« 2007年9月30日 - 2007年10月6日 | トップページ | 2007年10月14日 - 2007年10月20日 »

歌姫

郷愁を誘いますね。方言が心地よいです。相武さんはこの時代に生まれてたら最高にモテたんじゃないかと思えるくらいハマッてるように見受けられます。相武さんが出演された作品の中で一二を争ういい役だなあと感じます。こういう服とか髪型とか物言いとか似合いますよねホントに。

一所懸命手の仕草に気を使われておられると感じられるのですが、なんかまだぎこちないです。「さよならクロ」の伊藤歩さんの手の仕草が最近の作品の中では秀逸だと思っていますので、相武さんもそれに負けないくらいの手の仕草のお芝居を期待したいです。

他の役者さん皆さん安心して見れる方ばかりで、この世界にいる事が心地よい感じがします。斉藤由貴さんは「吾輩は主婦である」に引き続いての突拍子もないキャラですが違和感がないのはなんででしょうか不思議です。唯一おっかないのは嫌いなので侠気と暴力をまぜこぜにした内容にならないことを期待します。

それにしてもこの秋のドラマ、当たりというか見ごたえのある作品が多いですよね。私の知り合いは日テレのドラマが苦手で、私もTBSはどちらかというと苦手なんですが、歌姫は毎週見ようと思うちょります。

それに「おんしゃ」とか「ほんで」とか遠州弁と共通する方言やイントネーションを感じてセリフ聞くのも愉しいんですよ。実際本物の土佐の人と話した時にはそうは感じなかったんですけどね。

歌姫2・2007/10/20

「男は度胸、女は愛嬌」

なんか昔よく聞いたフレーズの地を行くような、観ていて元気になる人情ドラマです。

この秋のドラマの中では、話題の作品が沢山あってそう期待していなかったんですけど、風吹ジュンさんが出てるのと、長瀬さんという安心して観れる(期待を裏切らない)方の主演という事もあって一応チェックしとこうって感じだったんですが、高田さんも相武さんもいいです。こないだどれがこの秋一番?って話になって「、医龍2とガリレオは別格として歌姫が良かった。」と感想言ったら、誰も歌姫見てないと言ってた(といっても2・3人の話ですけど)。年齢的な好みもあるのだろうけど私は結構お気に入りのドラマです。

いいトコで聴こえる「チェンジザワールド」もストライクだし、食事のシーンなんか、テレビ見てて久し振りにおいしそうに見えましたもん。ドスで襲い掛かられるシーンも笑って泣ける壷抑えてるし。他の登場人物のキャラもたってるし。でもなんであだ名がゲルマンなんでしょう。謎ではあります。無くした記憶が蘇ると今の生活が保てなくなるという不安(爆弾)を抱えながらのはらはら感もせつないです。

それと相武さんがやっぱしいいですわ。今は死語でしょうけど「おきゃん」という表現がどんぴしゃはまるような感じがします。体型的にも今主流のモデルみたいな痩せぎすタイプじゃなく昔の服がホント違和感なく着れてますもん。ただし私はこの時代記憶がある筈がない世代です。そういう意味での説得力はありませんのであしからず。希望を言えば黒髪のほうがいいと思うんですけど、でも方言も可愛いし。このまま太郎と鈴の行方をハッピイエンドになるまで見ていたいです。

見ていたいんですが第一話の冒頭のシーンがひっかかってせつないお話しになるんじゃないかとひやひやしてもいるんです。どうなるんでしょうかねえ。お話し自体は舞台の作品のドラマ化らしいので結末を知っておられる方は沢山いらっしゃるんでしょうけど私は知らないので、このはらひや感を愉しんで見れるのはラッキーなことです。

*歌姫3・2007/10/28

なにかのCMで、どうしてお肌に気をつかうのかと問われて「地デジ対応」と答えた作品がありました。時代劇の作品では付け髭・カツラと地肌の境目がやけに目立つなど、確かに細かく映る画面で見ると今までのテレビの世界と異なる違和感を感じる今日この頃。テレビ番組見るのにホントにくっきり画面が必要なのか疑問を持ってる私ではありますが。

