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浜松ついこないだの昔話3

NHKの「浜松ポンポン物語」というドキュメンタリー番組があった。昭和20年ごろ浜松はポンポン作りのブームがあって、実に40社近くの会社があったそうだ。火付け役は本田宗一郎さんで、おれもわしも自分も拙者も身供もやつがれもと皆後に続いたそうである。資金もないのにええものを作りたいという情熱だけで始めた人もいたそうで、まさしくブームという言葉がふさわしい時代だったらしい。日本初のシャフトドライブのライラック号・軽量が自慢のヤマトラッキー号・など名車と呼ぶに相応しいポンポンが浜松の町をテストだ試乗だ納品だと走くり周ってたらしい。日曜ともなれば後に我が母校東小学校の校庭となった場所で各社が自慢のポンポンをもってデモンストレーションを兼ねたレースを繰り返し開催していたそうな。大規模な浅間山のレースでもホンダを打ち負かしたりと性能的にもその後大メーカーとなってゆく会社にも引けを取らなかったそうな。

ホンダが1958年(昭和33年)に「カブ」を発表して量産大衆化に成功した時、浜松の各小メーカーは技術を駆使した高級化へと方向性の舵をとったそうで、その時分の最高傑作としてライナー号が挙げられていた。しかしいかんせんまだ当時日本は貧乏人が殆どを占めていたから商売として成り立たずに、次々と廃業・吸収されていったそうな。振り返ればわずか10年くらいの年数で栄枯盛衰の物語が紡がれたと言うことである。

その牽引であるホンダも最近浜松工場でのオートバイ製造をやめ他の工場に移した。

元浜町にあったアート商会の建物は記憶があるが、屋根つきの駐車場のような記憶しかない。今考えればアート商会を中心にしてあそこら周辺にバイク屋とか各メーカーのサービスセンターを集中させてここにくれば古かろうが新品だろうがどんなバイクでもなんとかなるみたいなポンポンの駆け込み寺みたいなエリアにすればよかったのにと思う。どんなバイクも見れるしいじれるとか、無い部品だって作ってしまうとか。

番組では、都市計画でその貴重な時代の証が無くなると締めていたが、今現在私の知る限り元浜・山下近辺に都市計画と言う名の砂漠化現象はまだ起きておらず、子供の頃のままの佇まいのままのような気がするのだが。

浜松と言うところは、昔の事にとんじゃかない(興味が無い)部族らしい。浜松のシンボルであった浜松城ですら石垣とその上に建っている天守閣が合致しない。建ってりゃええだみたいな色んなことでエエ頃加減なことが多い気がせる。

「後生大事」という時代劇に出てくるような言葉が浜松ではまだ活きてる。「そんなの後生大事にいつまでもタラタラもってんじゃねえよ。」みたいに否定的な使い方が多い。幾つであろうとも、想い出を喰って生きてるやつより夢を喰って生きてるやつを、屁理屈こくよりなんしょいごく(とにかく行動)ことを善しとする習性はポンポン時代の名残であろうか。

ちなみに私の後生大事のポンポン史はヤマハのミニトレ50・スズキハスラー50・ヤマハRZ250・スズキ刀750(リトラクタブルタイプ)・ヤマハSRX600と乗り継いできて今に至る(今はもう昔の話)。憧れのバイクはスズキのハスラーTS400だ。あのパランパンパンという音がたまらない。でも250は乗せてもらった事はあるが400は一度も乗ったことが無い。だからこその憧れなんだけど。

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