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*~ない

「入れたげない。」共通語だと(入れてあげない。)のように拒絶的な意味であるが、遠州弁だと(入れてあげなさい。)という(なさいませ)の意味になる。

どこかの遠州弁の説明項目において、「書きない」を「書きなさい」と訳しているものもあるが(これだと命令形にとれる)、うちの集落においては、「書きなよ」・「書きなさいな」といった促すようなニュアンスとして使われている。

推測の理屈であるが、(なさいませ)が(なさい)に省略されて、遠州では(なさい)が「ない」にとより短縮されていると考察出来なくもない。ただしうちの集落ではお帰りなさいませ・お帰りなさいが「お帰りない」にはならない。しかもこの理屈より不都合なとこがあって、「ありがとない」(ありがとね)という場合があり、ありがとうなさいませという訳になってしまって理屈が通らない。

実際のところなにがどうしてこうなったのかは理解できていない。

「わるい こたあ いわんで そう しない。」

  (悪い事は言わないからそうしなよ。)

~ないを使うと(そうしたらどうかなあ)という風な提案的なニュアンスになる。

「わるい こたあ いわんで そう せんと 収まりつかんら。」

  (悪い事は言わないからそうしないといけないって。)

~しんと(せんと)だと(そうしないと)というアドバイス的になる。

おまけ

「喰わない」(食べない)・「喰いない」(食べなよ)・「喰いまい」(食べようぜ)・「喰いなし」(食べずに)・「喰いいん」(食べられない)・「喰やせん」(食べない)・「喰っちゃかん」(食べちゃ駄目)・「喰いおせん」(食べきれない)・「喰わすと」(食べてないで)・「喰わしょ」(食べさせて)・「喰うら?」(食べるでしょ?)・「喰うか普通」(食べるか?普通)

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出口のない海

2006年 佐々部清監督作品

戦争映画というよりも戦争の中を生きた人を描いた作品と言うイメージが強いです。非戦と言うよりも被戦を感じます。

人の心を見続ける時代遅れの侠を目指す佐々部監督らしい作品なのでしょう。でもそれなりに登場人物たち自身の生への自分なりの正当性を、監督はやさしく享受し過ぎていて、傍目からみてはじめて分かる、戦争という個の意思ではどうしようもない集の流れに翻弄されてしまう傍若無人な空気感までも正当化の言い訳を理解しようとしてしまってるようにも見えてしまいます。どうしようもないんだと。ただタイミングと運だけで生が決められているんだと。

皆精一杯生きてるんだからその人生を暖かく見るという佐々部監督の顔に似合わぬ優しさが垣間見られる訳ですが、漠然とした今にも泣き出しそうな大きな黒い雲も描いてその対比した矛盾を強調したほうが私みたいな素人には判り易かったです。アリの大群のように寄せ来る敵艦艇の数、それに対する帝国海軍の皮算用。小さなことから一歩ずつなんて状況じゃあない現実の目の前。それらが絡み合う虚しさが合った方が有り難かったです。まあ敵を描かない事によって内面をしっかり描ききることに専念されたんでしょうけど。

どこかのHPのこの作品についての書き込みで、「主人公のあの死に方」というものに疑問をもったという記事を読みましたが、回天を物語として語る上でこの出来事ははずせないでしょう。映画では学徒動員兵(志願はしてるけど)の事故として描かれているなど史実に比して大きく着色されていますが、史実は職業軍人であり回天の提唱者でもある黒木大尉(殉職後少佐)の事故であり、その死の直前まで冷静に且つ克明に記録を残し武人としての誇りを知らしめた逸話からのものでしょう。本作では自身を省みる時間として綴られています。ただ艦内での自身の人生の清算を描く比重が、実際に出撃した時の緊張感よりも幾分軽く見えたのかもしれません。この話しを知っていたかどうかで映画に対する感想が変わるのはもったいない気がします。幼い頃にこの話しを題材にしたドラマを見た記憶がかすかに残っていて、何かを成す男の命を賭した生き様としてかくあらんと謳っていた作品と記憶に残ってます。本作とは大分異なる主題だったので違和感はありますけど。

それにしてもあんな操鑑が難しく訓練にも高度な知識を要するのには驚きです。私の知能では搭乗できません。しかも特攻と言うことで人を使い捨てにするのですからもったいない話しです。民族の存亡で負けたら大地に人住まずという状態に追い込まれるのならどんなに馬鹿げたことでも考え付く限りの事はしなければいけないんでしょうが、当時の人はみんな本当にそう思っておられたんでしょうか。

