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*こく

「こく」 言う・するという意味。

「冗談こいちゃかん」(冗談言うな)

「なにょうこく」(なにをいうか)

「屁えこく」(おならをする)余談だが便所で小用を足すは「小便をひる」

基本は男言葉で女言葉ではなく女性は「ゆう」を使うことが多い。

上記の凡例でいうと

「冗談ゆうちゃかん」・「なにゆってるよを」

ただし「をた」に関しては「言う」ものではないのか男女共に「こく」を使う。「する」という意味使いの場合でも男女共に「こく」を使うことが多い。

例文

「こないだあ、街歩ってたらさーAに出っくわしちゃってビックリしたわ。」

  (この間、街を歩いていたらAにばったり会って驚いたよ。)

「こないだって、いつん話しだ。」

  (この間って、いつごろの話?)

「先週かな?」

「冗談こいてちゃかんて、空似だら。」

  (冗談を言わないでよ。他人の空似でしょう。)

「ふんだだこたあないって!あれ絶対Aだったって。」

  (そんなことはないよ。あれは絶対にAだったよ。)

「嘘こけ、じゃ声卦けてみたただか?」

  (嘘をつくなよ、それじゃあ声を掛けてみたのか)

「おお、声掛けたよお。ほいたら、なんだこいつって顔していっちまい

やがったけどやー。でも間違いないって。」

  (うん、声掛けたよ。そうしたらなんだこいつって顔していってしまった

けど、でも間違いないって。)

「そんな筈ぁあるわけないって、見間違いだって。」

「なにょうこくだ。見間違うわけないじゃん。」

  (なにをいうか、見間違える訳がないって。)

「だって、はあ去年死んどるだにー事故でー。」

  (だって、もう去年事故で亡くなってるんだよ。)

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テレビ

ブラウン管のテレビがぶっ壊れて(寿命で)、否応も無く買い替えざるを得なくなって、安いのがあったので買いました42型。

正直デカイです。映画を観る分は申し分ないのですが、ニュースやバラエティ番組を見るにはデカすぎます。じきに大きさに慣れるかと思っていたんですが、違和感がなくなりません。テレビの中の住人は架空の芸能人という生物であるべきで、生きてる人間が住人だというリアリティを求めるべきものではないということが、くっきりはっきり見えるようになって分かりました。

なのでテレビを見る間が減りました。以前は帰ったらまずテレビをつける生活だったのでがその習慣がなくなりました。どうしても見たいものについては、パソコンで見るようになりました。その方が非現実的なものとして見れるので。

今我が家のテレビは映画専用に近い状態です。大型テレビが全世帯普及したら、はたしてバラエティ番組映像の変化に合わせて「夢見るおもちゃ箱のTVの国の世界」を維持する為に変るのでしょうか。

今は皆変革を体現してる訳ですから、違和感を感じる訳ですが、もう年かすれば、始からハイビジョン・大型画面でテレビ生活をスタートする世代が現れてきます。なにも今と変らない世界であったなら、私達が思い描いてきた世間とかけ離れた芸能人達の棲む世界というイメージではなく。TVの国はリアな人によって作られているものなんだという事を見せ付けられたら、芸能界という世界をどういう風に捉えるのか、相も変らず憧れの対象でいられるのか、それともより身近に感じて今よりもっと我も我もと殺到するのでしょうか

もっとも、変化も無く、平和が続けばのタラレバ話ですけどね。

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*そうだっけか・あんたさー

「ほい、ちょっとあんたさーあ、今週あんた当番だに。知ってる?」

「えー、そうだっけか。来週じゃなかったっけ?」

「ちがうよー、あんたさー何言ってるよー。今週だにあんた。」

「ふんとにー?、いやだやー、何にも準備しとらんよー。」

「あんたねーどうせるよー。はあ明日だに。あんたエラくのんびりしとるもんでもしやと思って一応声掛けただけど。これじゃ間に合わんらー。どうせるよー。」

「どうしよー。ヤバイじゃんねー。困ったやー。」

「私やAさんとこはまあええけど、Bさんこういうこと、こうるさいでねー。忘れてましたじゃ済まんにー。」

「だよねー。どーせよー。」

町内会の持ち回り当番についての会話例。

「そうだっけか」は(そうだったっけ)

