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*ねぐさる

根が腐る。根っこまで腐ってる。腐りきる。もう本当にどうしようもないと言う意味。

単純に草木に対して「こりゃ はあ 根腐っとるで切るしかないらあ。」(これはもう根まで腐っているから伐採するしかないよ。)というように使う場合もあれば

「あいつぁ はあ 性根(しょうね)までねぐさっとる だで 何言ったって無駄。」(あいつはもう心の底まで駄目になってるから、何言っても無駄。)のように人に対しても使う場合がある。

とにかく根底まで腐った状態ということである。

例文

「なんで全員一致なんかにするよを。多数決でいいじゃん。」

「そうもいかんでえ。会長さんがそうしてくれっつうもんで。」

「なんしょ反対しくさるあいつんいるだで絶対まとまりもへんに。」

「あいつぁねぐさってるでなあ。みんなして決めるこんなんしょ反対だでなあ。」

「ほんじゃさあ意見交換でみんなしてあえて逆の事言って。あいつそれにひゃあひゃあいったらそこで決採ればどうだかいやあ。」

「やってみるけえ。そうなったらそうなったでああたらこうたら言いそうな気はするだん。やらんよりかはいいかあ。」

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うーおこれるう

むかつくとかむっとするとか怒ってるんだぞと状況を伝える言葉。

ただし、深刻な怒りの表現ではなく、冷やかされたりお笑いの用語でいうところの「いじられた」時に反応して言い返す言葉としての一面もあるので直訳するよりも「プンプン」と言う方がニュアンス的に近い使い方もある。強調形の「ど怒れる・ばか怒れる」だと「ムカムカ」というニュアンスに近くなる。

マジで怒ってる時だと「あったーきた」(頭にきた)・「むかつくう」が良く使われる。これの強調はもちろん「どあたーきた・馬鹿あたあきた」・「どむかつく・馬鹿むかつく」」である。「むかっぱらんたつ」(腹立つ)という表現もある。キレる状態は「あだけた」を使うことが多い。

「だらあ、ど怒れるらあ?」

  (でしょう?すごくむかつくでしょ?)

「う~ど怒れるう。そうくるう。」

  (え~い癪に障る。そうきたか。)

怒れるより強めの場合は怒れる(いかれる)を使う集落もあるし、怒れた(おこれた)とする集落もある。

「だらあ、だもんで ばか いかれた(おこれた) だよ。」(でしょう、だから物凄くむかついたんだ。)

「はあ どおこれた。そんなこん せるだか。」(もう辛抱ならん。そんなことするのか。)

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陽はまた昇ると燃ゆるとき

会社員が企業戦士と呼ばれ、闘いの場が戦場(いくさば)から商場(あきないば)になっただけで、いつの時代でも野郎はなにかで戦っている訳で。

そういう視点でいうと、大東亜戦争以降の戦争活劇は企業を描く事にあるのではないのだろうかと考えるときがあります。少なくとも勝ち負けが生じ、名を馳せる者もあれば離脱する者もあり、過労死・鬱など身を削って全身全霊で、家族を二の次としても仕事を優先に考え生きなくてはならないなど、善も負も存在する戦いの世界だと考えても罰は当たらんような気がします。しかし映画で取り上げる企業戦争ものは、大体リアルに存在する企業の実話に基づくお話しが殆どではあるからなんでしょうが、どの作品にも何かに遠慮してるような「大人の配慮」が見え隠れたりして、そういう意味では大東亜戦争以降の戦争活劇にしては迫力や説得力が足りないような気がします。帝国陸海軍はもはや存在しないので思いっきり作り手の意思で描いても軍部からのクレームがないけど企業は存在存続していて様々なクレームや抑圧が実際にあるからなんでしょうか。

「陽はまた昇る」 2002年 佐々部清監督作品

西田敏行さん演じるMr.VHSが、瀕死の状態の事業部を起死回生の手腕と渡辺謙さんらをはじめとする部下たちの協力と努力でベータに逆転勝利する過程を描いた作品です。

この作品を観る前に、NHKのプロジェクトXを見ていたので、比べる気が無くても比べてしまいました。テレビでは本物の当時の写真当事者へのインタビューなどがあって説得力を感じました。いい番組だなと素直に思いました。その後に観たのですから満足のハードルが高くなっていたのは仕方ないことでしょう。

