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*けっこい・けっこく

きれい・きれいにと言う意味であるが、美しいと言う意味の綺麗ではなく、整頓されてる・汚れていないとかの綺麗をさす。

当然ではあろうが「結構いい」の略されたものではない。

「あれえ、野郎の独り暮らしだでこぎたなくしてるかと思やあ、けっこくしてるじゃん。」

  (おやあ、男の独り暮らしだから散らかし放題にしてるのかと思いきや、結構きれいにしてるじゃないの。)

「この車中古にしちゃあけっこいじゃん。」

  (この車中古の割にはピカピカじゃない。)

「晴れの舞台だでけっこくしんとね。」

  (晴れの舞台だから綺麗に飾らないとね。)

人に向けると、基は良くないみたいに思ってるんだと解釈されるので衣装とかアクセサリーなどに使うのが無難。人に対して使うときには

「けっこい手え汚いちゃかんで手袋しな。」

  (きれいな手が汚れないように手袋しなよ。)

というようなきれいか汚れるかというような意味で使うのが普通。

「あんたの顔けっこくない。」などとは決して使わぬように(使って使えないことはないけど)。こういう場合は「あんた顔汚れてるにい」が妥当であろう。

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*ちっこい・ちっこく

ちいさい・ちいさくという意味。

「あーほんとだちっこく書いてある。ほんとどひきょー。

  (あー本当だ小さく書いてある。すごく卑怯。)

「あれをちっこくした感じ。」

「まーたがんこちっこいやあ。着れるだけ?」

「ちっちゃい」も同じ意味合いなので「ちっこい」との棲み分けには個人差がある。

「ちっこい」の「っ」の部分を「ん」としたりもするが、書くと猥雑に見えたり聞こえたりしてしまうので・・・。

「こく」という表現は遠州弁と合うのであろうか。

「ちっこいけどけっこい」(ちいさいけど綺麗)

「けっこいけどちっこいしぼっこい」(綺麗だけど小さいしぼろい)

とかで連ねると遠州弁らしくなる。

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*浜松ついこないだの昔話8

パン屋とかケーキ屋なんて無かった。あるのは駄菓子屋かお菓子屋さんの二種類。ケーキやこ洒落たパンなんかはお菓子屋さんの領域。

駄菓子屋の駄菓子なんかは今もあるので話題にはしないが、アイスはバーが二本の黄いないバナナアイス・当りがもう一本という白くて甘ったるいガムの包装紙みたいなのにくるまれてた名糖のホームランアイス・少しお高めで薄緑の容器にはいったメロンアイス(シャーベット?)・風船みたいなものに入れられて破いて食べる時ちっこい乳首みたいな先を切るかケツの輪ゴムで留めてある部分を根気良く輪ゴムはずして開けるか人それぞれだった白い甘さひかえめアイス(シャーベット?)名前はいい加減な記憶だがボンボンと呼んでいたような・・・。で、今では贅沢な手動のカキ氷機でかいたカキ氷。氷は当時家の近所ではお米屋さんが氷もやっていて、そこからの仕入れた氷でかいていた。おばちゃんの店だから、冷蔵庫は電化製品ではなく上段に氷屋さんが配達に来て氷を詰めて行ってた。シロップはメロン・イチゴ・シロップ(透明の甘い液)とかが定番だったような。

食べ物は浜松なのに何故かおでんがあった。あれは静岡の喰いもんらしいので浜松のもんではないのだが何故かあった。焼きそばもあったけど、お好み焼きのほうをよー食べた気がする。学校の水飲み場の蛇口に括りつけてあったのと同じアルマイトのコップに水で溶いた粉とあるかないかわかんない具が入っていたのを「ほい」とおばちゃんから渡されて鉄板で焼いていた。味は、かき粉と青海苔とソースの味。たまあに紅しょうがの味が混ざる。当時でもお世辞にも美味いとは思わなかったので今食べてもうまいとは思わないだろう。あくまで晩飯までのつなぎとして重要だった。

