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ガリレオ最終話

最終回の感想はやけに作り手の意図から外れた無茶ブリみたくなってしまいました。私の勝手な印象(妄想)なんですが、木島の行動はガリレオの推理(貴方は私に罪を被せようとしている逃げようとしている)とは違うという感覚になりました。木島はそう思っていたんじゃないだろうと。

木島(久米さん)自身も吹き飛ぶつもりだったと言う前提での話しなんですが、形は理想じゃなくとも一応の研究が完成をして目的を遂げるも、その完成のために生きがいまでをも犠牲にしてしまって、生きる目的を失くし世を儚んで東京の半分を巻き添えにして自殺を図るなんて。ホント迷惑なお話です。しかも自分じゃスイッチ押せなくて人にやらせて生きるか死ぬかの賭けに出るなんて。随分なやっちゃて感じですよ。

ま、ガリレオの推理どおりだったら生き残る半分のとこでシャンパン飲んでるってことになる訳ですけどね。そのほうがやっぱり正しいんでしょうね。生き残らなくちゃ悪党らしくありませんものね。でもなんであんなまわりくどい方法でガリレオに罪をなすりつけようとしたんでしょうか。(それをいっちゃあお終いか)

しかし忌まわしい過去において、正しい倫理を以って正義の元に告発したのがガリレオではなく助手だったそうでってもしかして栗林(渡辺さん)だったのでしょうか。勝手な想像ですけど助手歴長いっていってたからもしそうだったら見直しちゃいます。いい人だけじゃなかったんですね。

爆弾を解除する様は物理学者同志ならでは心理戦みたいで面白かったです。まず最初に珈琲飲むとこなんか冷静沈着の権化みたいでしたもんね。謎解きゲームにしか見えなくもないけれど、少なくともゲーマーのような快楽というか生きがいみたいな眼はしていませんでしたから真剣という表現で正しいんですよね。最後は非論理的な決断というのは理論万能への皮肉なんでしょうか。変に深いです。って深読みのしすぎか。

画としては、もう会わないと宣言するときの、シルエットで会話が紡がれてその表情については観る側の想像の範疇で進行していくところが好きでした。どうともとれる曖昧さじゃなくて、お互いに想ってる事と言ってる事のギャップが顔に出てるんだろうなあ(無理してる・心に正直じゃない)と見て取れてそれなりに想像が膨らみました。

最初の頃の方で音楽の印象が薄いと書いたんですけど、今回は迫力というかインパクトがあるように感じました。1・2話見直してないんで変わってきたのか、観てる自分が馴れてというか世界観にはまってきたからかは分かりませんが、とにかく音と映像両方とも迫力を感じました。ゲーム音楽みたいに何度も繰り返し聞くことによって印象って変わるもんなんですかねえ。それともパワーアップされたんでしょうか。

次は映画でしたよね確か。でかい画面で観る研究室はどんなだろうとワクワクします。なんか最終回ってなってるけどこれで終わりって感じが全然してません。むしろプロローグが終わっただけって感じで。

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