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なんか、面白い

5月の大型連休辺りから暇を見つけてはビデオの整理を始めてる。今やる必要は、テープがベータだから。古い方が壊れてしまって最後の一台になってしまったのでやばいと思ったから。

なかなか終らないのは、すぐ見入っちゃうのと、昔宮崎勤氏の部屋がメディアで報道された時知り合い皆に「お前の部屋とそっくり。」と言われたぐらい録画テープがたんとあるからである。

アニメはほとんどないのだが、なにかにはまってた訳じゃなくなんとなく録画したのがほとんどなので、自分でも見てみないとなにが入ってるのか分からない状態なので、なんか新鮮。

しかし、今思うと惜しい事をしたなと感じる事がある。CMを省いているとつまんないのだ。時代が感じられなくて面白くない。CMは面白い。「最高級ラグジュアリーカー」とか銘打っても今見ると「なんで?どこが?」って感じで可笑しいし(企業の方スイマセン)、今見ても充分イケる色あせないものもあるし。なんかはまりそうってもうはまってる。

なので、コマーシャルというカテゴリーを勝手に作って思った事を書いていこうと思っているのだが、写真とか動画とかどの程度こういう場所に載せていいんだろうかよく分からない。肖像権とか契約期限とか著作権とか色々あるんだろうなあ。まあパソコンの腕もある訳じゃないからおいおいと。

とりあえず書くのは記憶ではなくて、ゲットしたものを書いていこうと思ってます。

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*馬鹿・小馬鹿・へ馬鹿

最近の日常会話ではあまり使われなくなったような気がするこの使い分け。特に「へ馬鹿」はもうほとんど使われていない。そもそもこれが遠州弁かどうかもあやしいのではあるが。

なので記憶のイメージで書く事になるので、もし間違ってたら御免なんしょ。

「馬鹿にする」は特に説明なし。

「小馬鹿にする」は、見下すような。

「へ馬鹿にする」だと、笑いものにする。

逆で、自らの意思で道化みたいなことをして笑われる(笑わせるのではない)場合は、「お馬鹿」と言う。似た言葉の「ひょんきん」(ひょうきん)はとんでもない事をしでかしたり言ったりする場合に使うことが多いので共通語にすると(馬っ鹿じゃないの)というニュアンスに近くなる。

度を越えた馬鹿と言う表現は、「ど馬鹿」と言うが、この「ど」が度か弩(弩級)いずれが当てはまるのかは定かでない。因みに「バカ馬鹿」という表現も確かに遠州では存在する。発音は(baKA BAka)となる。

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言い訳

テレビドラマは無料視聴。ただで見せて貰っているものに対して、ああたらこうたら言うのはいかがなものかと自分でも思う。

それでも書いてる矛盾の言い訳として、「過ちをあらたむるに憚る事なかれ」。面白いものには素直に愉しまにゃ損だという開き直りと、批判めいた事は避け良いと思ったことを書いていけばいいんじゃないかという甘い考えで、なるたけ差し障りのない普通じゃない事を。

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*ちべたっ

冷たい!という意味である。態度や人間性が冷たいような時には使わない。あくまで触ったりとかの感覚的な冷たさを表現する時に使う。「つべた」・「つんめた」という言い方もある。

(つめたい)を「つべたい」・「ひゃっこい」という時もある。遠州弁の誇張表現の「ど」・「馬鹿」をつける場合、「どちべた・馬鹿ちべた」という使い方は普通しないので注意が必要である。こういう場合は、「どつべたい・馬鹿つべたい」か「馬鹿ひゃっこい」が普通である。

くれぐれも地べた(ぢべた)と聞き違わないように。

使い方は、川やプールにどぶんと入ったら自分の予想以上に冷たかったりした時に「ちべたっ!」と悲鳴を軽くした感じで言う。

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山おんな壁おんなで見たいもの

ブランドエコバッグの販売狂騒曲が巷に流れてる。売る方の側面が見えてこない。当然ではあるのかもしれない。気持ちのいい話ではないから、

そうそう、今バッグ売り場を背景にしているドラマがあったっけ。「山おんな壁おんな」。テレビドラマの即応性を活かして、売る側の視点でこの情景を描いてくれたらタイムリーだと思うんだけれど。

主人公に将来店を持つという理想があるのなら、ある種の試練というものにも堪えうることができなくちゃお話にならない。その対応を通して主人公達が販売のプロとして成長していくという、現実的に考えれば甘っちょろい話しだけど、それでもスカッとしたものを見てみたい。

現実の狂騒曲は、商品に興味がない傍観者からみれば売り手も買い手も美しくも幸福感も見えてこない。せめてドラマの中だけでも成長する人間がいたんだと思える顛末を見てみたい。

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*ずっこい

ずるいという意味の遠州弁。他には「ずっけー」・「どずるい」・「馬鹿ずるい」が良く使われる。

例文  何かの大会に出場するのでその応援にきた人と出場する人の会話

「よし、まだ時間あるみたいだで、みなの衆いかざあ。」

  (よーし、まだ時間があるみたいだから、皆いこうぜ。)

「うーどこいくよー。」

  (えー?どこに行くの?)

「どこ行くって、せっかく信州きただで蕎麦くわんでどうせるだあ。だで食いいくだあれ。」

  (どこに行くって、せっかく信州に来たんだからお蕎麦食べないとね。だから今から食べに行くんだよ。)

「どうせるだあって、ずっこいやあ。わし置いてくだか?」

  (食べないとねって、ずるいよ。私は置いてきぼりなの?)

