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*じゅるい

「雨上がったもんで道んじゅるくなってるだよ。」

  (雨があがって道がぬかるんでいるよ。)

じゅるいとは、ぬかるむと言う意味である。が、共通語と違って

「まだ煮えちゃいんもんで、うで卵じゅるいだよ。」(まだ煮えていないから、ゆで卵が固まってない。)のように、地面以外にも本来硬い筈のものが柔らかい状態を指す時にも使う場合もある。

ほんで、「うー、どじゅるい。」(意外と凄くぬかるんでる。)つうなあ「うー、弩ずるい。」(うーん、物凄くずるい。)と聞き間違えると話が合わんくなるだで気いつけんといかんだにい。

つまり「じゅるい」に「凄く」を付ける場合「馬鹿じゅるい」・「えらいじゅるい」・「がんこじゅるい」という言い方は有るが「どじゅるい」だけは「どずるい」(ど狡い)と聞き間違えることになりかねないので「どじゅるい」という言い方は基本しないという事である。

逆に、本来柔らかい筈の物が硬くなっているようなときは、「こわい」を使う。

「ごはんがこわい」という風にである。けっしておっかない訳ではない。

無いついでで言うと「ずるい」が「じゅるい」になった訳ではない。あくまで想像だが「きもい」みたいなもんで「じゅる」という効果音に「い」が足されたのではないかと。

例文

「雨んだあだあで道ん馬鹿じゅるくててさあ。足元びちょびちょ。」

  (雨が強くて道が大分ぬかるんでてさあ。足元がひどい濡れよう。)

「おめえなんかいいほうじゃん。わしなんか道と田んぼの違い分からんくて肥溜めん足突っ込んでどん臭いだにい。必死こいて洗っただにまだ匂い取れやせん。」

  (そんなのまだいい方だよ。オレなんか道と田んぼの区別できなくて肥溜めに足落としちゃって匂いが堪らないんだ。懸命に洗ったんだけどまだ匂いが消えてないよ。)

「・・・近寄らんといて。」

「やあ引くなやあ。冷たいじゃん。」

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月とチェリー

江口のりこさん主演ということで、DVD買いました。

監督はタナダユキさんだというのは買った後に知りました。余談ですが、「タカダワタル的」を買いに行った時、邦画コーナーに無くて発売日を間違えたのかと思ったら、音楽コーナーに置いてありました。内容が心配になりましたが、ちゃんとした(?)映画だったので二重にほっとした思い出があります。

今江口さんと表記すると、別の江口さんと間違われても困るので、江口のりこさんと書きます。初めて見た作品は、ジョゼ虎かSGか記憶が曖昧なんですが、ぜんぜん違うキャラクターを演じているので、同じ人であると知って興味が湧きました。

何考えてるだか全く表情に出なくて理解不能な人というイメージはパッチギを観て固まりつつあったんですが、月とチェリーと闇打つ心臓二作観て、思ったこととやってる事が一致してるというか、嘘というか腹芸とかが苦手そうな裏表のない(容姿に似合わず)ストレートな表現が魅力的な役者さんだと気づきました。

人を騙すとか裏切るとか、裏じゃなに考えてるだか分かりゃしないみたいに腹に一物みたいな役は、似合わないような気がするんですが、他の出演作品でそういう役を演じられてるかもと思い、検索してみたですが、その量を見て、全部見ようというのは諦めました。まあぼちぼちと・・。

ほんで、内容なんですが、18禁か15禁作品だったような気がしますので、エロ目当てで観ても楽しめると思います。主人公は大学生で官能小説サークル所属にして官能小説家としてデビューしている葉月(江川さん)と本意ならずも官能小説サークルに入ってしまった健一(永岡佑さん)との順番が滅茶苦茶な恋の物語です。こういう合体をよくヤル登場人物には最後因果応報的な終り方が待っているという作品が多い中、きちっとハッピーエンドで締めてくれるのは大好物です。ただ合体シーンだけでいうと、闇打つ心臓のほうが格段に観ててそれらしいというか演技っぽく見えないので、そちらを先に観てしまっていたらまっとうな映画として観ることをお勧めします。