歌姫は地デジ画面でよかったと思っているのです。映画以外の画を観るのに買い換えて地デジ対応でよかったと感じるのは珍しいことです。

流石に映画とかと比べてしまうと荒っぽい感じは拭えませんが(雑って書くとけなすみたいにとられるので荒っぽい)、「土佐清水」というか「オリオン座」がいい景色です。昔のドラマで「北の国から」という作品が富良野の景色を織り交ぜることによってその土地の空気感というものを見事に表現されたように、なかなかのロケ地とお見受けする「土佐清水」の土地の空気感を味わわせて欲しいものです。こういう土地だからこういう人が育つという説得力が追加されると嬉しいのですけど。

やくざの暴力と対峙する男気というのは好きくないので、やっとクロワッサンがヘタレだと分かってホッとしました。これからはおちゃめな人間ばかりで紡がれる人情喜劇になっていってくれると嬉しいのですけど。なにせ私は原作というか舞台の方は知りませんので先を読めないんです。男気はやくざと関わらなくてもみせることが出来ると思うんですけどどうでしょう。でもそうはいっても長瀬さんの喧嘩というか悶着のシーンは上手いなあと感じます。セリフの間とか場馴れしてる雰囲気とか。

相武さんはホント生き生きとして見えていいですよねえ。お姉ちゃんと二人で太郎ちゃんの話してるシーンなんか自然でとても良いです。遠州弁でこいたら「馬鹿がんこいいにぃ。」ってことです。

しかし今回も晩御飯のシーンは面白かったです。こんなの喰えねえと席立つ太郎を誰も止めないし、止めない理由も戦後の混乱潜り抜けてきた人達ばかりで、だからこそ不自由なく食べれることに感謝しない方が悪いということに説得力があって、それに素直に納得してつまんない意地に固執しない太郎も納得だし、明るいいい家族像のシーンで好きです。飢えを知らない飽食の今だったらつまんない意地張り通せちゃいますからこの時代こそのシーンだから憧れても無駄でしょうけど。

今後のお話しの流れは、登場人物も出揃ってなんか落ち着いたみたいだし、鈴を巡っての野郎共の模様を描くことになるんですかねえ。だとしたら鈴(相武さん)が輝いて見えていなくちゃいけない訳で、そこが注目すべき点になるんでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

勧善懲悪

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「完全超悪」

意味

完全に超スゲー悪党と言う意味。誰が見ても本人さえもが確信犯と自覚しているかのような手のつけられない悪者のこと。その存在に異を唱えウルトラマンで実相寺監督が、アトムで手塚先生が先鞭をつけ、ガンダム以降「倒すべき敵にも敵なりの正義がある」と説く物語が浸透し繁栄するようになった。その為、国内に於いては今では一部の時代劇で細々と生存するのみ。倒すと見てる側はスカッとするが人権擁護の関係もあってか現代劇ではほぼ絶滅状態で数は非常に少ない貴重種である。日本で最後に確認された有名な作品は「ブラックレイン」であろうか。ちなみに戦隊モノなどに登場する悪は意味も無くただ単なる悪(敵)であり、近い種類ではあるが別種かと思われる。

「勧善懲悪」の本来の意味は、善き事を勧め悪き事を懲らしめるという意味である。特に日本独特の理念ではなく、ハリウッド映画などでは今でもよく見かけることが出来る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

しょんない駄洒落

「おーいどうしたでえ。えらく慌てくさって。まあ一服してきない。」

  (如何いたし候や。至極緊迫されておらるる様子。いざ、一服してくつろがん。)

「それどころじゃねーよお。Aの野郎仕事どトロい癖してミスこきゃあがって。そんではあパニクッててホントしょんないだよ。ケツ拭かんとかんもんでもーたまらんにぃ。」

  (急ぎ用にて相叶わず。A氏怠慢の上粗相致し、あげく精神錯乱にて混乱中。事後処理に追われ我余裕無し。)

「カニ食ってて仕事しんだか?そりゃ怒れるの!ぶっさぐっても罰ぁあたらんわな。」

  (係る事態にて淫乱に現をぬかすは不届きなる行為也。憤慨せるも止む無し。)

「だらあ。ほんとやってられんて」

  (同意感謝。)