「会場から勝手にいごいちゃかんだら?心配せんでも、おんしゃの番までにはちゃんと戻って来るでええって。」

  (会場から勝手に出ちゃまずいんでしょ?心配しなくても間に合うようにちゃんと戻ってくるから大丈夫だよ。)

「そういう問題じゃありもしんに。じゃ、わしも蕎麦食べたいだっつー話し。」

  (いや、そういう問題じゃなくて、私も食べたいんだけど。)

「そんなん知らすかやー。おんしゃと違ってわしらただの応援だもんで食いもん用意してくれてちゃいんだらあ?だもんで、外食いいくしかありもしんに。」

  (そりゃあ無理でしょ。あなたは食事用意されてても、私達応援の人には用意されてないんでしょ?だから外へ食べにいくしかないんだから。)

「ほいじゃお持ち帰りしてくりょー。終ってから食うで。」

  (それじゃあ持ち帰りにして持ってきて。終ってから食べるから。)

「なにこいとるよー。打ちたてでなきゃ旨くありもしんに。意味無いであきらめい。」

  (なに言ってるんだ。打ちたてでないと美味しくないから意味無いでしょう。あきらめなよ。)

「わし」と言っても年齢性別に関わりなく使うのでそこはお間違いなく。ただし色気づいてる年齢の衆らは恥があるらしく使うのは珍しいのが現状である。

続きを読む "*ずっこい"

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*汽車と電車

浜松旧市内限定の表現と思われるが、「汽車」と「電車」は使い分けられて表現されていた。勿論最近の若い衆らは流石にもう使わないであろうが。

浜松には鉄道が二つあって、JR(旧国鉄)と遠州鉄道の2社が路線を走らせている。それを使い分けるため、国鉄を「汽車」、遠鉄を「電車」と呼んでいた。

路線の長さから、国鉄には当然全国に繋がる入り口として果てしなさを感じるが、遠州鉄道は天竜までと先が見える長さである。鉄道ヲタクではないので、長さの表現の例えが思いつかないが、とにかく半日で行って帰ってができる距離間である。

「汽車」に乗って何処か行くと言うことは、どこか遠くへ行くということであり、「電車」に乗ってとなると、何かの用足しに行くと言うことである。そういうイメージがどことなくこびりついているので、通勤の際に「汽車」で通う人は遠距離通勤してるという錯覚に陥ってしまう。浜北・天竜は地元通勤で磐田・掛川・湖西の衆らは随分遠くから通うもんだと本気で思ってた。

「電車」で旅情にふける事はない。あくまで日常の足なのである。乗るところも降りるところも遠い他所ではない。なので、名曲「なごり雪」の列車が汽車でよかった。もし電車だったら浜松の衆らは旅情をこれっぽっちも感じなかったであろう。たかが隣の町に離れる位で大袈裟な奴だと思ったかもしんない。

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*しんだか?

「しんだか?」文字に起こすと生死を確かめてるようにみえるが、「死んだか?」と言うことではない。(しないのか・やらないのか?)と言う意味である。

「なによー、はあしんだか?」

  (なによもうしないの?)

遠州以外の公園や遊園地などで、遊び疲れてぐったりしてる子供に言ったりしたら、それを聞いた人は、なんて親なんでしょうと思われてしまうので注意が必要である。こういうよそいきの場合には「なにぃ、はあしんの?」とした方がいいのではないか。

「だか」の用途は多く、「行くだか」(行くのかい)・「やるだか」(やるのかい)・「来るだか」(来るのかい)などのように疑問符的か確認的な使い方をする。

「だか」の省略形(?)で「だ」というのがあるが、語尾(だ)が上がれば上記と同様(若干偉そうに聞こえるが)の疑問・確認的な使い方となるが、語尾(だ)が上がらず強く発音すると、「行くだ」(行くんだ)・「やるだ」(やるのだ)というように意思を強調するような使い方になる。

「なによー、はあしんだ」でいうと、語尾が上がると、(なによもうしないの?)

語尾が強調又は「しんだー」と伸ばすと(なんだあ、もうしないんだ)となる。

「だ」を省略して「か」だけだと、「行くか」(行こうか)・「やるか」(やろうか)と共通語と同じになる。「か」の変形は「け」で、「行くけ」・「やるけ」となり一般的な遠州弁として使われている。なので、「だか」の変形で「だけ」になることもある。「なによー、はあしんだけ?」と言う風になる。

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ホタルノヒカリ

なんか珍しく物欲・所有欲のない登場人物が主役のドラマです。

男子には良くある設定ですけど、女の子というのは珍しいと思うんですけど。叶うならば、こういう生き方も悪くないぞというお話しなら嬉しいんですけど。でも多分そうじゃなくて、干物女と揶揄されるくらいですから恋をきっかけにそういう生き方から脱出して普通(今時の)の生き方に変わって恋が成就するというお話しなんでしょうかねえ。大分意識的にオヤジ入ってるし。

目覚めて輝いて行くってのがテーマなんでしょうが、私には今でも充分人間らしく生きていて輝いているようにも見えなくも無いのです。東京という大都会の中でなんの誘惑にも惑わされず心穏やかになれる場所を持ち日々を過ごせるなんて贅沢な気がするんですけどねえ。むしろ周りが主人公に影響されて穏やかに生きる方法を見出してゆくってテーマもありだと思うんですが。

まあ原作があるみたいですから、逸脱することは出来ないでしょうからただ単なる戯言ですけどね。しかし心安らげる場所が庭と縁側というのは魅力的でそう思わせてしまう力を感じます。ホント住んでみたい家です。ドラマのテーマから逸脱した見方なんで最後まで見ないかも知れないんですけど、綾瀬はるかさんと藤木直人さんの掛け合いも面白いので結構愉しめそうです。