「ふんとにー」は(本当に)

「こうるさい」は(口やかましい・細かい)

「どーせよー」は(どうしよう)

「あんた」は女性がよく使う言い回しで野郎も使うが、野郎は「おまえ」の方が一般的である。「あんたさー・お前さー」は(話しがあるんだけど)

「あんたねー・お前なー」は(あきれてる・あのねー)・「あんたさーあ」は(つかぬ事を聞くけど・ちょと聞きたいだけど)的なニュアンスを含む場もある。結構「あんた」と「ほんと」は頻繁に使われるが、意味合いが使い方によって違うので単純に(あなた)・(本当)とだけ解釈してはいない複雑な言葉である。

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*おえん・おせん・いん

「なにやってるだ、はあ帰らまい。」

「いやあ、これおえんと帰れんだわ。」

「なんでー、机きれいなもんじゃん。そんなやりおせん大層なもんなんかあったっけか?なにん残ってるだ?。」

「いやそれがのっ、ちゃっと帰ろうと思っただよ。ほいたらさー、さっきA社ら電話あってさーあれがなにんなっちゃってさー、ふんで訳わからんくなって、もー始末におえんくなっちゃってるらしいだよー。」

「明日にしてもらやーいいじゃん。それじゃあおえんだって?」

「ワシもそー思ったんもんでえ明日一番で伺いますっつただけどやー、向こう明日すぐ使いたいっちゅう風に言ってるもんで、しょんないもんでこれん今日の内に決着つけんとかんくなったもんで帰れんだよ。」

「そりゃお得意様だでしょんねえのっ。まあ頑張ってくりょー。ワシ先帰るわ。ほいじゃお先にねー。」

「いいなーとっとと帰れて。」

「追えん」・「負えん」・「終えん」共通語と意味はほぼ同じ。しかし実は遠州弁特有の使い方があるらしく、共通語と思って使うと、田舎者とすぐばれてしまうらしい。

例文の場合の「おえんと」は「終らないと」と言う意味である。「始末におえん」は「始末に負えない」と言う意味である。「おえんだって?」は「駄目だって?」と言う意味になる。

例文以外の使い方例として

「やりおえん」は「やり遂げていない」

「やりおせん」は「やりきることが出来ない(やりきれない)」

「やりいん」は「やること自体出来ない・やろうとしない」

「おえん」はゴールが見える時、「おせん」は白旗な時に「いん」はスタートすらきらない時にと使い分けをする場合が多い。

「食いおえん」は「食べ終わっていない」

「食いおせん」は「食べきれない」

「食いいん」は「食べない・食べようとしない」

「おえん」は単独でも「駄目」・「納得しない」・「満足しない」みたいな意味で使う場合があるが、「おせん」・「いん」は単独では使わない。

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*きっちし

共通語の「きっちり」が変形したもので「きっかり」の意味合いも含む。

「きっちし」は「丁度・ぴったり」と言う意味合いでは、「ちょっきり」と同じ葉であるが、「ちょっきり」は主に数に関係す際に、「きっちし」数値にしにくい場合にと使い分けられる。

「荷物、箱にきっちし入った。」(荷物箱にぴったり入った。)

「こん箱荷物6個全部、ちょっきり入る箱。」(この箱は荷物が丁度6個入る箱。)

「荷物たんとあったけど、きっちし入った。」(一杯荷物あったけど箱にちゃんと入った。)

