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*いけしゃあしゃあ

純然たる遠州弁ではないが普段使いの使用頻度が高いので一応。使い方としては、「いけしゃあしゃあとよーゆーわ。」。共通語にすると、(平気な顔してよくそんなことが言えるわねえ)であろうか。厚顔無恥状態若しくは非常にあつかましい態度をさす。ずうずうしいでも間違いではない。が、ずうずうしいよりも強めの表現としてうちの集落では使われている。少し(あきれて物も言えん)的ニュアンスも含まれていて、こう言っても逆切れされない限りは、若干おちゃらけた感じの表現と捉えられるので場が荒れることはない。なので普段使いに非常に便利できついこと言ってる割にははんなりに聞こえる京都言葉みたいなもんで、きつい汚いを昇華させたような遠州弁の中では珍しい部類の言葉である。(共通語だで当然か)

他の言い回しだと「どのつらさげてそんなこといえるだ。」というのもある。こちらは喧嘩を売ってると思われても致し方ない表現。なので相手がもし買ったら受けて立たなきゃいけないので、それなりの覚悟をもって言わないと受けて立たなかったら根性なしとみなされる。なので平和主義者の方は使わないのが望ましい。

女言葉では、「なんでそんなことゆーよー。」という表現が近い。直訳すれば(どうしてそんなこと言うの?)であるが、(あんたなんかに言われたくない)・(こんなとこで言って欲しくない)という意味が含まれる場合がある。

夢見る乙女が彼氏が自分の思い描いてたことと違ったことを言ったりした時に、彼氏に対して夢を壊しやがってと真顔で「なんでそんなことゆーよー」と使うと、「いけしゃあしゃあ」の要素も含まれてくる。(ちと、強引だったかな・・)

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*奥さん、おいでる?

奥さん、いらっしゃりますか?

奥さん同士の会話の枕詞みたいなもので、家族の人に所在を尋ねるだけでなく、直接本人を目の前にしてても「奥さんおいでる?」で会話が始まる。

つまり、忙しい主婦同士「今暇?」・「今ちょっと話をしていい?」という問いも意味として含んでいるらしく、「こんにちは」・「今日も暑いねえ」という挨拶の前に使う。

野郎はこういう意味合いの使い方はせず、単純に所在の確認の為に使う。

例文

「奥さんおいでる?」

  (奥さん、いまちょっと暇?)

「いやっ奥さんこないだありがとね。あんないいもん貰っちゃって、ほんと悪いやー。」

  (とくにしなきゃいけないこともないから、まあ付き合うか。)

「いいえぇ気に入ってくれてよかったよー。口ん合わんかったらどうしよー思っとったけどよかったやー。」

  (今日は何も持って来なかったから、話のってくれないのかな?)

「うまかったよー。いつも貰ってばっかでほんに申し訳ないやー。」

  (なんかお返ししないとまずいかなあ、やっぱ。)

「ほんと気い使わんといてよ、家じゃあ食べおせんかったもんで腐らしちゃかんと思って奥さんとこで食べて貰っただで。ほんと助かったよー。・・・ほんでねー・・・」

  (まあ私もあまり長居できないから、用件に入ろっと。・・・)

と、この後「ところでさあ・・・・・」と切り出すまで牽制球のキャッチボールが続けられるのである。頂き物以外にも他には「暑いねー」とかの天気陽気に関する話しもよく使われる。

因みに話しに乗れない時には、自分の都合でやんわり断るよりも、旦那や息子等家族への用事がある旨を言ってきちっと断る方が、お互い気が楽なようである。そういう時は「あ、そう大変だね。じゃ・・・。」等と言ってそそくさと立ち去るのが暗黙のルールとなっているようで、そうやって人付き合いがささくれだたないように配慮してるらしい。私は野郎なのであくまで内面の心理状態は想像であるが。

