映えて目立った時代と違って今は人の数ほど道がある時代ですから働きマンが働く事の指針とは必ずしもなりえないのでしょうけれども、頑張った人にはご褒美があるという終わり方がいいなと。公私共にね。

ドラマの流れというか空気感は明るくコメディっぽく見える風に感じるのですから、この作品をみて元気をもらえるようになるためにも新二とよりを戻して欲しいなと密かに思ってるんですが、原作読んでないんですが聞いたところによるとそうはならないみたいで残念。

でも観ますよ最後まで。

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*こぎたない・こきたない

共通語の小奇麗・小粋(こいき)・小ざっぱりと同じ系列の言葉であろうか。汚くしてると言う意味だが、センスの悪い服着てるとか整理整頓されてないとかをさす場合があり、衛生的に汚れているものばかりを指すわけでもないので、ニュアンスを説明するのが非常に難しい。ある意味ニュアンスを共通語に変換できないということで、言葉そのもは共通語でも意味は独特と言うことで方言といえば方言ということになるのであろうか。

「こぎたない」と「こきたない」の二種類があって、「こぎたない」はだらしない系で「こきたない」は汚れてる系の使い方が多い。

似たような言葉で「きたならしい」というのもあるが、こちらはホントに不衛生的で近寄りたくないようなイメージになる。

例文

「まあこぎたない部屋だけどあがってやー。」

「おじゃましまあす。ってどこ座りゃええだ?」

「そこの本積んであるとこ、くろの方に寄せて場所空けてくれりゃあええよ。わし茶あいれてくるで座っとって。」

注、「くろ」とはこの場合すみっちょ(すみっこ)という意味。茶は普通会話の場合「茶あ(ちゃあ)」という場合が多い。

比較文その1(多少強引だが勘弁しとくりょー)

「なにぃこのこぎたない台所わあ。あんたどこになにがあるかわからんくならんだか。」

「いいじゃんか。自分でわかってるだでえ。」

「地震きたらどうせるよー。」

その2

「なにぃこのこきたない台所わあ!あんたずぼらにもほどがあるにい。ふんとにもー、しっかりしてやーっ!」

「いいじゃんかあ別にぃ。死んでやせんだもんで。」

「そういう問題じゃないでしょ。」

その3

「なにぃこのきたならしい台所わあ!よーまあこんなとこでご飯つくれるねえ。」

「弁当買ってくるだもん。湯ー沸かすだけだもん、とんじゃかないだ。」

「そういう問題じゃないでしょゴミは捨てなさいって話しでしょ。」

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*きんのう

昨日(きのう)と言う意味。決して勤皇と言う意味ではない。

明日(あした)・一昨日(おととい)・一昨昨日(さきおととい)・明後日(あさって)・明々後日(しあさって)は共通語と一緒。おとついとも言うがこれも共通語の範疇。

きんのうだけが何故か変形している。

「きんのうはありがとね。」

昨日はありがとね。と言っているのであって、勤皇の志士よありがとねと言ってる訳ではない。

「きんのうはどさぶいもんで家ん帰ってからぁちゃっと寝ただよ。」

昨日は物凄く寒いから家に帰ってすぐ寝たんだ。と言っているのであって、勤皇の志士は早寝だとか言ってる訳ではない。

「きんのうはこりたやあ。」

昨日は大変な目にあったと言っている。結構この言葉は頻繁に使われるので、もしそう言われたら(ちょっと聞いて聞いて)といってるようなものだから聞く姿勢を見せたほうが人間関係上有利である。

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SP第6回

もう第6回。テンポというか本広調のペースにはまってるせいなのでしょうか。それとも単純に時間が短いからなのでしょうか。あっという間という感じです。

殺し屋の一の矢が折れた回でしたが、上手の手から水が漏れた犯人確保の理由がハイライトというのはびつくりでした。あまりにも意外だったんですけど、振り返ってみればしょっちゅう煙草のシーンを見せてくれてましたから不親切な意外性ではないのでやられたあという感じでした。ただシャワーシーンの想像はあまりにも描写が具体的過ぎていくら能力値が正常な人間よりも高いとは言え凡人の感覚からすると要点だけ想像するだろうに。あそこまでリアルなら犯行に及ぶ側のシュミレーションとして描いた絵というほうが説得力があったような気が若干しました。取らぬ狸の何とかと言う奴で。

しかしプロの殺し屋集団が、あまりにも普段は普通の人間として違和感なく一般ピーポの中に埋没して生活してるというのは怖い話しではあります。前回の軍人さんとは又違って殺人を生業にする人が殺人に対する意識が仕事と割り切っているところはホント怖いです。殺人に罪の意識がないというのはモラルがどうのこうのというレベルじゃあないですからね。

