« 2007年4月15日 - 2007年4月21日 | トップページ | 2007年4月29日 - 2007年5月5日 »

一寸先は

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「一寸先は 病み」

意味

高齢化の波がすぐそこまで迫っている今

病気の話で盛り上がったとき、病名や治療法等を自慢げに

語るしったかぶりが、ご近所のヒーローになれるかどうかの

判断基準であるというお話し。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

亀は意外と速く泳ぐ

スウィングガールズ熱覚めやらぬ内に、上野樹里ちゃん目当てで見た作品。これが、私的には大正解で、この後始まった「時効警察」は、第一話からうひょうひょだっただよ。

三木監督がインザプールの上映で浜松みたいな弩田舎に来るらしいと言う話を聞いた時、普通に街歩っててもしょっちゅうお巡りさんに職質で捕んまさるという逸話を持つ人間を、自身の人間としての経験値を増やす為にも、見いいかすかと思ったけど、正直、インザプールには食指がいごかんかったもんで、行かんかっただけど、今思うと惜しいことをした。

ふんで、本編については、ぬるい。脱力系と謳ってあるけど、小ネタ満載という効能がある低温の温泉に入ってるようなもんで、だからといって熱く(大仰な芝居・壮大なストーリ)されると源泉掛け流しとはいえないし。笑える温泉=濃い・熱いと先入観念を持って入らないほうがいいと思うんですわこれが。

贔屓目でみても、上野樹里ちゃんが好いです。「何事にも全身で思いっきりぶつかっていって欲しい」と矢口監督にいわれた言葉を忠実(?)に守って役にのめりこむというより、めりこむと言う表現が似合っておられる樹里ちゃんではありますが、この作品の舞台挨拶の時に、「よくわからない」を連発してたような気がしたんですが、この作品に関しては役に対して消化しきれていないことがよかったんじゃないでしょうか。

三木ワールドの中に居ない唯一の役者としてスクリーンの中にいたのが正解のような気がします。

他の役者さんが非日常なことばかりしてるというボケの中で唯一人、普通というかそこそこの人間だからこそ周りの人の非日常にリアルについていけないというツッコミが成立している面白さがあると思えるのです。

シーンとしてのお気に入りは、スズメがお在所に帰って、玄関での親子の挨拶のシーンです。お父さんのあの蹴りに対しての反応の素早さは、マジ?と思わせるものがありました。あれが岡本さんのアドリブだったら、カットがかかった後は血を見ることになっただろうなと思うし、全て演出どうりの芝居なら、樹里ちゃんのセンスの凄さを感じるのです。

蒼井優さんは私この作品で知ったみたいなところがあって、こういうひとなんだ、他の作品では猫かぶってるひとなんだと勘違いしてました。後になってインタビューやらなんやらを見て、この役が異常なんだと知りました。でも役者さんとして、どの引き出しをどう広げりゃこういう自身が持ち得ない人格を創りだせるのか、蒼井優恐るべし。

見る側にとって居心地が言いか悪いかで、作品の評価が分かれるんでしょうが、違った意味で覚悟して観ないとゆっくり湯船にはつかれません。

物語はこの先どうなるのかとかいうストーリーを追い掛け回さずしょうも無いところに目を凝らすことが私の亀速湯のつかり方であります。つかり方さえ間違えなければ効能はじわじわと効いてくると思います。

評論において、雑誌等でこの作品を評価しない方の評論は、無視、評価した方の評論は今後見る作品の参考にするという、あまた居られる評論家さんの選別基準になった作品でもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

いつか実がなり

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「いつか実がなり 花が臭さ!」

意味

実がなれば、花が枯れる。何事も同時に物事が上手く

行く筈がないと言うお話。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

石の上にも

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「石の 上では 残念」

意味

努力を努力として同じ事をしているようじゃ何年続けても無駄。

努力とは達成したい事に対する障害を取り除く作業と考えて

石の上みたいな狭いところに居座らないで、あの手この手で動

いて広い視野でないと成果は上がらないと言うお話。

「石の上で もー 寒いねん」

意味

根性なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

犬堂監督作品

黄色い涙、遠州弁でいうと黄いない涙。

犬堂作品だで見い行きたいなあと思っとったら浜松みたいな田舎じゃどうも観れんらしい。

なんだよそれ、と思いつつも、ジャニーズきゃーの衆らのあいさにはさがって、肩身狭くして観る勇気もないんで、ま、お決まりのDVD鑑賞でええかと・・・・・。

犬堂作品を最初にみたのは、たしかジョゼ虎で、ドヨヨンとしたへたれの空気感が画面一面に溢れてて、まんまリアルな現実じゃん。夢とか希望とか幸せとかはどこに映ってるだ?