江口のりこさんと言う役者さんは来る役は断らずなんでも演るイメージがする位の肉体力派なので貴重な人だと思うけど、なんで眉をもう少し描かないのか不思議です。

時効警察でも活躍されておられますが、「歌謡曲だよ、人生は」でSGに続いて再び矢口作品にでておられるらしいので、そっちの方が密かにうれしい。

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いらんけに・たんと

がんこある・いらんけにある・たんとある・ぎょうさんある・売るほどある・こらしょとある。

全て、たくさんあると言う意味である。この中で分からんとしたら、「いらんけに」だと思うが、「要らない位」と言う意味である。

逆に少しあるという時は、ちっとある・ちびっとある・ほんのちっと、がよく使われる。

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でかい・どでかい・どんでかい・ばかでかい

でかい<どでかい<どんでかい<ばかでかい

集落によっては比較基準が異なるが、規模・度合いを表わす表現。

「ど」から「どん」への変化は、使わないときもある。

怖い<ど怖い<ばか怖いとなり、どん怖いたあ言わん。

違いについては、例として、「ど」の場合許容範囲内で「ばか」は度を越えた時に使われる。ど重いとなればなんとか自分で持てる範囲となり、ばか重いとなると、一人じゃ持ちおせんような時に使う。比較基準は各人ばらばらなので、あくまで一例であるのでご注意を。

「がんこ」という表現もあるが、がんこ重いが比較ランクの中でどの位置になるかは個人差が激しいのでよーわからん。

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*だで・だもんで・なんしょ

だでは、だもんでの短縮形のようなもので同じような使われ方をされるが、微妙に違う。

「ゆっちゃかんだで、ナイショにしときー。」(言っては駄目だよ、内緒にしておきなよ)は、ナイショに重点が置かれるが。

「ゆっちゃかんだもんで、ナイショにしんとかんだにー。」(言っては駄目ってことなんだから、内緒でないと駄目だよ)となると、言ってはいけないことも強調されたうえで、ナイショにかかるような気がするが共通語訳が定かでない。

なんしょは、とにかく・つまり私が言いたいのは・結論として・よく聞けよ・だからあ、みたいな、一番言いたい・聞いて欲しいことを言う前につけるので、その後の話を聞き流してしまうと、あいつは人の話を聞かん奴だと思われるので、同意するしないは別として、反応したほうが人間関係がうまくいく。

なんしょかんしょの省略形ではあるが、なんしょかんしょは現在使われていない死語である。

「いっちゃかんだもんで、なんしょナイショにしとかんとかんだでー。」となると、言うなと内緒両方ともに重点が置かれていることになる。ま、最も実際につかうとなると、「やあばかっつら、ナイショにしときゃあええだ!」の方が日常的ではある。

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病院坂の首縊りの家

BSでやってたので久し振りに観ました。受信料払ってるからヲタこいてもとんじゃかないよね。

金田一シリーズは全て映画館にいきました。シリーズ5作目ということで、犯人の傾向、金田一の推理の行動パターンが浸透しすぎていたのと、私がまだ好き嫌いの擬似恋愛の対象としてしか女性を見ていなくて、佐久間良子さんの15歳に引いたこともあって、正直犬神家程じゃないなと思った記憶があります。

しかし、今観るといい。がんこいい。

まずというか、市川昆作品だから当然なのか、写真がけっこい。「映像美の巨匠」と言う表現は言い得て妙。

映画の数はそんな多く観てない私ではありますが、市川昆監督の写真を超えるけっこい写真を撮る活動写真屋さんは今のところ「僕は知りまっしぇん!」なのです。。あの重厚感がたまりません。人物の奥に背景があるのではなくて、背景に包まれた空間の中に人物がいるという感じ?

