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*けったー・どってー

自転車の呼び名である。他には、「ちゃり」・「ちゃんりー」などがある。

勿論若者言葉なので、じじばばはあまり使わず、普通に「じてんしゃ」という。

愛知・岐阜あたりでは、「けった」・「けったマシーン」と呼ぶそうだが、遠州弁は語尾が流れたほうが快感なので、「けったー」と伸ばす。「どってー」は、速く走ろうなんて気持ちがさらさら無く、「どたんこどたんこ」又は「どたどた」と、けだるそうにペダルを漕いでる様子から、ちんたらふらふら自転車に乗る奴が使うことが多い。「けったー」は大概どこの集落でも通じるが、「どってー」は一部の集落でしか使われておらず、遠州人同士でも通じない場合がある。「ちゃり」は多分東から流れてきた言葉だと思う。なんかちょっと都会的な感じがするのは気のせいか?

「どってー」のいわれは諸説あろうがうちの集落では、ちゃりんこ→どてりんこ→どってーと変化した。ちゃりんこ→ちゃりという別れ方も存在した。「どってー」はヤンキーっぽい連中ががに股大また開きでちんたらペダル漕いでふらふらしながら走る連中が主にそう呼んでいた。

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*けっからかす

「けっからかす」(蹴っ飛ばす)・「けっからかしゃあ」(蹴れば)

効能としてはただ「蹴る」というよりも「勢いよく」というニュアンスが加味されるところにある。

例文 バイクのエンジンが掛からないでキックしまくってる人とそこを通り掛かった知り合いとの会話。二人とも整備は素人。押し掛けは嫌い。セル無しのバイク。

「どうしたでぇ。」

  (どうした?)

「いやの、さっきからキックしとるだけど全然エンジン掛からんだよ。」

  (いやあ、さっきからキックしてるんだけど全然エンジンが掛からないんだ。)

「そんなもんけっからかしゃあ掛かるらぁ。かしょお。」

  (そんなもの蹴っ飛ばせば掛かるんじゃないの?代わりにやろうか。)

「やっ、馬鹿野郎蹴ったらぶっころすぞ。けっからかしゃあ直るっていつん時代だぁ。」

  (おい、バカたれ蹴ったら怒るぞ!蹴れば直るなんていつの時代だよ。)

「そんななあ、けっからかいたぐらいで壊れるくらいやごいならこけた時どうせるだぁ。」

  (そんなねえ、蹴ったくらいで壊れるようなボロいなら転んだら大変じゃないか。)

「そういう問題じゃありもしんに。永く乗るだで大事にせるの。」

  (そういう問題じゃないの、永く乗りたいから大事にしたいの。)

「バッテリー死んじゃいん?」

  (バッテリーが駄目なんじゃないの?)

「死んでたってキックなら直だもん、関係ない。」

  (キックなら直接プラグに電気がいくから、バッテリーは関係ない。)

「ヒューズとんでやせん?」

  (ヒューズとんでない?)

「ウィンカーつくもん。」

  (ウィンカーは点くよ。)

「じゃやっぱ必死こいてキックせるだの。ま、がんばいない。」

  (それじゃあ頑張ってキック始動するしかないね。それじゃ頑張ってね。)

オートバイのことを「ポンポン」と呼ぶ世代はもう殆どいない。私の周辺では、大・中型バイクは単車、50ccのスクーターは原チャリ、50cc~90ccのバイクは原付、最近出始めた大型スクーターはまだ名が無くおっきいスクーターと呼ばれている。若かりし頃の時代はカワサキに乗る事は変人扱いされて、「カワサキは部品注文しても1ヶ月は平気でかかる。」というデマすら流れていて、ホンダ・ヤマハ・スズキのいずれかを選択しないと非市民扱いされた。当時、ヤマハは古くなると雨に弱く(電気系)スズキは当たり外れがあるのとすぐ錆びるとかの理由で優等生なホンダに乗る奴が多かったが、私は偏屈だった(今も)ので、雨の日にキックすると暴発して皆の注目を浴びたヤマハか、新車なのにセルオンリー車のエンジンが掛かりにくくて修理に出したらセルの部品が焼けていたとか錆び取り剤がしょっちゅう目に入って維持が大変なスズキばかりで、ホンダには一度も乗っていない。昔の話なので今はそう言うことはないのでお間違いなく。

使い方は

「今日なんで来たの?」「単車で来た。」

「荷物は?」「大丈夫、原チャリに篭ついてるで。」

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*みば

例文 普段散らかしっぱなしの奴と、そんな奴が珍しく部屋を片付けているのを見て驚いてる奴との会話。

「あれえ、なにやってるよー珍しいこんしてるじゃん。どうしたでぇ。」

  (おやあ?なにしてるのかな?珍しいことしてるじゃん。どうしたの?)

