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なまかー

未だ映画が公開中とはいえ、27時間テレビも終ったので、はあええら(もういいでしょう)。

最初テレビの西遊記を見たとき、「なまか」というフレーズを多用してた事に少し引いてしまった。遠州弁で「なまかー」という言葉があってその意味する所は(なまけもの・ぐうたら・なまぬるいことばかりやる奴・中途半端な奴)である。

なので孫悟空が「なまか」をあまりにも連発するので、三蔵法師ご一行は怠け者の集団なんだと思えてきて、明らかに普通の日本国民が抱くイメージと異なる印象を感じてしまった。どういうことかというと、三蔵法師がなまけもの三人を叱咤激励しながら旅をするという設定で孫悟空は三蔵法師にもなまけもののススメを毎回していくというお話しという感じである。なのでテレビの最終回でのエンディングで、経典よりもなまかを選んだ時、そうかお師匠さんも「なまかー」になったんだと変に納得してしまった。

まあ救いとしては、最近の若い人が使うことはなくなった言葉なので視聴率や映画の興行には影響がないということでしょか。いずれにしても、新語をつくるということは、難しいことだということですなあ。全国津々浦々くまなく新語として認知されるほどの言葉はそうはないということなのでしょう。ちなみに私は周りから「なまかー」と呼ばれているので三蔵法師と旅をする権利を有してます。当然何の役にも立ちませんけど。

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*をた(おた)

「をたこいてんじゃねえよ」

冗談ゆうんじゃないよ、といったところでしょうか。使い方によって言葉のニュアンスが変わる、或る意味便利な言葉です。

「こんのぉ忙しいのに、をたこいてんで仕事しろやー。」

  (この忙しい時に無駄口叩いてないで仕事しなさいよ。)

というように不真面目という意味にも使える。この場合軽くたしなめる感じになります。これを洒落にならない感情的な表現でいうと

「やー馬鹿っつら。遊んどらんでちゃっちゃと仕事せろやー。」

  (おい!真面目にやれ!)

と、今やってる事を全面否定した上での注意になるので言われた方は立つ瀬がない。

勿論口論ではきつい言葉になります。

「おー?てめえをたこいてんじゃねーぞこの野郎。」

  (やい、なに訳の分からん事いってんだ?)

理屈に通らない事・矛盾した事・自分勝手な事などを意味することになります。相手の言うことに同意できない・聞く耳持たないという意思表示でもあるので、この言葉がでたらキーワードは「衝突」です。迫力という点では「さっきから何ごちゃごちゃぬかしとんねんワレ!」には遠く及びませんが、一応喧嘩腰の表現になります。

「ねーねー○○さんとこの旦那さん浮気しとるだって。聞いた?」

「どこで聞いただか知らんけどそんなをた信じてちゃかんて。」

  (どこで聞いたのか知らないけどそんな与太話信じちゃ駄目だって。)

この場合は、でたらめ・根拠の無いいい加減といった意味合いになります。

最近ではヲタクという言葉ができて

「そんなをたこかれてもついてけんよー。」

  (そんな専門的なこと言われてもわからないよ。)

と言う風に、ディープな内容と言う意味合いも使われ始めました。(まあ正確にはおたなので別物かもしれないんですが。)

幅広い意味合いを持つ「をた」ですからもしかしたら全国的な方言で遠州独特ではないかもしれません。ただし、言葉のニュアンスが全国とは異なるらしく遠州では他愛の無いことであることがほとんどですが、地域によってはいわれの無いいいがかりと捉える地域もあるようですので意味的な部分は遠州弁と云えるでしょう。

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*ぶんぶん

「どーでえ、調子は?」

「もーぶんぶんよ。」

共通語に直すとしたら、イケイケ・絶好調・ノリノリといったところでしょうか。共通語でぶんぶんといったら、エンジンをぶんぶん回すみたいなぶん回すという意味になるが、遠州ではそちらも使っている。アクセントが違うので使い分けていて聞き違えることはない。