因みに第一話のシーンで好きなところは後半バーでの「私か?」とナレーションが入る部分辺りです。

*ホタルノヒカリ2

第二話にして早くも仕事を家に持ち帰るという、生活スタイルに変化が起きてしまった。自分の為に生きるより誰かの為に生きるほうが生きがいがあるのは理解してるけど、偏屈な私とすれば、以前のまま(ドラマ上ぐうたらを誇張してるのが気になるけど)でいいような気がする。

それよりも、部長が感化されて変化して人物としての視野が広がっていくというストーリー展開の方が面白いのかもしれない。藤木さんって今までの役、野郎からみても何考えてるのかわかんないくらいお人形さんキャラばかりだったけど、なんか今回初めて人間味のある喜怒哀楽を見せる役のような気がする。当たり前だけど追っかけしてる訳じゃないから出演作全て観てる訳じゃないけど、あくまでイメージとして。テレビドラマのこの年代役って、最近谷原章介さんの一人勝ちのような感じがしてたけど、このドラマが成功すれば藤木さんも並ぶのかな。

できれば干物女と揶揄されようがそのままのライフスタイルでお話しが続いていって欲しい。何度も書くけど、物欲や所有欲などの文化的欲望というものに捉われない幸せというものがあってもええじゃないか。漫画の「とりぱん」程のスローライフとまではいかずとも、ハードな仕事とスローな生活とを毎日きちんと切り替えて両立させて生きるという生活スタイルが否定されなくてもいいような気がする。

原作を読んでないし、今のところ読みたいとも思わないので原作での主人公がどう流れていくのかは知らないけれど、テレビドラマにおいては、干物女からの脱出が俗世の生き方に戻るという流れだけは厭だなやはり。

*ホタルノヒカリ3

いやあ笑えるわ。

綾瀬さんにコメディエンヌの素養があるなんて知らなかった。なんかシリアスばっかだったから。コメディなお芝居では、上野樹里ちゃんとか柴咲コウさんは攻撃的な感じがあるけど、綾瀬さんからは受動的なイメージを受ける。そういう意味では部長(藤木さん)や山田姉さん(板谷さん)の存在が物凄く効いてるような気がして、単純にコメディとして愉しんだ方が面白いのかもしれないと思えてきた。間とかテンポ感がよく、ボケ具合がちょっとわざとらしいけどコメディに対する天然のセンスがあるんじゃないのかとさえ思えてしまう。勿論あくまでちゃんとお芝居された上なんでしょうけど、そういう風に騙されていてもなんか厭じゃない。

親爺臭い独り言や安来節など少しやりすぎのように思えるところもあるけど、綾瀬さんにしても藤木さんにしても今まで見たことのない新しい面が確かに見えていて、しかも相性がいいのか真面目な部分と笑える部分の切り替わりもスムーズで無理が無い。

個人的には、干物女と揶揄される生活ペースを肯定したいので、自分を隠したり取り繕ったりしないで、こういう自分でもいいと言ってくれる人を探してくれた方が私的には好きなストーリー展開ではあるけども、それはそれ、これはこれで分けて見れば結構愉しめるような気がする。

ただ気になるところは、内面(うちづら)と外面(そとづら)の使い分けが回を重ねるごとに崩れていってしまって、シャキっとした社会人と安穏な私人の境界線が曖昧になりすぎてるような気がする。仕事もきちんとこなすから許せるキャラクターだからそういう部分をはしょらずに見せて欲しいものです。

でもとにかくこの勢いでドラマが展開していくのは楽しみですわ。

けど健康のためやりすぎには注意しましょう。

そうそう忘れてた。部長の甚平もなんかいいんですよね。職場ではびしっと背広姿でクールなだけに、家で落ち着くって感じが良く出ててそのメリハリが。マンション住まいじゃ合わないですもんね甚平は。あの家には人を和ませるなにかがあるんでしょうかねえ。この空気感はドラマが進んでも変わらないで欲しいです。

*ホタルノヒカリ5

4は欠番にしました。テレビと言う無料視聴の作品に対して不平不満を書くことはしないと自分のルールとして決めてるので。まあ希望と批判は紙一重なんで私の勝手な判断なんですけどね。

そういう言い逃れを駆使して言うと、4に関しては、「アホ」じゃ困るんです。家でまったりすることによって精神の安定を維持する。そして恒に新たな気持ちで仕事に臨んでいたライフスタイル。それを壊してまで好きな人のために仕事を家に持ち帰ってた癖に、デートに遅れる理由がアレじゃあもう「アホ」としか言いようがありません。デートしなれてないから場所に迷うとか、も少し説得力のある遅延の理由をつけて欲しかったです。そうでないと人格を疑われても仕方が無いような気がするんですが。あれでは仕事も出来ると言う設定までにも説得力が欠けてしまうんじゃないでしょうか。蛇足の追い討ちで差し入れのビール、片手でひょいひょい持ってたけどあんな軽い訳ないですよね。ウキウキ気分を表現するためにリアル感を犠牲にするのはいかがなものかと。綾瀬さんの一所懸命が感じられるだけに大にも小にもバランスが気になるところです。

なので4は?ひたすら????だったので欠番にしました。(って書いてるじゃん)

で、5なんですが、部長とホタルの不可思議な関係を愉しむ事にしました。もうホタルの生き様をとやかく見るのは止めました。「こいつ、なかったことにしようとしてるな。」という部長の心の中でのぼやきには笑えました。「早く着替えろ!行くぞ。」というセリフにはダメ押しで笑えました。藤木さんは聞き役がうまい人というイメージがあっただけに、ホタルの独白を親身に受けてるのかと思っていての「早く云々」ですからねえ。見事に裏かかれました。