「荷物たんとあったけど、ちょっきり入った。」は数が曖昧なのでこういう「ちょっきり」の使い方はほとんどない。

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がんばっていきまっしょい

望景。

しゃにむに頑張っていた頃の記憶をアルバムの中から取り出しているじです。断片的な記憶が合わさって物語が紡がれていくようです。やり思い出というものは、辛くしんどかったものしか覚えていないものなでしょうか。傍目からみれば、やりたいことに向ってあきらめず突き充実した青春を送ってるように見える悦子達ですが、本人達にとってみれば、苦難の連続のようです。結末も頭の中と現実との違いに成す術もありません。

楽しいことも一杯あっただろうに、そういう事が少ししか思い出せないは、楽しいって事は、即効性があっても自分の身に残らないものなのでしょうか。

それでも彼女達を最後まで見続けることができるのは、視点が恒に暖かいからでしょう。こんな細かく思い出を紡ぎ合わせられるのは、悦子本人しか考えられません。その本人があの頃の自分を肯定しているという証のような気がして、安心して観れるのかもしれません。

それと共に並行して別に違う視線を見せてくれます。十代の頃にしかなかったそれぞれの頭の中の意識。女子をみる野郎思考回路、皆で同じ部屋に寝泊りする開放感。ノスタルジックな色調出来事だけを淡々と積み上げて、登場人物たちの内面に立ち入らず、それでいて見守る目線はまるでボート小屋が部員たちを見守っている風にも感じてしまいます。長年ボート小屋をやっていてさぞかし悦子達のことは印象に深かったことでしょう。それだけにいくら使わなくなって古くなってしまっても取り壊すのは悲しいことでなんとかならんものかと思ってしまいました

1998年制作磯村一路監督作品

こういう丁寧に、なおかつ、お客を意識して作られた作品はホッとします。

派手さはないし、ジャジャーンと爽やかでもないし、心が晴れるでもない。何かを教えられる訳でもないけれど、逆に自分が持っていた物を思いす、それも負の部分ではなく、自分をつくっている骨格の再確認をするような気にさせてくれる映画です。こういう足元を照らす映画を一年一本は映画館で新作として観たいです。磯村監督お願いします。

それとやはり方言がいいです。お国言葉は郷土の宝。私も頑張ろっと。

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映画のパンフ

映画館にいけば、大抵作品のパンフを買います。

駆け込みでない限り、始まる前に目を通すのですが、作品それぞれに先に見てよかったと思えるものと、後にしときゃよかったと興ざめしてしまうものがあります。

ごちゃごちゃぬかすな、かつ目して見よ!と言う作品は、後の方がいいんですが、登場人物が多かったり、話が複雑であったり、物語には描かれてはいないけれど予備知識があった方がいいというような作品の場合先に読んどいた方がより映画を楽しめると思うんですけど。本当に映画それぞれ、各人の頭脳それぞれなんですよね。

TVCMとかで、こらしょと宣伝される現代、今から映画を観るぞと言うときに大まかな概要はパンフに必要なのでしょうか。私が欲しい情報は、説明ではなく、監督か役者さん目当てで映画を選ぶ身としては、作り手側の作品に対する想いやより楽しく見るめの知識です。

一方で、昔のパンフが今も商品として流通してる事を考えると、映画の余韻が封じ込められていて、開けばその世界をより鮮明に記憶の中から引っ張りだせるアイテムとしての機能もあるのでしょう。そのためにはあらすじを含めた概要は確かに削れない部分ではあります。

この様に相反する要望がパンフには存在してると思います。

なのでいっそのこと、記憶の書と導きの書とにはっきりと分けてくれた方が有り難いです。両方出されると金銭的に厳しいですけど。

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ちみくって血い死んだ

「ちみくる」は、「つねる」

「血い死んだ」は、「内出血で青痣(あざ)が出来た」

マンマで他に変形はなく、イントネーションも普通だと思うので他国の衆が意味さえ理解していれば、使い所を誤る事はないので、だらだにだもんでの使い方が上級だとしたら、初級の遠州弁である。