そういいがつら行ってしまうのを見て

  (急ぎ立ち行く様見送りたるのち一言)

「洒落も通ぜんくて、一服せんで立腹してった。」

  (余裕之無く。彼一服せずに立腹したり。)

駄洒落がよろしいようで。どーもすいません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ヨッコイショーいち

完全に死語だと思っていたのですが、こないだTVドラマで若き女性がセリフとして頻繁に使われていたことにより再び周知されたので未だ完全ではありません。

当時の一連の横井さん関連のお話しの中では「恥ずかしながら帰ってまいりました。」の方が当時を知る者としてはインパクトが強かったです。

その後小野田少尉が帰還されたニュース映像は衝撃的でした。日本人誰もが失ったのか忘れたのか、とにかく「凛とした」という表現がピタリと当てはまるたたずまいを感じたのです。「平和ボケ」という言葉も当時良く出回った記憶もあるので失った何かを自戒する念が小野田少尉を見て日本人皆湧いたのかもしれない。でも戦後の日本をタイムスリップしたかのように見えたであろう小野田さんがブラジルへと居を移されたというニュースを知ったとき、日本人は驚いて思い出しただけで、あらたむることはなかったんだと感じました。

テレビなどのドラマでタイムスリップして戦後の日本をみた軍人さんが「俺たちはこんな祖国になる為に命を捧げたのか」と愕然とするというお話しを何度か見たような記憶があるのですが、まったくの作りもののウソということではなさそうです。

大東亜戦争終結後、帰還・生還されなかった方々は横井さんのようにサバイバル生活を余儀なくされて生を全うされたり、小野田少尉のように命令としてゲリラ戦に戦後も従事されたり、彼の地に残り民族解放のいくさに身を投じられたり、映画のように僧侶としてや普通の民として第二の人生を歩まれたりと様々な人生を歩まれたそうです。

それらの方を決して比喩や揶揄して冗談にするということが良い筈が無いにも関わらず、「ヨッコイショーいち」というギャグが生まれたのは、ひとえに横井さんの明るいお人柄によるものなのでしょう。もしかしたらこれが死語にならず生き続けていられればこういう戦争の後始末と言うお話も消えることなく語り継いでいけるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

医龍

大抵の人は医療は素人だし当然私も素人だから、起きている内容についてはフーンとして見るしかない。しかもリアルではあり得ない専門用語の解説付きのセリフが有り難く思えながら耳に入ってくる。

生き死にという重大なテーマであり人生そのものもかかっている切実な内容なのでホントは少しでも嘘くさいと白けてしまうものであるが、なにせ素人なので嘘を見破る術がない。強いてあげれば前述のセリフくらいなものであろうか。

だから普通の生活をドラマにするよりも見ている方は作り手の術中に嵌り易い。音楽による盛り上がりしても、照明にしても、判断や決断に要する時間の使い方にしても、普通のドラマより遥かに自由度があるのではないのかと思うのです。

などとごちゃごちゃこいて荒探す奴がいたら見てみたいものだ、ハラハラドキドキでこの先どうなるんだろうと言う息をもつかせぬ展開は、2時間をとても短くかんじさせてくれて、昼間に映画館に入って観終わって出た時外が真っ暗だったという感覚に似ていた。もう諸手を挙げてこれを暫くは毎週見れるということに愉しみを憶えずにはいられない。

岸部一徳さん観てるだけでもいい。なんか野口の言ってることや行おうとしている事の方が正しいように感じてしまう私は変人なんでしょうか。敵か味方かという関係ではなく勿論悪と正義でもない野口とチームドラゴンの関係性というものが共存する形で見れたらいいなあと密かに期待してるんです。

伏線とか謎とかも用意されていてただもう口を開けて観るしかないので、感想書こうにも面白かったとしか書けそうにないので多分医龍の感想書くのはこれで終いでしょう。以後は「わたしたちの教科書」の時のように黙って愉しむ事にします。

でもやっぱ加藤ちゃんが出ないのは寂しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*てんこちょ

一番上というか一番先という意味。「山のてんこちょ」だと(山のてっぺん)

高さで使う。横の広がりでの一番先は「とっつき」を使う。ただしかけっこで先着(一着)したというのを「かけっこてんこちょだった。」とか「かけっことっつきだった」とかいう使い方はしない。ほぼ「てっぺん」と同じ使い方であろう。

例文

「ねえこないだ買ってきた雑誌知らん?」

「タンスん上んてんこちょに乗っかってるらあ。」

   (タンスの上に物載せてる一番上に乗っかってるでしょ。)

「なんでそんなとこしまうよー。わかりゃせんじゃん。」

  (そんな分かりずらいとこになんで片付けちゃうの?)

