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2スト乗り

私が大型のバイクに跨れるようにたった頃、世間はヤマハのRZが4ストに一矢報いて、その後スズキのγやホンダのNSRのレプリカがブームになる前という2ストブームの中間くらいの時期だったような曖昧な記憶がある。

50ccに乗っていた時代が長く、当然2スト乗りだった。

エンジンブレーキなんて教習所の筆記試験ぐらいでしか使ったことがないというくらい、2ストのエンジンブレーキは効かない。良いか悪いかは知らないが2速3速一気に落とすという事も平気でしてたっけ。

アクセルは全開か全閉かのどちらで微妙なアクセルワークなんていらない。一度回転が落ちたらアクセルワークでジワジワとなんて無理。とっととシフトチェンジが鉄則。一気に吹き上がるがすぐ頭打ち。しかも一度焼け付きなんかしたらエンジンは死んだも同然。2ストに力強さ粘り強さという呼称はない。こまめを通り越して傍から見たら慌ててるように見えるくらいの頻繁なシフトチェンジが要求された。

2スト乗りには江戸っ子気質のような気忙しなさがないとなれない。

服は汚れるものと言うのが鉄則。仮面ライダーの愛車も夢じゃないというくらい煙をはいた。嘘か誠か知らないが、暫くチンタラ低回転で走らせてその後一気にウィリーするくらいの勢いでアクセルドカンすれば煙がよー出ると言う話を聞いて、試しにやってみたら、オイルのビチグソが噴出して後ろについてた友達の服やヘルメット・前輪を油まみれにしてバカヤローと叫ばれた。前輪についた油が道路にこすり付けられて落ちるまでツルツル滑りながら走っているのをミラー越しに見て、今日はこのままサヨナラしようと決心したことがあった。事故らず済んだので笑い話で済んだのだが今思うと危ない事してたもんだと。友達が運転の上手い奴でホント良かった。自分の排気ガスでも汚れて、ウインドブレーカーの背中部分はオイルが点々とつくものだった。諦めと言うより宿命。

マフラーは触ってはいけない。熱いからというだけじゃなく、油でべとべとなので触ったり服にふれたらなかなか落ちるものではないからである。水に圧をかけても落ちないし、ブラシなんぞ使おうものならそれだけでブラシが使い物にならなくなるくらい油だらけになった。自分にもバイクにも綺麗好きを要求する奴では2スト乗りには向かない。

カーボン焼きと称してマフラーの中にあるサイレンサーを引っこ抜いて焼く。というかあぶる。この作業が性能を維持する秘訣。決して根性焼きではない。芯を抜いたマフラーのほうははりねずみみたいなブラシで耳かき鼻ほじりの要領でカスをほじり出す。ドロドロだとオイルが多すぎなので混合量を調節。カチカチだとほじったくらいでは取れないので木槌でボコボコにしてからこそぎ落とす。オイルが少ないと焼きつきが心配なのだが、バイク屋のオヤジに言わせるとドロドロよりかいいと言ってた。

2ストは走行距離1万キロまで。以降はエンジンがへたるといわれてた。ホントか嘘かは知らないがそう信じこまされていた。

そんなこんなで、RZからカタナに乗り換えた時は何もかも怖かった。全然過去の経験役に立たないんだもの。2ストと4スト、カタチは一緒でも違う乗り物だったような気がする。馴れてしまえば4ストが楽チンだけど狂気に浸りたくなる時たまに2ストに乗りたくなる。

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しめらかす・わらかす・かす

かす=せる

「しめらかす」(しめらせる)・「わらかす」(笑わせる)

逆は、かさん=せない

「しめらかさん」(湿らせない)・「笑わかさん」(笑わせない)

「やー馬鹿っつら笑かすなやあ。」

  (笑わせようとするんじゃないよ。)正確なニュアンスだと(人が真面目にやってるのにふざけるな)

「切手うまくはっつかんなら、綿でまあちっとしめらかすといいに。」

  (切手が上手く貼れないようなら、海綿でもう少し湿らせるといいよ。)