書いてて思ったんですが、「もったいない」がえらく多い文章になってしまいました。でも最後にボールは投げられたのですからきちんとキャッチしないともったいないですよね。

剣崎中尉役の高橋和也さんと戸田航海長役の田中実さん、お父さん役の三浦友和さんがけれんがなくていい味でてて好きです。SGファンの私としては上野樹里ちゃんも気になる所ですが、基本戦場の野郎のお話しなのであくまで控え目ということでよかったんじゃないでしょうか。

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*はぶせ

仲間はずれ・除外という意味で使われる。はぶく(省く)の親戚か?意味は全然違うけど。

「そんなねー はぶせにしんだっていいじゃん。入れたげない。」

  (そんなねえ仲間はずれにしなくたっていいじゃないの。入れてあげなさいよ。)

差別的な表現として使われているのではないのでお間違いのなきよう。

「3人一組でチームつくるとはぶせんでるにい。」

  (3人一組でチーム作ってくと余る人が出てくるよ。)

「あんたねー、おんなし食べもんなんだからきゅうりをはぶせにしんで全部食べなさい。」

  (ほらあ、同じ食べ物なんだからきゅうりだけ残さず全部食べなさい。)

「はぶせ」であって「はぶす」・「はぶされ」とかいう変化はない。「はぶせにする」・「はぶせにされる」という風になる。

「はぶせ」自体「仲間はずれ」という意味合いなので「仲間はぶせ」という言い方は存在しない筈なのだが実際にはある。「味方はぶせ」とか「メンバーはぶせ」とかいう言い方はされていない。

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*必死こいて・パッパラパー

「必死こいて」は(一所懸命・真剣に・全力で)などのような意味になる。

「ぱっぱらぱー」は頭の中が(パニクる・考え付かない・冷静になる余裕が無い・混乱する)という時などに使う。

例文

「おんしゃあ必死こいてやらんと間に合わんくなるにぃ。それだに なあんも やっちゃいんじゃんか。どうせるよー。」

  (あんたねえ、真剣にやらないと間に合わなくなるよ。なのに何にもやってないじゃないの。どうするつもり?)

「いやあ、もう頭ん中パッパラパーでさあ、なにしていいだか訳わからんくなっちゃてるだよぉ。」

  (うーん。もう頭の中が真っ白になっちゃって、何していいのかさっぱりわかんなくなっちゃてる。)

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*えんぺと・たびこ

遠州全域でなく、うちんとこの集落だけで使われてたであろうおちゃらけ言葉。というか幼児言葉をええ歳こいた人間が言ってるという事であろうか。

「えんぺと」は(鉛筆)

「たびこ」は(たばこ)

「やぁ、たびこすわしちくりい。」

  (おーい煙草吸わせてくれい。)

「いきなしボールペンで書いちゃかんて。失敗こいたら直せもしんに。先にえんぺと使ええんぺと。」

  (いきなりボールペンで書くと失敗した時直せないだろ。まず鉛筆で下書きしなさい。)

「えんぺとん しん くすがっちっ  てえ。どいてーや。はあ死にそ。たまらんにぃ。」

  (鉛筆の芯が刺さっちゃった。物凄く痛いよお。もう死にそうで堪らないよ。)

さすがに「ぶうぶ」(自動車)・「ぽんぽん」(お腹)とかをええ歳こいた人間が使うことはない。

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*せんひき

線引き。定規のことであるが、遠州弁だなんて、検索してて初めて知った。こういう自覚の無い方言がくさるけにある癖して、自分のよそいきの言葉は共通語をしゃべってると思ってるのはとんでもない錯覚こいてるとしか言いようが無い。

「お里が知れる」という言葉があるが他所の衆から見ればバレバレの田舎もんにきちんと映ってるんだらなぁ。最近遠州弁のネタが絞り出ないと思ってたけど、ホントはゴロゴロそこらじゅうに転がってるんだ。

しゃあけど どっちかつったら あれだにぃ、意識して遠州弁使うとあれだね、ワザとらしくなるっつーか そんなこん 言いもしんにぃ って物言いになっちゃうだいね。だからっつって無意識こいてりゃあ なにん方言だか気づきゃしんもんで どーすりゃええだっつーこんに なる訳よお。

ま、なんしょそこらへんの線引きはきちんとつけんと前に進まんでねえ。

で、「線引き」であるが、棒状の定規を指す。三角定規を「三角せんひき」とは言わない。T定規についても「Tせんひき」とは言わないが「図工用せんひき」とか「図面描くときのせんひき」などと言う場合はある。

お裁縫用の竹製のものは「ものさし」と普通に言うので「せんひき」はあくまでも学校で使うような定規のことを指す。

例文

「やあ、せんひきどこやったか知らん?」

  (ねえ定規どこにいったのか知らない?)

