« 2007年8月26日 - 2007年9月1日 | トップページ | 2007年9月9日 - 2007年9月15日 »

浜松ついこないだの昔話5

昔、場所を示す時、道路の名前をよく使っていた。良く出たのは国1・旧国・六間・柳どおり・まぐそ通り・春雨通り・掛前線・雄踏街道・舘山寺街道・姫街道・笠井街道などであろうか。大抵このどれかから始まり、そこからガソリンスタンドかパチンコ屋から幾つめの信号をああたらこうたらと説明する。

それが、住吉のバイパス・国1バイパスとかが加わるようになって、最近では道路を示さず、いきなり目印となる「あそこにある大規模店舗を知ってる?」から始まるようになった。

考えてみれば街は空洞化で人が住んでいないのだから、基点が浜松駅を出発点だとする意味が無い。皆バランバランのとこに住んでいるので道路を指しても南下する人もいれば北上する人もいるわけで、かえってややこしくなるので、はしょって大きな目印から説明が始まるようになってきている。

しかし浜松ナンバーの地元に住んでる人間の筈なのにカーナビみて市内を運転してるドライバーを見かけると、絶対退化してるなと思う。昔の大人は地図なしで行ってわからんくなったら歩いてるひとに聞きゃなんとかなると思って遠出できたんだから。今ほど人さらいが多くなかった頃の話しではある。人に頼れず機械にしか頼れなくなってしまった今が便利だから幸せといえるかどうか、そこんところが疑問である。

学校で「知らない人が車で道を聞いてきたら人さらいと思え」なんて教えてるのは世知辛いのか病んでるのかただ時代が変わっただけなのか。「困っている人を見たら助けなさい」という教えは生きてるんだろうか。「弱そうな他人は刺すか襲え」とか「自己の開放の為には親をも排除しなくてはならない」なんて誰が教えてるんだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

一病息災

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「入院息災」

意味

病気を知るものは人に優しくなれるし、無茶をしなくなるから人として穏やかに生きられる。

長野あたりでは、「ピンピンコロリ」を理想とする生き方があるそうな。死ぬ直前まで元気で朝になったら眠るように死んでいた。

周りの人に介護やらなんだと苦労をかけず、自身も苦しむことなく人としての理性を最後まで持ち続けていたいということであろうか。確かに一番の理想だと思う。そういう意味では「入院息災」と反すると捉えられるかもしれないが、別に死を迎える直前の話ではなく、生きていく上で優しさは必要だということである。

病院のベッドで寝た事が一度も無い人は、結構人の痛みというのは実感として湧かないものらしい。入院するということは確実に誰かに助けてもらう事で、自分の力でナントカできるという領域を越えてしまうことなのだ。人は誰かに助けてもらわなければ生きられない生き物だと知ることによって、自分も誰かを助けなければという想いが芽生えてくる。

自分に優しくだけでなく、他人にも優しくなれる自分の体を使った荒修行。勿論退院してから長く生きなきゃ修行の成果が発揮されないのは言うまでもない。

「炎上息災」

意味

ブログなどで、とある発言から炎上し収拾がつかなくなったとしても、焼け野原から立ち上がって再び活動をするということ。

自戒も含めて、独善的になりやすいこの世界。読む側の想いも考慮に入れて世界を構築することが必要ではなかろうかということ。もうひとつは、匿名性(どこまで本当かは疑問だが)故の攻撃力は人権や思いやり(重い槍ではない)と言う盾をいともたやすく貫いてしまう。そういう言葉の武力・暴力に屈することなく、または受けることなくブログやHPを維持することの出来る人を素直に尊敬したい。

「一病嘘臭い」

法廷で精神鑑定と聞くと、こんな時だけ病人かい。それで無罪放免になっても、もしまた再犯なぞしたら、そんな奴を世間に野放しにした立役者である、無罪を立証した弁護人や無罪を確定した裁判官にも罪があるんじゃないのか。というツッコミ。

