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天然コケッコー

夏帆さんがいいですよね。瑞々しくて人生の中でいえばほんの一瞬しかない一時期を、決してお芝居だけでは表現出来得ない時間枠というものを夏帆さん自身のリアルタイムと連なってるみたいに演じられていて「ほんまええ映画に出んさった」って云いたくなっちゃいます。芝居じみたとこがなく無欲の勝利ともとれるほど素直な印象を受けました。いわば役と同化してるというか無理がないというか素直に「そよ」なんだと心地よく騙されました。

歩き方や走り方が都会の人とは思えないほど田舎の娘みたいでした。服とかの見た目の容姿とかはあくまで増幅させるオプションであって。それよりも内面からその地に暮らす女の娘の雰囲気を醸し出していて、決して可愛い夏帆といものをを愛でる作品などではなく純粋に物語の主役としての存在感を示す感覚を感じます。実際の夏帆さんてどうみても都会の「べっぴんさんだわ。」ですからねえ。見る前はちょっと侮ってましたけど全然違和感がありません失礼しました。

映画全体が「天然」という表現を素直に感じられる空気感が心地よいです。風景描写によるものだけでなく人の存在感でそれが感じられる気がしました。証拠というかそう感じたシーンは都会に出て来た時のシーンに感じられました。登場してくる人みんな生きてる感があります。ストーリーを展開するために捻り出された様なキャラクターが見当たらないということです。

そしてなんか「みちくさ」を映画にしたみたいな感じがします。学校や家庭よりも道を歩いてる様が多く描かれたような印象を持ちます。えこひいきした道とかあったんだろうなあ多分。目的地での出来事よりも、その行き帰りの寄り道とかの間のうちに人として色んなことで成長していくのかなあと思ったりもしてしまいます。

こまごまとした出来事が紡がれながら点々と時間と四季が移ろい行くお話しですが、些細な事だらけの何も起こらない話と言えば言えなくもないけれども、中学生という大人でも子供でもない不安定な時期という精神状態を我が身の過去に振り返って問うてみれば、人を傷つけない配慮という思い遣りや異性への遭遇とか否応なく憶えていかなければならない大変な出来事ばかりのお話のような気もします。深読みすれば昔のことで忘れてしまっているだけで思い出せば必ず自分にもあてはまった苦悩が見えるんじゃないのかと。些細な事で傷つきまくってた時期。そのくせ野望は際限なく持ってて自分はなんでも可能性があるスーパーマンだと思ってたあの時期ですよ。

私は男ですから「そよ」の心情を理解するのは何度見直しても永遠に無理でしょうけど、そういうところがいいんでしょうね分からないというところが。だからこそ何度観ても飽きないのかもしれません。

言葉については単語というか言い回しは違うのだけれども、全体的な印象はなんか遠州弁と共通性を感じました。おそらくは古い日本語を使っているからだろうなあと想像します。でも「おおきに」とか「行って帰ってきます」とかは云いませんけんど。ちっちゃい子の方言はそれだけでも可愛いのでGOODです。

くるりの音楽も又良いですわ。「リアリズムの宿」でもしっくりというよりこれしかないっていう決め撃ちな感じでしたけど、山下作品とは本当に相性いいですよねえ。ホント画と同じ空気感を味わえます。

なんか観るたびになんか感覚が新しい(違った作品みてるような)感覚になるってのはなんなんでしょうねえ。どの角度からでも観れる全方位的なつくりなんでしょうか。今年観た映画作品の中で私にとって「蟲師」と共に最上級の満足感を与えてくれた作品です。さすが山下作品です。期待を裏切りませんこの監督さんは(ユメ十夜は除く)。刺激を求めたり癒しを求めるような作品ではないような感じがします。なんかただ漠然と観るって感じですかねえ。

あそうそう書き忘れました。猫は癒されます。というか和みます。

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