海綿とは自然界のスポンジ。切手を貼るときとかお札を数える際に切手や手を湿らせる為に使われた事務用品。石油製品のスポンジより手触りがソフト。最近見ない。

「あんた○○と△△近づけちゃかん。まっとはならかさんと火いでるにい。」

  (ちょっとお、○○と△△を近づけちゃ駄目。、もっと離さないと火が出るよ。)

細かく言えば(離さない)ではなく(離らせない)

ただし、「いかすかなあ」(行こうかなあ)の「かす」は「せる」にはならない。共通語の(行かせる)は遠州弁だと「いかさす」となる。(行かせない)は「いかささん」。

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冗談です

*人が馬を食うやうに、馬も人を喰っている

以前やってた競馬のCMで「人が馬を愛すやうに、馬も人を愛してる」というナレーションがあった。馬主さんや厩舎の方の心情を表現したいいセリフで心に残るが、

馬券買うだけの身としては「人が馬を食うやうに、馬も人を喰っている」と言うほうが切実に思える。大昔で言えば気まぐれジョージみたく、素質とは別の馬の気分で、実績や能力から判断して本来勝ち負け必死の筈が物凄いお金が動いてるのを関係ないねとあざ笑うかのように見事に裏切られたなんてことがしょっちゅうの身としてはこのほうがリアルに感じてしまう。

作られた方やナレーションされた方がもしこれ見たら激怒されるかもしれないんですが、まあそこは勘弁してください。

*いい間違い

「この製品の画期的な特徴といたしまして、従来の機能に加え新たに次の8つもの機能を備えたところにあります。まず第一点目の特徴としまして・・・云々・・・長々・・・・・このような多機能性は世界でもタップクラスのものであると自負しております。・・・・」

「タップクラスって蛸足配線級てか。」

「なんか無理してそう。」

「うん。火がでそうだな。」

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医龍2の3

久し振りに日本人を見た思いです。「にっぽん人」じゃないですよ「にほん人」。

怒りや憤慨という感情のままに裁判になって生きる目的を変えることよりも、本来の生きる目的を選択するということに清い生き様を感じました。

お金よりももっと大切なものがあるという単純なものではなく、金銭や溜飲を下げるという面子が立つという誘惑に打ち勝って自分の決めた人生を歩もうとする姿はやはり美しいです。同窓会に向かう老夫婦が前に立ちはだかる階段をゆっくりとのぼるとき後光のような光がさすシーンは出来すぎ作り過ぎかもしれませんが綺麗でした。

宝くじ当たって人生が変われば最高に幸せと当たり前に思う今。私の親以上の世代は地道にコツコツと歩む事こそが最高の人生だという想いで生きていました。全てが積み重ねの人生であって自分が覚悟した人生なら喜怒哀楽凡て人生経験として重くなっていくもので楽して手に入れようなんて考えるなと。閉塞的ではあるかもしれませんが一度決めた道は外れるなと教えられてきました。逃げるな変えるなと。

私は見事にその教えを破って生きてる訳ですが、その負い目がある分西沢という老人の生き様に強さを感じるのかもしれません。

武士は食わねど高楊枝。泣き寝入りじゃなく、時は潰すが一攫千金の機会を逃しても自分の決めた生き様を選ぶ尊厳さを久し振りにテレビで見たような気がしました。でも見舞金返したのはもったない。あれくらいは貰ってもいいんじゃないかと思う貧乏根性は私は恥とは感じないけど、そこはやはり返しとかないとドラマにならないんでしょうね。

で、いつものどうでもいい話なんですが、役者さんって眼力(めじから)って言うのが皆さんあるんですねやっぱり。マスクして髪隠しても画になるっていうのはそういうことなんでしょう。贅沢言えば、手術してる加藤ちゃんもやっぱし見たい。

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なにしにい

例文

「そういやさあ、こないだね、○○に行ってきただよお。」

「なにしにい。」

「△○見たくて。楽しかったにい。また行きたいやあ、あんたも行く?」

「なにが楽しゅうてええ歳こいた大の大人が△○見いいかにゃかんだあ。」

「そういわすとお、いっぺんいってみ、結構はまるにい。」

「子供の世界大人が荒らしちゃかんらあ。」

「なにしにい」とは(何をしにいったんだ)と言う短縮形。あまりその話しに興味が無く乗り気じゃない引いた感じの冷静さが伺える。興味があって食いつくときは「ホントーなにしに行ったよー。」ホントーをウッソー・あれえに替えても可。