無論現実はそんな単純なものではなくてもっと複雑なんだろうけど。

本来は、一病息災・無病息災が正当な使い方。息災とは災難をふせぐこと、若しくは無事なこと。仏教用語らしいです。

一病息災は、ひとつ病気を持っていれば無理無茶はしなくなり結果自分を労わって生きていくことにより長生きができるということ。

無病息災は病気一つ無く心身ともに健康でいられることが幸せであるということ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ZAZA・浜松・磐田

今度東宝シネマズのZAZA CITYの方がリニューアルするそうな。

で、ZAZAだが「ざざしてぃ」の場合のざざはzaZAというアクセント位置が後になるが、「ざざ」だけだとZAzaと前に来る。

こういうことは地名にも当てはまって、なにか後ろにくっつく、例えば「浜松」だと   haMAMAtu  だが「浜松市」だと hamamaTU shi となる。

「磐田」だと Iwataと「い」にアクセントがつくが「磐田市」だと iwaTA shi となる。「ジュビロ磐田」は前にくっつくので Iwataになる。

もう全部そんな感じなので地名のアクセントで遠州人かどうかは一発でわかる。しかも必ずこうなるという理屈があるわけじゃないのだが、何故かみんなそういう風に揃う。昔の忍者屋さんの潜入のお仕事はホント大変だったと想う。

ただし例外として浜北はどういうわけだか後ろに市がついてもつかなくても hamakiTA である。他では森町もそうか。やはりなんらかのルールがあるのだろうが私では分からない。それにこれが遠州独特なのかもわからない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*くらぼったい

暗暮ったい・くらぼったい。暗に暮れると書くとなんか文学的ではあるが

「そんなくらぼったいとこでなにしてるだ。」

  (そんな薄暗いトコでなにしてるの。)

と言う風に情緒的とは縁のない感じで日常使われている。なので、暗+ぼったいなのかも知れないが、薄ぼったい(うすぼったい)・野暮ったい(やぼったい)・嫌ったい(いやったい)・不精ったい(ぶしょったい)と言う表現があるので、暗ぼ+ったいと考えた方がしっくりはくる。暗ぼってなに?って聞かれると返事に困るが。

ニュアンス的には、少しぼかしをかけたような、(なんとなく・幾分)的な要素が入る。なので明確に暗いと言う訳じゃなく、なんとなく暗いというイメージになる。

でも書いている内に、「くらぼったい」って遠州弁じゃなくなんか共通語のように思えてきたですたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

はままつ映画祭2007

昨日、チラシと言うかパンフを手に入れた。「第6回木下恵介記念はままつ映画祭2007」10.6~14の期間

上映される作品で興味があるのが「アヒルと鴨のコインロッカー」・「神童」。でも「祭」と銘打った時にしか観れないというのはなんだかなあという気がしないでもない。他にも「きみにしか聞こえない」と成海璃子さん出演作品が「神童」も合わせて二本もあるのは何故だろう。このネームヴァリューをもってしてもこういう時しか観れないという浜松人の嗜好はやっぱなんだかなあ。

「めぐみ」も上映されますがこの作品については私のようなおちゃらけた人間が何かを書くというのは不敬にあたるのでなにも語らず真摯に観てみたいです。

特に惹かれるのが「生まれてはみたけれど」パンフには「小津監督の代表作で、無声映画の最高傑作とも言われている」という謳い文句。

他にもデジタルリマスター版での「二十四の瞳」・「ウェストサイドストーリー」

ゲストというか人物目当てだと、地元出身ということで、澤井信一郎監督・筧利夫さん。有名どころでは私でも知ってる大物大林宣彦監督など年々盛況になりつつあります。

でも、祭りと銘打っていても朝から晩までそりゃ大騒ぎって訳じゃない。映画館の通常の上映の隙間にちょこちょこっと割り込んで各1回限りの上映となっているので、去年と一緒で観たいなあで終わりになりそうな予感しきり。