「おお。人ん来るんでちいっとみばよくしとかんとな。」

  (うん、お客さんが来るから、少し見映えよくしとこうと思ってね。)

「ホント珍しいこんもあるもんでえの。ほんで誰ん来るよぉ。おせえて。」

  (そりゃあ珍しい事もあるもんだね。それで誰がくるの?教えてよ。)

「みば」、(見映え)の(え)抜きの言葉。

遠州弁ははしょりの言葉が多く、はしょらなければ共通語になるので、自分が方言しゃべっているという自覚が薄い理由のひとつでもある。

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くりいむレモン

2004年公開の山下敦弘作品。DVDで観ました。

大分昔に流行ったアニメシリーズの実写版と言うことですが、何か違います。どこが違うかと言うと、アニメは性的快楽のピークの部分でエンドを迎えると言ういわばエロのシチュエーションをバリエーションというか設定を手を変え品を変え、「どうですかお客さん」的に魅せるものだったような記憶があるのですが、この作品では、因果応報というか、そんな世の中甘いもんじゃないよ位の現実味で味付けされた上でエンドを迎えていきます。

お話しは見も蓋もなく書けば、血のつながらない兄と妹の双方合意の上の近親相姦ということです。エンディングはひたすら余韻が残ると言うか、想像力を鍛えられるというか、この突き放し方はSMの世界の放置プレーみたいです。

山下作品としてはリアリズムの宿に続いての漫画(アニメ)原作となる訳ですが、あくまで原作はきっかけであって流れの源流は向井・山下コンビが紡ぎだす独特な空気感に変わりはありません。映画全体に流れるこの空気感をどう表現すればいいんでしょうか。息苦しいでも重苦しい訳でもないし、息つく間もなく物語が劇的に展開していくのでもないんですが、映画の世界に引きずり込まれて息するのを忘れるくらい見入っちゃうからでしょうか。無駄が有るの無いのか分からないくらいお芝居じみたとこもなく、日々の日常を丁寧に描き重ねていく感じなのになんででしょうかねえ。よくわかりません。

78分という上映時間ですが体感としては長く感じられました。それだけ濃厚だということでしょうか。長く感じると言う表現はあまり良くない印象を与えるんですが、15秒のCMであっても物語性が緻密だと結構長く感じるものです。この作品もいい意味で長く感じたということです。

DVDのパッケージのどこを見回しても「R指定」の文字が見あたらないんですが、やけにエロいです。行為に至るまでの葛藤というか欲望とかの心理描写でそう感じさせるのでしょうか。まあそこは「くりいむレモン」たる由縁でしょうし、こういう役を演らせたら本当に上手いと思わせる水橋研二さんの力量に拠るところでしょうか。「月光の囁き」(塩田明彦監督作品)のときにも水橋さん凄いと思いましたが、この作品でも光ってます。

基本お兄ちゃん目線でお話しが進んでいって、妹も可愛く描いてあるんですが、山下作品は野郎の映画を得意とするのかなと勝手に解釈していたんですが、次の「リンダ・・・・・・」で覆されました。お姉ちゃんもいけるじゃんって。これで名前憶え切れないくらいの群像劇も撮れる人だったら、天才と称されるより人間離れしてるようで・・・ちょっと気持ち悪い。

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遠州弁で語呂遊び

「はあだあだあだあ」

  (もう滅茶苦茶)

「インカにゃ いんか」

  (インカにはいないか)

「オランダにゃあ おらんだ?」・「誰もオランダ?」

  (オランダにはいないの?)・(誰もいないの?)

