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一病息災

あくまで言葉遊びです。冗句です。

「入院息災」

意味

病気を知るものは人に優しくなれるし、無茶をしなくなるから人として穏やかに生きられる。

長野あたりでは、「ピンピンコロリ」を理想とする生き方があるそうな。死ぬ直前まで元気で朝になったら眠るように死んでいた。

周りの人に介護やらなんだと苦労をかけず、自身も苦しむことなく人としての理性を最後まで持ち続けていたいということであろうか。確かに一番の理想だと思う。そういう意味では「入院息災」と反すると捉えられるかもしれないが、別に死を迎える直前の話ではなく、生きていく上で優しさは必要だということである。

病院のベッドで寝た事が一度も無い人は、結構人の痛みというのは実感として湧かないものらしい。入院するということは確実に誰かに助けてもらう事で、自分の力でナントカできるという領域を越えてしまうことなのだ。人は誰かに助けてもらわなければ生きられない生き物だと知ることによって、自分も誰かを助けなければという想いが芽生えてくる。

自分に優しくだけでなく、他人にも優しくなれる自分の体を使った荒修行。勿論退院してから長く生きなきゃ修行の成果が発揮されないのは言うまでもない。

「炎上息災」

意味

ブログなどで、とある発言から炎上し収拾がつかなくなったとしても、焼け野原から立ち上がって再び活動をするということ。

自戒も含めて、独善的になりやすいこの世界。読む側の想いも考慮に入れて世界を構築することが必要ではなかろうかということ。もうひとつは、匿名性(どこまで本当かは疑問だが)故の攻撃力は人権や思いやり(重い槍ではない)と言う盾をいともたやすく貫いてしまう。そういう言葉の武力・暴力に屈することなく、または受けることなくブログやHPを維持することの出来る人を素直に尊敬したい。

「一病嘘臭い」

法廷で精神鑑定と聞くと、こんな時だけ病人かい。それで無罪放免になっても、もしまた再犯なぞしたら、そんな奴を世間に野放しにした立役者である、無罪を立証した弁護人や無罪を確定した裁判官にも罪があるんじゃないのか。というツッコミ。

無論現実はそんな単純なものではなくてもっと複雑なんだろうけど。

本来は、一病息災・無病息災が正当な使い方。息災とは災難をふせぐこと、若しくは無事なこと。仏教用語らしいです。

一病息災は、ひとつ病気を持っていれば無理無茶はしなくなり結果自分を労わって生きていくことにより長生きができるということ。

無病息災は病気一つ無く心身ともに健康でいられることが幸せであるということ。

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4・変形改造ことわざ・慣用句」カテゴリの記事

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