飲み物は、黄色が艶やかなミルクセーキ。これは浜松飲料(間違ってたらごめんなさい)というところで作られてたので超内輪の話。他には、みかん水・定番全国共通のラムネ。ちょっと変わったところでコアップガラナ。

家で飲めたのは、三ツ矢サイダー・トレードマークが印象的なカルピス・それに対抗する森永コーラス・バヤリースのオレンジジュース・あとメーカー名はきっちり忘れたが蜜柑の粒粒まで入っていたマンマみかんのジュースもあったっけ。それは確か酒屋さんの配達でケース買いでないと売ってなかった記憶がある。

この頃の味の復刻は出来ないものが多い。何故なら私らはチクロとサッカリンとかの甘味で育った味覚の持ち主だから。

で、お菓子屋さんだけど、贈答とか誕生日とかのイベントでのお菓子・ケーキ類が置かれていた。勿論なんでも屋の性格がなきゃ商売にならないので、今で言うスナック菓子なども売られていたし、家で飲むジュース類もここからの購入品である。部活などで早朝にお菓子屋さんの前を通ると、シャッターが閉まってる軒先にケースに入ったパンや牛乳類が無防備に置かれていた。ヤマザキ・ヤタロー・シキシマとかの工場でつくられ配送されたパン、明治・森永とかの牛乳屋さんが配達していったビン類である。今ほど衛生管理・賞味期限に過敏な時代ではないし、それよりもなによりも、その無防備なのをいいことに、ちと拝借なんていう恥知らずな輩が存在しないと言うことが昔はよかったと愚痴っても自慢できることだ。たまあに穴(欠)があるなと思ってケースを覗くと、お金(代金)が置いてあったりしてた。

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みなおいてみすかな

「見直いてみすかな」見直してみようかなという意味。

「~て、みすかな」~してみようかなと言う表現は結構使う。

「そうしてみすかな」(そうしてみようかな)

「うーん、やり直いてみすかな」(やり直してみようかな)

「そうだよお、やり直いてみない」(やり直してみなよ)

「そうそう、やり直いてみまい」(やり直そうぜ)

「そうだの、やり直いてみすか」(やり直してみるか)

注意点「誰がぁ、やり直いてみすかあ」と語尾が上がる場合(やり直しなんかしないよ)となる。語尾が上がるのが遠州弁の特徴ではあるがなんでもかんでもやたらと語尾上げると違う意味に解釈されるので注意が必要である。ま、もっとも普通は「やり直いてなんてせすかあ」・「やり直いてなんかしんわ」となってまぎらわしい表現はしないけど。

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*あたったったたあ

「当たったたあ」じゃないのかとご指摘を近場から受けたんですが、

「当たったったたあ」で良いのです。つーかそう書きました。

「当たったたあ言えん」の意味は(当たったとは言えない)

「当たったったたあ言えん」は(当たってしまったとは言えない)となります。

同様に「やったった」は(やってもうた)と言う風に、「った」は~してしまったという意味を含みます。

他には「ゆうたった・ゆったった」(言ってやった)というように~してやった~しちゃったという意味にも使うので聞き分けが必要となります。

勿論言いにくい事この上ないのですが実際ありえる表現です。作為的に「た」が連なるので「あたった」と「たあ」(~とは)を使って紛らわしくしてみました。

例文1

「あんまし偉そうこくもんで、あんたど生意気ってゆうたった。」

  (あまりにも偉そうな事言うからあんたは物凄く生意気だって言ってやった。)

「なによーあんたそんなことゆったったあ。」

  (えーそんなこと言っちゃったの。)

「ほいたらあだけまくって物ん投げてよこいた。」

  (そうしたら、怒りまくって物を投げつけてきた。)

「あんたあ口は災いの元だにぃ。ちいと気い利かいて物言わんと疲れるにぃ。なんでも思ったこんぱあぱあ口ん出してたらたまらんて。」

  (貴方ねえ、口は災いの元だよ。少しは気を利かして話さないと疲れちゃうよ。なんでもかんでも思った事口にしてたらたまったもんじゃない。)

例文2

「あんたなにしてた?」

「宿題。はあやったった。」

  (宿題。もう終らせた。)

「うそついちゃかん。いつやっただ?」

  (嘘つくな。何時やったの?)