ぶん回すのぶんぶんはBUnBUn。絶好調のぶんぶんはbuNbuN。

仕事とかの真面目な場所で使う言葉ではないので、「○○君頼んだ仕事は順調に進んでる?」「あ!課長もうぶんぶんっすよ。」などと使ったら新しい仕事先を考えた方がいい位なので注意が必要である。というか使ってはいけない。

ほんとに気心の知れた仲間内の間で使う言葉である。

「エンジンちっといぜったもんでわしんポンポンはあぶんぶんよ。そんかわし燃費よかあねえもんでガソリンだあだあに喰うけどやー。」

  (エンジン少し改良したから俺のバイクもう最高だぜ。そのかわり燃費良くないからガソリン物凄く喰うけどね)

「ぶんぶんに蚊に喰われた。馬鹿かゆい。」

  (そこいらじゅう蚊に喰われてしまって、とても痒い。)

共通語の「プンプン」の代わりに使う場合もある。というかプンプンよりもっとどぎつい場合で使われる。

「くいもん屋入ったらさあ。横の席の姉ちゃん香水ぶんぶんで食う気失せたわ。」

  (食べ物屋に入ったんだよ。そうしたら隣のお姉さんの香水がきつくてね食欲なくなっちゃったよ。)

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*えごえご

えごえごしてる。

真っ直ぐでない・曲がりくねっているという意味合いになる。似た意味合いの言葉で「えがむ」があり、歪む(ゆがむ)・曲がるという意味なので、これの親戚か変形と考えても罰は当たらんと思う。なので、「歪む」が訛って「えがむ」になり「えがむ」が擬音化して「えがえが」はしっくりこないので「えごえご」になったんじゃないかと勝手に想像している。

普通使われるのは、「線引き使って線引いただにえごえごになっちゃった。」(定規をあてて書いたのに何故か線がゆがんじゃった。)「あいつん家道んがんこえごえごしとるもんでなんしょ車だと行きづらいだわ。」(あいつの家に行く道、曲がりくねっててとにかく車だと入りづらいんだよ。)

それ以外の使い方として

意味としては「軋む」(きしむ)。例えば本来堅いはずの床が歩いたりしたら沈むような時「床んえごえごしとる。」という風に使う。釘が外れてたり板が腐っていたりしてきっちり留まってない不安定な状態を指す。「床んえごえごしとるで、えがんでるだらあ。」となれば板が歪んでる出るんじゃないか。「床んえごえごしとるで、やごいだらあ。」となれば材質が適正でないと言っていることになる。

短縮形で「えごい」と使う人もいる。が、少数派であろうおそらく。普通なら「やごい」を使うのだから。

他には下敷きを波打つようにふにゃふにゃさせて扇いで遊んでる人に向かって「なにょう下敷きえごえごさせてるだ?」(下敷きくゆらせて一体何してるんだ?)と言う風に不安定な状態だけでなく、ゆらめかせる時にも使われる場合がある。

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暗いところで待ち合わせ

よくできた映画だと素直に思います。映画館では観れなかったけど。でかい画面で空気感を味わいたかったです。原作は読んでいないのであくまでDVDからかしか読み取ろうとしてません。孤独を寂しいと思わない人には詰まんないと感じるかもしれません、子供むけではないけど、私みたいなお子ちゃまでも愉しめるんで見る人間をあまり選ばない作品だと思います。

いい作品だと思ってますので先に気になった事を書いて、後に好きな所を書いとこうと思います。サスペンスの要素が強いのでネタバレは禁じ手ですが私の表現力が拙いので書かないと説明できないので、もしそうだったらごめんなんしょ。

気になったところ(勿論何回か観て解決済みのものもありますが)

*近すぎないかい?