どちらかというと、「祭」というより「週間」というほうが現実的な表現だと感じる。浜松から全国へ発信というより浜松の人間に映画のよさを知ってもらうためのイベントという色合いを感じます。「よー来たねえ浜松にぃ」ってよりか「やあ映画見ろやあ浜松の衆ら」って感じでしょうか。たまにヒットする映画がかかる時の映画館のどっから湧いて来るんだこの人波は?と思えるほどの人だかりを見てしまうと、潜在力は浜松にはあるんだなと実感はするんですが、普段は美術館にきた感じくらいの落ち着いた感じの映画館で慣れてる私には、これはこれそれはそれではっきりと区別して土日で一日中「祭」に貸切としてくれたほうがありがたいんですけど。

筧利夫さんはよく静岡県のローカル番組に、訳分からんポジション(炎天下の中でクイズの司会までやってた)でもひょいひょい出てくれる郷土人である。ブログは要用のみの簡潔明瞭文でしごく真面目な人なんだろうなあと推察できる。今回は「22才の別れ」上映のゲストとして大林監督と共においでになられる。はたしてだあだあの遠州弁炸裂するのか、はたまた大林監督に気い使っておしゃまで装うのか興味があるトコだけど。希望としては都会もんになった遠州人として、線引き(定規)みたいに共通語だと思い込んでる遠州弁を暴露してカルチャーショックを与えて欲しい(映画とはなんの関係もない脱線話しだけど)です。

基本、私のスタンスは「行けたら行く」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*かえち

替え着とかいて「かえち」と読む。

例文 とある夏の日の面倒くさがりの告白

「今日プールだけどあんたかえち持ってきた?」

  (今日の体育の授業水泳だけど着替え持ってきた?)

「そんなもんいらんらあ。なんで?」

  (そんなものいらないでしょ普通。なんで?)

「いやあわし着替えんのめんどっちいもんで水着はいてきただよお。」

  (あのね、私水着に着替えるのが面倒だからって家から水着着てきちゃった。)

「おんしゃあほんとめんどっちーだなあ。やーそんなんしてると蒸れるにぃ。」

  (お前って本当に無精者だなあ。もうそんなことしてると蒸れちゃうよ。)

「やっぱそうかねえ。」

「当たり前じゃん。」若しくは「当然だのっ。」

確かに夏のくそ暑い時期なら暫くほっときゃ乾いてしまう。やってやれないことはない話しだが、衛生上男子はろくな事にならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*なるい

緩い(ゆるい)・簡単・楽勝・軽い軽い・かったるいという意味。

ゆるいが変形したものか、軟るいと表記するべきかは定かでない。

脱力系をなるい系と言い換えて成立するかというと微妙だがそんなニュアンスではあるので似たようなものかもしれない。

「だるい」とは微妙に異なるが、かったるい(だりい)という意味使いでは共通する部分もあるがこれは混同したもので本来は別種のような気がする。あくまで気がするだけで根拠はない。

例文

「あれえどうしたよお。えらくどんばえーお帰りじゃんか。具合でも悪くて早引けしてきただ?」

  (おやあどうしたの?凄くお早いお帰りじゃないの。具合でも悪くなって早退してきたの?)

「ちがうよを、なにこいてるだぁ。行ったら がんこなるい仕事でさー。ちゃちゃっと済まいて、そんではあするこたあねえっつうもんで帰ってきたじゃん。」

  (そうじゃないって。現場いったら凄く楽勝な仕事だったの。それでさっさと済ましたら、後はもうやる事ないからっていわれたから帰ってきたの。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*かやいて

かえして(返して)という意味である。返さないは「かやさん」

例文 姉妹喧嘩

「お姉ちゃんこれ貸して。」

「ちゃんとかやいてよ。」

「ほーい」

数日後、お母さんが子供部屋で口論してる声を聞きつけて

「もーあんたらあ。なにやってるよーもー。」

「だってえ二子に○○貸してやっただにかやしゃせんだもん。」

  (だって二子に○○を貸したのに返さないんだもん。)