「家ん帰ってからずっと。」

  (家に帰ってから今までずっと。)

「じゃなんで今から見すかと思ってた映画のビデオいきなりエンドロールになってるよお。」

  (じゃあどうして今から見ようと思ってた映画のビデオがいきなりエンドロールになってるよー。)

「あちゃあ、ばれたったあ。うーしまった。へぼこいた。」

  (あちゃあばれてしまったあ。うーしまったあ。へました。)

「ひとんの勝手にいぜるなっていつもいってるのわからんだか。」

  (人の物勝手に触るなっていつもいってるの分からないのか。)

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浜松ついこないだの昔話6

「さわの金魚屋」というのが昔あった。コンクリートの生簀がたんとあって金魚ががんこ売られてた記憶がある。親爺のラビットというスクーターの後ろにへばりつくように乗って、金魚屋に着いた時、店に吹く風が涼しくて心地よかった。記憶はそこまででどこにあったのかわからない。あしげく行ったわけではないがその場のなんともいえない心地よい空気感が強い記憶として残ってる。明らかに時間なんて場所によって流れる速度が異なるものだと、このとき気づいていればよかったが、それを知ったのは20代後半ぐらいだった。

「やまたか」いわずと知れたおもちゃの殿堂。松菱の横に店舗を構え、奥行きもありそれこそ幼児から中坊までと、プラモデルもアリへたすれば大の大人にも客層を広げていた。街へ出て松菱の中央右側入り口にある大判焼きの機械を買うでもなくひとしきり眺めた後、やまたかに行っておもちゃを求めた。買ったのではなく欲しいと願ったというべきか。店のレイアウトは少しづつ変わっていたのだろうけど、アバウトな記憶で言うと、入ってすぐは幼児向けの玩具。こんなの万引きしたって小中学のガキは使い道がないからしない。中頃はトランプ類やボードゲームが置いてあって右奥辺りはプラモデルが置いてあって、実際に作った見本がショウケースに飾られていて憧れた。左奥は大分記憶が曖昧になってるけれど人形類があったような。G I ジョーのパーツが欲しかったなあ。

万引き話しで脱線すると、学校近所の駄菓子屋でも街のお店でも小中学生が万引きする事はまずなかった。駄菓子屋はおばちゃん相手で弱いものいじめはご法度だし、そもそも唯一のガキ連中の社交場でもあったので二度とこれなくなるような真似は自らの首を絞めるような行為だからだ。街は華やかな夢を見に行くようなもので、陳列されてるこの場だからこそ輝いていて、無理して買って貰って家に持ち帰っても輝かないことを知っているからである。万引きなんてスリルを求める為の行為は高校に入ってからか早熟の中学生であって、それはまた欲しくて仕方ないからというのとは違うお話。子供は素直に「これ買ってあれ買って」と親にあだけるのが本道というもの。

ゲームは松菱と長崎屋と西武・ニチイの屋上にあってコリントゲーム・ドライブゲームとかにはまってた。おこちゃまパチンコもあって景品がガムだったと思うけど大人が何が楽しくて目の色変えてやってるのか分からなかった。ジュークボックスもあって、マッシュマッカーンの霧の中の二人とかサイモンとガーファンケルの明日にかける橋とかそこで初めて洋曲を聴いた。