「床んだしっぱこいてなにぬかすよを。部屋ん散らかすよかずっかええわい。」

  (床に出しっぱなしにしといてよくゆうよ。部屋が散らかるよりよっぽどいいわ。)

なにかのセリフで「てっぺん目指したる!」とかいうカッコいい言葉があったけど、遠州弁で「てんこちょ目指したる!」といってもカッコつかんのは事実。なんか裏山の頂上みたいで高くなさそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

やらまいか大使その2

鈴木砂羽さんが「やらまいか大使」に任ぜられたとこないだ記事に書いて、そん時ん筧利夫さんは任ぜられんだかいやーっつーこん書いただけど、筧さんも任ぜられたそうな。失礼こきました。

筧さんつうたら舞台の人っつーイメージの方が強いだけど、舞台の知識なんて高校の特別授業で今ははあ無い市民会館で「劇団たんぽぽ」を観たんが最後だもんで全然知らんだよお。大分昔孫悟空のカッコして(要はタイトル憶えちゃいんだよ)浜松に凱旋公演筧さんしとったのは憶えちゃいるだけが観にいっちゃいんもんでねえ。ホントよー知らんだわ申し訳ないだけど。無論映画・テレビのほうならよー知っとるけどやー。

正直映画でさえ静岡や豊橋で観れて浜松じゃ観れんもんたんとある過疎地だでねえ浜松は。観光地もないだで宣伝するもんありそうでなくて苦労せるかもしんないだけーが、喰いもんばっかよいしょこいて農協の衆らばっかウハウハさせんで、文化人としてモノ造りしか能んない浜松をいぜってくれると嬉しいだよお。だで、ま、なんしょがんばってつかあさいや。筧さんが浜松への想いを持ち続けて頂く限り遠州人として応援させていただきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*こんきい

正直に言うが知らん。高校の時分に誰かが「こんきい」と言ってたのを「なにそれ?」と問うたが答えてはくれなんだ。以後この言葉の使い手に出会ったことは無い。

噂によると「疲れた・しんどい」という意味らしい。が、うちの集落では使い手がおらんもんで定かではない。最初聞いたとき「紺の黄」って何色なんじゃとマジで思った。それか子供のヤンキーで「コンキー」というのかとも考えた。

遠州っつっても結構広いだで、知らん言葉もあらーな。でもどこの言葉なんだろう。

追記

実は学生の頃は雄踏辺りの言葉だと思っていたのだが、最近どうもそうじゃないらしいと気づき益々出所が分からない謎の言葉となってきた。で、考えても埒があかないので仕事してるとこ行って「こんきい」と言いまくってみたら浜北の衆が反応した。なので浜北か天竜辺りの言葉という可能性が出てきた。かもしれない。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

さいザンス

トニー谷さんとイヤミの十八番(おはこ)の言葉。「怪物君」のドラキュラも使っていた。どこの言葉なのか良く知らない。ざあます言葉は山の手のいいとこのお宅の言葉であるが、ザンスも山の手言葉に含まれるのであろうか。

南利明さんの「ハヤシもあるでよー」は名古屋だと判るが、小さい頃読んだマンガの世界の言葉は出自が気になるがよく判らない言葉が多い。

「怪物君」の狼男の「~でがんす」とか赤塚ワールドのデカパンの「~だす」とかハタ坊の「だじょー」とか。昔三重の人が「だじょー」は使うよと言っていた記憶があるのだが、三重のどこら辺の人かが記憶に無い。鈴鹿辺りでは聞いたことが無いので正解なのかビミョー。