後半にやってくる暗室での出来事を白黒で表現した時の、あの鮮烈な眩しいばかりの白と深い黒は映画館で観た時あまり印象に残ってなかったんですが、これについては、今のテレビ画像だからこそ観れたのでしょうか。綺麗です。でも長時間はきついかもしれない飛び道具のような映像だと思いました。

役者さんに目を移せば、佐久間良子さんがいい。がんこいい。

女優さんがそこにいる。今は役者さんばかりで女優さんとよべるのは、吉永小百合さんか岸恵子さんとか桃井かをりさんくらいしかすぐに思い浮かばない。他の女優さんご免なさい。私記憶力が「明日の記憶」かもしれません。

それにしても、サユリストと呼ばれる人達は幸せ者だなあと思います。十代から今も変化し続けながらも存在している女優さんを観続けていられるんですから、私の世代にはいんかったからなあ。今二十代前半は豊年満作なわけですが、このうち何人卵から孵るんでしょうか、というよりも成長してなれるものなんでしょうか、持って生まれた天賦の才であって、育って脱皮を繰り返していくようなものじゃないとしたら困りものですけど。

当時は、桜田淳子さんの芝居がいもっぽくて好きではなかったんですが、周りが度を越して上手すぎたんですねえ、この歳になって観て見ると悪くないじゃないですか。でもほんものの女優さんはやっぱしいい。佐久間良子さんはどがんこいい。

女優さんと役者さんの境界線がなんなのか、存在感なんでしょうか、集団の中にいても埋没することなく浮き出てくるような感じでしょうか、よくわかんないけど、明らかに違う。

あおい輝彦さんは、ひげを生やすと、LET IT BE の時のポール・マッカートニーにそっくりだと気づきました。新発見です

。桜田淳子さんのLP全部持ってます。トリオの中では、一番好きでしたが、この映画においては、先にも書きましたが批判的な印象だったのですが、今観ると可愛いし綺麗じゃん。

シリーズで見ないで、これ単品としてみたら、御馴染みのキャラクターも役どころを押さえていて浮いた感じが(中井さん以外)なく無理した感じもなく、がんこいい。劇場公開時のときの興行的なものも含めた評価が、作品の評価の最終決定であるとは限らないのだと知りました。

よし!わかった!DVD買いに行こうっと。

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*いづようない

居場所がない、身の置き所がない、肩身が狭い、居辛いとか云う意味。

なんでこうなるのか不明だが、邪推すれば「居るのに強くない」が「居強うない」(いつようない)と変化したとこじつけが出来なくもないがこの解釈はありえないだろうなやっぱし。

「いづようんない」という言い方もある。大分言いにくい。「ん」は「が」なので「いづようない」の直訳は「居場所ない・肩身狭い」とか「が」抜きとなるのでおそらくは「いづようんない」が本来なのだろうが言いにくいせいもあってこちらを使うほうが多い気がする。

こちらは古い日本語が残っていたと推察されなくもない。「日出づる国日本」とかの「出づる」(又は出ず)+「様(又は用)のない」で「いづるようのない」と云う表現が変化して「いづようんない」になったと邪推出来なくも無い。

解釈についてはあくまで私見なのでこれが正解の解釈では決して無いのであしからず。意味については間違っていない筈。

尚、「づ」なのか「ず」なのかということについてはどちらが正しいのか分からないところであるがとりあえず「づ」とした。

使用例

久し振りに会合にでたら、知らん衆ばっかになっちゃってて、いづようんなくて、はあ、いきたあない。

共通語訳

久し振りに会合に出席したら、顔見知りの人が誰もいなくなっていて、肩身がせまくて居づらかった。なので、もう二度と行きたくない。

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*とんます・とんまさる・とんまさった

捕んます、捕んまさる、捕んまさった。

意味は無論、捕まえる、捕まる、捕まった、ということである。

共通語だと思っていたが、どうもそうではなさそうである。

例文

虫を捕まえたら噛まれて血が出た。

 「むしんとんまえたら噛みくさって血いでた。」

Aさんの話しが長くて抜けれなかった。

 「Aさんにとんまさった。」

信号黄色だったが構わず進入したら白バイに捕まって頭にきた。

 「信号黄いなくなってたけどとんじゃかなく行ったら白バイにとんまさって、ほんとやっきりこいた。」

例文2

「あれえ、あいつ来ちゃいんだ?」

  (おや?あいつ来てないの?)