小学生のころは父兄と同伴でないといっちゃいけませんになっていて、子供たちだけで行って補導のおばちゃんに捕んまさりそうになると走って逃げた。すると次の日の学校の朝礼で、「昨日・・・」と、要は補導員さんから学校に連絡があったけど、行った奴が誰だかは学校側もわかんなくて、で、しょうがないので全員に向かって校長が連帯責任みたいな結果としてなって長々と説教された。後で女子たちにぶつくさ言われたのは言うまでもない。一度捕まって逃げおせず、見ず知らずのおばちゃんに「この人が付き添い」と嘘言って逃れようとしたことがあった。おばちゃんは補導員の人には口裏合わせてくれたので補導されずには済んだけれど、その後とくとくと説教されたので、それに懲りてこの手は再び使うことはなかった。

中学生になって保護者同伴の足かせは消えたが、そうそう足しげく遊んでたらおこづかいがもたないのと、期末だあ中間だあと試験が増えて、行けば一日潰すことになるので周りがいい顔しないんじゃなくて、尻に火がつくのでそうそうは行けず、小学校の時より行く回数が若干増えた程度だった。それに小学生の頃はお金を使わなくても何故か楽しく遊べたのに、中学生になったらお金を費やさないと遊べなくなっていた。明らかに普段の生活と違った煌びやかさを感じにいったのだが、小学生のころは何もかも新鮮に感じてひたすら吸収するだけだったけど。中学に入ってからは、「自分」の世界を築き始めた頃ということもあり、ただ眺めるとかいう受け入れ一辺倒ではなくなってきたということなのだろうか。でもやってた事は今考えると大して変わんないことしてたけど。

全然話しが飛ぶけど、中学に入って愕然としたのがブランコとかの遊戯施設が運動場にないことだった。何か大切なものをもぎ取られたようでこの先が不安になった。大人になると言うことはなにかが増えていく足し算方式ではなく、整理整頓と言う名の取捨選択方式なのかとそこで知った。世代によって行っていいところと悪いところの概念がはっきりしていて、迷いでも確信でも場違いな場所に入り込むと知らない人からでも注意されたし、「中学生にもなってまだそんなことやってるだか?」といわれれば恥と知りやりたい気持ちを抑えてやせ我慢していった。大人になってドラゴンクエストの発売日の行列に並んだ時、小学生までも含む年齢幅の広い列を見て、時代は変わったと思った。子供が変わったんじゃなくて大人が変えたと。大人が我慢しないから子供も我慢しなくなった。

高校生になってからはもっぱら映画と音楽で街に出る目的が変わったけど、それはまたの機会に。

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*そうだっけか

そうだったっけという意味。すっとぼける・しらを切るように聞こえるときがある。

例文1

「あれ?この道来た事あるような記憶があるやー。デジャブーか?」

「なにょうこいとるよー、ど忘れん激しいにも程んあるにぃ。引っ越す前の小学校ん時通ってたらあ。はあ忘れただ?」

  (なに言ってるよ、度忘れが激しいにも程があるよ。引っ越す前の小学校で通学路で通ってたじゃない。もう忘れたの?)

「そうだっけか。忘却とは忘れ去ることなりってこういうこんか。」

  (おやそうだったっけ。忘却とは忘れ去る事なりとはこういう事か。)

「こ難しいこんこいてケムん巻くなあ。ぼけるにしたって10年早いわ。」

  (難しい事言って煙に巻くな。ボケるにしても10年早いわ。)