例文

「奥さんおいでる?」

「ごめん。夏休みだもんで息子の昼作らんとかんだよ。」

「あ、そー。ほいじゃまた今度寄るね。」

「ごめんねー。ほんとに。」

「じゃまた。ほいじゃね。」

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浜松は田舎で困るよお

「天然コケッコー」がそろそろ公開だなあ。山下監督作品映画館で見れたことないから、今回はなんつっても夏帆さん主演だから多分田舎でも見れるだろうと期待してたけど。天コケのHPにいって上映劇場一覧見たら、「あれぇ浜松ありもしんに、なんつーこんだやー。」と思わず独り叫びしてしまいました。

まあた静岡だけでやんの。ほーんとやんなっちゃうよー。

以下は八つ当たりの愚痴なのでそこんとこよしなに。

また例の如く諦めるしかないけど、浜松の映画文化の先細りが心配になるだわ。

これが浜松は大昔っからそうならあきらめもつくけど。少なくとも自分若い頃もっとたんと色んな映画観れたにぃ。

特定の映画館責める訳じゃないけど、地元にからむ作品だって冷たいもんじゃん。最近で言えば「星影のワルツ」だってそうじゃんか。上映してくれただけでも有り難いと思わにゃかんだけど、上映したの午前だけって、あんたねー学校や仕事しとる衆観い行ける時間じゃありもしんに。かっこだけ体裁整えましたって思われても文句言えんらー。(言い過ぎました。八つ当たりして申し訳ない)まあ儲からんと判断されたんでしょうからしょうがないんですし一企業だけで文化を牽引するなんて無理な話しでしょうが。なんしょ街全体(特に市が)で盛り上げようっつー根性が見られないのは寂しい限りだわ。

政令指定都市だかなんだか知らんけどねー、すくなくとも映画に関しちゃあ大都会からの供給ばかりで、地方から発信する文化を育てようなんちゅう気はさらさらない風にしか見えん。企業が商売繁盛願って何が悪いっつー理屈は正論で今浜松で頑張ってる映画館の悪口言う訳にゃいかんで、行政にあたるだけどやー。木下恵介押し出すならあとに続く衆らも応援しろよっつーの。業績ばっか称えるにしても、後に続く衆らがいなくちゃその凄さが伝承されて行きもしんに。

と、一気に「天然コケッコー」が見れないので日ごろ思ってる事と重なって八つ当たりをしてしまいました。もうほんとにブランドのエコバッグ買えなくて店員さんにクレームつけてる人と一緒です、ぶしょったいです。自戒の念はあるけれど支離滅裂に書く事でスッキリさせて戴きます。御清読有難う御座いました。

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TA 短 N N 歌 KA

映画館には行かずDVDで観ました。

2006年公開作品 原作俵万智さん 脚本阿木耀子さん・岩下悠子さん 監督阿木耀子さん 主役黒谷友香さん

女性の女性による女性の目線の女性に贈る映画でしょう。なので野郎としてはそれを覗き見るしかありません。そんな感じです。

R15指定の映画ですが、黒谷さんの肢体も仰ぎ見れますが、普段野郎が見慣れている卑猥な画はこの映画の中にはありません。やってることはおんなじなんですけどねえ。

私も野郎ですので、ここまで徹底してると傍観者でいるしか居場所がありません。傍観者の覗き見る視野からでは心の内を分かれと言うほうが無理でしょう。特に友人との会話のシーンにそれを強く感じます。出てくる男子には韓流スターみたいなイメージが重なって少し遠い距離感を感じてしまいます。

人間が本来もつ性欲の欲を取り除いた性を描いていると思われます。そういう意味では物凄く昇華された作品と言えるでしょうが、水清くして魚住まず。はたして商品として誰に対して宛てたメッセージだろうかと考えると自分宛じゃないよなあと思います。同じ境遇の方は沢山居られるのでしょうが、主人公と同じで家にまで仕事持ち帰ってるか恋してるかで映画館行く暇ないんじゃないでしょうか、心配です。

唯一分かったような気になったのは、音楽を宇崎竜童さんが担当されてて、エンディングに流れる「裸身」で歌われる詞の意味でしょうか。簡潔明瞭にして補いなし、なるほどねそういうことかと。