緊張感の為の演出なんでしょうが、盲目の方の研ぎ澄まされた感覚というものを考えると、玄関での最初の出会いの時点で気づかない事に無理があるような気がするのですが。まあ監修で専門家の方がついてられるでしょうから私の勝手な思い込みなんでしょうけれど。

ミチルの、気づいてない時とうすうす気づいた時の切り替わりが私には曖昧に感じて、ミチルの心の中の動きが中盤は把握しづらかったです。もし最初から気づいていたとしたらミチルの心の動きは私には理解できません。犯人として対峙した時の気風のよさを考えると、理解不能の存在感を感じながら日々を普段どおりに暮らすなんてことするのかなあと。(原作には事細かく描写されてるらしいんですが、監督がもし原作読んでから映画を観てというスタンスであったなら私は本読んでないのではしょり過ぎてると言うことになる訳ですが、もしそうならDVDと原作本セットで売って欲しいです。)まあ下衆の勘繰りでいえばミチルは心の奥で受動的でもいいから孤独からの脱出を望んで生きていたからだと思えば辻褄が合うんですけど正解かどうかは分かりません。

*なんでいるんだ?

最初観た時、アキヒロは逃げ続けているんだと思ってました。だから、どこか遠くへ行けばいいのに、なんで家の中で息を潜めていなくちゃいけないのか不思議だったんですが、彼の目的は逃亡ではなくある人物を探すことだったんですねえ。そう考えれば犯行現場にいつか現われるかもしれない人物を発見するためこの家を選んだというのは利に叶ってました。チェンボーリンさんの内向的で柔らかい芝居が上手すぎて、こういう自らの行動で事を解決するという攻撃的な行動をする人だとは思わなかったのでそういう意味で騙されました。普通どこら辺で気づくもんなんでしょうか。私は、佳境に入る頃まで気づきませんでした。私だったらとにかく警察に報告して警察に解決を委ねようと思いますから。自分と違う行動を取る人はやはり理解不能ですので強引に分かった気でいたいから勝手に性格を都合の良いように解釈してしまったんですけど。

それと、アキヒロはミチルの家に行った時点で、独り暮らしであることと目が不自由であることを確信はしてないまでも知っていた上で行ったように思えたんですがなにを根拠にそう考えたんでしょうか。メイキングを見たらその答えの部分は撮影されたみたいですが本編ではカットされたようです。

*映画だよね?

犯人を追い詰めるシーンだけは、なんかテレビのサスペンス劇場みたいでしたけど。それ以外全体では観ている側でも息を潜めないとやばいと思わせる緊張感と気づいている事を言ってしまっていいのだろうかという葛藤の二人の間のせめぎ合いを味わえました。お互いの奇妙な空間の中で同じところにいる微妙な間が心地良すぎたせいでしょうか、そこだけ中途半端に感じてしまいました。テレビで培われた習慣って怖いですね。

*作れないのかなあ

ただ単純にど素人が思うのは、役者さん用に視野をなくすコンタクトレンズとか作れないのかなあということ。そうすれば役者さんに余計な負担掛けずに済むと思うんですけど。

気に入ったところ

田中麗奈さんががんこいいです。ストーリーだけ追うとなると、サスペンスなので二度も三度も観れるとは思いませんが、役者力を愛でるということなら何度も観れることができます。事前に役作りをされて撮影に入られたとインタビューでおっしゃられてますが、目で芝居が出来ないにも拘らず「自然」という表現が違和感なく使えるお芝居で好きです。魅せるためにけれん味の効いた誇張というものを極力排除したお芝居。長まわしのシーンにも不要なことをせずただいるだけでいられる。さすが映画女優という感じです。メイキングをみても、そう見えるように表現で説明・装飾するのではなく、内面から湧き出てくる何かを積み重ねあげて熟成されて醸し出されるまでテイクを重ね発酵させるみたいなものを感じます。まあ監督さんが全然ぶれないからこそのお話しでしょうけど。

田中さんは映画一本で道を進んでおられて、私の希望とする役者像の具現者でおられるのですが、いかんせん可愛いのが玉に疵。成人を迎えた大人に対し、「可愛い」という表現を使うことは失礼に想えるので敬意に感じない私なんですが、田中さんにはつい猫系の可愛さを感じてしまいます。メイキングを見ると逆におばちゃんじゃないかと思える部分も垣間見えて、もしかしたら前世若しくは親戚に猫が一族の中にいるんじゃないかと信じてしまいます。或る意味年を取らない役者さんなんだろうなあ、何歳の役でもこなせそうな幅の広さを感じます。いい意味で「がんばっていきまっしょい」(遠州弁だと、なんしょがんばらまい)の時となんにも変わっていないのが凄いと思います。結婚しようがおっかさになろうが私生活に左右されない風に見えるのは女優さんとして強力な武器のような気がします。