綾瀬さんはセカチューや白夜行での山田さんとのコンビが印象に強いんですが、山田さんも攻撃的というよりも受動的なイメージがする役者さんなので、同じタイプの藤木さんとの相性がいいのかもしれないですね。しかも部長と言う上からホタルを見るという受身一辺倒では済まないポジションを維持しなければならない訳ですから、部長と同居人という公私のバランス感覚の切り替えが問われる筈です。いまのところホタルと違ってそこいら辺は破綻して無いところが、この作品を面白いと感じるところでしょうか。

それにしてもこの二人ってどういう関係なんでしょうかねえ。少なくとも両者とも異性を意識してないことは分かるんですけど、隠し事を持たないというのは人として相性がいいんですかねえ。どこで見たのか覚えがないんですが、この二人が結ばれるってのもありじゃないかって書いてあるのを見ました。まあたしかにアリだなあとは思いますが、最終回どこに着地するんでしょうこの二人。

でも、部長って優しい穏やかな人なんですねえ、風呂場に閉じ込められて置き去りにされても諦めて帰ってくるのをひたすら待つなんて。私だったら風呂場の窓から出るか引き戸強引にはずして(怒り狂ってたら叩き割って)出ますけどね。そういう点は野郎視点じゃないので共感しにくいですけど。原作知らないんですが、脚本の方も女性の方みたいだし、女性から見たある種の幻想の具現化されたのが部長というキャラクターなんでしょうか。ついていけない部分は若干感じます。

*ホタルノヒカリ6

面白いですねえホタルと部長の愛すべきキャラクターが相変わらずで。それと心の内をナレーションで表現するというのもはまってますし。6話で面白かったのは、デート後の手嶋さんからのメールをホタルが自分で見れなくて部長に代読して貰おうとケータイを放るシーン辺りでしょうか。この二人の関係性はホント見ていて笑えますしなんか落ち着いて見れるんですよね。

でも、ホタルが「アホ」じゃなくて見てる私が「アホ」なんでしょうか。部長が不覚にも酔って無意識に帰るとすれば自分の家でしょう普通。ホタルの家である理由がよく分からないんです。だから隠れるのはホタルの方なんじゃないのかと。それと、本気の恋の始まりは、相手に嫌われたくないから、相手に合わせよう好かれようとするから、場数を踏んでいようがいまいが十人十色で過去の経験は関係ないような気がするので、デートが不器用になる理由が別に干物女で恋愛さぼったつけだという事には、これほど直接的に繋がらないような気がしてしまう私は、やはり世間とずれてる「アホ」なんでしょうか。部長だってホタルや二ツ木さんには本心を言えるのに奥さんには言えてないし。

綾瀬さんが今まで演じてこられたキャラクターは、よく言えば一途な、悪く言えばマイペース。なんか裏表がなく、誰に対してもどんな場所にでも自分がぶれない。だからどんな境遇でも出来事に対しても変わらない芯の強いキャラクターを多く演じてこられた印象が強いです。それだけにウチと外の二面性を厭味なく使い分けれるかが重要になると思えるホタルというキャラクターは初めての挑戦に近いんでしょうか。綾瀬さんの作品全部見てるわけじゃないのでなんともいえないんですけど。なのだろうけど、なんか回を重ねるうちに二面性のメリハリが失われていってるような気がするんですけど。それとも見てる側が見慣れてしまって気づかなくなってきているのか。藤木さんの部長が家と職場とできっちりメリハリついてるのでそこんとこが何故か気になっちゃうんですよねえ。批判してるように聞こえたとしたら違うんですごめんなさい、期待してるんです。

くどいようですが、私は原作を知らないので、ドラマの始まりと回を重ねた今とでいうとどちらが原作に近いキャラクターなのかというのは気にはならないんですが、コメディエンヌの方向性を意識しすぎてホタルのキャラクター設定にぶれ若しくは変更があるように感じてしまうんです。プロの方達が作られているのですから全て計算された上のことでしょうから最終回に向けてのすべてが伏線なんでしょうけれども。それにしても恋をしただけでコロッとこうも生き様・思考回路が変わるなんて凄いお話しです。さてさて終わりをどう締めるのか見ものです。

なのでもう黙って見る事にします。これ以上自分の「アホ」を暴露するのもアレなんで。勿論最後まで見ますよこのドラマ面白いから。

*ホタルノヒカリ7・8

最終回まで黙って見てるつもりでしたがやっぱし面白いんでああたらこうたら感想残すことにしました。そういう優柔不断なとこが雨宮と同じ人種だと暴露してるようなもんですが。

7夜

部長に何か言われた時のホタルの「ハッ」っていう返事が小気味良くて好きです。「馬鹿にしてんのか」と普通感じるんですが何故かおちゃらけにならないのが不思議です。でも大分言葉で色々二人の人間性を確認するかのように話してましたねえ。後半に向けての中締めって感じでしょうか。私としては「なにもいうな分かってるから」っていうパターンの方が好きなんですけどね。あえて口に出さずとも。

はっきりと確認を口頭で示すってことは、今後大きく場面展開していくのか、判りずらい部分を単に整理しただけなのか、とにかく8に続くってことでしょうか。

8夜

結局自分を変えられず、ありのままの自分を好きになって欲しいですか。矛盾の塊で人間らしいといえば言えなくもないけど。やはりなんか方向転換したような感じがしないでもないです。蓼食う虫も好き好きで、好きな相手の全てを知りたいという欲望は誰にでもあるものでしょうが、見せ時というのがあるでしょう普通は。そういう意味では恋をおろそかにしてたつけが今まわって来たってことでしょうか。そう勘繰るとよーでけた展開ですよねえホントに。でも電話で告白した時はセーフなのに予想外の遭遇にはアウトというのは判りづらい話しです。部長と親しげな事に対しての反発というのであれば理解できるんですが。