「知らんやあ。どうせせんひき使ったって線えごえごなのしか引けもしんに。探す手間無駄だでちゃちゃーっと無しで書きゃいいじゃん。」

  (覚えがないなあ。でもどうせ定規使ったってへなへなな線しか書けないんだから探す時間がもったないだろうパパーっとフリーハンドで書いてしまえばいいじゃないか。)

「随分なことゆってくれるじゃん。馬鹿にすんじゃねえよ。」

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怖いお話し

職場から帰宅したのが22時ちょっと前。そんで家に着いたのが大体30分後。

つまりたった30分弱の間ではあるが、塾帰りらしき高校生が乗ったけったー(チャリ)が信号を物ともにせず我が道を行っていたのが二台。同じことをする背広に着られてる若造が一台。思いたったが吉日とばかりに突如ウィンカーも出さずに曲がるおっかさ運転の車一両。片側二車線50キロ制限道路の右側車線で時速40いくかいか無いかの速度で左側の車線の車両にぶんぶん抜かれしかも幾分左右にぶれながら走行する車両一両。あまりにも不自然なので飲酒運転かと信号で止まった時運転席を注視したら左手に携帯、右手に缶ジュースもったおねえちゃん。こんな連中に遭遇した。怖かったよー。

自転車の信号が赤なのにもなんの躊躇も無く(もしかしたら信号見てない)、左右の確認も無く速度を緩めることなく進んでいく姿は本当に恐ろしい。いくら夜の10時まわって交通量が少ないといっても危ないことに変わりは無い。実際何台か急停止してた(タイヤは鳴ってなかったけど)。正当に信号が青で交差点に進入してきた車両とぶつかったらその車両の人が本当に不運としか言いようが無い。もしぶつかってもけったーの高校生に同情する気は全く持てない。そんな気にさせる我が道のいきっぷりだった。その点背広に着られてる若造は若干ルールを破ってる自覚があって可愛げがあったけど。

突然曲がる車は怖い。そのままの速度でタイヤ鳴らして曲がってくれる分には構わないのだが、普通は曲がるために当然ブレーキを掛けてくる。つまり後ろにつく車両にとってはいきなり急ブレーキを掛けられたと同じ状態になる。予測運転ではないが、その先の信号・交差点の状況も含めて前方に停止理由なしと判断してる状態での前の車のブレーキはホント怖い。

携帯は車の運転には悪魔の道具だ。集中力はないし速度落としてれば安全だからと訳の分からない屁理屈で道路の流れを乱してる。しかも今日はそれに輪をかけて右手で缶ジュースとハンドル両方持つ器用な奴に出くわしてしまった。

こんな奴らの巻き添えを食って、自分が事故に出会ったとしたらと考えると空恐ろしい話しである。暴走族のあんちゃあらは悪さしてる自覚があってそのスリルを愉しんでてまだ可愛げがあるように思えてしまう(勿論停まってやり過ごすけど)。けったーも車も走っているのは国道や県道つまり公共の場だと言うことを忘れてやしないのか不安だ。公私混同というより公と私の境が理解できてないんだろうなあ、自分もガキの時分そうだったけど。

ホラー映画を金出して見に行くよりずっとリアルにぞっとする怖い話しを今日味わってしまった。明日はあなたの番かもしれない。私はもういいや、観たくない。

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臥薪嘗胆

あくまで言葉遊びです。冗句です。

我身短小

下ネタですいません。意味としては、そう思ってりゃ間違いないということで、男として謙虚に生きる戒めの言葉。

「臥薪嘗胆」の本来の意味は、薪の上に臥し肝を嘗める。目的を達成するにおいて大変な苦労を重ねる。出自は多分「史記」でしょう。

辛酸をなめる(数多くの苦労を経験する)とどういう違いがあるのかいまひとつ理解できていないんですが、いづれにしても、どちらも成功というオチがなければ成立しない言葉であることは間違いないでしょう。艱難辛苦・七難八苦・七転び八起きなどなど類似した言葉は沢山あるのでとても重要なことばなんでしょうね、おそらくは。それを茶化してる自分は罰当たりなんでしょうかね。

そうそう七転び八起きといえば、七転八倒が反対語になるんでしょうか?