有名なラムちゃんの「だっちゃ」は中国地方の言葉らしいが北九州出身の人も使ってたような。男おいどんの「ごわす」は薩摩で、Drスランプは名古屋。

野郎が言うと失笑の対象でオネエチャンが言うと可愛い。そんなものなのか御国言葉って。唯一の例外が廣島弁か。これは映画の影響で実用例がこわい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ガンジス河でバタフライ

*前後編通しで見直してみると、「てるこ」の表情が終盤に向かうにつれ徐々に穏やかになって行ってる事に気がつきました。きちんと計算してるんだと。やたらとハイテンションに見える事の方に目がいってしまっていて気づきませんでした。でもこのハイテンションというか大きな表現が好きか嫌いか、良いか悪いかは人それぞれでしょうけど、私は「長澤まさみ」が持つ才能として歓迎したいところです。こじんまりと小さくまとまった人が大きく魅せようとすると大袈裟とかわざとらしく見えてしまいがちですが、長澤さんの場合はそういう無理した感じに見えず自然とデカイと言う風に魅えるからです。大は小を兼ねる。年齢重ねて角がとれて丸くなればいいだけのことで今は完成形を求めず素質を魅る時期なのではと思って観てます。

*一度観た感想は、コメディーなんでしょうけど、可笑しいけれど単純に笑えるという感じではなかったです。「長澤まさみ」という役者さんはやはり絵空事のお話しよりもリアルな地に足の着いたお話しを得意とされるんでしょうか。それともインドの空気がそういう画を撮らせたんでしょうか。日本での撮影されたと思われるシーンではギャグ満載って感じでインドでのシーンでも同様にギャグてんこ盛りなんでしょうが、日本でのシーンの方がギャグとしては面白かったです。別の見方をすれば普段ボケとツッコミに慣れてしまい過ぎて「てるこ」の一人ギャグには反応出来なかったんでしょうか。そう感じました。

でも二度目に観た時は、最初観たとき印象にあったのは、写真とってあげるよといわれて腕を握られた時にホエホエとなったシーンくらいだったんですが、繰り返し観たときにはグズグズ泣いて家に電話した時の親子のとんちんかんな会話シーンとか後半の「それあたしのカメラ」といわれてあちゃーと狼狽するシーンとか、そんな感じで見直した分だけ可笑しいシーンが増えていくので単純に私がコメディーの勉強不足と言うことなのかもしれません。

*悪党が誰も出てこないお話しはやはり安心して見れます。作る方は大変なんでしょうけど。でもメイキングを観てから本編を観たのは正解でした。製作者の意図とは離れた見方かもしれませんが、原作者の方と脚本家の方が実際にインドいった模様というものをメイキングで見て、それを「長澤まさみ」がどうドラマで演じるのだろうかという興味が湧きました。どうみてもお嬢様キャラとはかけ離れた「てるこ」ですから、「長澤まさみ」のキャラクターとどうバランスをとるのか興味を惹かれました。物凄く「てるこ」の方に歩み寄ったのかそれともあれが「地」なのかは判断できませんでしたが生き生きしてた事は確かに映って見えました。DVDも出るって最後にテロップ流れてましたが、メイキングもDVDの中に入れてもらいたいです。

*東宝のお姫様が東映でというのはなんか不思議。前編の感想でインドでのスタッフの数の少なさに驚いたと書いたんですが、やはり見直してみると映画としてきちんと作られたものを観てみたいと思いました。でももし東映映画として劇場公開したら当たるんだろうかというのはなんとも言えずビミョー。私は観に行きますけどね。こういう作品第一主義は好きです。しかし繰り返し観ないと面白味が出てこないと言うのはDVDに向いてるんでしょうかねえ。素人なんで劇場で笑える自信がイマイチない。

*石橋蓮司さんまでインドでロケなんて、しかもほんの数秒のワンシーンのみって。贅沢なんだろうけどエラく気になりました。「ちょっと遅くなる」と言うせりふでもしかしたらとは感じたんですが、実際のシーンを見るとマジ?と笑えてきました。お父さんだけまともかと思ってたんですが、この家族全員ぶっとんでました。