日活ロマンポルノとは正反対な映画なんでしょうね多分。新しい分野を開拓したということかもしれませんが、そうなると女性専門の映画館が必要になるか野郎が近づきにくくなるかどちらかになるのでしょうか。いづれにしても阿木監督にはあと2・3本は作ってもらわないと方向性がわかりません。ただ単に原作に忠実だったのか、それとも監督の意図したとおりなのか。少なくとも歌で感じた情念みたいなものは画には強く感じられなかったというのが、私のイメージです。女性監督さんが作り出す世界はリアルの積み重ねで構築されていて、野郎のように重要な部分はファンタジーで逃げるということをされない作品が多いので、アイタタッて感じで厳しいんですが、そういう世界でハッピーエンドを紡いでくれる作品を観てみたいです。

あまり空気感についていけてない私ですが、こういう役をしれっと演じれる黒谷友香さんには侠気を感じます。体はった甲斐のある作品でしょう。役者さんとしての株は上がったと思います。

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の・ようなもの

1981年公開作品 監督・脚本森田芳光さん

私はこの時期、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」と大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」を観た余韻を強く長く引きずっていて、正直あまり映画館でこの作品を観たのかすら自信が無いくらい記憶が曖昧になってました。でも大分経って、深夜のテレビで見た時にはストーリーを憶えていたので多分観た筈です。

で、「間宮兄弟」との抱き合わせ(?)でDVDが発売されたので改めて見直すことが出来ました。落語家の世界、それも二ツ目という駆け出しもいいところの主人公の恋愛模様と落語社会で生きていく様を温かみのある視線で面白おかしくそれでいて真面目に描かれている作品です。落語家さんの真面目ってのは普通じゃないですけど。DVDでは「間宮兄弟の原点がここにある!」と謳われてますが似て有らざるような後味が私にはします。

独特な落語社会という点、しかもペーペーである事。普段絶対普通に生きてる人間には見られない世界からの切り出しですので、多少ファンタジーがかかっていてもああそうなんだと納得出来てしまう事を考えると、企画の勝利のような気がします。森田作品の特徴でしょうか。

映画は美男美女、若しくは芸達者が出る物だと思っていた私には、あまりにも普通な主人公にビックリしました。徹底したコメディーというかお笑いの作品でもないのに、この作品の主人公は美男とは遠い(しかも新人さん)というのには驚きがあります。秋吉久美子さんが出てらっしゃる分、予算との兼ね合いで相殺でバランスをとってるってことなんでしょうかねえ。という冗談が洒落にならないほど志ん魚(しんとと)役の伊藤克信さんがはまってるように思えます。なんでこんな奴がって思えてきますからね。そんなモテそうには見えない容姿と、噺家を目指す人とは思えないほどの朴訥さがファンタジーです。

お話しは、主人公が誕生日のお祝いに仲間からの資金カンパでソープへ行って、そこでエリザベス(秋吉久美子さん)と出会い何故か惹かれあう。高校に落語のコーチに行けばそこで出遭った落研の女性部員の一人と仲良くなる。プロにも素人にも好かれるという男の憧れファンタジーを実現してけつかるとんでもない奴ですが、本業の落語のほうはイマイチどうもいけませんわという状態。そういう幸と不安が交差した不安定な主人公を笑うのではなしに可笑しく落語社会の日常を通して描いていく物語です。監督はエンディングをどうまとめたのかは観る視点によって大分異なると思えるのでまあ観て下さいということで。

今見て思うことは、若いなあと。物凄く漠然とした未来が見えない不安。そういうものって歳食ってみると若い内にしかないものだと分かるんですが、そういうものがあるから可能性の挑戦が出来るんだろうなあと、具体的な不安しか出てこない今ふとそう思えます。ただ単純に芸能を愉しんでる私から見れば志ん魚がよほど化けない限り落語家として大成するとは思えない風に見え、長い目でみたら幸せに手が届くようには見えない。なのに、何故か毎日の日常が充実して生きているように見せているのは、「これでいいのだ」と監督は謳っておられるのでしょうか。