例文2 病院で禁酒を宣告された旦那と普通に元気な酒好きの奥さんとの会話

「もー、ボトル勝手に飲んだの誰よもー。あれほど飲んじゃかんっつっただにぃ。又あんただらあ。」

「わしじゃあらすけー。なんでわしだっつうよ。つうかなんで誰か飲んだなんて分かるだ?」

「あんたねー、見りゃあ分かるじゃん。ほれえ見てみい明らかに昨日よりか減ってるら。」

「おー減ってるのー確かに。だでなんでそれでわしん飲んだって決めつけれるだ?」

「とぼけるのもいい加減しなよー。あんた以外に誰ん飲むっつーよお。」

「わからんよお。どろぼー入って飲んでったかもしれんし子供ん試しに飲んだかもしれへんじゃん。」

「言ってて虚しくない?ええかげんにしんとほんと怒るにー。」

「・・・ごめんなんしょ。」

「あやまりゃ済むと思ってんの。ほれ、こないだなんつったか憶えてるらあ。」

「なんか言ったか?」

「今度迷惑掛けたらいいとこのめし食いいかしたるっつったじゃんか。今日連れてきなよお。」

「そうだっけか。」

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そおいやあそーだった

中高生のけったーは車両を運転する者からの視点でいうと、怖くてしょうがない。なにしろ何も見ていない風に見えるからだ。路地から大通りに出てくる時でも、一旦停止のラインがある交差点でも左右確認することなくひょいと進入してくるからである。

だけど自分がその年代だった頃を思い出してみると、自分も人のことを悪くいえない乗り方をしていた。でもそれが危ない事だと思ってなかったし、なんか大丈夫という感覚を持っていた。

若者にしか聞こえない音というものがあるそうな。まあ種明かしなことを言えば歳とともに聴力が衰えていくというお話しであるが。そういえば、確かに耳で道路状況を把握してたんだ若い頃は。うしろを振り向かなくても車が来てるかどうか分かった気がしてた。それに自分はすぐ止まれるとか回避行動がとれると言う経験値のない自信もあった。

それが、バイクに跨りハンドルを握るようになって、色んな自ら発する騒音で周囲の音が把握できなくなってから目に頼るように変化していったんだったっけ。十代は本能で運転していたのが、エンジン動力を使う乗り物を使うようになってから本能が退化していき、ルールとマナーで補うようになるんだろうなあ。ただガキのけったーの奴らは知らないのだ、車の速度感を。自転車だけの世界なら彼らは最強のドライバーかもしれないが、現実は車の社会なのである。自分の持つ経験値の判断の世界がいかにせせこましい世界しか知らないで車の世界を判断してる彼らにこそルールとマナーを植えつける必要があるような気がして仕方ない。

しかし多少なりとも理解しようと思っても、繁華街で車の往来が激しいところでも「信号無視左右確認当然なし」運転を平気でする輩に出会ってしまうと、もうホントにこいつら死にたいとしか思えんと理解を超えてしまっていて救いようが無い。相手にしてみればてめえなんかに救ってなんかもらいたくねえと思ってるんだろうけど。

ルールやマナーも未だ知らない十代で、イヤホンという耳栓したり携帯でメールチェックしながら走ってるガキンチョは、何を根拠に安全を確保してるるんだろう。他が避けてくれると思ってるのか運の良し悪しで判断してるのか。私にすればここまでくると理由はなんでも本当はどうでもいい。ただそんな奴らに出会いたくない。出会う不幸を回避したい、そうとしかいいようがない。

目と耳から入る情報。どちらに人はより集中力を要するのか。車を運転している限りでいえば絶対携帯に注意をとられてると思う。以前にも書いたが携帯は運転する上において悪魔の道具である。メーカー側も車内は電波遮断して携帯使わせなくすればいいのにといつも思う。

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いかして

「トイレいかして」

けっしてトイレを褒めてるわけではない。トイレに行かせてつまり行きたいと言ってるのである。(行かせて)という許しを請うというニュアンス。

「あの服いかしてる。」

もう死語となっている褒め言葉。別に遠州弁ではないのだがなんとなく。

例文

「漫画買いいかしてやるで帰り煙草買ってこいやー。」

「別にい。今行かんだって学校の帰りに買うでいいもん。」

「そういわすとお、じゃ煙草だけでもええで買ってこいやー。」

「やなこったい。なんで使いっぱなんかしんとかんだ?」

「てめー親の言うこん聞けんだか?」

この場合は許してやるという偉そうなニュアンスとなる。大抵「えっらそーに」と思われるので交渉がまとまる事はない。「使いっぱ」は(使い走り)・「しんとかんだ」は(しないといけないんだ)