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言い訳

最近調子が悪くて仕事に行く以外は寝てばっか。映画館のなんと遠い事か。じゃ、DVDでどうだって言うとこれも気力なし。

そのくせテレビドラマは苦も無く見れる。しかもぽこぽこ感想書き殴ってる。

映画とテレビドラマの違いって間口が広いかどうかが違うのだろうか。映画はそれなりに姿勢を正して観ないとという覚悟がいるのだろうか。そんなつもりはなかったんだけど、実際テレビドラマは見れても映画DVDには勇気がいるのだからそうなんだろう。

キネ旬を読んでたら、加藤和彦さんへのインタビュー記事で、映画はその人のホントが映る、テレビは人によっては屈折してホントからずれるときがあるというような事が書いてあった。なるほど、ホントだから見るのに勇気が必要なのもあながち遠くないんだと自己弁護。

いづれにしても、テレビドラマの感想ばかり書いてる自分がいささか情けない。きちんとお金を払って観たものと対峙したいものです。夏バテというのは洒落にならない病です。来年も生きてたらそのときは注意しようと思います。と、忘れないようにと書いたのですが来年の自分ははたして懲りるのでしょうか。

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働きマン第3話

新しい働きマンの覚醒かという回でありました。主人公の働きマンはエステ行ったりヨガしたり飲み食いしたりデートしたりとホント色んな事してストレスと闘ってるんですねえ。自分でバリバリ働いた分自分にお金を使うと言うのは見ていて厭味がないです。でもこういう生活身についちゃうと働くのを辞めた時に金銭感覚を修正するのに大変そうだなあとは思いました。前回の感想で書いた何で結婚しないんだろうと書いたのですが、疑問に対する答えの一部が分かった気がします。

で、新しい働きマンですが、田中(速水さん)がどうのこうのということじゃなくて、タレこみの後始末が描かれていないのはちと不満です。名刺まで渡して情報聞いといて「金は?」と聞かれて「裏とってから。」と答えてましたが、「ガセだから。」と言ってそれでお終いって現実的じゃないでしょう。絶対たかられるかつきまとわれると思うんですよね。そういうものの対処もしなきゃリアルじゃないような気がするんですけど。結局そういうことで仕事が嫌になるってことあると思うんで、負の部分も描いているのならそれに打ち勝つシーンも見せて欲しいものです。

良い親がいてこそ下で働く子分が輝くって感じで伊武さんと沢村さんがいいです決まってますかっこいいです。

もひとつ、で、SGファンの残党といたしましてはベスこと水田芙美子さんが出演されておられました。重要と言うか気になるところです。自称妹を田中に紹介(?)する女友達の役でしたが。

違和感がないです。ああいう場所を遊び場としてるオネエチャン役は。「野ブタ」ではヤンキーみたいなオネエチャンでと、淑女とは程遠い役ばかりやってるような気がしないでもないのですが、DVDとか見る限りでは夢見る女性役の方がはまるような気がしないでもないです。勿論ご本人はオネエチャンかもしれませんが芝居をする時は自分の性格がひっくり返ってる方がそれらしく見えるのではないかと思ってるんです私は。気の小さい人が演技となると途端にハイテンションななったりみたいな

ご本人のブログにはほんのちょこっと出るのでと書いてありましたが謙遜というか野望が高いというか結構出てたような気がしました。一発で分かりましたからウォーリーを探せ気分にはなれませんでした。

「まさかガセじゃない。」とつぶやく田中の後ろで田中の頭をほげーと見てたのが印象に残りました。なにやってんの?と言う感じでもなく、かまってくんないんだというつまんなさそうな感じでもなく、じーっと無感情で田中の頭部を見つめてる様に見えるのはどういう感情表現なんだろうと不思議に思いました。(このシーン地デジでは見れたんですが録画で見直したら通常サイズでは切れて見えてませんでした。)