いずれにせよ、次回の予告編での手嶋の態度を見る限り、理由がどうあれ口も利かないというああいう態度をとった後に関係が修復した事は私は一度もなかったので、もし戻るとしたらこれでどうやって戻れるのか見てみたいものです。できればうそ臭くなく。まあ部長との暮らしがだらだらと続くってのもアリですからそれでもいいにはいいんですけどね。

*ホタルノヒカリ9

「世の中には二種類の人間がいる」ってそのフレーズ私の記憶が確かなら映画「スウィングガールズ」であったよなあ。厳密には「世の中には二種類の人間に分けられる」だけど。

まあそんなヲタ話しは置いといて、手嶋とヨリが戻りましたねえ。周りの応援と言うか手助けで。無事ハッピーエンドで良かった良かった・・・て訳でもなさそうですねえ。部長って奥さんの時もそうだけど失って終って初めて分かるの繰り返しみたいじゃないですか。ホタルが人生生きてく上での「アホ?」かと思ってたんですけどもしかしてぶちょおの方が「アホ?」

これで映画ネタの引用がらみで、「卒業」みたく略奪愛で決着をみるってことになったら、「プロポーズ大作戦」でやられた分のお返しってことになる訳でそれはそれで予想外の展開だけど変に納得できるなあ。勿論冗談です。

でも急に区画整理の立ち退きで家が無くなるってのは強引過ぎるお話しです。実際そうして家を立ち退いた経験者から言わしてもらえばの話しですけど。まあファンタジーというよりファジーなドラマなんでこんな事に目くじら立ててたらキリがないんですけど、この愛すべき家があるからこそのホームドラマなのにそれをとっぱらってしまうのは正に帰る家を無くす寂しさを強く感じます。ひと夏の忘れられない想い出としてで、永久に続くハッピーエンドにならないのは残念です。ぜひ逆転劇を期待するものです。

あそうそう納得のいくヨリの戻り方を見てみたいって7・8の時に書きましたけど、和解までの道筋の理屈は分かるけど、職場の同僚というより親友じゃなきゃできない後押しのような気がしました。いくさ場である職場における人間関係じゃない。そういう意味じゃ現実的じゃないなと。まあこれもファジードラマとしてみれば許容範囲に入れたほうがよさそうですけど。

これであと2夜どうなるのかと思ってたらこれって全10話なんですねえ。しかも当日バレーボールとかで放送時間の変更アリで。録画セットに気をつけないと、失敗したら後悔しそう。

*ホタルノヒカリ10

役者さん「綾瀬はるか」の本領が発揮された夜でしたね。手嶋と別れてからの夜の会社でぶちょおに感情を発露するシーンはまさしくといった感じでした。孤独を感じたときに誰かに助けを求める表現の綾瀬さんは上手いと思います。決してリアルっぽいさりげなさは無いけれど、それでいて抑えが効いていて暴発の一歩手前みたいで、引き込まれます。でも、違うシーンで「雲好」とか「洟空想」とか言うのはちょっとやりすぎだと思います。

エンディングは他人の恋を一所懸命応援したぶちょおへのご褒美と考えればあれですけど、野郎目線からいけば自身は恋愛に対して何もアクションしてないのにと、「棚から牡丹餅」みたいに思えて羨ましいぞこの野郎と思わずにはおれません。絶対世の中こんなご褒美が天から降ってくるなんてことはありえませんから。

最近のテレビドラマの傾向からして、15分拡大ということは、合格OKという評価ですよね確か。悪役または敵の出ない夢みたいな非現実のドラマでしかも壮大・意外・緻密な展開でもないストーリーの作品で、私みたいな人間でもぶつくさいいながらも結局最後まで愉しんで見れたのは役者力によるものだと想います。干物女と格好良くいってますけど一歩間違えればぐうたら駄目女なんですから、根っこが可愛い綾瀬さんだから許せるんでしょう。それにやはり藤木さんとの掛け合いがなんといっても愉しかったことが最大の魅力でした。

武田真治さんの役は、部署の中枢・場の盛り上げ役・同僚への親友代わりの行動などなど、なんでも屋さんみたいで色んなことを背負わせすぎのような気がしました。まあ山田姉さんにも同じ事が言えなくもないけれど、嫁に行く前からみんなのお母さんって感じでこれってご本人幸せと感じられてるんでしょうかねえ。お二人とも上手い役者さんだからこそ無理に見えずにこなせたんでしょうけど・・・。

綾瀬さんはシリアスな部分は最終夜に見せてくれたけれども、コメディエンヌとしての才も魅せてもらったし、藤木さんの色男だけじゃなくいい大人も演じられる幅があるのを知ったし、なにより干物族が世に出たことが「面白いドラマ」と感じた理由でしょうか。また綾瀬・藤木コンビのドラマ見てみたい気がします。

書き忘れもろもろ

ぶちょおが風邪をこじらせて寝込んだ時、ホタルがベッドの中にもぐりこもうとしてきた事に気づいた時の藤木さんの表情が印象的でした。病人のリアクションじゃないだろうとツッコミいれつつも、もう若造ではなく大人の表情に感じられて(部長職が板についてんだからもっと早くに気づけよというボケはあるけど)、この人は長く役者さんとしてやっていけるんだろうなあと感じました。色んな個性的な役に挑戦されて幅を広げられるよりも、このまま悪役商会じゃないや善人商会のままで三浦友和さんみたいな役者さんになるのがいいんじゃないかなあと。あくまで個人的な意見ですけど。(決してホレゆけ!スタアの藤木さんを否定してる訳ではありません。)