ちなみに、「いかして」のより強力な遠州弁の訛り方は「いかいて」と「し」が「い」に変化する。

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*かある(補足)

以前「かある」について、「ひっくりかある」・「裏っかある」というように返るという意味と説明したが、

「はあ、疲れかあってくったくた。」(もう疲れ果ててくたくただよ。)

というように、疲れ果ててという「果てる」という意味での使い方もあるということを思い出したので、ここに補足として追加します。

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浜松ついこないだの昔話4

遠州鉄道の駅が板屋町にあった頃を憶えてる。今の名鉄ホテル辺りであろうか、結構大きな木造(?)建物で二階以上が遠鉄の会社でそこで会社事務が行われていたのであろうか。、不思議な路線があって松江町まで行って帰るという短い路線があった。

遠州浜松駅がバスの停留所の基地と繋がっていて人の行き来が一番栄えていた駅であった。終点の板屋町は国鉄との連絡、早馬は浜松市内を巡るバスとの連絡基地であった。場所は今のクリエイト浜松の敷地辺りにあった。駅の中は天井の高いホールみたいな造りで大声だすとなんか響きそうな感じだった。立ち食いのうどん屋(そば?)とか新聞とか売ってる売店とかあって、通勤通学時の時間つぶし腹ごしらえができるものが揃っていた。人の行き来は盛んであったが単純に電車からバスの乗り継ぎ所だったので、駅の周りで駅を利用する人を相手に商売しようというお店はあまりなく、どの町内にもあるような床屋さん薬局お肉屋さん酒屋さんなどが軒を連ねていた。珍しく駅目当ては喫茶店と雀荘が道を隔てた東田町沿いにあったくらいか。

東田町沿いには他にブラザーか蛇の目か忘れたが、ミシンの展示販売所がありその横あたりにプラモデル屋さんがあった。そこのプラモデル屋さんの狭い入り口を入り所狭しと左右高く詰まれたプラモデルの箱とガラスのショウケースを通り抜けた先にリモコン?ラジコン?カーの8の字コースがあって大人に見えてた中高生もいたりしてちょっと大人の気分を嗅いだりもした。もっと大きい8の字コースだと市民会館の隣に児童会館というのがあって、そこのコースは小学生だと全部見渡せないくらいの長さに思えた。当時からドン臭かった私は微妙なスロットルの調整と反射神経の悪さも手伝って、自分がやるよりその場の雰囲気を味わいに行ったようなもんだった。児童会館の他の記憶としては大きな浜松市のジオラマがあってボタンを押すと浜松の有名な場所が点灯するしかけのものがあった。何が有名な場所だったかはもう全然覚えていない。入場する際自販機で切符みたいな入場券を買って入った記憶があってちょっとした国鉄の駅で切符買ったぽかった感じが残ってる。だからといって違う場所へ誘われるとかいう空気感はなかったけど。

キット買って高いと速く安いとそれなりということではなく、とにかく伝導率だ・タイヤだ・バランスだ・シャシーとかの重量だと色々手を加えた分速くなるので愛着と個性が反映された。今みたくゲームは子供の方が上手く大人が小馬鹿にされる時代ではなく、年齢に応じてレベルランクが上がっていたので年上を馬鹿にする奴なんかいなかった。本当に困ったら自分より年長に助けを求めればその年齢なりの解決をしてもらえた。遊びに限らずなんにしても歳を重ねるということが重要な事だった。急激な世の中の変化はそれに対応した世代が偉そうになり、年輪を重ねた人の経験が何の値打ちもなくなってしまったことで、尊敬の念は壊滅した。

その後のブームはバルサ材を使ってのゴム動力の飛行機作りだった。がこれは、手先の器用不器用が露骨に結果として反映されるので優劣がすぐついてしまうのと、飛ばす場所がそうそうはないので長くは続かなかったブームではあった。