「おお。連絡しただけどとんまさらんかった。」

  (うん。連絡したんだけどね。連絡つかなかったんだ。)

「それじゃあしょんねえの。じゃ始めすか。」

  (それじゃあしょうがないね。さあ始めようか。)

例文3

「あん人最近見んけど、どうしただかいやあ。どこぞでとんまさっただかいねえ。」

  (あの人最近見かけないけれどどうしてるんだろう。どこかで捕まったりとかしてるのかねえ。)

「いくらなんでもそりゃないらあ。ひどいことゆー」

  (いくらなんでもそれはないだろう。ひどいことを言うなあ。)

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*ひゃあひゃあ・きゃあきゃあ・だあだあ

人からきゃあきゃあ言われる

人にひゃあひゃあ言われる

だあだあに雨洩ーる

きゃあきゃあは、注目される等良い方に使われる。多分、共通語と一緒の筈。

ひゃあひゃあは、小言を言われる、口うるさく言われる等良いことではない時に使われる。

だあだあは、物凄くとか際限なくとか制御がない、押さえが利かない様などを表わす際に用いる。「遠州弁だあだあ」とは「方言丸出し」と言う意味になる。

他にも、オートバイのことを、ポンポンと言ったり、お湯が沸騰してることを、お湯がちんちんと言ったり、いけしゃあしゃあ(平気な顔してすっとぼける)・ぶんぶん(イケイケ)・うひゃうひゃ(笑いが止まらない)・だかだか(たくさん)等という擬音語めいた表現を遠州弁は頻繁に使う。

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TAKESHI'S

夢の中にいるのは気持がいい。たとえそれが他人の夢であったとしても。

これが、白昼夢であるならば、夢見る人間の欲望から生まれ、本人の意思が働き、他人がそれを見たら嫌悪感を抱くかもしれない。寝ている時の夢ならば見ている本人ですら願う通りに進まない。だけど、同じ人間という種族の共通性があるのか、夢判断なることが行われている位、そうそう俺も私もと共振する出来事を共有していることがある。

冒頭の「見つかりたくない」感覚は、状況こそ違え発掘あるある・・・・。映画では見つかることが、死を表しているけど、私が見る夢は、理由も分からないがとにかく見つかりたくない。見つかるとどうなるのかも分からずに、ひたすら見つかりたくない。後、空を飛ぶというかゆっくりと落ちるというか、高い所から落ちるのではなく降りるみたいな夢をみるけど、映画にはなかったなあ。

作り手の意思にとんじゃかなく、映画に描かれている出来事は、夢と現実が交叉してるのではなく、すべて或る日見た夢の中。勝手にそう思って観てる。夢の続きを見たくて二度寝しても続きは観れない。どんどん勝手に変化していって制御が効かない。それでも興行作品としての体裁を整えなくてはいけない。だからつっていじりたおしゃあ、白昼夢になってしまう。加減の塩梅が難しいのによく作るなあと感心しきりの雨あられ。

何度も観たい映画かと問われたら、夢は幾ら楽しいものでも何度も同じものを見たらそれは悪夢になる。

すいません、根がアホだもんで繰り返し観んと理解できない男なんですが、2回しか観れてません。もうちっとエロいとやる気でるんですが・・・・って夢精映画がか!

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磯のあわびの片思い

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「磯野さざえの 肩重い」

意味

常に高視聴率を維持することのプレシッャーを表した言葉。

追われるものの苦労、トップに立ち続ける苦悩を描いた様。

(ふぐた姓であることは、重々承知しております)

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新参者

「シンザン者」

意味

シンザンの時代頃から競馬をやってる歴戦の勇者のこと。

次に来るのは「しーびー者」か「セイコー者」か

どうでもいいが、私は「小栗者」

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*おざいしょ・しんや・ほんや

お在所とは実家のことである。

新家とは分家のことである。

本家とは本家(ほんけ)のことである。

間違えやすいのは、本家で、「ちっとほんや行ってくるでねー」となった場合本屋と勘違いしてしまう恐れがある。

他所から嫁ついで来た奥さんが亭主から「やー、本家行って○○っつー本とってこいやー」と言われ、「えー勝手に持ってきていいの?」「ええよワシ後でゆっとくで」と言われ、本屋に行った奥さんは万引きで捕んまさった。というような悲劇を生むこともある。