人付き合いが面倒で一番神経を使うからこそ、そこからエスケープしたくて近所付き合いも恋も干物化すると思うんですけど、ホタルはぶちょおの命(頼み)とはいえさほど苦も無く町内会の防犯パトロール出てたのは、もしかして「プチ引きこもり」と「干物」は違うんだと言ってるんでしょうか。具体的に他にもどう違うのかもう少し色々と提示して欲しかったです。

いずれにせよ、奇想天外なありえない架空の絵空事ならいざ知らず、自分も含めて現実に干物族が増えている以上、うそ臭いファジーな展開ではなく思わず「アイタタ」と思わせるほどの現実感(リアル感)で物語が語られてくれた方が、より私の好物でした。この作品の綾瀬さんのホタルってそういう意味では悲劇が重なっても悲壮感を感じないキャラクターとして成立しているし、藤木さんのぶちょおも「お前なぁ」と」いいつつも温かい目で見守る優しさが見えていたので、大丈夫だと思ったんですが。

お二人の純粋なファンではないので結構感じたままに書きなぐった部分もあり、藤木さんと綾瀬さんを真摯に応援される方にしてみれば不快に感じられる部分もあったかもしれませんが、それでも広い心で当ブログにお越し戴き感謝申し上げます。

特に同性という馴れ馴れしさもあって藤木さんに対しては「アンタなんかには言われたくない」みたいなことも書いたかもしれませんが、(いつも男の役者さんのことを書くとそういうリアクションがあるので)なんの影響力もない私ごときの書き込みに目くじらたてないでいてくださる藤木さんのファンの方は他と違うなあと実感する次第です。

*ホタルノヒカリの家・2007/09/14

ドラマ「ホタルノヒカリ」に出てきた家がお気に入りです。なんでだろうと番組何回か見直してみました。あくまで個人の理由のメモみたいなものなので賛同を求める訳でも訴えかける訳でもありませんのであしからず。

*廊下

玄関入ってすぐ折れる廊下。廊下はやはり角を曲がるもの。廊下と壁はセットで存在して欲しい。通路としてだけでなく部屋を分ける用途がある。玄関抜ければ一面大広間で生活空間全てが見通せるつくりではなく、部屋ごとに暮らす人間によって空間の趣がことなる家が好き。ドアや障子や襖で隔てるだけなんて好きくありません。

*お勝手場

トタン屋根が魅力です。夏はくそ暑いんですが、雨の打ち付ける音、風の叩きつける音を実感できる雨の日がいとをかし。詩人でもないのに情緒豊かな気分にさせてくれる雨の日にぼーっとしてみたい。ただしホントうるさいくらい音がしますから台風なんか来たらたまったもんじゃありませんけど。それに陽は通しませんから実際は塩ビ?のトタンででないとドラマほど明るくはならないですよね。ブリキのトタンでなく塩ビ?だと錆びなくていいんですけど音が柔らかくなって情緒半減ですから。まあ好みはありますけど。

*食事用のテーブルが置いてあるスペース

ガラスはめ込みの屋根で陽をこれでもかという位浴びるスペース。居間より一段下がった感じの床と木のテーブル。大人数で住むと言うより2・3人で丁度という空間。家族団らんでというよりも、ぶちょおの黙々と食うというのがはまる大人の食卓って感じでそれとなくお気に入り。

*洗面所

風呂場のシーンが無かったのでどんなお風呂なのかは想像するしかないですが、洗面所の全体漆喰みたいなねずみ色した壁は実体験はないんですが、いいですねなんか。昔よく見たタイルというのも最近は見なくなってなんか懐かしいし。

*その他

やっぱ畳ですよね。寝っ転がるなら畳ですよ。ホタルが独りで住んでた時畳の部屋の方を選んでますが私でもそうします。

蚊に食われない設定は流石ドラマですが、蚊取り線香のぶたさんがアイテムとしていて欲しかったし(あったけど気づかなかっただけかもしれない)、もっと欲言えば蚊帳が出てきて欲しかった。

全体的に豪華な家じゃないのがいいですよねえ。柱にしたってゴージャスには見えませんから庶民のレベルの洒落た家って感じで。

テレビドラマ観て住んでみたいなんて思った事は滅多にないので、そういう意味ではぶちょおがホタルの後押しで立ち退きで家潰すなんて言った時は「うそだろう?」と思いましたし、ホタルが再び戻ってきたくなる気持ちにも共感できたし、第三の主役はこの家だと考えています。なんでもそうですけど古いものは手入れが大変なので愛情がなければ維持できませんけど、映画やドラマなら映像としてずっと残るから楽して愉しめるので有り難いことです。

猫は人に懐くのではなく、家に懐くものだと昔聞いたことがあります。多分ホタルは猫系の人なんでしょうね。もしこの家がなくなってしまっていたら、ぶちょおとの関係がエンディングのようになっていたのかは非常に疑問です。

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なんだかなあ2

今朝のニュースで、有名ブランドのエコバッグの販売狂想劇が流れていた。販売数限定で並んだ人の多くが買えず店側の対応者とひと悶着あったというお話し。東京での発売の前に欧州や台湾でも狂想劇は起こっていたらしい。

買えない客の物言い、「買えるようにしてもらいたいんですけど・・。」・「ここまで来たのに・・・。」・お店の対応者に向かって「おたく何も努力してないでしょ。バッグ増やすとかしてよ上と掛け合って・・・。」・「私達努力してきてるのよ都合つけて・・・。」

なんと言う傲慢なんだろうという第一印象。努力してるって昨日今日並んだだけの話じゃないか。そういうものが持てるようひとかどの人間として日々努力してるのかこいつらは?