「彼を知り己を知れば百戦危うからず」米国の大作映画は敵を明確に作り上げそれに主人公が立ち向かう構図で水戸黄門状態(お決まりのパターン)を作り上げてきました。そういう意味では、ベータという敵を明確に示さず物語が進められたので登場人物達がいかに凄い事を成し遂げたのかが稀薄に感じました。勝ち負けを争う企業同士実在している故の大人の配慮なんでしょう多分。

それに私ビデオはベータなんです。この人達の活躍さえなければと思わないでもないので、この作品には諸手を挙げて「元気をもらった」とは書けないのかも知れません。現実の話を描いてしかもその事で利害が生じた出来事をまだ忘れていない人が存在する中で万人にむけて作品を発信するということは難しいことなんですね。

「燃ゆるとき」 2006年 細野辰興監督

カップ麺を主力とする食品会社のアメリカ進出においての七難八苦を描いた作品。我が身に置き換えて観れば、こういう場所で頑張ろうとする人は物凄く大人だと思っちゃいます。自分はお子ちゃまと呼ばれてもいいから好きで得意とする空間で働きたいと。作品で描かれる七難八苦は全部本人の意としないものばかりで、自分はなんでここにいるんだ?という疑問に答えられない状況ですから。

会社勤めを経験された方なら、目に見える力だけじゃなく、目に見えない力で物事が動いているというのはお分かりだと思います。上司の命令・目標ノルマといった目に見える困難だけでなく、慣習・置かれた立場といった空気感という見えない困難。他にも色々あると思いますが、個人個人を丁寧に描いたからと言って仕事という戦場を全て描きだせるというわけではないように思えるのですが。もう少し集団によって巻き起こる風のような雰囲気というものを感じたいです。

いづれにせよ、企業を描く作品は個を描く事には長けていても集をあまり描かない傾向を感じます。勿論人間が集まって出来ているのが会社ですし、役職という階級によって維持運営されていくのですから恒に言いだしっぺは人なんでしょうけれども、個に中心が行き過ぎていて集の見えない力を描くことが置き去りにされていると感じてます。

正義なんて立ち位置の数だけあるでしょうし、現代の戦場は命まで獲らない或る意味健全ともいえるわけで、勧善懲悪とまではいかなくても、スカッとする群像劇を観たいものです。おし、俺も頑張るぞ!と思えるような心の栄養剤を。「え?そういう奴は釣りバカ日誌観ろって?」んーなんか違うような。

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浜松ついこないだの昔話3

NHKの「浜松ポンポン物語」というドキュメンタリー番組があった。昭和20年ごろ浜松はポンポン作りのブームがあって、実に40社近くの会社があったそうだ。火付け役は本田宗一郎さんで、おれもわしも自分も拙者も身供もやつがれもと皆後に続いたそうである。資金もないのにええものを作りたいという情熱だけで始めた人もいたそうで、まさしくブームという言葉がふさわしい時代だったらしい。日本初のシャフトドライブのライラック号・軽量が自慢のヤマトラッキー号・など名車と呼ぶに相応しいポンポンが浜松の町をテストだ試乗だ納品だと走くり周ってたらしい。日曜ともなれば後に我が母校東小学校の校庭となった場所で各社が自慢のポンポンをもってデモンストレーションを兼ねたレースを繰り返し開催していたそうな。大規模な浅間山のレースでもホンダを打ち負かしたりと性能的にもその後大メーカーとなってゆく会社にも引けを取らなかったそうな。

ホンダが1958年(昭和33年)に「カブ」を発表して量産大衆化に成功した時、浜松の各小メーカーは技術を駆使した高級化へと方向性の舵をとったそうで、その時分の最高傑作としてライナー号が挙げられていた。しかしいかんせんまだ当時日本は貧乏人が殆どを占めていたから商売として成り立たずに、次々と廃業・吸収されていったそうな。振り返ればわずか10年くらいの年数で栄枯盛衰の物語が紡がれたと言うことである。

その牽引であるホンダも最近浜松工場でのオートバイ製造をやめ他の工場に移した。

元浜町にあったアート商会の建物は記憶があるが、屋根つきの駐車場のような記憶しかない。今考えればアート商会を中心にしてあそこら周辺にバイク屋とか各メーカーのサービスセンターを集中させてここにくれば古かろうが新品だろうがどんなバイクでもなんとかなるみたいなポンポンの駆け込み寺みたいなエリアにすればよかったのにと思う。どんなバイクも見れるしいじれるとか、無い部品だって作ってしまうとか。