違いはイントネーションで

本屋は、HOnya

本家は、honYA

共通語の分家を「新家」と称するのは、本家が本流の家に対して新たに興す家という分かれるということより新生という感覚が強くなるのを好むのが遠州人の気質っぽいところかもしれない。

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7月7日、晴れ

1996年の作品

ヒットメーカー本広克行監督作品。これが監督の劇場デビュー、音楽はドリカム、至れり尽くせりの映画ですが、何故かDVDにならない。

映画館には二三度足を運びました。本も買いました。CDも買いました。でもDVDになってません。ビデオにもなってません。

全て、ありえないお話しで統一されています。

日本人すべてが知っているミュージシャン

そんなすんごい人が恋をする、しかも相手がフツーのサラリーマン

出会いから次のステップに至るまでのシチュエーション

二人の邪魔をする、双方に起こる騒動

最後それでも二人は固く結ばれるのであったと言う大円段

うそも方便、ここまで徹底していれば、火もまた涼し。

天の川が凄くきれいで、映画館のサイズで観ないとこの綺麗さは伝わらないのかもしれません。

テンポ感が気持ちよくて、音楽とのコラボもばっちし。観月ありささんの出演作品の中では、「ぼくんち」と共にお気に入りです。

本広作品は「友子の場合」と「サトラレ」の二作品は見てないんですが、それ以外の7作は観ているので、結果として私にとってお気に入りの監督さんの一人なのかもしれないんですが、デジタル推進派の筆頭みたいな方で、現時点ではフィルムの画の方が好きな私としてはそこのところが複雑です。

踊るシリーズ以降「リンク」をキーワードに画面にこれでもかと言う位情報を詰め込む作風を感じるのですが、この作品においてはそういうことがなく、非常にストレートなけれんを見せてくれてます。後、アウトドアの紹介的な一面を担っていましたが、普通に山登りを趣味にしてた私にとって、自然の中に押し入るファッションとしか思えませんでした。この時期オートキャンプ場なるものがぼこぼこ出来てたので、もしかしたらこの映画がその一翼を担ったのかもしれません。

ぐちぐち書いてますが、久し振りに映画館を遊園地に変えてくれた作品で大好きです。

でもDVDになってません。

一度だけゴールデン洋画劇場でTV放映してくれたのでビデオに録りました。CMの中に、深津絵里さんのDe BeersのダイアモンドエンゲージリングのCMが録画されてたのは凄くうれしいんですが

、DVDになってません。

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十把一絡

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「10羽 一唐揚げ」

意味

食えるのか?技や技術の粋を集めて凄い物作ったとしても、本来の目的から

はずれたら、なんだかなーと言うお話し。同義語として「無用の長物」が揚げら

れる。

「ジッパーひと絡み」

意味

ジッパーが絡まって人前に出られなくて焦る様。

本来の十把一絡とはとにかくなんでもかんでもひとつとして取り上げるということ。もちろん取り上げられた方にしてみればその他大勢と評価されてることになる訳で気分的に面白くないのは当然である。まあ砕けて言えばごちゃ混ぜにするということか。

余計なことだが、遠州弁だと「いっしょくたあ」と言う言葉が相当する。

読み方については「じっぱひとからげ」なのか「じゅっぱひとからげ」なのか定かでない。

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虹の女神

映画館で観て、DVDでも観直して観ました。

作品が好きだと云う前提で以下の話を進めさせて下さい。

ストーリー上、あおいを殺すことはなかったような気がします。セカチューでは、亜紀の病気が進行し、絶望的な姿を病室で垣間見て逃げてしまった朔が、勇気と覚悟を振り絞り、再び亜紀の元へ向おうと決意する祭りのシーンが印象的で好きでした。

この物語においても、あおいが飛行機事故でもなんでも、とにかく生きていて体に深い傷・障害が残る、帰国した姿を見て智也は、引いてしまう。それでも他の女性と交際しても上手く行かず、あるきっかけで自分のことを、本当に理解していたのはあおいだと気づいて、あおいと共に暮らす決意をする。