3人ものお姉ちゃんと出会ってこいつぁなんて幸せ者なんだと普通思えるだに、あほな奴やしーと感じさせて監督は一体なにを魅せようとしてるだか、頭使わんと感覚だけで観る癖が直らん私には正直、良うわからん作品ですが何故か心に残るのです。

ふんで、次はタッチを観い行ったんですが、何かの取材で監督が「長澤まさみのアイドル映画をつくる」とのたまっておられたのを読んで、客層を考えると、まさみちゃんきゃーの衆らのあいさで観にゃかんだかっつーのは勇気がいった。

でもまんまと「長澤まさみいいじゃん」と思ってしまい、それこそ監督の思う壺にまんまとはまり、・・・・なんだかなー。

なんしょ、昔の衆は、デカンショーで半年暮らしてたらしいが、私は、犬堂一心・矢口史靖・山下敦弘で半年暮らしゃー幸せいだね。よーし次行てみよーって次は眉山か。これは田舎でも観れそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

まあちゃん

愛称というか普段使う呼び名の法則。

男女共に使われる「まさみ」を例にとってみると、

女子の場合

友達・お母さん・おばあちゃんは、「まーちゃん 」

 極まれに、「「まーちん」

兄弟・父親は、「まさみ」

親戚のおじさん・おじいちゃんは、「まあちゃ」

男子の場合

お母さん・おばあちゃん・おじいちゃんは、「まーちゃん」

友達は、「まあさ」・「まっさ」・「まっさあ」・「まっちゃ」他色々

親戚衆は男女とも、「まあちゃ」

父親兄弟は名前を呼ばず「おい」

勿論、それぞれの家庭によって差異はあるのだが、

~さ・~さあ・~ちゃが多いのは間違いないと思われる。

余談ではあるが、自分の姉は雅美といって

名古屋(naGOya)に嫁にいって、イントネーションが

maSAmiからMAsamiに変わった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*いいとこ饅頭

いいとこ(ええとこ)饅頭。

要は、「ナ・イ・ショ」若しくは「ヒ・ミ・ツ」と言うことを可愛らしく言って「アンタに教えたらろくでもないこんになるだで、教えやせんよ」と云う意味。

使用例

「ねえー、おかあちゃん、ここにあったおもちゃどこいったか知らん?」

「いいとこまんじゅう。」

使い方としては、親が自分の子供に対して使う言葉で、子供の「ナゼ?ナゼ?なんで?なんで?攻撃」にいちいち構っちゃおれんもんで「なんのこっちゃ?」と訳んわからんくして煙に巻く時に使う。

よその子に使うと、「あの人変」と思われやすく、大人相手に使おうものなら、「てめえ、ふざけてんのか」とぶっさぐられるので注意が必要である。

何故このような言い回し、饅頭になったのかというと、それは、

「いいとこまんじゅう」なんちゃって。

実際のところなんでこういう言い方になったのか不明。地域によっては教えたくない場所だから秘密とかいった使い方に限定してるところもあるらしい。

「美味いじゃん。私も買おうかな。どこで売ってるの?これ。」・「う~ん、いいとこ饅頭。」という具合だそうな。

こういう使い方をするとうちの集落ではふざけてるのかこいつ「ムカツク!」ってことになるのだが。

まあとにかく、「いいとこ」が「いいとこのお嬢さん」といった庶民には手の届かないといった意味なのか。愛の国ガンダーラが如き理想郷を指すような「いいとこ」なのかそういうことすら分からない。

まんじゅうについては「そりゃそーだクリームソーダ」みたいな語呂が愉快といった意味のない言葉の可能性もありそうだがいいとこまんじゅうのどこが語呂がいいんだと言われてもいいだしっぺにでも聞いてもらわないと分からない。そうではなくまんじゅうに深い意味があるやもしれぬ。

上記の「秘密の花園」みたいな使い方だと、「いいとこの饅頭」つまりあんたなんかにゃ高級品過ぎて買えないよと言ってるともとれるが、繰り返すがこういう言い回しだったら普通喧嘩に発展しそうに思える。

