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えこひいきした道

一青窈さんの楽曲「さよならありがと」を聴いて、歌詞に出て来る「えこひいきした道」という言葉に、なんだ自分以外の人もおんなしだったんだあと安心を得たのです。

小学校は案外近かったのでそうでもなかったんですが、中学校は、学校までそれなりの距離が通学路としてありました。行きは遅刻が嫌なので行き方を友達と話ししたりして最短距離を探って一目散に通ったんですが、下校の帰り道は見たいテレビが無い限りちんたらとえこひいきした道を歩いて帰っていました。部活とかもあって時間だあさあ帰るぞと一緒に皆でつるんで帰る訳じゃないので結構物思いに耽る時間でもありました。

えこひいきした理由は色々あって、悪い出来事があって気持ちを切り替えたいときは昨日と違う道。なんにもなくて退屈でなにか新しいことを望むときとか、その日の気分で車や人通りの多い少ない道を選んだりとかしてました。

そういう感情的なえこひいきとは違って、3年間はやはり長い道のりで、毎日歩いていると絶対ここを通らないと忘れ物をしたような気分になる道と、絶対通りたくない道という感覚的な道が存在してくるのです。理由は分かりません自分でも。それは帰りだけで行きにはなんの感覚もないんです。理由を突き詰めていたら「彼を知り己を知れば百戦危うからず」だったんでしょうが、高校に入ってしまったらケロっと忘れてしまったので「彼を知らず己を知らざれば連戦連敗す」という生き様を愉しむことにあいなりました。

一青さんの歌詞では「えこひいきした道を折れて」となっていますが「想い出ほどく」ということは「己」を知ってるってことなんでしょうか。気になるところではあります。

以前小学生が学校の帰り道の途中で殺されるという痛ましい事件がありましたが、決められた通学路でない道だったということは、彼もえこひいきした道を歩いていたんでしょうか。その事件以降父兄の監視と決められた道で帰るということが徹底されたそうで。人の姿をした悪魔がほっつき歩く現代はえこひいきした道さえも許さない殺伐とした時代なんでしょうか。なんか心の豊かさを奪っていってしまってるような気がするんですが。

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