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*くるう

漢字にすると、「狂う」となるが、精神異常を起こすという意味ではなく、はしゃぐ・興奮するという意味合いで使われる。

「よそんちだで調子こいてくるうじゃないにぃ」

  (よそ様の家なんだから調子にのってはしゃいじゃだめだからね)

はしゃぐのは基本子供なので、普通は親が子に言う言葉。他人が言うと角が立つ。大人に言っても角が立つ。

「あれ?猫どこ行った?」

「なんか変な虫見つけて狂ったみたく追いまわしてあっち行った。」

狂うという共通語がハイテンションのまま平常心に戻らないというニュアンスを含むのであれば特に遠州弁での使い方は特別ではないのだが、調子が狂うとか賭け事に狂うというような使い方とは微妙に受け取るニュアンスが異なる。

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*おぼわさらん

「覚わさらん」・「憶わさらん」意味は憶(覚)えきれない・おぼえられない。

「さ」が省略されて「おぼわらん」という言い方もある。ニュアンス的には「おぼえれない」で「おぼえきれない」といったイメージが薄くなる。

古典的(滅茶苦茶ですけど)だと「おぼえようと決意する」(おぼわさらむと欲す)みたいな感じになるのであろうが遠州弁ではその逆で「おぼえられんわ」という感じになる。

打ち消し表現ではない「おぼわんさった」だと「お覚えになられた」みたいな丁寧な感じに聞こえる。もっとくそ丁寧にするなら「おぼわらんさった」。より強固に丁寧(省略なし)で言うならば「おぼわらされなさった」とかであろうかまあ普段こんな言い方することはないが。

「おぼえる」は「おぼわる」

「おぼえす」・「おぼわす」は「おぼえようと」

ややこしいのだが「おぼわん」だと「おぼえない」という意味になり「おぼわんさる」だと「おぼえなさる」と名古屋っぽくなる。なのでこれは名古屋系の表現なんだろうかなと。

例文

「試験どうだった?でけた?」

「だめでえ、ヤマかけただけどおぼわさらんかったもんで意味んなかった。」

「ヤマはあたっただ?」

「うん。」

「じゃアホじゃん。」

「そんなことあらすけー。ここ出るって分かったったのは凄くない?」

「予想当たったって馬券買わにゃぁ当たったたあいわんの。それと一緒。」

「そんなこといわすとお。いっこぐらいいいこんみつけんとやってられんて。こーいうのポジティブっつーだに。」

「なにこいてるだ。結果が全てだらあ。そーゆうの能天気っつーだあ。」

鈍感力という言葉に魅かれるがなんでもかんでも鈍けりゃ良い訳ではなかろうて。今回は簡単なので共通語約は省いてみました。遠州弁のテンポ感をお楽しみください。ポイントは「たった」というところ。

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駆けつけ三杯

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「駆け込み三倍」

意味

3月の引越しシーズン間近に引越しの荷物配送を頼んだら「この時期混んでますから」と言う理由で普段以上の料金だと言われた。地震災害時においてもこういう時だけ料金を上げて商売する業者が多いと聞く。詰まるとこ料金設定なんて都合によるもの。地域に密着していれば後の事を考えて目先の儲けに走らない抑制が効くが、根付いていないなら儲けるだけ儲けて後はサヨナラでもう知らんができる。とにかく急いでいたりと客の立場が弱い時または選択肢が無いような時はこうなりがちなので何事も余裕と準備が必要だというお話し。

本来の「駆けつけ三杯」は宴会などで遅れてきた人に「お前も早く仲間に入れ」と酔っ払いの仲間に引き込む際の決まり文句。遅れてきた罰ゲームとしてという使われ方もあるらしいが、企業戦士の超勤・残業当たり前の時代に定時で皆打ち揃うことは珍しく、遅れてきたものに早く追いつけという善意の言葉の意味合いのほうが強いと思われる。ただし現実的にはすきっ腹での三杯の酔いの廻り方は確かに罰ゲームと思われても致し方ないが、酔っ払いの親切なんてこんなものであろう。昔は今と違って遥かに酔っ払いに寛容な時代だった。酒の場でのご乱交とかには甘い世界で酔った者勝ちではあった。飲めない奴は敗者に近い扱いである。