*自分らしく生きるという「たくましさ」というのがひとつのテーマなんでしょうか。でもインドの色んな出てくる商売見ると「ずうずうしい」とか「ふてぶてしい」って感じにとれなくもなくて、日本人が人生の教訓を得る地ではないような気がしないでもない。そこんとこは地域によって感じ方が違うんでしょうか、関東人が関西人見るような感じで。ちとここが(インド)第二の故郷には私ではなりえないような「たくましさ」を感じます。そういう意味では原作の方が大阪弁というのは納得です。

*蛇には巻かれるわヤモリと共に寝るわガンジス河でバタフライはするわで、ホントなんでもやる人です。ラジオでのご本人の発言によるとぶーたれてたみたいですが、でも結果としてやってる訳で、この方にNGなことはないんでしょうか。髪型は作品ごとに全部変えてくるし、ひとつのイメージに捉われるのを嫌ってるんじゃないかと思えるほどです。丸坊主までもうやっちゃてるんで後なに残ってるんだろう。モヒカンか?リーゼントって手も・・・て女子だった。

*夜の11時台にやるような作品でしょうか、普通に9時から2時間ドラマで一気に見たほうが良かったような気がしました。やはり若者のお話しですからね。大人が過去を振り返ってああそうだったと郷愁を誘うようなものではなく、これから社会に出て行こうとする人へのメッセージ性の方が強い感じがしましたので。

*悪口を少し。飛び込む前の叫ぶシーンイマイチ聞き取りづらかったです。多少でいいので大声で物言う時の発声には気を使って戴きたいものです。それとも私の年齢では聞き取れない周波数の声なんでしょうか。じゃしょうがないか。それにお母さんの腹話術もよく聞き取れなかったし、自分の耳がおかしいのかなあとも不安になる今日この頃です。

家にインドから戻ってくつろいだ時にソファに大股開きで寝っ転がるように座るシーンは好きくありません。野生と野蛮は異なるもの、流石に全身映すことがなかったからいいようなものだけど、精神が逞しくなって帰ってきたのと、理性を失って帰ってきたのとでは大違いな筈です。「はしたない」と「恥ずかしい」は日本人の理性の根っこだと思っていますので。

*こんだけだらだら書けるんだから、私には面白い作品と言うことなんでしょう多分。私も悲惨な旅ほど記憶に残ると考えるタイプではありますが、ここまでは流石に強い感動を味わいたくはないというか腰が引けると言うか。ホントよーやるわーって開いた口が塞がらないって感じですかね。確かに一生に残る旅ですわ。人生観変わるってのもまんざら大袈裟ではなさそうです。ということは、ロケ行った長澤さんも人生観が変わって帰ってきたってことですかねえ。どう変わったんでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

やらまいか大使

鈴木砂羽さんが浜松の宣伝大使「やらまいか大使」とやらに任ぜられたそうな

そんなん初めて聞いたぞお。なにやるだ?要はあれだらあ、外の衆に「浜松もあるでよー」じゃないや「浜松もあるにぃ」といいふらいてまわるっつーこんだかいやー。ご本人は餃子でもやらすかとこいておれらたが、今じゃあんた、三ケ日も浜松だし、上は水窪まで、秋葉山だって浜松だもんでえ、みかんもピオーネとかもあるらあ。最近スッポンも有名になりつつあるし。ワニも養殖しとるらしいし。

恥も外聞もないっつうなら公の場で遠州弁だあだあっつー手もあるが、流石にそんなこんしたら皆どんびきだらあなあ。裸足のピクニックのDVDの中のインタビューではモロ遠州弁だったけど、こないだ見たグータンじゃ完璧によそいきの言葉んなってたで無理だらなあ。でも関西弁以外のお国言葉は失笑されるっつー風潮は打破したいもんだいね。

ま、浜松はええロケ地たんとあるにぃっつって撮影隊ひっぱって来てくれりゃあ、ちったあ文化の田舎から脱出できるかもしんない。なんしょ東宝シネマズ二つもあるけど、TVCMバンバンかかる作品ばっかで、日本で作られる映画の殆どを観る事ができない映画の過疎地だでねえ浜松は。人口はたんとおるだけど客が来んもんで映画館が成り立たんのが現状だもんで、そういう無関心な浜松の衆らにも興味ん湧くようにするひとつの提案として、知ってるとこが映画になるとかエキストラで顔ん映ったでウハウハだったりすりゃあちったあ映画館に足ん向くじゃないかと考えるだよお。いつまでも中田島砂丘からちょっと行ってくるっつって奥浜名に画が移るご当地撮影は勘弁して欲しいもんだわいな。浜松も市町村合併して山持ちになっただで海山川湖全部揃ったようなもんだで結構エエと思うだけどどうだかいねえ。