「二子あんたねえ、借りたならちゃんとお姉ちゃんにかやしなさいよ。」

  (二子あなたねえ、借りたんならちゃんとお姉ちゃんに返しなさいよ。)

「だってえ、すぐかやせなんて言われんかったもん。」

  母に向かって言い訳をする妹

「あんたねえかやさん気?私だって使うだでねえ。」

  無視された姉は余計に頭に血がのぼる。

母親の選択肢

1、借りたものはきちんと返すと言うルールを親が妹に教え諭す。

2、動機はともかく喧嘩したことを姉妹にとがめる。

3、しょうがないので新たに買い与える。

4、両者気の済むまでファイトさせる。

5、共有できないか双方に促す。

結果予想

1、お母ちゃんはお姉ちゃんの味方だと恨まれる。

2、大人の正義の理屈でなんの解決にもなっていないので後日別の理由で再燃する。

3、騒いだりごねればなんとかなるという知識を経験上新たに取得する。

4、多分姉が勝つであろうが、姉は弱いものいじめの虚しさを、妹は自分の思い通りに全てが上手くいかないということを悟る。

5、姉がすねる。

だからなに?って話しで特に意味はなし。兄弟が多い家って自分たちでルール作ってたよなあ。ルール守らんと総スカンくらわすとか言ってたっけ。私は二人だからそういう経験なかったけど。

ちなみに我が家では、酒臭い親爺が怒りまくって「うるさいっ!」ぺしっぺしっで、「お前が甘やかすからだ!」と母を泣かして不条理な後味の悪い流れ解散で収束していた。その結果が今の私なので我が家の解決方は失敗だったと言うことだけははっきりしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*ずっか・ずっとか

「あんたにねえ、頭下げるよか ずっかマシ。」

  (あなたに頭を上げるよりよっぽどマシ。)

「それよかこっちん方がずっとかいいって。だでこれにしない。」

  (それよりもこっちの方がずっといいよ。だからこれにしたら?)

(余程・よっぽど・ずっと)といった意味。

「やっとかぶり」(ひさしぶり)というように「~か」がつくのが遠州弁の特徴なのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

三国志

正確には三国演義。三国志は公文書になるわけで、面白おかしく書いてあるのは三国演義。とまあ当たり前のことをタラタラ書いても終わりがないのでとっとと内容に。

中国中央電視台制作 謳い文句には、制作費100億円・出演者10万人・馬10万頭・制作年数4年・オールランニングタイム64時間の大作とあります。

まあ長いこと。ひたすらそれに尽きる。横山光輝さんの漫画で三国志を知り、コーエイのゲームではまり、その勢いにまかせて観ました。NHKの大河ドラマみたいなもんです。もし一気に見ようとしたらそれはもう苦行荒行の世界です。ちびちび見るもんでしょうこういうひたすら長いのは。一話大体45分の84話で構成されています。基本主人公は諸葛亮なんですが、出てくるまでの24話は主人公不在のあるときは魏またあるときは呉が主役と視点が安定してません。25話以降は蜀目線で安定するので劉備ひいきの人には「面白くやがて悲しきあはれかな」が愉しめるでしょう。

桃源の誓いから始まり司馬氏が統一するまでのお話しで、日本語字幕の中国語音声。100パーセント人力でCGなんぞ使ってないから謳い文句ほど迫力は感じられない。お芝居も舞台でのお芝居みたいで大仰な感じです。でも役者さんはみなそれらしく見えて、曹操・諸葛亮・関羽・司馬懿・魏延を演じられた役者さんは上手いなあと思いました。逆に夏侯淵・惇は軽い扱いで漢中攻略戦での淵は情けないの一言に尽きる扱いでした。曹操軍自体悪役扱いではあるんですが、苟イクをはじめとする文官・参謀の扱いは小さくかろうじて郭嘉が描かれている程度で、基本曹操のワンマンみたいな表現で綺羅星のごとき魏の人材はほとんど略されています。大抵のイベントは網羅されてますが、「無く子も黙る張文遠」とかは簡略されてますから、こういう一例をとってみてもこの長さでも全然足らないのでしょう。実に遠大な物語だと実感させられます。