チェンボーリンさんはいい。日本を代表する役者佐藤浩市さんも出てられるんですが、迫力・存在感はさすが佐藤さんのほうががんこ上ですが、その佐藤さんをもしのぐ線の太さを感じます。韓国の役者さん達にも太さを感じるんですが、逆に言えば今の日本人が豊か過ぎて野郎本来が持つ生命の図太さというものが後退しているともとれるんですが。メイキングのインタビューでこういう役は初めて挑戦したと述べられてますが、全くそう感じさせない存在感があります。

浪岡一喜さんはパッチギで血気盛ん、CMではもうすぐパパデビューの優しさを勉強中の若い夫、最近ではちびまるこちゃんの花輪君と、とにかくめちゃ幅広い役柄をこなす役者さんで要チェックしてます。

監督さんはこの作品を難しいから挑んだと言われていますが、なにが難しいことだったのか見てる方にはわかりませんでした。難しいことをしれっと行うなんてちと格好良すぎとは思うんですが、セリフに頼らない映画こそが活動写真と呼べる気がしてるのでそのとこだけはスゲーと分かるんですけどそれは田中さんとチェンさんの手柄って感じで、他はちょっとなにがスゲーのか違和感も刺激感もない穏やかな空気感が居心地よくて、なんかホントよくわかりません。見事に監督の術中にはまっているようです。しめしめと思ってるんだろうなあ多分。

それにしてもDVDの映像特典の量は凄いです。とは言え欲望は衰えることはありませんので言ったらきりがないんでしょうが、原作から映像化への困難さへの不安を監督さんも原作者の方もおっしゃっておられるのを見てしまうと、先にも書きましたが、原作本できれば脚本もつけてくれれば鬼に金棒状態のような気がします。パッチギのDVDには脚本ついてましたので、人間やってやれないことはないと言うとこをここらでひとつ証明して欲しいですな。

DVDは借りるんじゃなくて買って損はないと思います。本気で本編より映像特典が長いし、オーディオコメンタリーも二種類入ってるし、GENEONのDVDには「きょうのできごと」の時にも感じたんですがとても本気度を感じます(デラックス版と銘打ったのはそうでもないですが)。特に田中さんのこの作品に対する熱を感じます。しかし量が多くて濃密ですわ。とても一日で見切れるものではありません。でもこういう積み重ねで作品が作られているというのを見ると、ほんとただの視聴者でよかったと思います。愉しんでるだけでいいんですから。税込み4935円はお得感がありました。

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静岡県は三枚岩

一応東海地域と呼ばれている。だが、住んでるもんからすると、愛知といっしょくたあにされるんはあんまし好きくない人が多い。名古屋から上司としてやって来る人と仕事を幾度かしたことがあるが、明らかにルールが異なる。言葉の物言いによるものだろうが、こちらは「やー」・「ばかっつら」から始まって「やらまい」・「やらざあ」・「やってやー」で締めるという自分も動くから皆も動け的であるが、名古屋は「たあけ」・「おそがい」がまず出て、最後は「やらんとかんだがや」・「やってちょー」・「やりゃあ」で締める。たいして変わらないと思うかもしれないが、遠州人にはほとんど「やれ」という命令調に聞こえてしまうのである。勿論そんなつもりで言ってる訳じゃないのは頭では理解できるのだが感情的には納得できない部分があるのだ。

風習にしたって「名古屋には嫁をやるな」という伝承が遠州にはある。名古屋では花嫁道具はトラック3台当たり前。出産は在所で生み、子供の祝いは嫁の実家が用意する。質素が当たり前、祝いはその家の身上にあわせての遠州では貧乏人が名古屋に嫁を出したりなんかしたらへたすりゃ身上を潰すとまで言われたりもする。だからといってウチは金が無いからと何もしないと嫁いだ先での嫁の肩身が狭くなるらしい。