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リンダリンダリンダ

2005年公開作品。山下敦弘監督

出演は、ペ・ドゥナさん・前田亜季さん・香椎由宇さん・関根史織さん

他にも、甲本雅裕さん・松山ケンイチさん・小出恵介さん・近藤公園さん・三浦哲郎さん・山本浩司さん・ピエール瀧さん・リリィさん他と豪華です。ま、でも4人の話なんでほんのちょっとづつの出演ですけど。

時期的にSGと比較されてた記憶があるんですが、もし被らなければこの作品の評価は変わってたのでしょうか。

放送部(?)役の三浦哲郎さんが冒頭から思わずはったおしたくなるくらいにいい味出してくれます。こういう空回り的に一所懸命な奴必ずいるんですよね学校という空間の中に一人は。「夜ピク」にも出てられましたがはまり役でしょうか。「WB」や「さよならクロ」にも出てられてますがイメージが違うのでワンパターン役者ではないのでしょう。

次に来る廊下のシーンは映画ならではで好きです。でも音でおどかしてくるのでびっくりです。効いてます。

選曲をしてるシーンは愕然です。これが古い曲なんですか。年代が違いすぎます。歳を感じます。リアルに聞いてた訳じゃないけど最近の曲と認識してたもんで。ショックです。

細かく書いてたらキリがないので、大雑把で。

歩くシーンがどれも印象的です。雨でも降らない限り走ったりしません。青春映画にも拘らずチンタラしてます。普通この年齢だったらただ歩くなんて時間がもったいなくてしません。何かしゃべくり倒したり色んなことしてます。でも彼女らはただ黙々と移動します。そんな関係なんでしょうか。それとも疲れているんでしょうか。

ペ・ドゥナさんがいいです。他の三人とどう違うんでしょうか。経験値の違いなんでしょうか、日韓の勢いの違いでしょうか。この映画の笑いはそのほとんどがペ・ドゥナさんが提供してくれました。

香椎由宇さんが綺麗です。制服着てなきゃ大人に見える眼力です。監督はなんとか汚しをかけて、普通の高校生に見えるように努力されたようですが、綺麗です、どうみてもモテそうです。

前田亜季さんがこの中では一番女の子っぽいです。DVDのオーディオコメンタリーで監督と向井さんは響子(前田さん)を女の子の部分を全部背負ってるとおっしゃっておられますので、違ってないと思います。

コメンタリーといえば、お二人が話してるそれぞれのキャラクターの性格付けを含めた裏設定の深さに驚きです。しかも、この後の二十歳になった時のそれぞれのイメージまで話題になっていて、ここまで来ると妄想じゃないかと心配になる位深いです。自分の経験と重なる出来事で物語を作られておらるようで、誇張はあるにせよ、嘘や想像を元に作り上げられた物ではないということが聞き取れます。

関根史織さんは役者さんじゃないということですがバンドのメンバーとしての存在感があって大切です。

最後はスカッと爽やかです。ブルーハーツが何故愛されるのか分かる気がしました。

長回しが多くて、じっくり考えがてら観れるのが反応の鈍い私には嬉しくて山下作品ではじめて素直に笑えた作品でした。好きな作品です。

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*ホント(本当)

意味に方言的な特殊性はないのだが、日常的に頻繁に使われる。

「ホント厭んなっちゃう。」・「いやだやーホントにー?」・「ホントそうだって。」・「ホントかえー。」・「いやマジな話ホントに。」「ホントよーゆーわ。」・「ホントだか嘘だか知らんが。」・「まあホントそうじゃないかたあ思ってただよ。」・「あそう、ホントにい。」