勝者は天に向かって高笑い、敗者は一目散に下を向いて逃げる。もうこれでもかと言う位の差別化で勝敗を表現している。司馬懿なんて可哀想なもんです。猛獲をはじめとする南蛮は文明の遅れた地として強調されていて中華思想の真髄を見ているようでした。

新しい発見としては、呂布はナイスガイで憎めない人物だったということ。ゲームで養われた無口で気迫溢れたイメージではないと言うことです。人間的に一番誠実で正直だと思えたのが陳宮でした。

良く出る言葉があって、それらはなんとなく耳に残りました。「くわいっ」(急げ)「かむしゃあ」(丞相・劉備亡き後の諸葛亮の呼称)、劉備・関羽が張飛に対しては「さんてぃ」(三弟)、劉備が関羽には「りゃんてぃ」(二弟)、関羽・張飛が劉備には「たーくう」(大兄?)、曹操は「そうそう」とまんま、司馬懿は「すーまあい」馬一族の馬は「まー」。

どうでもいい話なんですが周瑜の役者さんの声をきくとスーパージェッターをなぜか思い出してしまいます。

ある意味コーエイのガイドブックを読んだ方が深い気がします。NHK人形劇の三国志のように人物を描くことに特化してるわけでもなく、原作を横山光輝さんが漫画化このドラマが映像化したという忠実さが売りなんでしょうか。私がこのDVDをみて影響を受けたのは、今まで劉備でしかゲームをしなかったのが呂布でもするようになってえらい苦労しているということです。呂布の娘は強いから助かってますけど。呂布は普段は朗らか戦場では鬼神の二面性を持つというキャラにして欲しいです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

*うっちゃっちゃう

中断して・捨ててという意味。他には「ほかいちゃう」・「ちゃいする」・「ほっぽらかす」などがある。「ほかす」には(放り投げる)・「ほっぽらかす」には(放置する)という意味で使う場合もある。ややこしい話になるがついでなので、「ほうらかす」(放り投げる)・「ほっぽっとく」(放置する)という言い方もあるがこれらには(捨てる)という意味合いはない。

「時間ないだでそんなのうっちゃっちゃって次やりない。」

  (時間がないからそんなの後回しにして次をやったらどう。)

「うっちゃって」でも可ではあるが「うっちゃっちゃって」の方が好きなので。

うっちゃり・うっちゃるという共通語が存在するので、多分遠州弁ではないけど言葉の響きが遠州弁らしい言葉である。

「整理整頓の極意はうっちゃっちゃうことにあり、ほかすことにあらず」

  (整理整頓の極意は捨てることにあり、移動することにあらず)

そうはいっても「もずのはやにえ(百舌の速贄)」は本能の証。貯め込むことだって生きてる者の性質なんだから悟ったように整理整頓するばかりがいい事じゃないと私は信じてる。誰も同意してくれないけど。第一なにかに使えればゴミにならないで済むエコじゃんか。確かに今はゴミかもしんないけど、そのうち宝に化けるかもとは思わないんだろうか。価値観の相違とは恐ろしいものだ。

捨てて損したと思うのが厭なのというとそしたらまた買えばいいじゃんと答えられる。人が来たとき恥ずかしいでしょうと説得されると言い返せない。

でもうっちゃっちゃえないんだよなこれが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2007年8月26日 - 2007年9月1日 | トップページ | 2007年9月9日 - 2007年9月15日 »