「アラスカじゃ あらすかー」・「そうじゃ アラスカー」

  (アラスカじゃあないよ)・(そうじゃないって)

「イスカンダルに いすかー」

  (イスカンダルにはいないよ)

「ちゃちゃいれんでほんとあんたちゃっとちゃんとチャットしんとかんて。」

  (冗談言ってないであなた今すぐにきちんとチャットしないとだめでしょう。)

「うちんほんやでほんやでえ。そんで信也がしんやでしんやできとる。」

  (私の家が本家で本屋を営んでる。それで信也が分家で深夜番で出勤してくる。)

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*バカと遠州弁は使いよう

「馬鹿こけー。」・「馬鹿こいちゃかんて。」

  (うそつけー)・(冗談言うなよ・でたらめ言うなよ・無茶言うなよ)

「馬鹿におんもいと思ったら。」

  (やけに重いと思ったら。)

「馬鹿重いと思ったら。」

  (物凄く重いと思ったら。)

(注)凄いと言う意味では「馬鹿」と共に「ど」がある。「馬鹿冷たい・ど冷たい」などは同じ意味合いになる。違いは集落ごとに使用頻度が異なるくらいで違いはない。実際使う場合「馬鹿冷た・ど冷た」と「い」を抜いて使用されることが多い。

「どばか」

  (究極の、これ以上ないという馬鹿・救いようがないと言う意味でも使う)

「馬鹿くさい。」

  (あほらしい。)

「留め金ん馬鹿んなってる。」

  (留め金が効いてない又は壊れてる。)

「バカバカ買ってる。」

  (物凄い量を買っている。)

「やー馬鹿っつら。」

  (おいちょっと待て。)

「馬鹿こいた。」・「馬鹿見た。」

  (失敗した。)・(無駄な事した。)

「馬鹿」は多種多様な意味で使われている。しかも頻度が高い。聞き取りだけでも慣れが必要だが、素人衆が使うのは非常に危険であるので、注意が必要である。

他にも意味は共通語と一緒だが程度を表わす変化形がある。

「馬鹿にする」・「小馬鹿にする」・「へ馬鹿にする」

「へ」を「屁」と書くかどうかは知らない。

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有り難い存在ですが

遠州弁をテーマにブログを書いてる私にとって長澤まさみさんは非常に貴重な方であります。

遠州弁の使い手は、自分も含めて皆自分の話す言葉やアクセントは共通語だと錯覚しているので、方言と共通語の境界線が認識できていない事が多いです。他の地方の方言の使い手の方には想像出来ないくらい自分は共通語を話してると思い込んでいます。浜松に住んでる限り注意されることはなく、よそいきの会話は共通語を使っているんだと思い込んでいるので、遠州弁であることに気づかない言葉というのは沢山あるのです。

その点長澤さんは東京で活動されているので、これは共通語、これは方言と分類されて報道されるので、「これ遠州弁だったんだ」という発見が長澤さんの発言をチェックすると出てくるので、大変有り難い存在の人です。

しかし、まだまだこれからとはいえ、日本を代表する映画女優に向かって日々成長していって欲しい方なので、公式の場では、美しい日本語を発して欲しい事の方が重要です。

いっそ関西弁のように遠州弁も全国的に広めて認知されたらどうか。その先鋒として活躍して貰うという無謀な考え方もできますが、タレントさんならともかく、映画の世界には不要な考えだと思いますので、歯並びを矯正して見映えをよくするのと同じように、よそいきの言葉も美しい標準語を目指して欲しいと願う次第であります。

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*おとましいこんでえの

おとましい事だね

「おとましい」気の毒・辛そう・しんどそう(精神的に)・可哀想という意味で使われる。

共通語の(おぞましい)と近いかというと、いやな感じがするという意味合いではあまり使わないような気がするので似て有らざる言葉。

(うとましい)疎ましい、(そういう話を見たり聞いたりするのがいやでたまらない感じ)と言う意味は「おとましい」の(可哀想で見てられない)と言う意味に遠目に近いのだが、疎ましいのニュアンスだと遠州弁では「いやったい」という表現をするので、「おとましい」は共通語に親戚兄弟が存在しない直訳できない言葉かもしれない。

尚、普通は自分の状況に向けてというよりも、他人の状況に反応して使われる事が多いのであるが、一部の集落では、

「おもいっきしとんできたら、はあ歳だかいの息ん切れちゃって、おとましいこんだやあ。」

  (急いで走ってきたら、もう歳なのかなあ、息切れして疲れたわ。)

というように自身に対して自虐的に使うところもある。若しくは単純に疲れた・しんどいという意味で使う集落もある。・・・らしい。

正直な話あまり頻繁に日常会話に出てくる言葉ではないのでこの説明は独善的解釈になってるかもしれないので、「ほんとかえー?」という目で見てつかあさい。

通常の使い方の例文も載せようかと思ったけれど、話が不幸でどよよんとなってしまうため暗くなるので割愛させていただきます。

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アクセス解析なる魔法

そもそも紙に書くのが面倒だし、変換も頭使わなくてもいいからと思って始めたメモ代わりのブログでも、付随してくる「アクセス解析」なる数値を見てしまうと魔法にかかったようにアクセス数に一喜一憂してしまう自分がいる事に気づく。商売する訳でもないし、不特定多数の人に見て貰えることは、私のブログを始めた目的からすれば特に意味もなさないのにも関わらず、それでもアクセス解析を見ている自分がここにいる。