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*くんりょ・つかあさい

「そうしてくんりょ」(そうして頂戴)

「そおしてつかあさい」(そうして下さい)

「そうしてくりょ」(そうしてくれ)

「そうせろやあ」(そうしろ)

「そうしちくりー」(頼むでそうして)

「そうしんとかん」(そうしなきゃ駄目)

「そうもいかんでえ」(そうもいかない)

「そうせるだか」(そうするのか)

色々とバリエーションがあるものではあるが、きりがないのでこのへんで。

「くんりょ」(くれや)はタメ口若しくは格下に向かって使う言葉。

「つかあさい」は目上年上に使うような丁寧な言葉。きっちし遠州弁かどうかは疑問。なにしろ廣島弁として有名じゃけえの。

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ガリレオ第2話

小市慢太郎さんてひとつの役でも見ようによっては悪役にもいい人にも見えたりと不思議な空気感のある人ですよねえ。いい人だと思ってても最後悪い人だったってのもなんか納得だし、いい人のまま最後までいい人だったとしても別に期待はずれにならないしその逆でもありですから。

推理物とかに出てくれば間違いなく犯人かもしれない怪しい人物ですよね。お芝居みてると仰々しさがなくて自然な感じを受けるとこがいいです。物語を惑わす人ですよね間違いなく。

で、ガリレオを観るとどうしても「トリック」に近いものを感じてしまう私なんですが、、「トリック」は事件に二人が関わるときの二人の騙し合いで連れ出す掛け合いが面白いと感じたのですが、ガリレオは結構あっさりしてますよね。なかなか腰を上げない湯川教授をあの手この手で捜査に連れ出す内海刑事というのも面白可笑しく観てみたいです。後半シリアスになるだけに笑えるとしたらそこくらいしかないような気がするので。真矢さんが出てくるシーンも面白そうですけど。

もうひとつは「踊る大捜査線」でも「トリック」でも「エヴァ」にしても劇中の効果音と言うか音楽が印象的でその音だけ聞いても反応してしまうものがあったんですが、まだ2回しかないせいでしょうか、あまりガリレオには印象に残る音と言うものが感じられませんでした。(あくまで劇中ですよ)別に「ヒーロー」とか「わたしたちの教科書」みたくそういうもの無くても評価の高い作品というものがあるのですからなきゃいけない訳ではない話ですけど。

でも短く感じるドラマですよね。もうちょっと長くてもと感じさせるテンポのよさなんでしょうか。なんか見足りない気になります。確かに映画にしたら丁度いい幅なのかもしれないです。

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白墨

チョークは以前白墨と呼ばれていた。

以下は昔話。今日も日本のどこかで同じ光景が繰り返されているのだろうか。

小学校の色んな当番がある中に白墨当番というのがあって、なにをするのかというと、授業が終わって次の授業が始まる前に黒板消しで黒板をきれいにして減った白墨を新しいのと入れ替えたり、窓からはたきで黒板消しについた白墨の粉を息を止めて(吸い込んだらむせるから)パンパンぶったたいて落としたりもした。ひとつづつ両手に持って黒板消し同志を叩くやり方もあったが効果は絶大だが粉の煙が半端じゃなかった。たまあにはたきを使わず窓の下の校舎の壁に黒板消しを押し付ける奴もいた。叩くだけならまだしもこすり付ける奴もいてそういう奴のいるクラスの黒板消しは直ぐ破れて消耗がひどかった。休み時間を潰しての作業なので遊びたい盛りの奴が当番だといい加減に済まして遊びに加わってしまうので、次の授業で先生が書いた文字を消して新たに書き加えていく度に黒板が白くなってどんどん読みづらくなっていった。

私の時代は先生が叱るのは当たり前で野郎にはげんこつ当然だったから廊下走っただけで注意されたが、黒板当番の怠慢についてはみんなの迷惑になるにも関わらず注意されたという光景の記憶が何故か無い。