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視点は多い方がいい

よく寄らせて貰ってるブログでアクセス○○件突破という記事がありました。で、その方もココログなんですが、インフォシークのアクセス解析と併用しておられていて、双方のカウント数に大層な開きがあったと書かれておられました。

ふーんと思って自分も試しにつけてみたんですが、途中ではありますが今日一日分の集計がついにインフォシークの方がほぼ倍の数字になり、へーそうなんだと実感しました。(いつもはそんながんこには違わないんですけど。)

小遣い稼ぎしてる訳じゃないんで、別にアクセス数を過激に気にしているわけではないんですが、目は一つに頼るよりも多い方がいいんだと言うことを実感した次第です。

飛躍した話しになるんですが、便利で楽だからと、なんでもかんでも統合統一して一本化してしまうと気づかないことがたくさんあるのかなと思わなくもないですね。無駄・二重手間と思われてることの中にもしかしたら新たな伸びしろを発見するヒントが隠されていることがあったとしたら、無駄がもったいないから省くべきと考えるか、それとも無駄の中に埋もれてるものを見過ごすのがもったいないからなんでもかんでも効率化はしない方がいいと考えるか。もったいないをどこにかけるかで随分と違うもんです。

こういうことに限らず色んな角度から物を見れる視線を持つ人に、なんか頭良さそうに見えて憧れるんですよね。恋は盲目・仕事でパニックとかで極端に視野が狭くなってる人を見てきた他愛のない人生経験からいうと効率ばかりを追うよりも無駄な遊びが沢山あるスカスカの生き方に目が行ってしまいますね。その方が余裕がある風に見えるじゃないですか。

余談ですが、ココログのメンテナンスが行われて以降新着記事に自分のタイトルが載ることがなくなりました。タイムラグがすごいみたいです。そういう意味のスカスカがあるココログは自分には性に合ってるのかもしれません。

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*いごく・いのく・のく

「いごく」漢字にすると「動く」

「よし!はまった。これでいごくら。」

  (よし!はまった。これで動くだろう。)

「ほんとにぃ?なんか信じれんだけど。」

  (本当かよ?なんか信じられないんだけど。)

「ええでスイッチおしてみない。」

  (いいからスイッチ押してみなよ。)

「おお!いごくいごく。」

  (おお動いた動いた。)

「ほれみっせーちゃんといごくら?」

  (どうだあ、ちゃんと動くだろ?)

「いのく」は当て字で「居退く」と書けば分かり易い。自然と移動するのではなく、なんらかの力が作用して(強制的に)移動するというニュアンスで使われることが多い。

「あれえ?変だやあ。」

  (あれ?おかしいなあ。)

「なんでえ。どうしたよー。」

  (ん?どうかしたの?)

「それがさあ、このつくええ、なんか知らんがいのいてる気んしん?」

  (いやね、この机なんだけど、なんか移動してる気がしない?)

「気のせいだら。いのくんしたって誰んいごかすっつーよ。」

  (気のせいじゃない?移動したとしても誰が動かすっていうんだ?)

「のく」は「退く」立ち退くの「退く」である。

「退く」は共通語だが使い方が、「のけもん」(除け者)の「除け」とごっちゃ混ぜになった感じで使われている。

「はよのけやー」

  (早くどけ!)

「なんでのかんとかんだあ。駐禁じゃありもしんに。」

  (どうしてどかさなきゃいけないんだ。駐車禁止じゃないだろ。)

「屋台通るだで邪魔くさいだあ。」

  (祭りの屋台が通るから邪魔なんだよ。)

「ちょっとまっちくりー、ほいたらそん前んこれのけんとかんで。」

  (ちょっと待ってね、それならその前にこれをどかさないといけないもので。)

「てめえしょろしょろしとるとぶっさぐるぞ。すぐのけ!」

  (てめえぐずぐずしてるとぶん殴るぞ!すぐどけ!)

浜松祭りの時期は凧と屋台が一番偉い。なので理不尽な言いがかりであっても凧と屋台の邪魔になると判断されたら例え正論であっても却下される。他所から観光で来た人に対してもそうなので注意が必要である。お客の前でエエとこ見せようなんて気はさらさらないので観光客を集めるためのイベントでは決して無い。

あくまで想像であるが遠州弁における「いごく」は「いのく」(居退く)と「うごく」(動く)がごっちゃ混ぜになってしまった表現なのではなかろうか。

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