そうなると自然と人に伝わるためのような書き方になる。コメントで批判されると物凄くへこむし、受け狙いはしていないつもりでも映画が好きなんだから説明上しょうがないと言い訳しつつ有名人の名前を文中に載せたりしている。

ゲームの経験値を積み重ねていく感覚で、アクセス数が増える事を楽しんでいるのかもしれない。だけどこの経験値を積み重ねた先には何があるのだろうか。倒すべきボスキャラは何なのか。

いづれにせよ、今のところは、終わりの見えないロールプレイングゲームの感覚で、毎日の忘れないようにと想った事を書き殴っているのが、なんとなく日常化し始めている。この誰に向かって書いてるんだ?という矛盾に気づいているにも関わらず。いつ破綻して破綻するとどうなるんだろうか。逃げるようにやめたになるのか、もう飽きたのでやめにするのか、新しいメモ用紙が開発されてそっちに乗り換えるのか。当分この状態は続くんだろうなあ。

不思議な事にブログを始める前も今も全然お邪魔させていただいてるブログ数は変わらない。ある意味他の方の良き所を吸収してより良くしようという気は全くないみたいである。

私みたいな競争することが好きじゃない人間でさえアクセス解析の魔法にとりつかれているのだから、団塊の世代と呼ばれる人達が、人生第二のステップでパソコンやブログを始めるようになると、今まで競争社会の中で第一線を走り続けた血が騒いで、ブログランキングに命をかけるのだろうか。大分昔のゲートボール殺人事件のように命を賭して。

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*ほれみっせー

「ほれみっせー」(それみたことか)・(だからいわんこっちゃない)

頻繁に使われる。「ほれみっせー」の後に「そーじゃないかとおもっただよ」が続くことが多い。変形で「ほれみい」・「ほれみない」などがある。

(ざまあみろ)は「ざまあみさらせ」・「ざまあみい」・「ざまあない」が使われる。

「ほれみっせー」・「ほれみっしー」は基本男言葉。

「ほれみい」・「ほれみない」は男女共用の言葉。

例文

「やいやい、後で食べすかと思って置いといたら、蟻にたかられちゃってー。」

  (いやあ参った。後で食べようと思って置いておいたら蟻にたかられてしまった。)

「ほれみっせー、言った通りだら?ちったぁ人ん言うこん聞かんもんでざまあないだにぃ。」

  (ほらあ言った通りになっちゃったでしょ?少しは人の言うこと聞かないとこういうことになっちゃうんだから。)

「新しいの買ってきてやあ。」

「ばかこいちゃかん。水で洗やあまだ食えるにい。」

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深呼吸の必要

2004年 監督 篠原哲雄さん 脚本長谷川康夫さん

出演 香里奈さん・谷原章介さん・成宮寛貴さん・金子さやかさん・久遠さやかさん・長澤まさみさん・大森南朋さん

私にとっては紛れも無く癒しの映画です。きび刈り隊としてやってきた彼らがそれぞれ心の傷を持っていても、それなりに起こるアクシデントがあろうとも、心に余裕のない私のような人間にとってこの映画は癒しを与えてくれます。直接的なはっきりとした原因のある厭な事に対しては無効ですが、漠然とした不安や緊張を抱いている時に観ると、答えをくれる訳ではないんですが、何故かホッと一息つけるんです。

観てる側だけでなく、登場する彼らも最後には癒されていきます。風景についてもキャメラの柴主高秀さんの画が好きだし、照明は長田さんだし、もう言うことありません。

作品として大ヒットしてないのは、それだけ癒しを必要としていない人がまだ日本人の大部分を占めているからなんでしょう。まだまだ日本は頑張れるということでしょうか。

話しの内容はいたってシンプルで、期日までに畑のきびを刈る。その作業応援として都会から臨時に雇われた若者達が、泊り込みで同じ釜の飯を喰らいきびを刈る。ただそれだけのお話し。まあ勿論それなり(?)の事件や葛藤もありますがあくまで日々の営みの積み重ねがメインですから。