中学に上がると電動の黒板消し専用の掃除機(名称は忘れた)が普及してきて休み時間の各教室からの黒板消しぶったたきの光景は見られなくなったが、たたきの方が粉を落とせるので綺麗好きとか徹底好きな奴とかが窓出てパンパンはやってた。

小中高全て黒板消しには手が外れないように黒いわっかがついてたが、殆どそれに手を入れる事はなかった。たまに入れてる奴を見ると随分お行儀の良いお坊ちゃまお嬢ちゃまだことと思ってた。

チョークと言う言葉が使われるようになってからプロレスの「チョーク」にかけて、誰かがプロレスごっこやってて「チョーク・チョーク」と叫んでるときに白墨のチョークを「ほい」と手渡してやって「バカかおめえは!」と言われたりもしたっけ。

黒板が消えるわけでもないのに何故黒板消しと呼ぶのかは不明。

古くなって緑のペンキが割れてきた黒板の割れは大抵横に割れている。

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*ほっぽる・ほっぽっとく

ほっぽるは全国的に広がっている方言であるが、ほっぽっとく・ほっぽらかすはさすがにここら辺しか使っちゃいんらあと思ったが、そうでもなかった。

でも一応もし意味が分からない人がいたとしたらいけないので

「ほっぽる」は放る

「ほっぽっとく」は放置する

「ほっぽらかす」は放り投げる・放置した(まま)と言った意味

こっちに投げては「こっちほおって」

「ほっぽ」という表現は、不要とか捨てるというニュアンスがつくので、いらないものをこっちに投げてよこせとは普通言わないので「こっちほっぽって」とは言わない。「くずほっぽってよこしゃあがって」というような使い方は当然あるが。

近い言葉で「うっちゃる・うっちゃっとく・うっちゃらかす」というものがあるが、これとに使い分けは「ほっぽる」は忘れるというか意識外になるという勢いに対して「うっちゃる」は意識してという勢いであるいう違い。つまり極端な事を言えば無意識か確信的かといった違いであろう。

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Vitz

トヨタのリラックマと会話するフランス語の堪能なワーキングウーマンが登場するCM。第一印象はオセロの中島知子さんに良く似てるモデルさんだなあと思ったんですよ。よくよく見れば別人だし第一フランス語が半端なく自然だし、純国産というよりハーフ若しくは日本人似のおフランスのモデルさんなんだろうなあと思ってそれ以上深く追求しなかったんですよ。

ほいたらあれですよ、後藤久美子さんだったんですねえ。びっくりしましたよ。以前ご夫婦でタイヤのCMに出ておられたのを見たときはすぐ後藤さんだとわかったんですけど、今回は別人28号に見えました。いい感じで歳を重ねておられるようで羨ましいことです。

いやただそれだけのお話しなんですけど。

無理やりのこじつけするならば最近の傾向として、こういう意思の強そうな印象を与える人がこれからの主流になってくのかなあ、守ってあげたい儚さを持つ女性像を表現する人は当分お呼びでないのかなとかね。そういう人の庇護の下で生きてきゃ野郎は確かに楽なんでしょうけど。母親像と恋人像がリンクしすぎてきてるんでしょうか。結果的には母は強し。みんな親になればたくましいおっかさに成長していくんだから、せめて恋人の時期くらいは守ってあげたいモードにさせてくれるひと粒で二度おいしいパターンのほうが変化があって面白いんじゃないかとも思えるんですが。

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*やあーっとかかるよー

大分時間がかかるよと言っている。「やあーっと」は「やっと」が訛ったものだと思っていたが「久し振り」を「やっとかぶり」(八十日振り)と言うのでそちらからの「やあーっと」(八十日)ということから来た可能性もある。が、定かではない。

例文 ある機械の修理に来た人とお店の人の会話

「どんくらいかかる?」

  (どれくらいで直る?)

「やあーっとかかるよー。こんだけいっちゃってると。」

  (大分かかるよこれだけ壊れてると。)

「やあーっとってどんくらいい?」

  (大分ってどのくらい?)

