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そいはだちかん、ねっかだちかん

岐阜県の郡上ことば。遠州弁だと、「そりゃかんて、ほんとかんて。」共通語だと「それはよくない。本当によくない。」くずせば「そりゃヤバイって。マジでヤバイって。」というところでしょうか。

大分昔の話ですが、仕事で短期郡上にいたことがあって、始め正直なにいってるのかサッパリでした。「おまん、まめなかえ。」(あなた元気でやってますか。)という挨拶から始まり「そや・せや」(そうだね)「~なってまってよー。」(~になってしまってねえ。)などなど印象としては京都と名古屋をちゃんぽんにしたような感じでした。言葉は名古屋でイントネーションは京都って感じですかねえ。もうほとんど忘れましたが細かい単語も遠州とはことごとく差異があってこれで同じ東海かとその時に、静岡県は東海じゃないと思うようになりました。

言葉もそうですから、当然生活習慣も全然違っていて、例えばお茶。遠州では緑茶が当然で、ほうじ茶なんて名古屋の飲み物だと思ってたんですわ。私行く時土産に新茶を職場の衆に持ってたんですけど、ほいたら、ありがとうと言ってすぐ飲もうと言うことになったんですが、なんとお鍋に全部出してあぶりはじめたんですわ。そんでほうじ茶のいっちょあがりで皆美味しい美味しいやっぱり新茶は違うねと喜んでくれたんですが、私の人生の中で、新茶のほうじ茶というものを飲んだのは後にも先にもこれ一回きりです。飲んだ感想はほうじ茶はほうじ茶で新茶の意味無いじゃんということでした。逆に郡上の人たちが浜松に来た時駅でたまたま新茶の無料サービスが行われていて、ええ歳こいたおっさん達なのに初めて飲んだみたいな顔をしていたのを憶えています。緑茶を毎日飲む習慣は日本全国同じではないことを悟りました。魚の食べ方にしても残った骨をストーブで焼いてカリカリにして酒のつまとして食べたり、味噌汁のだしに鰹節を使うと生臭くなるから好きじゃないと言う人がいたりとそりゃあもう大違い。まあ今はペットボトルの緑茶がありますから郡上の人たちも飲んでるとは思いますけどね。

そんかわし、水はほんと旨い。川にしたって天竜川で川底見えたことは一度もないが、長良川は大雨以外はいつも底が見えて綺麗というより美しい。

娯楽は皆無でテレビも映りが悪い。雪ががんこ積もるとこなので煙草の自販機も近くになく夜煙草を切らしたらしけモクするしかなかった。やることといったら酒飲むしかないので弱いくせに毎日飲んでた。今思うと「ほんとだちかんて。ねっかだちかんて」という生活習慣だったなあ。

この経験があって、遠州弁を強く意識するようになった。一生ものかというとそうでもないと思う。知人が関西の大学に通っててたまに帰省してきた時完璧に関西弁だったし、京都に染物の修行にいってた奴は、男のくせに流暢な京都はんなり言葉をべろんべろんに酔っ払ってても使ってた。だから、多分環境に左右されて死ぬまで遠州に生まれたものは遠州弁を生涯忘れないということは無いんだと考えている。それだけに、あ!これ遠州弁?と感じたものは例えそうじゃなくても書き残すようにしてる。学者さんじゃないんで下手な鉄砲数射ちゃ当たるってか。

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