テレビのニュースにしたって、特に天気予報なんかは、名古屋辺りでは愛知・三重・岐阜の天気であり、静岡県は北陸と同じ近隣の地域として扱われている。逆に静岡県では愛知の天気を気にするこたあないので、ほぼ県内の東部・中部・西部の分割予想が全体の殆どを占めている。ローカルニュースでも同じ話題になることは全国ニュースにでも発展しない限りない。身近な共通の話題なんぞ存在しないのである。

言葉的には、三河と遠州は非常に近いが、三河からすれば遠州は荒い。遠州からすれば三河は汚い。冷静になってみればどっちもどっちで、つい最近NHKでやってた「純情きらり」で使われてた三河弁に対して、戸田恵子さんは名古屋の衆だでやっぱちょっと違うなとかヲタこくぐらい理解できたので、根っこはおんなしなんだろうなと思う。

それでもガソリンの価格、本やDVDの品揃えなど愛知の端の豊橋と浜松はお隣さんなのに雲泥の差がある。愛知は豊かで浜松は関東からのお下がりで暮らしてる一番西のはずれのようなもんである。でもまあそのおかげでテレビで名古屋のCM見んで済むんで助かるけど。

私は遠州人なので東の山梨・神奈川との違いは実体験がないので分かりません。方言的にはテレビドラマの方言を聞く限りは意味もイントネーションも分かるのでそう違いはないのかもしれない。なので、個人的には静岡県を東海地方と括るよりも山梨・長野と組んで中部地方とした方が違和感がない。もっとも緊密という感じではないが。

どちらかというと孤高な印象の静岡県だがその分県内では結束が強いという訳ではない。静岡県は西部(遠州)・中部(駿河)・東部(伊豆)と分かれていてしかも大分違うところが多い。決して一枚岩ではないのである。

静岡県といっても廃藩置県の時は当初、濱松県と静岡県に分けられていたが併合して今はひとつとなっている。残念ながら何故併合に至ったのかは学校では教えてくれなかったので、理由は知らない。学校で教わらなきゃどこで憶えることができるんだろう。金原明善は遠州に住む人間にとってどれくらい語り継がなければいけない人物なのか、はたして今も学校で教えているんだろうか。ポンポンや楽器以外にも昔は染色産業も盛んで小さい頃のどぶ川は綺麗な群青色だったり変なぐんじょ色だったりとしょっちゅう色が付いていた。そんな川でチョコンと顔を出して息してる亀を見た時、井伏鱒二の「山椒魚」がやけにリアルに感じたりもした。年代を経ることよって過去からの変遷によって今に至る道程の価値観が薄れていくのは寂しいというよりか、もったないと思う。そこに棲んでいなければわからない事がたんとあった方が豊かな気分になれるような気がする。

或る意味三枚岩の県民性である。がんこ年寄りの衆らは、「昔静岡大学は浜松にあったのに、斉藤という県知事が静岡にもって行ってけつかった。」などと静岡と浜松のライバル意識をむき出しにした発言をよーしてた。今もその名残はあって、有名人でも遠州の人からみると、ピンクレディや美保純さんが同県人(郷土の人)だという意識はあまりない。因みに遠州からだと袴田吉彦さん・筧利夫さんとか鈴木砂羽さんとかがおられる。ここいらだと地元出身と言う気になる。駿河に対してでさえそうなんだから、東部伊豆(秋吉久美子さん・市毛良枝さんなど)にはもう共通意識がほとんどない。沼津は演劇・コンサートが良く行われる地域であるがその文化性が遠州にまで波及することは殆ど無い。

なので、県民性と呼ばれるものでも、東北や九州ほど明確なものはない。静岡県の人はおっとりしてると言われるらしいが、それは駿河の衆らの話で、遠州ではおっとりとチンタラはたいして変わらない言葉である。それでも名古屋と浜松の両方で苦情受付の仕事をした経験を持つ知人に言わせると、こっち(浜松)の衆はおとなしいというので、自分たちが思うほどギスギスはしてないのかもしれないが。