じゃあ別の視点で具体的にそういう例えにすらなる饅頭が実際浜松に存在したのかというと、高級というイメージならまるたやのチーズケーキが昔から存在してたけどあれは饅頭じゃないもんな。いくら浜松は粗野だとはいってもケーキを饅頭と呼ぶ奴はいない。田町梅月も昔から名の通ったお店だけど饅頭が昔有名だったのか記憶が無い。うなぎパイで有名な春華堂ではみそまんのイメージが強いけど目ん玉飛び出るような価格じゃあないもんな。記憶以外でネットで調べたら巌邑堂というお店が伝馬町にあり歴史も古く相当名のあるお店らしいがお菓子といえば駄菓子屋で買うものと思ってた普通の貧乏人(自分)には縁のないお店で知らなかった。もしかしたらここの商品を指したのかな。でもここもそんながんこ高い訳じゃないもんな。

結局どこなんだろう。判らないというのが結論か。やはり つまるところ 要は なんしょ

「いいとこまんじゅう」なんだな言葉の意味も語源も。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

ヅラ刑事

これを観る前に、「ピンクレディーの活動大写真」(1978年度作品)を観ただよ。

いやあもう懐かしいったらありゃしない。

コテコテのキャラクター設定、キャメラの手持ち感、レンズを意識しまっくったお

芝居、企画案の中の妄想とは云え、ピンクレディーを動く人形のように振り回し

てて、当時の人気者に対する扱いと言うものをを揶揄してるようにも感じるこの

ハチャメチャ感は、今じゃもう見れないなあと思っただよ。

ほいたら、ヅラ刑事を観たら、マンマじゃん。

オープニングタイトルからして、匂いプンプンしてきてさー。平成のこの世にま

だ生きてたんだあと、絶滅危惧種を見る様な気になっただよ。

でも出てくる人みんな、いじってこそツルピカのいじる側の衆らばっかのような

気がして、いじられる相手がいんような気がする。悪に立ち向かうにしても体制

の側とか、世間で云う所の、成功者をいじくり倒す方が、なんも考えんで観たい

私としては、有り難い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

石橋を叩いて

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「石橋を 叩いて 壊し 渡れぬ 人生」

意味

そこまでせんでも、と言うくらい何事に対しても、やりすぎや

攻撃的な生き方は、ろくなもんじゃないよ、と言うお話し。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

論より証拠

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「ロン より 翔子」

意味

麻雀ばっかやってないで、少しは翔子さんのことを大切にして

あげなさいよ、という、友人からの有り難い説教。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*やっきりこいちゃう

使い方例

この間、コンビニでやー、レジに並んどっただよ。

そしたら、中坊の坊主頭のちゃんびーがさー、列にも並ばんと割り込みするぞと言わんばかりにしとっただよ。

割り込んだら承知せんぞと思っとたら、横のレジが「こちらへどうぞ」と言っただよ。

ほいたら並び順無視してそのレジに駆け込みやがってけつかりゃがってよー。

ほんと「やっきりこいた」。

「頭にきた」とは微妙に違うニュアンスなので、しいて言うなら「地団駄踏んだ」になるのかなあ。それとも「ムッときた」か?「不愉快になった」か?

「頭にきた」ほど感情的にプッツンした状態ではなく、感情を抑えつつも、収まりがつかない状態の時に使ってるだよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ラフ

家でDVDを観た時、映画館で観た時と映画のもつ雰囲気の違いに驚いた。

テレビのちっこい画面だとストーリーばかりに目がいってしまって、映画館で感じた空気感が味わえない。

何でだろうと無い知恵を絞ってみたら、水の表現力なんじゃないだろうかと思えてきた。泳ぐ、水の中に浮かぶ事を感じる為にはテレビと言う金魚鉢じゃ駄目で、映画館のスクリーンサイズでなくちゃ駄目なんじゃないのだろうかと。