青臭い話だとは自分でも判ってはいるのですが、後悔ばかりの涙でエンディングを迎えるのは嫌なんです。

私の勝手な想像ですが、作り手の無意識の潜在的なイメージの中に9・11の出来事があったのではないでしょうか。飛行機事故で、或る日突然大切な人が逝ってしまうことに対する残された者の悲しみを描くということが前提のような気がしました。だけれども、この映画は市原隼人さんと上野樹里ちゃんを愛でるために映画館に行った私としては、まだ二人はなんにも始まってないじゃん、これからじゃんと云う思いの方が強いのです。ましてや、上野樹里という役者さんは、シミ・ソバカスが見えても苦にならない人ですから、事故によって背負わされた障害を乗り越える強さを、飾らないリアルさで表現できる可能性があると思うんですよ。

馬鹿(智也)は死ななきゃ(あおいが)直らないと云うのでは寂し過ぎます。

こうまで自分なりに色んな事を考えさせてくれる映画はそうはないと思います。

捉え方は人それぞれですから、まずは、観なくちゃ始まりませんけど、観て損は

無いと思うのですが。

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一心不乱

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「一心 フラ」

意味

笑顔を忘れて、フラダンスをすること。本来の意図から外れる様。

本末転倒と同義語でもある。

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一騎当千

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「一気 ようせん」

意味

お酒は強いほうではないので、イッキはしないと、場を盛り下げることを厭わない

発言を平気でほざく奴のせりふ。

「一期当選」

意味

駆け出しのぺーぺーと言う意味。世間じゃもてはやされる地位ではあるがその

中に入ってしまうと立場は外野から見るよりいいものじゃないと言うお話し。

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天網恢恢疎にして漏らさず

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「天丼買いたい 粗にして 食わさず」

意味

貧乏なので天丼すら食べさせてあげられないという親の嘆き・つぶやき

(つまんない改なので修行してなにか閃いたら直しますが、これが私の限界とい

うことで勘弁してつかーさい。)

本来の意味は、どんな些細な悪い事であっても、天罰が下るから、悪い事は出来ないよという意味。

 

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LET IT BE

映画自体は1970年の作品

ビデオの整理がゴールデンウィークの暇つぶし。

「このビデオは、輸入になると思いますから、日数かかるにー。」と店員さんに言われ、「お願いします。」と頼んだのはいいけれど、品物が到着したのが一ヶ月位後だったので、待ちに待ったというよりも、はあ他に興味がいってたんで、見れるという喜びはあんましんかったような記憶が・・・。

画像はダビングのダビング×2、位のエロビデオ並みの画質で、しかも輸入版なので当然の如く字幕は無い。にもかかわらず、ビートルズの感性が伝わってくるので、「言葉が通じあわなくても音楽は国境を越える」という言葉に偽りはないなと実感した次第。だけど、曲作りの初期の段階は、遠州弁でいうと、「きちがいな音」で、街で演ってる衆らの音と、たいして変わんない。それが世に発表された時、誰しもが認める名曲として送り出されている事実とのギャップはがんこある。

未加工の原石からどうやって光り輝く宝石に磨かれていくのか、映画の中には描かれてはいんような気がするだあれ。

屋上の演奏シーンはやっぱいい。ジョンが凄く楽しそうなのが印象的でおました。今見直しても、ロンドンと人々には古い時代を感じるけど、ビートルズはなにも色あせていない。

テレビの深夜枠でも放映されていてそれもビデオに録画しといた筈なんだけど、そっちには字幕がついてたもんで、打ち合わせっつーか言い合いのシーンの会話の内容を確認しようと思っただけど、さてどこにしまっただかわかりゃーせん。

かくして私のビデオ整理は、寄り道ばかりではあるが、続くのであります。

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太平洋奇跡の作戦キスカ

1965年の作品なので、当然ながら、映画館では観れてません。この作品を見たのは、たぶん1982年のTVの月曜ロードショーです。本編の前に荻昌弘さんの解説があったのですが、それが明瞭簡潔、ネタばれもなく、そして真摯な解説でした。こういう解説がタダ見のテレビでしかも解説聞いた後にすぐ見れてたなんて、今思うと贅沢な話ですよね。