情報社会の発達で遠くの都会には身近になったけど、逆に身近な知識はどんどん忘れ去られている。鎖国で日本独自の文化が花開いたという論法なら、今は確実にそれに逆行している。知識だけであたかも都会に接しているつもりでいられるメリットと、直接触れ合う人とのマナーや付き合いのルールという足元を忘れていくデメリットを抱えたままで未来が進んでいくんだろうか。だとしたらなになに地方と分ける意味はないのではないか。都会と田舎だけで充分であろう。

地域ごとの個性というものが必要とされることがあるのかどうかは不明だけれども、「小さなことからこつこつと」家族からご近所。ご近所から町内、市、県そして地方、国。最後に人類へと和の輪が広がる方が分かりがいいと思えるのだが、中抜けのはしょりの世界が現実だ。それは寂しいので、少なくとも言葉だけでも独自な文化として残って欲しいと思っている。そういう意味では静岡県は三枚岩であることが自慢となってもいいのかもしんない。

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*こすい・ずっこい 2

「こすい」は狡いと書くれっきとした共通語。それと似たような言葉が「ずっこい」である。「ずっこい」はずるいの変形又はずるがしこいの短縮形だと勝手に想像している。

「ずっこい」のニュアンスは共通語だと(きったねーの)・(そりゃないよ)といった少しおちゃらけた表現。冗談めいた感じになる。最近では「ずっけー」と変化した表現も結構使われている。なのでありえないとは思うが、「ずっけー」を「すっげー」と聞き間違って誉められたと勘違いして鼻高々になってしまうと、「てめえ、調~子こいてんじゃねーぞ。」となるので注意が必要である。

「こすい」は深刻に狡猾な感じのときに使われる。冗談抜きの洒落にならない本気でそう感じた時に使われることが多い。

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*こどんでる

沈殿している。「こずむ・こぞむ」もほぼ同義語であるが「こどむ」で紹介。

「よーかきまぜんもんで下の方にこどんでるじゃんか。駄目だにいこれじゃ。」

  (ちゃんとかきまぜないから、分離したままでしょう。それじゃあ駄目だよ。)

「だってすぐこどんじゃうんだもん。」

昔のマークのカルピスの頃、かき混ぜるのが面倒だったので上はお水飲むほどに濃くなってくカルピスがガキの頃のカルピスの味だった。別にカルピスだけの話しじゃあなくてあの頃はなにもかもおおらかだったから品質管理とか賞味期限なんてお店のおばちゃんが決めてたようなあってないようなもんだから、瓶のじゅうすとて下にこどんでた飲料水がごくごく当たり前ともいえた。だからよく振ってから飲むのがその頃の駄菓子屋のルールだったがコーラが主流になりかけの頃は子供の頃の生活の知恵が抜けなくて、無意識に振ってしまってシャンパン状態になってひゃあひゃあこいてる大人がよくいた。最近は炭酸やビールが主流だから振ってから飲むという風習は全くなくなった。

ビンが主流だった頃、空き瓶を持ってくといくらかのお金になった。店で飲むとビン代抜きの値段で持ち帰りはビン代込みの値段だった。小遣い使い果たしたガキは公園や観光客がよく来るとこに行って空き瓶を集めてはそれで自分のジュース代やアイス代にしたものだった。当然お店の人には嫌がられるので良く行く駄菓子屋に持って行かないと露骨に厭な顔された。しかし馴染みの店とは言えしょっちゅうやりすぎるとさすがの駄菓子屋のおばちゃんも厭な顔するので、おばちゃんの機嫌やタイミングを図るなど、子供なりに人の顔色伺う知恵を身につけて行ったような気がする。

なにせあの頃は、知らない子供にでも社会のルールを守らないと大人は怒る時代だったから、「誰も見てなくてもお天道様は見てる」というのはリアルに納得できていた。多勢に無勢と言う言葉があるが、注意する側が例え弱くて逆にいんねんつけられたとしても、周りにいる人たちが皆よって助けるというマナーがあったから、力の衰えた老人であっても血気盛んな若者に対してでも注意する事ができた。大リーグで乱闘が起きたらチーム全員参加しなくてはいけないというようなものであろうか。狭い社会だったから見てみぬ振りなんかしたら、村八分状態になりかねない世間だったような記憶がある。注意する側とされる側の一対一になるのではなく必ず後ろに誰かがいる多勢に無勢の社会だった。功罪はあれど、野次馬文化のいい部分のような気がする。