「ま、そうでえの部品の注文で在庫あるなしにもよるけど。在庫あっての話で一週間ってとこかあ?」

  (まあそうだなあ、部品の在庫にもよるけども、在庫あったとして一週間ってとこかな)

「そんなもかかるう!」

  (そんなにかかるの?)

「そりゃそうでえ。ぜんぜん手入れしとらんだもんで、そっこらじゅうサビサビじゃんかあ。だで全とっかえしんとかんだもんで一度全部バラさんとかんだもん。そんくらいくれんとやりおせんて。」

  (そりゃあそうだよ。全く手入れしてなくてそこいらじゅう錆びだらけじゃないか。だから全部取り替えするために一度全部分解しないといけないから。一週間は見てもらわないと無理だって。)

例文2  道を尋ねる人と答える地元民

「すいません道をお聞きしたいんですけど。」

「どこまでよー。」

  (どちらまで?)

「あのう、○○というお店なんですけど。」

「あー。ほいたらよー、こん道ん真っつぐ行ってえ行きんどまったらあ、右ん折れてえ、3つ目の信号越えたらあ、くろん方にめえると思うだけどやあ。」

  (あーそうしたらねえ、この道を真っ直ぐ進んで突き当たったら交差点を右。3つ目の信号を越えたら角の辺りに見える筈だけど。)

「はぁ。ありがとうございます。どれくらいかかりますかねえ。」

「そうでえの歩いてくだらあ。やあーっとかかるにいここからだと。ポンポンで飛んできゃあっちゅうまだけどや。」

  (そうだなあ、歩きだと結構かかるよ。オートバイで飛ばしてきゃあっというまだけどね。)

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美女か野獣その2

4年ぐらい前のドラマだと思いますけど、昔のドラマはリアルタイムで見てたときと違う見方ができて面白いです。

2話で出てきたサッカー場、エコパだよエコパ。まだオープン前だったくらいだと記憶してるけど、掛川や袋井の衆らがひゃあひゃあ言ってたのを思い出す。その時の謎は、誰も松嶋菜々子さんや福山雅治さんを見かけなかった。なんでだ?見ちゃいんにい、ホントに来てたのか?という話だった。なんか、ざまあ見い芸能人に会おうなんて10年早いわと思ったちょい昔を思い出せてうれしい。

で、今回の「2月14日の奇跡」では水川あさみさんが出てた。こういう後になって大きくなられてった役者さんを見つけるのはなんか歴史上の新しい発見をしたみたいで愉しい。しかも凄い事に4年も前の話なのに水川さん全然今と変わんない。化けもんかと思いました。(褒め言葉です)

ま、水川さんの場合「踊る大捜査線」・「白線流しのスペシャル」・「カバチタレ」とかの有名どころの作品にも出ておられるんで大発見ってほどでもないんですけど。

とにかくこのドラマがなんでしょうかこの頃のドラマがなんでしょうか、マンガみたいにうまく事が進むお話でとにかく見ていて疲れないのがいいですよね。それでいて上手く口で表現できない後味が残る余韻があって、私みたいなアホでも仲間を大切にとかのメッセージ性が伝わってきて良いですよ。勧善懲悪ってほどではないにしてもそれぞれの登場人物の役割分担が徹底していて複雑じゃないところが味噌なのかもしれません。

今のドラマと比べるとはるかにストーリーもメッセージもシンプルだけどシンプルイズベストなんでしょうかねえ。見る側の嗜好性の問題なのか作り手の進化性によるものかは分かりませんが、「ガリレオ」があたるんだったらこういうのも今の時代でもアリって気がしますわ。ただし役者さんが揃えばのお話しでしょうけど。

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6000突破

10月14日に5000アクセス突破!ってぱふぱふ記事書いたばかりなのに、わずか8日で6000突破記事を書くことになろうとは。正しく青天の霹靂ばりの意外以外の何者でもないがい。

理由は明確で、記事を「旬なブログ」として紹介していただいたおかげでありまする。しかも今までずうっとブログランキングのポイント0だったものが10もついてランク表に自分のブログ名が載っかってるという信じられないようなオマケまでついてきた。せっかくついてるサービスだからと参加したわけだけど期待していなかったけど、なんか無条件で嬉しいもんですなあ。その分なんらかの公共的責任というべきものも生じてくるとしたら気を引き締めないといけないけれども、まあそんなとこまではいかないでしょうけど。投票してくださった方本当に感謝申し上げます。間違いなく書く励みになるものですな。