店側も一見さんお断りみたいにすればいいのにと思う。趣旨を考えれば、単純に商売というよりブランドイメージの向上が目的のように感じるだけに、世界各地で起きていた騒動で予見できたような気がしないでもない。

お互いがお互いを傷つけ合ってるようで誰も幸せに見えてこない。まあ買えた人は変に自慢できるだろうけど。

第二印象として、我が身に置き換えて考えてみる。バッグに興味はないがこれがもし完全限定版のDVDだったらと。そりゃあ手に入れれるものなら手に入れたいわな確かに。でも、買えないからと言って店の対応者に尋ねるならともかく、文句言うってのは恥ずかしいというか倫理の美徳からいって美しくない。ごねてなんとか手に入れたとしても、そうまでして手に入れてはたして心の底から嬉しいと思えるのだろうか。買う方も売る方も素直にありがとうと言える買い物がしたい。

店側になって考えてみれば、こんなときだけ来るじゃないって素直に思える。どう考えてもこの現象はバーゲンセールにしか見えない。ブランドイメージを守るんだったらこれはマイナスイメージになるのではないのか。やはり一見さんお断りにするか、完全オーダー制にするかしたほうがいいような気がする。

でもヨーロッパとの違いを台湾と日本での映像を見せ付けられて大きく感じた。物欲・所有欲は文化の違いだと。集団の暴走ほど手に負えないものは無い。アジア系にはそれが強いような気がする。

第三印象として、これがトイレットペーパーや食料品ならともかく、これが手に入らなければ生活が成り立たない訳じゃない。いわば趣味の世界の嗜好品にこれだけ他人を傷つけてまで感情的な言動・行動を取るって事は本当に日本は安穏な国だと思う。

限定にする理由ってなんだろう。最近やけにその冠付きの商品が多いと感じる。売れそうもないから最低限の数量を作るという消極的理由、原材料の確保や作り手の作業時間などの物理的都合上とかだったら分からないでもない。でも実際はなんか違うような気がする。なんとなく得体の知れない時代の流行に流されていないだろうか。

武士は食わねど高楊枝。やせ我慢の美徳はどこへやら。他人を貶めてまで物欲や所有欲を満足させるのは今の世の中当然な事だということか。お客さま第一主義によって売り手が奉仕者に徹してしまって、それにつけあがって我が身を振り返らず感情のままに売り手を見下す文化は本当に正しいのだろうか。売り手と買い手が対等である事の方が自然な感じがするのだが。

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*どんばえー

「どんばえー」、どん早えー、物凄く早いという意味である。

例文

「なによーはあ帰ってきただか?えらくどんばえーじゃんか。」

  (どうしたのもう帰ってきたの?物凄く早いじゃない。)

「どんばえーらぁ?TV観たいもんあったもんで、ちゃっと帰ってきただよ。」

  (早いでしょ?観たいTVあったから速攻で帰ってきたんだ。)

「そりゃええけんど、あんた、たのんどったもんはちゃんと買ってきてくれただ?」

  (それはいいけど、ところで頼んでた物はちゃんと買ってきてくれただろうね。)

「おー、忘れちまってえ。そーいやそうだ忘れかあってた。」

  (OH、忘れた。そういえばそうだった。完璧に忘れてた。)

「おーぃ馬鹿っ面!なにやってるよーもー。ちゃっと行って買ってきてやー。」

  (ちょっとお、何やってるのよもう。すぐ行って買ってきて頂戴。)

「かんべんしてやー。TV始まっちゃうにー。」

  (勘弁してくれ、TVが始まっちゃうから。)

「そんなの知らんよー。きんのううんっつったじゃんか。」

  (そんなの知らないね。昨日わかったって言ったじゃない。)

「明日じゃかんだか?」

  (明日じゃ駄目?)

「いいわけないらぁ。ほれ、ぶつくさこいとらんでちゃっと行くだよ。」

  (駄目に決まってるでしょ。ごちゃごちゃ言ってないですぐ行きなさい。)

「しょんねえなぁ、じゃ行ってくるでえ、録画しといてよ。たのむにぃ。」

  (しょうがないなあ、それじゃ行ってくるから録画しといてね、お願いだから。)

「ちゃっととんできゃ間に合うらー録画しんでも。」

  (急いでいけば間に合うよ、録画しなくても。多分。)

「間に合わすけー。たのむで34チャン録画しといて。」

  (間に合わないって。頼むから34チャンネル録画しといて。)

「はいね、わかったで行ってきな。」

  (はいはい分かったから行ってきて。)

慌てるとろくな事がない、好事魔多しというお話し。決して鬼嫁と亭主の会話ではない。よくある普通の家族の会話である。

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バカヤロー! 私、怒ってます

1988年制作 監督は共作?オムニバスなので渡辺えり子さん・中島哲也さん・原隆仁さん・堤幸彦さんの方々がそれぞれ担当されてます。 脚本・制作総指揮は森田芳光さん

役者さんはがんこ出てます。

「バカヤロー」作品はこの後シリーズになって私の記憶では4まであったと思います。違ってたらごめんなんしょ。

「バカヤロー」の上をいくとしたら、「じゃあお前やってみろ」

と言う冗談はさておき、監督さんの名前を今見ると錚錚たる顔ぶれです。「それを言っちゃあお終いよ」を言っちゃう映画です。水○黄○の印籠みたいなもんで出しどころに至るまでの不快ゲージが溜まっていく様を描いていく映画です。

見る側がスカッと爽快になるようにと作られた作品ですので、あまりに儀式的だと○戸○門になっちゃうし、かといって誇張したら現実離れして共感できないし。さじ加減が見所の作品だと思います。

