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浜松ついこないだの昔話2

佐鳴湖への道。

小学生の頃何かをとんまして(捕まえて)遊ぶには、川か田んぼまで行って蛙なりフナなりを調達しなくてはならなくて、遠出をしなくてはいけなかった。新津・船越・茄子までが遠出の限界だった。近くに新川・馬込川などは流れていたが、当時染色業が盛んで川の周りに工場(こうば)が軒を連ねていて、そこから垂れ流されてた廃水で丁度パレットを洗い流した時のような微妙な色と匂いがしていて、川の中は生存者なしの状態だったので遠出するしかなかったのだ。親にいえば「危ないで絶対いっちゃかん。」と必ず言われる距離である。茄子や新津の景色は記憶にあるので、そういわれても行ったことは確かだが、誰とつるんでどうやって行ったのかの記憶が飛んでいる。結局そう頻繁にいける訳ではなかったので、川遊びや水遊びはプールの中でやごとんましたぐらいしかしか殆ど記憶が残っていない。

中学生になってけったー(ちゃりんこ)を使いまわすようになって行動範囲が広くなり小学生の頃の倍以上のエリアを持つようになったが、それでも佐鳴湖への道のりは冒険の部類であった。今の医療センターあたりは竹林で覆われていて道は生活道路ではなかったので、オフロードのダートコース状態だった。当時は貸しボート屋と釣堀があったくらいで、子供心には秘境の地であり冒険心をくすぐる地でもあった。同級生が行ったなんて話しを耳にすると、意味も無く負けたと感じてた。一人で行く勇気もなく仲のいい友達が興味示さないかなあと期待して、決して自分から言い出すことはなかった。

行ってなにするかといっても釣りするだけで、当時から佐鳴湖は美しく、底の見えない緑の水面でボート漕いでも楽しくはなかった。釣りも湖でするのと釣堀でするのとあって、金もない中坊は湖で釣るしかなかった。でも今思うと不思議なのだがだだっ広い自然の湖の横に人工の釣堀が存在してたのは、商売として成立してたんだろうか。大分後の話だが、大学生が競技用ボートで練習中に大きな魚と激突して沈んだというニュースがあった。釣堀での釣果を持ち帰らず湖に皆せっせと放流してたと、嘘か真かそう語られていたので、釣り人の地道な成果がこれかいなんて話してたりもした。最近ではワニ騒動もあって、そういう意味では今だ秘境の要素を失わない佐鳴湖である。周りは信じられない程開けちゃったけど。

冨塚郵便局の裏辺りは一面葦原で地面がゆるく建築物を建てるには相応しくないということで高校の時分まで野性味を帯びたままだった。そこに大きな集合住宅を建てると言う話しを聞いたときは信じられず、今に沈むぞと心配してたが、今日現在そんな話は全く聞かないので、色んな意味でスゲーと感じている。佐鳴台や山手は斜面の林で今は高級住宅地になっている。貧乏人の遠吠えで覚えてるのは、HONDAの株買っときゃ良かったと言うのと共に山手近辺二束三文のうちに買っときゃあ良かったというのが印象に残ってる。

ポンポンは作る物で、他人が作ったポンポン屋の尻馬に乗るのは根性無しのするこんだと大人衆は考えてたらしい。ポンポンについては又のお話と言うことで。

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