じゃキネ旬やらブログの口コミ見てから映画館かショップに行かなくちゃいけないんですから。

ビデオに録画してあったんですが、「男たちの大和」のDVDが出た時に何故か戦争映画コーナーが便乗(?)いや親切につくってくれてあったので買いました。

荻昌弘さんの解説が良いので自分が講釈たれるよりも、転載した方がこの映画のよさを伝えられると思うのですが、こういうのも無断転用になるんでしょうかねえ。

「荻昌弘ですこんばんわ。まあ日本映画各社の中でも特に東宝は、このう太平洋戦争を海と空の闘いから見つめている、まあこういう点でも長い実績を持っています。まあ一番最近顕著な例は、あの去年の大作「連合艦隊」でしょうけれどもね。これは実はあの戦争中から日本映画各社それぞれ向き不向きがありましてねえ。例えばそのー松竹は陸軍を描く、東宝は海軍を描く。で特に東宝はあの頃「ハワイ・マレー沖海戦」というまあ大変な大ヒット作を飛ばしました。まあそれ以来の伝統。

それから御馴染みもうひとつ御馴染みの、今は亡い円谷英二監督の率いる特撮陣。この実力が大きくものをいってきた訳ですねえ。その東宝この海の闘いの映画の歴史の中で、いや、これ東宝だけじゃないなあ。

日本映画の歴史の中でも、今夜お送りする「キスカ」という作品。こらはもうれっきとした戦争活劇でありながらも、全くユニークな角度を持ってるんですねえ。ま、どんな風にユニークかと・・いや!ここでバラしてしまっては面白くない訳で・・・。

あのー私達ほら、よくアメリカの脱獄ものを楽しみますね。脱走もの。あのー例えば捕虜収容所の軍人が大量に脱走していくというああいう楽しさにこのー一脈通じるものを持っている。ま、日本としても非常に珍しいこの知的なサスペンスに満ちた作品なんですね。で、なんでまたこんな日本映画でこういうユニークな作品が生まれたかっていいますとこれは結局丸山誠治監督。

まあこの人は「連合艦隊」もそうです。それから、先週観て戴いた「山本五十六」もそうですが、非常に人間味に富んだ監督。この人の人間味と、それからもう一人、脚本を担当いたしまた須崎勝やさん。この人は今年、「南十字星」の脚本を書きました。ずうっとこの戦争と日本人にこだわり続けてきた人です。この人は大変綿密な資料をこう組み立て、面白いこのー映画を作りあげていく。そして、??では、主演致します三船敏郎。まあ先週は山本五十六に扮した訳ですけれども、ここで演っておりますこの大村という司令官。この人の人柄、これが非常に見事に出ているわけです。これも丸山監督の人間味のしからしめるところでしょうねえ。

まあ戦争と戦争映画についてはそれぞれのお立場がございます。

しかしその中でこの「キスカ」っていうのは、今、まさに、この私達の今の時点でそのいわば堪能できる、戦争映画になっている。

まあそのへんを、存分にいわばお楽しみ頂きたいと思います。」

一部不明および漢字が無い点についてはご容赦ください。

劇中の大村司令官は、木村昌福と言う方がモデルで、Wikkipediaに拠るとこの方の軍歴・生き様が興味深く、もしリメイクするんなら、ミッドウェイ海戦辺りから戦後の再スタートまでを、描いたものを見てみたいものです。

私がこの映画で一番感銘を受けたのは、藤田進さん演じる守備隊司令官が、生還の望みが断たれ、再び死の覚悟を兵に伝える演説のシーンです。一言一句全てにおいて感動しました。一度切り替えた死から生のスイッチを再び生から死へ戻す為に発する言葉が「感謝の気持ち」というのには、本当に心が動かされました。

ただ、私の世代だとテーマ曲のサビの部分が鉄腕アトムに聴こえてしまうので、なんかイメージがずれてしまうのが残念です。パクリとかではなくただの空似なんでしょうが。

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まず隗よりはじめよ

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「まず 烏賊 より はじめよ」

意味

ウニだトロだと高価なものばかり手をつけてくれるな。

寿司を人に奢らなければならなくなった時、財布のダイエットをしたくない時に使用すれば、一見ウンチクがあるらしく聞こえ、少しは出費を抑えることができるかもしれないというお話し。