「リフレッシュではなくリセット」。そういうことなんでしょうか。

大森南朋さんががんこいいです。この作品で初めて知った感があります。この作品は大森さんを愛でる作品であるといってもいいような気がします。、こういうケレンが無くいたってシンプルな状況設定の中のお芝居で存在感を表わすのはそれなりの役者さんとしての力量が問われると思います。大きなことを言うわけでもする訳でもなく、それでいて観る者を惹きつけるには何が重要なんでしょうか。いかにもと見えるリアリティでしょうか?おじいとおばあも決まってます。この三人のうち誰かが画面の中に出てくると、画が締まるような感じです。きび刈り隊の彼らがここに集まったのではなく、ここに彼らが集まってきたという、主人公達は来訪者であって、あくまで目線の中心点は日々の暮らしの積み重ねですから。そんな風に見てしまうんでしょうか。

癒しというものは強要されるものではなく滲んで沁みこんで来るものなんでしょうか、とにかくお仕着せと言うものが無い空間です。「なんくるないさー」が沁みます。

なんかヨイショしまくりで物凄くいい作品みたいにとられるかもしれませんが、映画としたらそんなにいい出来だとは思ってません。いくら大地から人々を眺めた目線で映画が紡がれているんだからといっても主人公はきび刈り隊なんですから、彼らのここに来た目的の達成感、その表現方法が好きくないのと、ある種の祭りの後の寂しさが描かれていない。若しくは描ききれていない(おそらく最後のイベントで全て表現されようと思われたんでしょうけど)。あくまでエンディングは毎年の繰り返しという一貫した地元目線での締めくくりということになってますが。私としては船着場での島を去り行く情景を観たかったです。そのあとで映画の通りのエンディングに進んでくれたら良かったんですけど。欲をいえば最後の晩餐・夜も観たいです。

私が以前勤めていた会社では、1週間とか3週間の期間「研修」という名目で寮と言う名の5~8人相部屋にて初めて出会った連中と、朝も早よから寝入るまで、プライバシーの無い生活というものを経験した事がありました。楽しくもあり、しんどくもあったんですが、終わりが待っているから頑張った部分があり、終ったという開放感と一抹の寂しさが混ざり合った思い出深いものとして記憶の中に存在してます。そういうところできび刈り隊と幾分被るところがあるんですが、だからこそ終わりを描いて欲しかったのです。

不満な点もありますけど、想像力の欠如している自分のせいだと考えれば納得できなくも無いので、夏の暑くなる頃にはちょこちょこ見直してる飽きの来ない映画です。

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噂のストリッパー

正当には、本(○枠付)噂のストリッパーと言うタイトルですが、字がないので。

ビデオを整理していたら出てきたんですが、買った記憶がございません。誰かから借りることはないので、多分買ったんでしょうが本当に記憶がありません。しかし中身を見直したらうっすらと覚えていたので、もしかしたら、ポイントが貯まってほぼ無料(?)で手に入れたのかもしれません。身銭をきらないとこんなものかもしれません。Hビデオの中に紛れていたんで、もしかしたら周防監督の「変態家族兄貴の嫁さん」もないかなと探したんですがさすがにありませんでした。

1982年公開 森田芳光監督・脚本 

出演は岡本かおりさん・太田あや子さん・三崎奈美さん・宮脇康之さん・金田明夫さん・森田日記さん・大高範子さん・吉川遊士さん

森田作品といえば、映画デビュー作「の・ようなもの」が大好きです。の・次に発表された第二作にあたる訳ですが、リアルタイムで観てません。日活ロマンポルノシリーズの作品だったので。年齢的には大丈夫だったんですが、「桃尻娘」を観に行った時の18禁専門の映画館の匂いがしんどくて、余程の観たいものでない限り行く気がしなかったんです。今はもうその映画館ないので言っちゃいますけど。

「の・ようなもの」で、プロのおねえさんにも素人のお姉ちゃんにも好かれて、仕事でも夢を追い求めていくというある意味野郎の理想的な生き様を描いているのに対し、この作品では真逆に近いひたすら悶々と鬱積が描かれているので、もしかしたらこの二作はセットなのかもしれません。いづれにしてもやるとなると徹底して追及するから排除というか昇華というか妥協できるハードルが高いのでしょうね。両作品の間にある共通点には凄く反動や揺り返しを感じます。

この監督さんは、ホントなんでも屋さんだと思います。面白いと思ったアイデアに果敢に取り組む姿勢から、本来「スゲエ」と称されるべき重鎮の筈なのに、何故か軽快さを感じてしまう。