なにしろ「僕下戸ですから。」なんて言って断ると「俺の酒が飲めんのか。」と場が荒れることが多々あった。いづれにせよ、酒を飲むのも仕事の内という観念の頃のお話である。

いつごろ生まれた言葉なのかはわからないが、私の解釈は昭和でのお話し。

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二十歳おめでとうございます

SGの関口香織こと本仮屋ユイカさんが9月8日に二十歳を迎えられたそうで、誠におめでとうございます。

Expression to yuika(本仮屋さんのオフィシャルブログ)の日付だと9月7日今日誕生日となってますがプロフィールでは8日なので、と書いておきながら自分は9日にこの記事を書いていると言う矛盾。自分のことはさておき。

凄く真面目で律儀に見えて、こういうさりげないボケかましてくれるところが、やっぱしガールズのマンマに思えてなんか嬉しい。

役者さんとして沢山の現場を巡られる仕事である以上、過去の作品に強い想いはお持ちではないのかもしれないのですが、作品に強く感動を貰った者としては、その作品が永遠に輝くものであって欲しいと願うものです。

矢口監督の才能を考えれば、SGがいつまでも最高傑作と言う訳にはいかないでしょう。でもSGに出演されたガールズ達が皆輝いてくれていてくれたならば、「しほりんも出てた、樹里ちゃんもそうか、おおユイカもそうなのすげえ映画じゃん。」ということになってガールズ達の原点として輝けると考えているのです。

個人的になにかアクションを起こして楽器さわろうとかみたいなことはしませんでしたが、密かにガールズ&ボーイズ17名を応援していこうと思っているのです。

改めまして祝!大人じゃん。シャンパン飲んで背中痛い人なんて始めて聞きましたが、無理せず等身大で息の長い役者さんでいて下さい。陰ながら応援しております。

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*ちびた

「ちびた鉛筆後生大事にちまちま使っとらんで新品使いい。」

  (小さくなった鉛筆いつまでも使わなくても新しいの使ったらどう。)

「ちびた」を「小さくなった」と訳したが、えんぴつや消しゴムのように使っていくうちに短くや小さくなっていくものに対して使う表現であろうか。極稀に「ちまちました」といった「せこい」という意で使う事もある。

これが人に向けて発すると、おそらくは道義的に使ってはいけない言葉となるのかもしれない。反対語の(のっぽ)は問題ないんだろうけど。ただし「のっぽった」という言葉はない。

でも、「チビ太のおでん」ってコンビニで売ってるし、まあ大丈夫か。

とにかく繰り返しになるが鉛筆や消しゴムのように使っているうちに磨り減ってしまって元の形より小さくなってしまった物に対して使う言葉であろう。生き物に対して使うと侮辱的ととられるので使用禁止が正当。広い地域で使われる表現であり特に遠州弁ということではないのだが遠州でも使うよという事で記載。

脱線して漫画のキャラ話し。チビ太のおでんには食指が動かなかった。石川さんのラーメンと巨人の星での食卓の湯気には食指が動いた。特に石川さんのラーメンは私の食生活の基本となり、今でもインスタントラーメンのない生活はありえない。ギャートルズのマンモスの肉は漫画としては成立してたけど、実際骨付きの肉を食ってみると、自分の祖先は露骨な肉食獣ではなくやはり蜆塚遺跡にご先祖様とする人がいたんだろうなと想像してしまう。マイナーなとこでは「大東京ビンボー生活マニュアル」前川つかさ作のコースケの食いっぷりも美味そうに見えたっけ。

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