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贔屓(ひいき)

誰々のファンとかいうファンってなんなんでしょう。漢字で書けば「贔屓」。なにしてもキャーというのは「えこ贔屓」。その人だけで満足出来て掛け持ちしなくていいから「eco贔屓」とも言えなくもなし。

プレゼントという貢物を送ったり、ファンレターのようなメッセージを送り続けて自己の存在感を知らしめる。ましてや本人に会いたいとか存在を認識して欲しいなどという人としてのリンク(繋がり)を求める。

贔屓筋とか言う言葉のように、無償の愛情で見返りを求めず全面バックアップして支えること。

そういうことがファンとしての証であるならば、私は大きく外れているイレギュラーな視聴者でしょうね。基本は作品さえ良ければそれでいいのだから。会ってどうする知ってもらってどうなると醒めているのでしょうか。それともそんなの贔屓のうちに入らないんでしょうか。私は見れる限りの作品を観るというだけなんで。感激すればブログ等に記すし、う~ん?には無言。でも見続けるというのは贔屓とは呼べないんでしょうかねえ。勝手に自分でそう思ってるだけなんでしょうか。少なくとも味方にはならないけど敵にはならないってことで自分は贔屓だと思ってるんですけど。

リアルタイムではないにしてもビートルズを知って、ビートルズのように間違いない・聴いて損した事ないという経験をしてきた身としては、そういう絶対的なものに対する安心感が一番心地いいというのを知ってしまっているので、音楽に限らず他のものについてもそういうものを求める癖がついてしまっているのです。

今の時代群雄割拠でそれぞれにいいものが散らばっていて、流行とは別のもので自分に合うものを探し出す労力というものは大変なものだと思います。そういう兆しを運よく見つけたんだからそれを追うということがあってもいいんじゃないかと。ビートルズのように全てに満足を与えてくれる訳じゃなくとも可能性に一喜一憂するのもありなんじゃないのかなと。

カリスマとかスーパースターなんてそうそう世の中にいるものではないでしょう。でもそういう人がいなくとも文化芸能に接して心を育んだり癒したりと言う行為は常に求めていたいものです。音楽や小説には作家性が強くて分かりやすいけど、なりきるのが商売の役者さんには見えにくいものなのかも知れませんが、案外あるような気になって「贔屓」してるんですけど目の錯覚なんでしょうか。

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