話しぁ飛ぶけど筧さんも来とったみたいだけど筧さんは任命んならんかっただかいねえ。で、浜松に来られた本来の目的である映画祭の方は盛況だっただかいねえ。仕事でいけんかったし、周りの衆も誰も行かんかったもんで状況がわからんだよ。っつってもまだ開催中だで評価はまだ先のこんか。

ところで鈴木砂羽さんのブログってリンクフリーなんでせうか。恐れ多くもトラックバックさせて頂きますが、もしリンクまかりならぬ所業ならば即座に削除いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*いやみったらしいこんぬかす

厭味みたいなことを言うという意味。何かある度にぐちぐち不平不満を言う奴に向かって放つ言葉。遠州弁かどうかは定かではない。

「いやみったらしいこんぬかすじゃないにっ。」

  (厭味っぽく言うんじゃないの。)

他の言い回しでは「いやみったらしいこんぬかすなや。」というのがあるがこれは野郎言葉。

「いやみったらしいこんこきゃあがるとぶっさぐるぞ。ぶつくさこかんではよやれやー。」」

  (厭味みたいなこと言ったらぶっ飛ばすぞ。ごちゃごちゃぬかさんと早くやれよ。)

女性言葉だと「いやみったらしいこんいわんのっ。ぐちぐちゆわんでちゃっとやって。」

近い言葉で「いやったらしい」と言うのがある。意味はいやらしいと言う意味である。いやったいと同じ(記事いやったいを参照)。

厭味を言う奴を「いやみったれ」と呼ぶ。別に遠州弁ではないが一応記載。

「いやったらしい」という「たらしい」の言い方は「人たらし」の「たらし」と勘違いされかねないが当然違う。

「いやみなこん」(嫌味な事)より和らげた言い方が「いやみったらしい」で「嫌味っぽい」と訳すことが無理がないところであるがニュアンスとしては粘着性が「たらしい」とすると増すところである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

うんとこさとたんとこさ

「うんとこさ」はものすごく沢山と言う意味。「たんとこさ」も同じ意味であるが「うんとこさ」のほうが沢山ある感じに私は感じる。

「たんとこさこさえただで喰ってってくりょー。」

  (一杯こしらえたから食べていって頂戴。)

「うんとこさこさえただで喰ってってやー。」

  (凄く沢山こしらえちゃったから食べてよ。)

「うんとこさくさるけにあるだでどんどん持ってってやぁ。」

  (くさるほどに沢山あるから遠慮なく持ってってね。)

「たんとこさあるだでちいと分けたるわ。」

  (一杯あるから少し分けてあげるよ。)

もし「うんとこさあるだでちいとわけたるわ」だとケチくさいことぬかす奴だと思われかねない。こういう場合は「うんとこさあるで好きなだけもってきない」とかでないと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*とんで

「すっとんで帰る」なら共通語として通用するが「とんで帰る」で通用するのは遠州だけというお話し。意味は急いで・大急ぎで・早くとかいう意味。

ただし急ぐ早くと言う意味合いは「とんで」だけの話しであって、「とぶ」などの表現においては急ぐ早くという意味合いは存在しない。反論で共通語にもあるような「飛ぶように帰る」とか言い方があるじゃないかとつっこまれたら、ないことはないが普通「とぶ」だけじゃ意味なさないだろうと開き直るしかないけれども。尚、「あいつ急いでたよ。」を「あいつとんでたにい。」とは言わない。

例文 残業をしている会社員二人の会話

「わしはあ帰るでねえ。」

  (私これで終わらていただきます。)

「うそだらあ。まだ仕事終わっちゃいんじゃんか。」

  (冗談でしょ!まだ仕事終わってないよ。)

「はあきりんないで明日だ明日!それよか今日見たいテレビあるだではあ帰るでえ。」

  (もうきりが無いので明日にします。今日見たい番組があるのでそちらを優先したいので帰ります。)

「どうせ間に合わんらあ。」

  (もうどうせ間に合わないんじゃないの?)