第一話 「食べてどこがいけないの?」 渡辺えり子監督

相良晴子さんと伊原剛士さん演ずる若い二人の出会いからその後までを描いたお話しです。益岡徹さん・石橋蓮司さん・森下愛子さん・もたいまさこさんが出演されてます。内藤やす子さんも特別出演で登場されてますがストーリーとは違うところで効いてます。まあ貧乏暇なしとそれなりに上の生活をしている二人のギャップにバカヤローなんですが、エンディングは幼稚な私としては好物です。

第二話 「遠くでフラれるなんて」 中島哲也監督

小坂一也さん演じる父の夢の犠牲になって人生を謳歌できない安田成美さん演じる主人公の恋の物語です。誰に向かってバカヤローはいいとこまんじゅうということで。冒頭のシーンが印象的です。画としては、映画館でもし前列に近いところに座って観たらクラクラしそうで(?)ですが、セリフのキャッチボールが心地よいです。

第三話 「運転する身になれ!」 原隆仁監督

大地康雄さん演じるタクシーの運転手が様々なお客と接していく内に不快ゲージが満タンになっていき最後にドカンというお話しです。お客として、イッセー尾形さん・布施博さん・成田三樹夫さん・斉藤慶子さん、お客と呼んでいいのか判りませんが阿藤海さんが出演されてます。普段怒りそうもない人が爆発するのと、いかにも怒りそうな人が爆発するのとでは、どっちが威力があるのかということでは、やはり怒りそうな人の爆発力が大きく感じました。それに怒るぞ怒るぞと今か今かとその瞬間を待ち望む感覚もあって、ドカンの瞬間は「ほら出た!」的なある種の爽快感を味わえました。大地さんで決まりでしょう。イッセーさんと成田さんは有無を言わさぬリアリティの存在感が凄いです。でも溜まり溜まっての爆発だからバカヤローされた瞬間にたまたま当たってしまった○○さんは倍倍返しされてご愁傷様だと思います。

第四話 「英語が何だ!」 堤幸彦監督

小林薫さん演じる海外勤務を命ぜられた社員が必死に英語を覚えようとして家族をも巻き込んで右往左往するお話しです。上司役に小林稔侍さん、奥さん役に室井滋さん。キャラクター設定が絶妙です。堤作品好きの私としてはこのテイストは大好物です。特に小林稔侍さんはどのシーンも好きなんですが冒頭辺りの英語での会話シーンとエンディングのハラホレヒレハレみたいな崩れ落ち方はたまりません。裏がない見たまんまのキャラクターはその行動に深読みや心理の揺れを読む必要がなくて楽に見れて余裕があるから色んな小ネタが見えてくるんですよね。

とまあ偉そうに書いてますが実は、作品に関しても監督(森田さん)に対しても、当時はこの作品にはウケ狙いのイメージが私には何故かあったのと、当たる映画に用は無いと粋がってたせいで映画館には行かなかったです。ちなみに1988年は邦画では、「敦煌」・「優駿」が当たってました。が当然観に行きませんでした。その年に観たもので記憶に残っているのは、怪盗ルビイ・上海バンスキング、自己矛盾してますが、「バカヤロー」より興行成績が高かったとなりのトトロ・帝都物語・マルサの女2は観に行きました。うれしはずかし物語は大分後にレンタルビデオで借りて観ました。他にも「逆襲のシャァ」・「釣りバカ日誌」などがあった年だそうです。

そんでも歳食って、当てる映画の必要性と、上質のエンタテイメントの重要性とレンタルと深夜のテレビで見た印象を考えると、詰まんない意地張ってたもんだと思います。見い行きゃよかった。でも、昔の作品を探し出さないといけないなんて、それほど新作に魅力がないんですかねえ。それとも自分の感性が固まっちゃたのか。

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*がとうでえ

意味は、ものすごいと言う事らしい。

「そりゃがとうでえ。」(それは凄い。)

雄踏近辺の衆らの言葉で、私の集落では使わない言葉なので、よく意味や使い回しが分からない。焼津の方が漁師言葉は独特で荒いと言われていたが、遠州にも、福田・舞阪・新居辺りが港を持つ町として存在し、確かに同じ遠州人でも荒いと感じる時がある。船の上というある意味海での闘いの中での仕事上大きな声で端的に会話をする必要があるので荒っぽさというのは理解はできるのだが、陸にあがったら、ちいとは気い利かしてくれてもいいと思わんでもない。高校生だった頃祭りを観に行ったが昼間っから路上で酒くさく目が据わってる連中がたむろしている光景にびびった記憶がある。凧で自分もおんなじことやってるにも関わらずほんとびびった。

舞阪を舞台にした映画としては、2003年「夢、追いかけて Touch a Dream  浜名湖発?学び座」という作品があるが、印象としては、言葉があんな優しくない。DVDにはなっていないようなので観る機会はないかもしれないが、三浦友和さん・勝地涼さん・田中好子さん・船越英一郎さんがいいお芝居してるのと、地元の友達役の衆らがいい味だしてるので一見の価値はあると思うが、舞阪の衆の言葉にしてはがんこよそいきだと思う。

悪く書いてるつもりは全然なくて、普通に優しそうな顔してても言葉がきついというのがなんかギャップがあって、うちらの集落の衆とは違ってて、これはこれで面白いのです。

話しを元に戻すが、「がとうでえ」の「がとう」のお話し。

こういう使い方を普段聞いてたりするので

「ガトーショコラ」

と聞くと「がとうなショコラ」(すんごいショコラ)と遠州人は思ってしまう。ことがある。

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