日本屈指の監督さんとはいえ、この作品はなんといってもデビュー作ですからそんな奥行きを計算して作られたのではないのでしょうが、この空気感というか間というかそういうものが観る側に下衆の勘繰りをさせるのでしょうねおそらく。

もしストーリーが、真打にまで登りつめた主人公が若かりし頃を振り返って、こういう人達に育てられて今の自分に至っているというお話しだったら、すんごく分かりやすくもっとハチャメチャなエピソードでも大丈夫になると思うんですが。そうしなかったのは「おもしろくやがてかなしきあわれかな」という美なんでしょうか。エンタテイメントでなくリアルな描写を是とするかどうかは、たとえ親が死んでも高座を勤める芸人根性を垣間見てしまっても客として純粋に芸に対して馬鹿みたいに笑えるかどうかで好きか嫌いかの分かれ道になるでしょう。ハッピイエンドが好物の私としては舞台の内側を見てしまうことによって興ざめするようなら目をつぶってしまいたい方なので、複雑な感情を抱いたエンディングの道のりでありました。

でもやっぱ好きですわこの作品。悪党の出てこない世界はやはり人情味を感じる事ができるし、みんな一所懸命だし。登場人物たちの向いてる方向性も一緒だし。

時代を感じさせるのは、バイクはノーヘル。道交法ではもうヘルメットは義務でしたがあの頃の映画は大体の作品でそれに楯突いてたなあ。あと衣装協力がVANになってて懐かしいというか憧れてたなあと思い返したりで。

それとDVD特典で監督のサインカードが封入されてた。印刷かなと思ってたらサインペンで本当に書いたカードが入っていて、作品に対する想いが感じられてなんかうれしい。夢を壊すような高度な印刷やスタッフの代書でないことを無邪気に信じたい。

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言い訳2

映画を観る人には二種類の傾向に分かれるようだ。セリフやシーンを一度見て憶えてしまう程集中力で観る人と、漠然と茫洋力で観る人。私は完全に後者にあたる。要は映画を観て愉しめればいいのだからどちらでもいいじゃないかと言う考えは正論であるが、夫婦や恋人又は友人と一緒に観に行った時、同じ画映画を観たとは思えない程感想が全く異なる事があって面食らってしまうのである。

傾向としては、集中力型はストーリー展開を重要視して、茫洋力型は空気感を大切にしていることが多い。

集中力型は無理な展開や意味不明のセリフに対して自分の理解の許容範囲を越えてしまうと詰まらないと感じてしまう様で、ファンタジーと括ってしまわれがちなお話しに対しては手厳しく、観たい映画を選びがちになる。その代わりに、自身の壷の範疇であれば描くテーマ、作者の意図までたった一回観ただけで理解してしまう鋭さがある。根をつめて観るからか余程のお気に入りでない限りそう何度も観たいとは思わないらしい。

茫洋力型は、漠然と観るので細かいとこは気にしないので多少展開が強引・疑問があってもああそういう事もあるんだと思って観るのでファンタジーだろうが心象スケッチだろうが自分がその世界にいて気持ちいいかどうかが問題であって、生理的に合わない限りは幅広く作風の異なる映画でも挑戦する事を苦にはしない。ただどうだった?と感想を聞かれても「おもしろかった」か「つまんなかった」しか言えなくて、集中力型の人からあんたは何見てたんだと突っ込まれてしまう。見直すほどに新しい発見をするので、世界観・空気感が合えば何度でも繰り返し観れてしまう。

うさぎとかめみたいな話しに思えるかもしれないが、映画の感想をこういうブログに投稿するとなると大きな違いである。でも何度も愉しめるんでDVD買っても損はしないんですよ。

なので書く事はDVDなりで何度も観た上でないと自信がないので、どうしても以前の映画になってしまう。まあ自分の感想文なのでこれでいいのだ。それに口コミの先鋒隊にはなりたくないし。