「バカこけ。ちゃっととんで帰りゃあ間に合うわあ。」

  (いえそんなことはありません。大急ぎで帰れば間に合います。)

「そんなこといわすとお、まあちっとやってかまい。ここだってテレビ見て見れんこたあないじゃん。」

  (そんなこと言わないでもう少しやっていこうよ。ここでもテレビ見ようと思えば見れないことはないんだからさ。)

「あんたねえ、よそでお呼ばれしてテレビ見て愉しいか?落ち着きもしんに。家でのんびりこんと見たいの。だで帰るでね。」

  (お言葉を返すようですが、他所でテレビを見ても気を使ってしまって楽しめないので家でくつろいで見たいんです。ではお先に失礼します。)

若干共通語訳バカ丁寧にしすぎたが意味はあってる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

しぶぎん

静岡銀行あの「しぶぎん」がクレディア債権回収においてニュース沙汰になったそうな。ニュース記事の中にも書いてある通り「石橋を叩いても渡らない」、あの「しぶぎん」がである。

私も仕事で何度か係わり合いがあって(といっても部署の担当者レベルだけど)、とにかく官公庁以上にカタイ会社というイメージがある。自分たちが静岡県の経済を担っているという意識が強くて、模範たらんとする思考回路が働いていて多少のなあなあも許すまじであった。

そういうところだから当然なんのミスもないのだろうが、銀行の中でも特に敷居の高いイメージを持ち、消費者金融を利用する人達とは多分縁のない商売をしているのであろう。なのである意味どろどろの「貸した金返せ」なんて作業を会社として経験した事があるんだろうかと野次馬的に気になってしまいました。

会社に野次馬根性を持つのではなく、実際動く担当者の人たちが気になるのです。お役所以上にカタイことを言ってはたして感情でしかモノ言わない非論理的な人達を納得させられるものかどうかと言うことを考えると、つくづく大変だろうなあと思ってしまいます。でもこれで行員の人達の倫理感が変わってしまうのもなんだかなあって感じでもあるし。ある意味ここまで貫き通した「静銀」の正義を大変でしょうけど全うして欲しいと願うばかりです。でないと昔それで苦労した(多少ですけど)私としては納得できないんで。

ところでクレディアって静岡県じゃあバンバンCMやってたけど、全国的な会社だったんですかねえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ガンジス河でバタフライ後編

誰のせいにもしない。バスがエンコしてもしょうがない・ま、いいかというシーンがえらく気に入りました。日本の生活のように時間に追われ約束に追われる毎日を繰り返して生きていると、誰かのせいにしていないと自分の正当性が保てないのでしょうか。

日本でもそういう光景は、戦後すぐあたりの田舎を舞台にした映画などで見れたような記憶があります。その光景は、のどかというだけでなく人のミスをあげつらわない穏やかな世界が日本にもあったんだということでしょう。

私自身そういう世界が消えかかった時代から生を受けているので実際経験したことではありませんが、親の世代ではバスが故障したり側溝に落ちたらよく乗客が押したりしたもんだということを言ってました。何故か本能的にいいなあと感じてしまいます。根性がないのでインドに行こうとは想いませんが、忘れ物がなんなのか気づいた感じがしました。ミスをつつきあうのではなくお互い様という感性です。

ドラマ全体については前編と後編の「てるこ」の心境の変化が急激過ぎるのとかでよーわからんくなってきてるので、きちんと見直して頭ん中整理してから書くことにします。まずは第一インスピレーションのみで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*めえん

見えん・見えないと言う意味。

「目えよーめえん。」

  (目が良く見えない。)

「あのビルのまっと後ろの奥の方にめえるらあ。」

  (あのビルのもっと後ろの置くの方に見えるでしょ。)

さすがに「めえめえん。」(目がみえん)は言いにくいのであいさに「よー」(よく)・「はあ」(もう)とかが入らない場合は、「目え見えん」と言う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2007年9月30日 - 2007年10月6日 | トップページ | 2007年10月14日 - 2007年10月20日 »