そういう事が今の社会の底にこどんでる。

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*くすがる その1

ひょえー知らなんだー。方言だったなんて。あまりにも当然の如く正々堂々と使っていて、しかも自覚がないなんて。これがもし他所に行って使ってたら「はあっ?」って聞き返される訳かぁ。本気でなんかへこみそう。

「くすがる」とは、棘などが(刺さる)という意味である。(刺す)の場合は「くすげる」になる。刺すもくすげるも両方使っているので使い分けをしていることになる。

使い分けについては実は曖昧で、「刺す」と「くすげる」には感覚的でいうと、刺さるは鋭角的なイメージがあるが、くすがるにはあまり鋭利なイメージが湧かない。まあそこいら辺りはええころかげんでほんとよーわからんですけど。

例文 遅刻してきた人とその理由を聞きたい人の会話

「おんしゃあやけに偉い様出勤こいとるじゃんか。なにしとったよー。寝坊しただか?」

  (お前ねえ、いやにごゆっくりな出勤時間じゃないか。なにしてたんだ?寝坊でもしたのか。)

「それがさー。聞いて聞いて。どえらいおうじょーこいただよ。」

  (それがさあ、聞いてよ。ほんと大変だったんだから。)

「なんでえ。言ってみー。」

  (なんだよ。言ってみな。)

「車走らせとったらなんかシャリシャリ音んするんで降りてタイヤ見てみただよぉ。ほいたらタイヤに釘んくすがっちゃっててさー。パンクまではいっちゃいんだけど、空気ん抜けそうでなんかいやったかっただよ。だもんで自動車屋寄ってたもんで遅れちってー。でもよかったよー早くに気づいて。」

  (運転中になんか異音がするんで車停めてタイヤ調べたんだ。そうしたらタイヤに釘が刺さってたんだよ。パンクしてそうでもなかったんだけど空気抜けそうで厭だったから、修理工場に寄って直してたからそれで遅くなったんだ。遅れたけど早目に気づいてよかった。)

「ほー。ウソん上手くなったもんだいの。」

  (ふーん。言い訳が上手くなったねえ。)

「うそじゃあらすかーほんとだって。課長にもきちっとそういっただもんで。」

  (嘘じゃないって本当だって。課長にもちゃんとそう報告したから。)

「電話入れて遅れるって言っただか?」

  (電話して遅れるってことは言ったの?)

「当然じゃんか。俺んそんなへまする訳無いじゃん。」

  (当然さ。そんなへまする俺じゃない。)

「ほうけー?その割りにゃあお客さん随分待たせてカンカンだけどええだか?」

  (そうなの?その割には随分お客さん待っててカンカンに怒ってるけど。)

「え!?・・・・・」

「課長になんつったよ。」

「タイヤ替えるんでちょっと遅れますって。」

「おんしゃのちょっとは長いのーえ。つーか替えたじゃなくて直したじゃんかそれ。」

  (お前のちょっとって長すぎるぞ。というか替えたんじゃなくて直したって言うだろ普通それ。)

「まさかその対応で課長の姿が見えんちゅうこんか。」

「そー。いま必死こいておあやまりの応対中。そばやの出前状態。ちゃっと行った方がええと思うよわしは。」

  (担当者今来ます今来ますって必死になって謝ってる最中だよ。すぐ行った方がいいと思うけどな。)

「遅れた奴に後で釘刺しときますつって頭さげてんだかいねー。」

  (来てない担当者には今後こういうことがないよう後できつく言っときますとかいって頭下げてるのかなあ。)

「ごちゃごちゃ言っとらんではよ行きない。」

  (つべこべ言ってないで早く行きなよ。)

「うー足んおんもい。」

  (なんか足が重い。)

「蕎麦屋の出前状態」とは「出前まだ?」・「今店出ました」といってその実作ってる最中という嘘八百というへたな言い訳のお話し。

くどいようだが、「くすがる」って本当に方言なの?東京以外で使われてる全国的な方言なんじゃないの?使われてるエリアを是非とも知りたいものである。

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