番組では、都市計画でその貴重な時代の証が無くなると締めていたが、今現在私の知る限り元浜・山下近辺に都市計画と言う名の砂漠化現象はまだ起きておらず、子供の頃のままの佇まいのままのような気がするのだが。

浜松と言うところは、昔の事にとんじゃかない(興味が無い)部族らしい。浜松のシンボルであった浜松城ですら石垣とその上に建っている天守閣が合致しない。建ってりゃええだみたいな色んなことでエエ頃加減なことが多い気がせる。

「後生大事」という時代劇に出てくるような言葉が浜松ではまだ活きてる。「そんなの後生大事にいつまでもタラタラもってんじゃねえよ。」みたいに否定的な使い方が多い。幾つであろうとも、想い出を喰って生きてるやつより夢を喰って生きてるやつを、屁理屈こくよりなんしょいごく(とにかく行動)ことを善しとする習性はポンポン時代の名残であろうか。

ちなみに私の後生大事のポンポン史はヤマハのミニトレ50・スズキハスラー50・ヤマハRZ250・スズキ刀750(リトラクタブルタイプ)・ヤマハSRX600と乗り継いできて今に至る(今はもう昔の話)。憧れのバイクはスズキのハスラーTS400だ。あのパランパンパンという音がたまらない。でも250は乗せてもらった事はあるが400は一度も乗ったことが無い。だからこその憧れなんだけど。

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浜松ついこないだの昔話2

佐鳴湖への道。

小学生の頃何かをとんまして(捕まえて)遊ぶには、川か田んぼまで行って蛙なりフナなりを調達しなくてはならなくて、遠出をしなくてはいけなかった。新津・船越・茄子までが遠出の限界だった。近くに新川・馬込川などは流れていたが、当時染色業が盛んで川の周りに工場(こうば)が軒を連ねていて、そこから垂れ流されてた廃水で丁度パレットを洗い流した時のような微妙な色と匂いがしていて、川の中は生存者なしの状態だったので遠出するしかなかったのだ。親にいえば「危ないで絶対いっちゃかん。」と必ず言われる距離である。茄子や新津の景色は記憶にあるので、そういわれても行ったことは確かだが、誰とつるんでどうやって行ったのかの記憶が飛んでいる。結局そう頻繁にいける訳ではなかったので、川遊びや水遊びはプールの中でやごとんましたぐらいしかしか殆ど記憶が残っていない。

中学生になってけったー(ちゃりんこ)を使いまわすようになって行動範囲が広くなり小学生の頃の倍以上のエリアを持つようになったが、それでも佐鳴湖への道のりは冒険の部類であった。今の医療センターあたりは竹林で覆われていて道は生活道路ではなかったので、オフロードのダートコース状態だった。当時は貸しボート屋と釣堀があったくらいで、子供心には秘境の地であり冒険心をくすぐる地でもあった。同級生が行ったなんて話しを耳にすると、意味も無く負けたと感じてた。一人で行く勇気もなく仲のいい友達が興味示さないかなあと期待して、決して自分から言い出すことはなかった。

行ってなにするかといっても釣りするだけで、当時から佐鳴湖は美しく、底の見えない緑の水面でボート漕いでも楽しくはなかった。釣りも湖でするのと釣堀でするのとあって、金もない中坊は湖で釣るしかなかった。でも今思うと不思議なのだがだだっ広い自然の湖の横に人工の釣堀が存在してたのは、商売として成立してたんだろうか。大分後の話だが、大学生が競技用ボートで練習中に大きな魚と激突して沈んだというニュースがあった。釣堀での釣果を持ち帰らず湖に皆せっせと放流してたと、嘘か真かそう語られていたので、釣り人の地道な成果がこれかいなんて話してたりもした。最近ではワニ騒動もあって、そういう意味では今だ秘境の要素を失わない佐鳴湖である。周りは信じられない程開けちゃったけど。

冨塚郵便局の裏辺りは一面葦原で地面がゆるく建築物を建てるには相応しくないということで高校の時分まで野性味を帯びたままだった。そこに大きな集合住宅を建てると言う話しを聞いたときは信じられず、今に沈むぞと心配してたが、今日現在そんな話は全く聞かないので、色んな意味でスゲーと感じている。佐鳴台や山手は斜面の林で今は高級住宅地になっている。貧乏人の遠吠えで覚えてるのは、HONDAの株買っときゃ良かったと言うのと共に山手近辺二束三文のうちに買っときゃあ良かったというのが印象に残ってる。