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なんだかなあ3

私は舞台挨拶付きの映画を見た事はありません。にも関わらず見た気でいるのはDVDのおかげです。

そこでの挨拶で、「口コミよろしく」とか「一人でも多くの人にこの映画の事を・・・」とかいうフレーズが気になる。ただ見の試写会ならいざ知らず、1800円きちんと払って自分が愉しもうとしてやってきている人に向かっていう言葉なんだろうかと。穿った見方をすれば今来てる客は済んだ客、目線はもう次の客にいっちゃってるような受け取り方にも取れてしまうのです。商売繁盛よりも一所懸命作り上げたものに接したお客さんの反応を気にする人であって欲しい願望なんでしょうかねえ。古い言葉かもしれませんが夢を売る商売ですから。

そりゃあ商売だし、これが評価されなければ次がやってこない厳しい世界であろうと言うことは理解できるけれど、まず見に来た人に対して作品への作り手なりの想いと言うものを語ってくれたほうが、これから観るにしても観終った後にしても気持ちがいいような気がするのです。

そりゃあ映画の中から生身の本人が出てきて直接そう言われれば説得力というか効果があるんだろうけども、DVDになれば大抵映像特典として残るものだから、そこのところは気をかけて欲しいものです。別に気の利いたコメントを期待してる訳じゃないんですから。熱を感じたいものです。

面白いコメントを言えばメディアに載って宣伝効果が上がり、ひいては役者さんのPRにもなるから、出演者の方にこういうお願いをするのは無理でしょうが、責めて監督さんは想いを伝える発言をして欲しいです。DVDでしかそういう場面に出くわさない人間がふと思ったことです。

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ママはアイドル!

ビデオ整理中にまた見入ってしまい、作業が前に進まない。でも、「ママはアイドル!」面白い。1987年の春ドラマ。

ええ年こいた3人の子持ちのおっさんの許にバリバリ現役のトップアイドルがお嫁さんとしてやってきて、結婚が近所・世間にばれたらアイドル終わりという爆弾を抱えながらも日常のさまざまなドタバタを繰り返しながら家族の絆が作られていくと言うお話し。

出会いは重要だけどちゃちゃっと簡潔に説明して、とにかく普段(?)の生活を描くことに力が入ってる。浮気疑惑だぁ子供の反発だぁ世間の目だぁと、様々な障害を一話完結で解決していくのだが、根っこの信頼感は家族全員揺るがないので安心して見ていられるホームコメディ。ただ旦那にしてみれば普通じゃありえない愛。ママにしてみたら家族が受け入れてくれるのかと言う不安。長男からしたら自分の彼女でもおかしくないママ。後妻としてしか見ない長女。能天気に受け入れる次男。それらの絡まった糸が真っ直ぐに繋がっていくところが見所でしょうか。

旦那は三田村邦彦さん・ママは中山美穂さん・長男は永瀬正敏さん・長女は後藤久美子さん・次男は大原和彦さん。密かに旦那を狙う隣の奥さんに風吹ジュンさん・マネージャーに松澤一之さん・メイクに室井滋さんなどなどこのドラマ企画の勝利だけでなく、役者力で魅せてくれてる部分も大きい。きつい役やらせたら本気で上手い後藤久美子さんとか永瀬正敏さんの微妙な「顔は笑って心で泣いて」みたいな揺れる演技とか、確かにもてそうだわ三田村さん。炊事洗濯当たり前にこなす主婦の顔とプロのアイドルとしてのかわいい顔を厭味なく演じ分けてる中山さんの存在感。あの当時って生活臭のあるアイドルなんて理解されてたっけ?まだ身近な隣のアイドルというよりも、お人形さんみたいな別世界の生き物じゃなかったけ?1980年代って。

室井滋さん以外は芸達者だとは必ずしも思わないけれど(永瀬さんは映画に行って化けた人だから)、適材適所なんでしょうねえ、20年たった今見てもつい見入ってしまうものがある。仕掛け人のTBSの八木プロデューサーも出てたしベストテンにもリンクしてたし、おちゃらけの部分も充実してて、確かに面白いわぁこのドラマ。

当時は「中山美穂」の壮大なプロモーションだと思っていた節が自分にあったらしく、知り合いのテープのダビングで済ましたようで大層画が汚い。それにもう社会人だったので毎週欠かさず見れてた訳じゃなかったからこれでまあいいやと思ってたらしい。