原作では、感じられなかった水の世界を、映画では感じることができたのに、ちょっと残念。

この映画では、松重豊さんが抜群に好きです。オヤジVS圭介の結末は原作にもないけど、その後どうなったのか本当見てみたい。

解釈が分かれるんじゃないかと思うのは、、亜美の心情の移り変わり方だと思います。亜美は最初から圭介のことが好きで、早く気づけよこの鈍感男。そして、やっと判ったか・・・と言う時に自分のせいで、たいせつなお兄ちゃんに怪我を負わせてしまった罪悪感から、やっと縮まった圭介との距離を詰める事に遠回りしてしまう、と、捉えるか。それとも、好きの反対は嫌いではなく、ほんのちょっとしたボタンの掛け違えで好きと嫌いが交差してしまうのか、つまり、人を好きになる時の好きのランクは、普通<意識<嫌い<好きなんだよとこの作品は謳っているのか。

どっちをとっても、観れてしまうのは、良い事なのかどうでも良い事なのか私にはわかりません

悪口書いていると思われるのは心外で、結構この作品好きなんです。スキマスイッチさんの音楽もここぞと言う時に聞こえて来るし、長澤まさみさんだし。

原作の長さを考えると、映画一本の長さはあまりにも短くて、取捨選択の妙が監督さんの力量なんだろうけど、家と映画館でどうしてこんなにテンポ感が違ってかんじるんだろう。

じっくり見直せば分かるんだろうけど、映画館で観た時のイメージの方を大切にしたいので、深く追求するのは、止めよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

継続は力なり

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「継続は 血 空になり」

 意味

やりすぎは何事においても、良い結果には結びつかない。

程々が肝要というお話。

「計測は力なり」

 意味

データをとっとけば何事も次がしやすいものだということ。

「軽率は力なり」

 意味

何事においても知れば知るほど一歩踏み出す勇気というのが億劫になるもので、ある意味軽率な勢いであっても進もうとするのはいいことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

無知の知

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「鞭 の 血」

意味

リアルに痛そう。洒落にならないマジなお話し。

本来の「無知の知」の意味するところは禅問答のように深くて、真実にたどりつくには無知を自覚することから始まるということらしい。

へたな知識で物を見ると固定観念に縛られた側面からでしか見れない。色んな違った角度で物を見極める為には、「知らない」ことから始まる目を持たなければならないという教えであろうか。

以前にある高名な役者さんが、お稽古はきっちりするけど本番に入る時には、一度白紙にして全てまっさらな状態になって本番に望むと言うことをおっしゃられていたのをテレビで見た記憶がありますが、これも芝居に望む「無知の知」なのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

船頭多くして

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「船頭 多くして 船 河に沈む」

意味

迷走して山に登る以前に定員オーバーで普通沈むだろうという超現実的な話

本来の「船頭多くして船山に登る」の意味は、舵取りばかりで意見が迷走し、あげくに船なのに山に登ってしまうほどあらぬ方向にいってしまう様。指図する奴ばかりだとかえって物事が正しく進まないというお話。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*いやだやーとつらいやー

「もーほんとにこの子はーいやだやー」

ちょっとあんたはなにやってるの、困った子ねーホホホ。程度の軽い感じで済むけど。

「もーこの子はほんとつらいやー」

となると絶望感も追加されて、これで目も合わせんと言われて涙流されたりしたら、最終通告言われたようなもの。周りの衆らも声を掛けようが無い状態になる。

どちらかと言うと、おっかさ言葉で野郎はあんまし使わんくて言われる側だけど、最大級の絶望感をあらわす言葉だから男のやせ我慢で言わんのだけかもしんない。

野郎だと「もーほんと参った」程度であるが、ある種のヘルプ機能が付いているので、そういわれたら、「どうしたでー?」と周りの衆らは助け舟を出そうとしてくれることには一応なっているので、これで足りてはいるのではあるが。

「つらいやー」と言わず聞かずの人生を送れるのが幸せに生きるということであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*きちがい

「きちがい」と言う表現は、遠州弁では日常的によく出てくる言葉である。

ニュアンス的には、共通語の「気が狂った」とか「度を越えて何かに熱中集中してる」みたいな使い方が主ではない。

遠州弁では、相手の立場になってみるなんて考えは全くなく自分さえよけりゃあ他人に迷惑かかったって知ったことじゃないみたいな、自己中心的に強引マイウェイな事を平気でしくさる奴を評して言う時なんかに陰口として使われる。「あほ・ばか」と違っていい意味で使われることはない。

「気が狂った」と言いたい場合は「気い狂った」又は「おかしい」と言い「度を越えて何かに熱中集中してる」なら「あほ・ばか」を使うことが多い「く「きちがい」はほぼ「超自己中」という意味で使われている