ポンポンは作る物で、他人が作ったポンポン屋の尻馬に乗るのは根性無しのするこんだと大人衆は考えてたらしい。ポンポンについては又のお話と言うことで。

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*おうじょうこいた

意味は往生した・大変だった・苦労したという意味合いになる。

共通語でも立ち往生したとか往生際が悪いとか使うので「した」が「こいた」になってるだけの表現ではあるが方言チックに聞こえるからあら不思議。

多分愛知から流れてきた言葉であろう。遠州でも意味は通じるが「やっきりこいた」・「あったーきた」(頭にきた)があるので使う人はすけない(少ない)。

Dr・スランプでの登場人物で王城恋太(漢字自信なし)というキャラが登場してたが、全国的に笑えたのか知りたいところである。浜松ではニヤリと受けていた。恋太の兄弟親戚で王城星矢とか椎也とかがいるかどうかは定かではないがいても不思議じゃないかなと。

名古屋話しつながりでいうと「たあけ」(たわけ)が愛知の方では会話でよく出るが、遠州は「馬鹿」・「ばかっつら」があるので「たあけ」は広まっていない。なので「たあけ」と言われると素直に腹が立つ。名古屋の人が遠州で仕事をするような時には注意が必要な言葉である。

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鬼太郎が見た玉砕・水木しげるの戦争

もうね、凄いとしかいいようがありません。お話しも役者さんも。ストーリーについては書きませんので、番組見た人でないと以下の文は意味不明ですのであしからず。

原作のマンガは読んでいたので、リアルな理不尽は知っていたのですが、こうして生身の人間が紡ぎだす戦争体験のお話しは色々と考えさせられる以前に嫌悪感をまず抱かせてくれます。理屈じゃあなく戦争は厭だと。

帝国陸軍が最も恐れていたのは敵ではなく規律と秩序の崩壊であって、「全体の指揮に関わる」というセリフが天皇の赤子たる兵隊の命よりも重いことを物語っていてとてもむなしいです。特に参謀の追い込みは、死んだ方がまし・死んで楽になりたいと思えるほど正論なのに言い逃れを言ってるような錯覚を憶えてしまうくらい辛いと感じました。なんか現代の「借金返せこのヤロー」くらいの追い込みです。私なんかじゃ堪えられません間違いなく。「生きて帰る」という信念よりも「死んで終わりにしたい」という人間本来の持つ「楽をしたい」欲望に負けてしまいそうです。

しかも、もっと厭なのがこういうお話が特別なものでなく、どの戦線においても起こっていた戦争という狂気の世界の中での日常茶飯事だったということでしょう。この話しが語られたのは生き残った人が人に伝える能力を持っていたからであって、もし語る術のない多くの生き残られた方々からのお話しに耳を傾ければ、もっとボロボロとその狂気の世界を知ることが出来ると想うと、実に切ない気分になります。

もう戦争体験者こそが伝える事のできるお話で、「戦争を知らない子供たち」を口ずさんでいた団塊の世代より下の世代の私などでは、圧倒的な説得力にただただ敬服するのみです。この幻影を織り交ぜた地獄の世界を軽妙なタッチで描く事が許される説得力というものを強く感じます。

主人公がなにかに突き動かされてマンガという作品に取り組むオーラは、間違いなく伝わってきて、それを演じる香川さんの内面からの役者力を強く感じます。エンディング間際の「お前笑ったろう」という辺りのシーンでの説得力は圧巻でした。言い逃れに聞こえたら駄目でしょうし、かといって黄門様の印籠みたいなお決まりなものでは白けてしまうし、本当に心の底からの答えで心に沁みました。伝え残さなければいけないという義務感と忘れ去りたいという逃避感のはざまで執筆をする苦悩の様は「生きるも地獄死ぬも地獄」なんでしょうか。でも「100歳まで生きろ」というセリフで見てるこっちまで救われたような気持ちになりました。