肉弾戦(格闘シーン)もいいんですけど双方の心理戦みたいな部分が面白くて話に引き込まれてしまいます。音楽も印象を煽るというか相乗効果があって緊迫感が増す感じですし。

実際の警察とドラマの警察を同一視してない上での話しですが、ただあまりにも政治的配慮というか、組織だから仕方のない部分は確かにあるんですが上層部の意見と言うものが強く影を落としている(足かせになっている)ように見えてきて、警察(ドラマ上の)に対する信頼を損ねてしまうような負のイメージがついてしまうのは、ドラマとして夢を売るというか観終わってスカッとするためにはもう少し甘めにして欲しいなと想いました。勿論井上と尾形の過去にまつわる関係でこういう敵にもなりうる設定であるのならば致し方の無い事ですけれど。最前線にいる人達のお話ですから、彼らが今日を如何に懸命に生きるかと言う様を愛でる作品なのでストーリーの今後なんて予想もなにもしてないんですけどね。

なのでそんな先よりか、二の矢がどうなるのかが気になります。

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医龍2の5

師走になって忙しくなりました。能天気に生きてるつもりの私でもテレビドラマを放映時間と言うリアルタイムで観る事が出来なくなって参りました。なので大分タイムラグが生じております今日この頃。

第9話のお話です。野口の野望(覚悟)の回でもあった訳で、我が身を削ってでも何かを成さんとする行動が印象的でした。弱者切捨て、権謀策術の権化としての朝田達にとっての敵でもあるのですが、大事を成さんとする男の生き様を垣間見た部分の方が強く残ってしまいました。(いいか悪いかは別として)

現実に嫌な奴というのはどこでも必ずいる訳で、そんな奴いなくなってしまえと短絡的な感情に走ることの多い今日この頃なんですが、逆に言えばどんな人間であっても社会の中には必要とされるスペースがあるということもいえる訳で。

そういう意味では、引き篭もりでいては自分が必要とされてる場所がある筈なのにそこに出ようとしないというのは損なことか得なことかと我が身に置き換えて考えてみたりも何気にしてみたり。自分は必要とされているのかと疑問を打ち消せない答えでもあるのかなと考えてもみたり。

人間なんて幾つもの顔を持ち合わせている多面体なのだし、どこにいようと必ず敵と味方と野次馬が存在しているのだから、嫌われてナンボ、多くの人に好かれたいといった相反する状態を享受しなければならないのかもしれない。

野口という怪物を観察した回という印象で、岸部さんの役者パワーの底力をこれでもかと魅せつけられたような回でおました。単なる弊害の象徴・敵ではなくその地位にいる男としての不気味さや信念まで表現される岸部さんは凄いです。敵役でときたま敵になるべく悪事ばかりの表現でそんな奴がそんな地位にたどり着けるとは到底思えないリアリティに欠けるものを見て白ける事がたまあにあるんですが、医龍の野口にはその地位にいる説得力を感じます。

でも流石に「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というくだりはやっぱコイツ悪党だわと。

あと、「時間が無い」理由が判明して、とりあえず朝田本人の時間でなかったので患者さんには悪いですけど良かったかなと。これで医龍3観れる可能性が残ったのだから。出来れば陰口を叩かれようとも最近の流れにのって映画として観れれば最高なんですけどね。

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*みこ

印象・心象と言う意味。「覚え」・「愛想」という意味でも使われることがある。普通は「みこよくせる」。「みこ」(印象・心象)をよくせる(良くする)というセットで使う。勿論逆の「みこわるくせる」(印象をわるくする)という使い方もある。「みこよくない」だと(愛想が悪い)もしくは(覚え目出たからず)。

「みば」の項目で見映えの略形と書いたが、「みこ」もそれに近い意味を持つ。ただし元の言葉がなんなのかは私の知識不足で不明。結構誰にでも普通に通じると思ってるので方言ではないのかもしれないが、少なくとも検索ではヒットしなかった。

「みば」が外見(見た目)を表わすのに対し、「みこ」は内面を表わす場合が多い。

例文

「あん人にゃあ嫌われんようみこよくしとかんと仕事しづらくなるでねえ。注意しんと。」

  (あの人には嫌われないように印象良くしておかないと仕事がしづらくなるからねえ。注意しないと。)

「いくらみこよーしたって仕事できにゃあしょんないじゃんか。顔色見て仕事なんかして楽しいだか?」

  (いくら印象良くても仕事が出来なきゃだめだろうに。顔色伺って仕事して楽しいのか?)

「しょんないじゃん。わし仕事とろいだもん。」

  (仕方ないだろう。自分仕事が出来ないんだから。)

「変なとこ努力せんでちったあ仕事の方努力しない。その方がええと思うだけどやー。」

  (変なことに努力しないで仕事の方に努力の目を向けたら?その方がいいと思うけどなあ。)

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