陰口として人を非難するのに使う言葉なので、面と向かって本人に言い放つことはなく、「あほ・ばか・きちがい」のニュアンスを取り違えると人付き合いが難しくなる

「きちがい」の意味を理解していないと、例えば接客で先輩から、「あいつきちがいだで注意しんとかんに」と教わって、身の危険を感じたら誰か呼べと言われたと勘違いして、「あいつ」が来た時にすぐ先輩や上司を呼んでしまうと、なんだよーあいつは、誰が応対しても一緒なんだから一人で捌けんだか?ということになったりする。

楽器を演奏してて、「うるさい、きちがいな音」と言われたら「でかい音だしやがって、他人の迷惑考えろ」と言われてることになり、「きちがいみたいな音」だと、「自己陶酔ばっかで人に聴かそうという気がない」と言う意味合いになる。

最近はとみにこういう輩が増えた気がする。それもナンバーワンよりオンリーワンみたいなものがもてはやされた自分らしくをモットーとした教育の賜物なのであろうか。

自分の思い通りにならないとすぐキレる輩がとにかく多くなった。よくいうセリフは「お前はそれでもプロか」。その前にお互い人間だろうという肝心な事を忘れてる。機械じゃないんだから。享受する(満足ばかり求める)ばかりで相身互いという言葉を知らんのかと。自分が相手の立場だったらという風に考えられないのかとつい言いたくなる。

例文は状況考えるだけで気が滅入るのでやめときます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

スウィングガールズ

今現在、私の面白いと感じる映画の評価の基準値たる映画それがスウィング

ガールズなのであります。

啓蒙も知識も感動も映画から得ようとは思っていません。

感性が動けばそれだけでいいのです。まあ感動はしましたけど、あくまでオプ

ションということで。

スウィングガールズが好きな理由。

①自分の居場所が映画の中にある。

演奏は出来ないけど音楽は好きという、竹中さん演じる小澤先生に自分を投影

できる。ラスト辺りで「あれ、俺が教えたんだよ」と言う台詞は音楽は聴くだけしか

能がない自分でも言えるもんなら言ってみたい言葉ですよね。ガールズ達の誰か

がその後有名人になったらもう鼻高々じゃないですか。だから、映画の中に自分

も居てもいいような居場所がある様な気にさせてくれる。

②ラストまでの紆余曲折が重くなく笑える。

エンディングをより感動あるものにする為にこれでもかと七難八苦を与えられる

と、その苦行を見てるだけで疲れてしまう。笑うにしても人の不幸で笑うのでは

なくて、あくまでも明るい。

③実際に演奏してる。

演奏してなくても芝居として演奏してる様に見せるのも役者さんの力量の見せ所

かもしれないけれども、実際に演奏するのも役作りとしてはよりリアルに近づけ

て説得力があると思う。

④役と役者がリンクしてる。

お気に入りというか、気になる役者さんとして、彼女達のその後の芸能活動も無

意識に応援している。もしかしたら未だ小澤先生になりきっているのかもしれない。

矢口監督の才能からすれば、出す新作が恒に代表作となっていくであろうから、

この作品が永く心に残る為には、「あの人もこの作品でデビューしたんだ」とか

「へーこの人も出てるんだ」と言うような役者さん側からのマンパワーで残って欲

しい。

細かく書いたらきりがないのですが、とにかく私の映画の

中心点なんですスウィングガールズと言う作品は。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

はあ凧か?

街に出たら、はあ法被着た衆らが我がもん顔で歩ってる。

まだ四月だっつーに。準備の段階で法被着んだっていい

と思うだに、こういうのは、気分の問題かねえ。

要はアドレナリンだしまくって、痛みは酒でごまかすのが

祭りの醍醐味だで、しらふの衆にとっちゃいい迷惑な話

で、なんでそんなもん見たいだか観光客の衆らの気が

知れんだわ。

まあ、檻ん中に入っちゃいん野性に近い人間を観察する

楽しみは確かにあるけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

CDケース

しゅっちゅうCDケース落といて割っちゃうもんで

誰か、「象が踏んでも壊れない」CDケース創ってくんないかねー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2007年4月15日 - 2007年4月21日 | トップページ | 2007年4月29日 - 2007年5月5日 »