合いの手のような使い方で、頻繁に使われるので、本当の事だという信憑性が極めて薄い。ホント真に受けたら損だにー。

方言が重度の場合は、「ホントに」が「フントに」になる。

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ぼくんち

2003年。阪本順治監督作品。原作は西原理恵子さん

主演は観月ありささん。他の出演者は皆さん濃いです。あまりの濃さに観月さんがまともに見えます。変な世界です。でもみんな生活してます。精一杯なので辛いと考えてる暇がないようです。それとも、一生懸命で振り返ったり先を読む余裕がないのでしょうか。

原作は、にこやかな笑顔の癖して、やる事がえげつなくたまに怒るとその表情は鬼になるという登場人物ばかりで、見た目と行動のギャップの衝撃でその世界に引きずり込まれる訳ですが、それでも何故かしげに感じる作り手の視線で、ほのぼのとした気にさせてくれます。

そんな世界を人間がリアルに表現したらどうなるんでしょうか。普通そこが見に行くときの興味なんでしょうが、私原作を読んだのが画より後だったので、変な映画だと素直に感じました。

みんな群れることなく点として生きてます。その点を繋ぐのが兄弟二人なんですが、それぞれの繋がりが希薄に見えます。黒沢明作品の「どんぞこ」や小泉堯史作品の「雨上がる」のように低い層で生きる人達、は否応も無く寄り添っていなければ生きていけなくて、そのために起こる摩擦によって生まれるドラマ劇しか見た事がなかったので、登人物達のやってることが嘘っぽい話じゃないんですが、なんかこうにこの人達ここで生活出てるんだろうか、ちゃんと皆飯食えてるだろうかというような生活の匂いが感じられない描き方なので、これ本督阪本順治さんなのかと思わず確認してしまいました。

阪本監督というと「どついたるねん」がすぐ頭に浮かんでくる監督さんで、初めて「どついたるねん」を観た時の生臭い野郎の匂いを感じ事が衝撃でした。臭いということではなく、匂い立つ・漂うと言う意味す。映画を観てここまで匂いを感じたことがなかったので強烈な印象が残っています。田舎者にって拳闘とは、TVの中の世界の華やかな出来事で、ボクサーの流れ出る汗も、り輝く雫のようなものに見えてまた。なのでこの映画で実際に息をして物を喰らう人間をこれでもかと描かれると、闘というものが、美いものでは決してなく、執念や夢と言うより叶える為の「もがき」成果の場だという生身の人間の匂いが臭ってきたのです。

なので真逆とまではいかないまでも、こうまで異なるのは「うっそーしんじらんなーい!」って感じですわホント。でも裏切られた感じはしなかったです。冒頭の船のシーンからして世間離れしてましたし、いきなりコウイチ(真木蔵人さん)が現れたので、もう一気に納得させられました。

何度も見直して分かったんですが、あの船はこの世と変の世を繋ぐ渡し船だったんですね。

主演の観月ありささんがいいです。というより、この人以外ではイメージが合いません。なんででしょうかね。「7月7日晴れ」との共通点を探すと、一所懸命なところなんでしょうか。不平不満を言ったらきりがない世界の中で、飾らず上に憧れを持たず、今をしっかり生きてる姿を演技としてわざわざ表現しなくても、具現できてるからなんでしょうか。

あまり本は読まない私ですが、何故か阪本監督の「孤立無援」という本は読んでるんです。その中で、この作品のことを語られておられるですが、それによると最初から観月さんで決まりだったようです。

私がこの作品は他の作品とは異質だと感じた理由が、本を読んだらあながち間違ってなかったようなので、なんか答え合わせをして貰っみたいでこの本買ってよかったと思いました(自己満足ですけど)。

まあ冷静に考えると、監督の手の平の中でいいように転がされてるだけなんでしょうけどね。

でも本の中で監督の述べているこの映画の「ウリ」にはあまり興味がなかったです。私はやはり最後の方の「ラーメンまずい」が好きなんですけどね。そしてあれで終らずに、最後のシーンのせりふでニッとさせてくれて終るのがもっと好きですけど。

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