「バカヤロー」シリーズや「家族ゲーム」と「失楽園」・「それから」を同じ監督が作っていて、最近では「海猫」と「間宮兄弟」と言う風に、一本芯の通った揺るぎない信念のもとに作品創りをするというよりも、揺り返しの繰り返しで横幅のある作品群を誇る感じです。本当によく分からないです。なにしろこの作品の後しぶがき隊の映画デビュー作を作っておられるんですから。

言えることは、時代へのアンテナの感度が広角で鋭くて、面白いと思える感性の幅が広いんでしょうね。そしてそれを映画として具現化してしまう力量が凄いのでしょう。

お話しについては、ストリッパーに恋をする野郎とストリップの世界でリアルに生きる女性との両方を描いた話しです。ハッピーエンドではないと思いますが、成長劇なのか迷走劇なのか悲劇なのかは見た人の判断でしょうが惨劇ではないと思います。

別に設定がストリップだからと言ってその世界を主題に描こうとした訳では勿論ないのでしょうが、ストリップという家族というか一族の世界を描いた作品として他には、1996年望月監督の「でべそ」という作品を観た事があります。奥田瑛二さんががんこかっこよいので印象が残ってるんですが、どちらも「息してる」後ろに生活があるリアル感が匂います。自分の立ち位置はどうみてもお客ですから、ここまでリアルだと生臭いです。

「の・ようなもの」先に観といて良かったと心から思います。日活ロマンポルノという範疇ではストリップを題材にしたと言うことが当時斬新と評されていたような記憶があるんですが、そんなにエロさということでは素ん晴らしいとは思いません。が、森田監督の軌跡という範疇ならば納得できる作品だと思います。観終わった後の、スカッと爽快感があるわけでもなく、かといってドヨヨンと沈没感があるわけでもなく、ただなんとない茫洋感を感じるのですわ。それが欲しいかどうかは人それぞれでしょうけど。

映画では無表情?粛々?とした感じで舞台に立ってるのですが、もうすこし愛想よく営業スマイルで踊っていたら、主人公がその笑顔に乗っかって追っかけをしてしまうのが分かるような気がしたんですが、あえて商売と生活の二面性を出さない描き方の理由は私ごときの頭では、計り知ることはできません。

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*くれる

「猫に餌くれた?」(猫に餌あげた?)当たり前に使っているし、共通語だと思っている。ただし共通語の「くれてやる」といったような見下ろすニュアンスではなく親しみの心情がこもった表現で使われるのでそういう意味では方言と呼べるかもしれない。ただし「花に水やりした?」とかを「花に水くれした?」とかいう言い方はない。

「釜に火ぃくべた?」の「くべる」が共通語だし、一応辞書で調べると、「くれる」も「くべる」も載っていて、使い方も地方独特なものではない。

「餌くれる」の「くれる」(くれてやる)は見下して物言う視点なので、「成敗してくれる」・「どうしてくれようぞ」というような昔ながらの言葉である。余談だが「どうしてくれようぞ」の意味の遠州弁は「どうしてくれすかやあ」となる。

文化的都会では差別・平等への意識が重視されて、現在は封印の道を辿っているのかもしれないが、遠州は田舎なので、そういう文化的思想が浸透してくるのにはまだまだ時間がかかる。それにモノ造りで飯食ってる遠州人としては親会社から「お前に仕事くれるわ。」と言われる事が素直に有り難いと思える環境だしね。

ある意味古い日本語を使っている貴重(?)な部族と言えなくも無い。

しかし面白い言葉である。大企業の係長から「仕事くれたる。」(仕事やるわ。)と下請けの社長が言われて工場に戻って社員に「仕事くれるって。」と言うと(仕事もらえるって。)に変化してしまうのだから。立場によって意味合いが変わるのがほんと面白い。

例文1

「あんた子供にがんこお菓子くれるもんでだに。ぶくぶくなのは。」

  (あなたねえ。子供がぶくぶく太ってるのは、あなたがお菓子のべつまくなし与えるからなんだよ。)

例文2

「花に水あんましくれなんだもんでかねえ。枯れちゃったよお。」

 (花にあまりお水あげなかったからかなあ。枯れてしまった。)

「どれ、見してみい。あれえあんたああれだにい。水くれなんだじゃなくてあれだにい。これえあんたあ根腐れしとるだであんたくれ過ぎだらあ。」

「あれいやだ。ホントにい。」

例文3

「あんまし肥料くれんで。くれ過ぎるとかえって駄目んなるだで。」

  (頻繁に肥料やらないで。やり過ぎはかえって悪いから。)

 

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