今リメイクしようとしても、歌はシンガー、芝居は役者、テレビはタレントと専門化が進んでアイドルという職種が殆どないから無理なんだろうなあ。こじつけで行けばモデルさんか。それより当時と違って結婚が仕事にマイナスということはないから、やはり古きよきドラマってことですかねえ

単純に年の差カップルの恋物語にしたとしたら、年の差カップルは今現実的に多くなってきている時代なのかもしれないですけど、あまりにも現実離れしたドタバタホームコメディーだから成立してると思ってるので、その部分を失ってリアルなドラマにしてしまったら、彼女役を演じる女優さんを応援してるファンの人は引いてしまうだろうなあと思います。

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意味通ぜんだか?

とある大都会のレストランでの店員さんと遠州人の会話。

「いらっしゃいませ。御一人様ですか?」{心の声・・・・・。}

「いやあ、あともうちっとしたら一人は来るだよ。」

  (いやね、後もう少ししたら一人は来るんだ。)

「テーブルとカウンターどちらになさいます?」{なんだよこいつ、どこの田舎もんだ?言葉がいまいちわからんぞ。}

「どうせまいかなあ。」

  (どうしようかなあ。)

「いや狭くはございませんのでご安心を。」{見りゃわかるだろ。}

「いやいやいや、じゃなくてえ、一人は確実でもしかしたら人んまーちっと増えるかもしんないもんでえ。」

  (いやそうじゃなくて、一人は確実なんだけど、もしかしたらもう少し増えるかもしれないから・・・。)

{増えるって言ったよな確か}「それでは、テーブルの方がよろしいですね。ご案内いたします。」{増えるっていってるよな、多分。}

「あー、そうしてくれるとうれしいやー。助かるよー。」

  (うん、そうして貰えると有り難い。助かります。)

「ご注文の方はお連れの方がお見えになられてからでよろしいでしょうか。」{うれしいってなにがだよ。それになんかタメ口っぽくて馴れ馴れしいし。}

「んー、どうしまいか。」

  (そだなあ、どうしよう。)

{終い?}「まだ閉店時間ではありませんので、ごゆっくりでも結構ですが。」{終いか?って、こんな時間に店閉めるってどんだけ田舎なんだ?こいつの住んでるとこは。}

「いんやあ、そんな長居はしんでえ、ええだけどやあ。」

  (いえいえ、そんな長くはいませんので、ご心配なく。)

{長井が死んで?}「あ、お葬式のお後ですか。でしたらお肉などは出さないよう厨房に伝えますよ。」{なんだよこいつ、人が死んだのにいいって・・・さっきから脈絡がないぞ。}

「はあ?おんしゃなにょうこいとるだ。」

  (ええ?あなた何いってるんですか?)

{御社って会社にクレームかよ。なんかまずいこといったか?俺}「・・・・・。」

勿論創作で現実にあった逸話ではない。遠州人がよそいきの言葉を使わず本気で普段の言葉を使うとこうなるであろうと言う想像のお話し。

こうなると、店の人は丁寧な言葉で接しているが、内心は見下した感じになってくる。郷に入れば郷に従え。浜松でいうと、ブラジル系の人達に対する物言いみたいなもんであろうか。明らかに日本人離れしてる容姿ならいざ知らず、見た目日本人の人が言葉が通じないというのは、違和感を感ぜずにはおれない。島国根性だと言ってしまえばそれまでの話しではあるが。

とにかく今のところ普段の生活の中で異文化を享受することには慣れていなくて、だからといって排他的になるなというのは、日本人であり続ける限り無理なお話なんだろうな多分。でも自分がなにもコミニケーションとれない環境に放り出されたら一体何日精神状態が持つのだろうか。そう考えると今いじめを受けている子供達は本当に強いなあと我が身に置き換えるとそう感じてしまう。はぶせが怖い私にはコミュニケーションは生きてく上で最重要な道具なのである。

そういう意味でコミュニケーションのための共通語というものの重要性は強く感じる。たとえお国言葉は郷土の宝であったとしても。

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