嶋田久作さんと榎木孝明さんの問答も狂気の世界をまざまざとみせつけてくれて、マンガでは伝わらない人間と人間のぶつかり合いを見せていただきました。

戦争は敵との殺し合いだけが悲惨なことではなく、いかに矛盾に満ちた命を伴なう無駄な消耗戦かということです。ゲームやマンガの世界で闘ってばかりいては生身の戦闘というものの無駄矛盾には気づかないことでしょう。そういう人には見てトラウマになる位のインパクトが伝わった事を期待します。

私がリアルに戦争を感じたのは、戦争の後始末の時代子供ではあるけれど見てきたということでしょうか。駅前の繁華街に行けば傷痍軍人さんがアコーディオンを弾いていたり、町内の大人たちの中には片手・指がない人や銭湯に行けば胴がえぐれてたりへこんでたりしている人を「見ちゃあいけません」と叱られても見てしまったり。大人たちはどうしてそうなったのかなにも教えてくれませんでした。傷跡を見てその後に映画やテレビで何が起こっていたのかを知って育った世代です。そんな私でも戦争は愚だと次世代の日本人に伝えることができるのでしょうか。

私とほぼ同年代の佐々部清監督が、キネ旬のインタビューの中で「戦争を体験していない者でも伝えていくことはできるのではないか」とおっしゃられてました。どう伝えられるのか密かに期待しています。

原作というか漫画で見た限りではよくわからなかったビンタなんですが、「歯を食いしばれ!」みたいなものしか映画とかで見たことなかったんで、水木ワールドの「ぺしっ」っていうビンタは絵では想像できなかったんですが、ああこういうのかとわかりました。

水木ワールドって生への執着が物凄く強く感じられて、例え姿かたちが変わり果てようと目玉だけになろうと「生きる」ということに徹底してこだわる凄みを感じるんですが、この作品にもその流れが途切れることなく存在していてドラマといえども水木ワールドに違いないと思いました。スタッフや役者の皆さんの水木ワールドに対する敬意と言うものを感じました。

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*よさりかかる

「おんもい。もーよさりかかっちゃかん。」

  (重いよー。もーもたれかからないで。)

「そこん やごい だで よさりかかっちゃ かんにぃ 危ないだでえ。わかったあ?」

  (そこは壊れそうだから寄りかからないようにね。危ないから。分かった?)

大体これが方言だとは全然思っていないから、共通語に翻訳するとき、「よさりかかる」をどう訳せばいいのか随分悩んだ。それだけ当たり前に使っているので。特に(寄りかかる)なんかは普段使い慣れていないのでこれでいいんだろうかと半信半疑状態。「さ」が一文字入るか入らんかの違いだけれども、こうも違和感があるのは不思議でもある。そして何故「さ」が一文字付け足されたのかも不思議である。

ニュアンス的には体重とか重心がのる状態のことを指す。手を添えるとか壁(守ってもらう)とするというニュアンスのものではない。なので共通語で「親の経済力に寄りかかる。」といったものを「よさりかかる」という表現はあまりしない。こういう場合には「よっかかる」をよく使う。

「しなだれかかる」みたいな色気のある物ではない。むしろ邪魔臭いと感じるような時に体重乗せてくるなよという意味で使われることの方が多い。「よさりかかる」には「うっとおしい」というニュアンスがこもることが多いということであろうか。

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~を制するものは~を制す

あくまで言葉遊びです・冗句です。

「エベレストを制するものはチョモランマを制す。」

違う事をいってるように見えて実は同じことを繰り返していってるだけというお話し。

若しくは、いかにもそれらしい訳の分からん事を言われて成程と騙されてる様を表わした言葉

「受験を制するものは過去を制す。」

将来へのいいスタートラインを確保しただけのことでよくやったと褒められるのはそこまで頑張ったという過去の努力ということ。これがゴールなら人生18年ってことか。織田信長より短命じゃん。という社会人から見たつぶやき。そんなことより人との接し方とか日常会話での会話のきっかけのための話題の豊富量の蓄積。そのための色んな経験と言うものを、怖いもの知らずの若い内にしといた方が大人になってから役に立つと思うのだが。

もともとの語源がどこからでたのかはよく分からない。ネットで検索したら色々な使い方があった。

「情報を制するものは世界を制す」・「キーワードを制するものはネットを制す」・「美濃を制するものは天下を制す」・「情報を制すものは人を制す」・「夏を制するものは受験を制す」・「リバウンドを制すものはゲームを制す」・「左を制すものはボクシングを制す」

今を表わす内容ばかりで語源と思われるものは見つからなかった。

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