瞬間的ではありますが、一日で100の単位のアクセスを体験したというのはいい経験になりました。一度お越しいただいた方がリピートで再び来ていただけるかどうかは暫く様子見ということですけど、私の書く文章は大多数に宛てたものではなく身近な連中に物言うような書き方をしてるんだと気づきました。なので直ぐに元のアクセス数に戻ることでしょう。このチャンスを機にステップアップということにはなりそうもありません。私には一日20件くらいが適量でしょう。

敵を作っているつもりはさらさらないのですが、テレビドラマという他人の褌で相撲をとっている輩には「かわいがり」がいつか訪れるんでしょうかビクビクもんです。コメント桟敷から「物言い」がつかないようオリジナル性を求めていくべきなんでしょう。けんど知恵がないもんで当分はこのまんまかなあ。

今後も感じた想いと書いて感想と読むダラダラ感と言葉遊びに現(うつつ)をぬかす所存にてござ候。何卒ご愛顧のほどを御願い奉りまする。

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*やらしょ・やらっか

やらせろ・やろうかと言う意味。

「あーもー見ちゃおれん。やらしょ。」

  (あーもー見てられない。俺にやらせろ。)

「あーもー見ちゃおれん。わしやらっか。」

  (あーもー見てられない。俺がやろうか?)

他には

「あーもー見ちゃおれん。まかしょ。」(まかせろ)

「あーもー見ちゃおれん。かしょ。」(貸せおれがやる)

「あーもー見ちゃおれん。やりいんだら。」(できないんだろ)

どこぞの唄で「やっしょうまかしょう」という掛け声があるが、それと遠州弁の「まかしょ」が同じ意味で使われてるのかは定かでない。「やっしょう」は凧の錬りで使われているのでまあ多分一緒でしょうけど。

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美人は3日で飽きるがブスは3日で馴れる

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「美人は3日で飽きるがブスは3日で馴れる。」

出自は知らないのですが、私の好きな言葉であります。正に読んで字の如しという、深いです色々と。

取り様によっては、美人に対するように入れ込まないのめり込まない。ブスに対するように距離を異様に置かない。つまり適度な距離感が肝要だと。それが長く続く秘訣だとも言ってそうでもあり。

ホント綺麗だと第一印象が一番で、第二印象以降はどうしても下降するというか減点方式のように少しづつ粗が見えてくる気がするのです。逆に綺麗でないと第二印象以降は良いところが加算方式のように継ぎ足されていくように感じてしまうのであります。

あ、いい忘れてました、映画やテレビでのお話しです。私の住む浜松は美人の名産地でもなんでもないので、普段美人なんぞ拝見することはまずありませんので。

ふんでぇ、話しを元に戻しますが、これを改造して

「快楽は3日で飽きるが苦労は3日で馴れる。」

楽しい事は最初だけ、辛い事は案外堪えられるもんだというお話し。とにかく楽しようとせずにがんばれという意味。

辛い事があるとき、堪えられないのは、この辛さが永遠に続くのではないかという不安・辛くない時に戻りたいと言う原状回復の欲。

考え方を変えて、昨日良くて今日悪い、じゃ明日はいいかもという遠い先を読むんじゃなくて近くの「なるようにしかならん」という考えと、もう戻る事はないという諦めという悟りとを持てば少しは気が紛れるんじゃないだろうか。

人の順応性は半端じゃないから。

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*くんない

下さいと言う意味。細かく言えば(くれないかい)ということ。

「買ってきてくんない」(買ってきて頂戴。)

滅多に使わないが「くんなまし」という表現もある。時代劇で吉原の花魁とかが「おくんなまし」という表現を使うが多分同じであろう。「くんな」が「増し」だけあって(嘘です冗談です)意味も「買ってきてくんなまし。」(買ってきて戴きたいのですが。)と若干丁寧に聞こえる。

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