無論根拠ある話しではないので「なにそれ」と言われたら、どう言いくるめるのかはその人のセンスの問題ではある。

余談ですが、本来の「まず隗よりはじめよ」は司馬遷の著書「史記」にその由来があります。燕の名君昭王が問うて郭隗が答えた言葉です。

王が隗に「有能な人材を集めるにはどうしたら良いのか。」と尋ねたところ、「まず私(隗)を重用すればよい。そうすれば、あんな奴でも重用されるなら俺だってと皆集まってくるでしょう。」と答えたそうです。それが由来となって「まず足元を固めよ」という教えに変化していったそうです。元々は人が持つ競争心とプライドを煽って目的を達成しようと言う話しが、何故今のような解釈に変化していったのか不思議です。

「灯台下暗し」のように、隗のような優れた賢者でも、当たり前のように身近にいると気づかないものだという捉え方も成立するお話しともとれます。

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浜松祭りその2

組長

凧は、町内単位で組を組織して行動する。

組長の号令一下、アドレナリンだしまくりや酔っ払いなりの一糸乱れぬ行動で

祭りをおこなって行く。

組長は町内会の役のひとつであって、原則持ち回り制であるが、お上との交渉

、他の町内との揉め事の仲裁や連携のための話をつけたり、和を乱す輩の排

除、組員の安全確保、他様々な責任をしょって、祭り本来の節句の祝いを無事

取り仕切らなくてはならない。不祥事があれば、翌年以降、程度に応じてではあ

るが出場停止等の沙汰がお上から言い渡されてしまうからだ。出場停止期間中

に初節句がもしもあったらその家は凧で祝えなくなってしまう。

組員の構成は、町内に住んでるというのが唯一の参加条件なので、やくざ屋さん

からチンピラまで、社長からペーペーまで、ガキから「おじいさ」まで、最近じゃ男

から女までと、職業・地位・年齢全ていっしょくたあでだあだあの集まりをまとめ

にゃかんだで、そりゃもう気苦労は大変だ。

それだけ大変な事をやり遂げた人は、浜松の漢(おとこ)として一目置かれる存

在になる。

もし観光で凧場に行くようなことがあったら、法被の上から組長と書かれたたす

きをつけてる人を見かけたら、それが浜松の漢なので、ご照覧あれ。

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浜松祭りその1

一応これでも浜松市民なんで、それらしいことも、ちったあ書いとかんとおえん

かのー。

地元では祭りという人はいんくて、凧と呼ぶ。

しかし、厳密には、凧・屋台・初練りと三つの行動に分ける事ができる。

凧は、初凧といって長男が生まれた家が作り、町内の組に頼んで揚げてもらい、

初節句の行事とする。喧嘩凧は、町内会の寄付金で作り、壊れん限りは翌年も

使用する。あくまで原則なので親がええっちゅや初凧でも喧嘩凧とする場合もあ

るし、長男という縛りもとんじゃかない。陽がある内に行う行事。

屋台は暗くなったら引廻すのだが、街中を曳くのと、町内を曳くのと二種類ある

が曳く場所が違うだけでやってることに違いはない。子供が活躍する行事で男

の衆らは役持ちの馴染みの呑み屋とかに向って練ってほっつき歩く。その際次

のイベント初錬りに備えて凧で使った体力の回復を図る。夕方(宵)に行う行事。

初練りは、初節句を迎えた家とか、家にも来とくりょーと言ってくれる剛毅な人ん

家に行って玄関前で、輪になってラッパの音に合わせて掛け声を吼えまくる

酔っ払いの為の行事である。その際接待として飲み食いを提供してもらえるの

だが、祝いの席での頂き物なので手に取ったら絶対に残したり喰いかけて捨て

たりしてはならない。タダで飲み食いできるので、こすい奴は初練りだけ顔だす

のだが、当然朝からひーこらやってる衆らから白い目で見られる。夜に行われ

る行事。

祭りに参加するためには、町内ごとの認証を購入すれば参加できる。観光で

やってきた人はその町内に知り合いが居ない限り参加は難しい。

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