1-3・遠州弁+古語でお遊び

まいとまいかの使い分け

「やめる」を例にすると

「はあ じき ばんげしたん なるで ここんさあで やめまい。」

  (もうじき日が暮れるからここいら辺でやめにしよう。)

「そうだの やめまいか。」

  (そうだね、やめにしようか。)

と、言った風にやめよう→分かったという決断→同意という流れとして「まい」→「まいか」が使われる。では最初に「まいか」を使うとどうなるか。

「はあ じき ばんげしたん なるで ここんさあで やめまいか。」

  (もうじき日が暮れるからここいら辺でやめにしないか。)

「そうだの やめまい。」

  (そうだね、やめにしよう。)

と、言った風に同意を求める→承諾するという流れになる。

共に「まいか」を使うと

「略 やめまいか。」

  (略 やめにしないか。)

「そうだの やめまいか。」

  (そうだね やめにしたいね。)

同意を求める→同調するという流れになる。

やめると言い切ってはいないので「どっちなんだはっきしせよやあ」(続けるのかやめるのかはっきりしろ)とつっこみいれたくなる感じのお互いどうしようと迷ってるうじうじとした感じ、もしくはなし崩し的にやめるみたいな感じになる。

逆にどちらも「まい」を使うと、決定→賛同といった趣きとなり、体育会系のような「やめよう」・「その通りだやめよう」みたいなきっぱり感が湧く。

立場が対等でない場合、目上に「やめまいか」というのは馴れなれし過ぎるので「やめるかあ」とかを使うことになる。「まい」に関しては個人差はあるが使ってもムッとはされない事が多い。

目上はどちらを使ってもとんじゃかない。しかしながら「まいか」を連発すると決断力のない人の声をやけに気にする奴と思われがちになる。

強引にまとめると

「まい」は決意・「まいか」は伺いというニュアンスになる。

ちなみに古語辞典で「まい」は載っていないが「まいか」は「婉曲に希望し、勧誘する意を表わす」として載っている。意味はその通りなので想像ではあるが、「まいか」が本来あってそれの強調形として「強く希望し誘導する」みたいな使い方で「まい」が発生したんじゃないのかなと。勝手な想像ですけどね。

ちなみのちなみで古語辞典に載っている「まい」(打消しの推量を表わす)と遠州弁の「まい」はその意味が全く異なる。

この系統では他に「まいや」(しようじゃないか)と煽る・提案するみたいな表現とか「まいに」(現在うまく説明できない)とかもあるのだが「まいか」にニュアンスが近くて説明するにこんがらがってくるのでまた別の機会があれば。

後、同じ意味使いである「ざあ」・「ざあや」については本家はしぞーか弁らしいのでそちらを勉強してから述べることにします。ちなみに遠州人というか自分が受ける感覚でいうと、「ざあ」って「さあ」(いざ)って感じみたいに受け取れるのでなんか直ぐやれみたいな印象を受ける。なので「まい・まいか」の方が緩やかで「ざあ・ざあや」だと早急にというイメージを持っている。合ってるかどうかは定かではないけれど。

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のぼせかある

のぼせかえるが訛ったもの。単純にそれだけかと思っていたけれど辞書に「のぼせかえる」は載っていなかった。ネットで調べると「東海道中膝栗毛」の一節しか検索されてこない。

つまりこれは古語か?それが遠州では現役で使われているということか?でも「むせる」で「むせかえる」という表現は生きてる訳だから「のぼせる」で「のぼせかえる」という言葉が普段使われていない筈はないような気がするのだけれど。

近い言葉で「のぼせあがる」という言葉があるが、いい気になる・思い上がるみたいな意味が強くなるので微妙に異なる。

お風呂でのぼせたような時に「長湯し過ぎてのぼせかあった。」とかいう使い方をする頭に血が上るというかくらくらめまいがするような場合に使われるのが「のぼせかある」である。

もちろん「のぼせあがる」と同じような使い方もするので全く別物という訳ではなさそうではあるが。直訳すると勝手な想像だが「のぼせ果てる」という言い方になるのかもしれない。その理由は「疲れ果てる・あきれ果てる」を「つかれかある・あきれかある」というから。もちろん遠州弁でのお話し。

例文

「やあそろそろ飯ぃ行きまい。」

  (お~いそろそろ食事しに行こうよ。)

「もうちょっと後にしまいや。」

  (もうちょい後にしないか。)

「なんでえわし腹減っただけど。旅行の一番の楽しみじゃん。」

「露天風呂せっかくだではしごしとったらのぼせかあっただか知らんがくらっくらするだよ。」

  (せっかく来たんだからって露天風呂はしごしてたらのぼせたのか分からないけど頭がくらくらしてるんだ。)

「知らんわあ。死んでろ。わしだけ先喰い行くでねえ。」

  (もう何やってんだよ。気分よくなるまで横になってな。俺は先に行くからね。)

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遠州弁では「来い・来な」という意味で使われている。

古語辞典では「こ(来)」、「く(来)の命令形」と記されているので古語の生き残りとして遠州ではまだ使われているということか。

ただし遠州では命令口調の一歩手前みたいな強力な依頼という感じで使われることもある。

「こう」・「ごう」という言い方もあるが、こちらは「来て」といった要請的な感じになる。「乞う・請う」とかいったものではないと思われるが定かではない。

ちなみに「来るでね」(来るからね)というのは遠州弁では「くっでね」となる。

例文

「なんかもこうの方でえらい音したけど。なんだいや。」

  (なんか向こうの方で大きな音がしたけど。どうかしたのかなあ。)

「やあおんしゃちょっと行って様子見てこ。」

  (おいちょっと行って様子見てきてくれよ。)

「なんでわしん行かんとかんよを。自分行きゃあいいじゃん。」

  (どうして俺が行かなくちゃいけないの。自分が行けばいいじゃないか。)

「ぎゃあつくこくなやあ、ちっとばかのこんでひゃあひゃあゆっちゃかん。」

  (つべこべ言うんじゃないよ。ちょっとのことで文句言うじゃない。)

「なにこいとるよを。こういう時きゃあ率先してほいじゃわし行って見てこすかぐらいのことはゆうもんだにい。」

  (何言ってるんだ。こういう時は率先してそれじゃあ俺が見に行くかぐらいののことを言うべきだぞ。)

「なんでそんなこんせにゃかんだあ。」

  (なんでそんなことしなくちゃいけないんだ。)

「あんた管理責任者じゃんかあ。怖いだ?」

  (自分管理責任者だろ。怖いのか?)

「ふんだだこたああらすかや。」

  (そんなことあるわけないだろ。)

「ほいじゃ見てきい。」

  (それじゃ見てきなよ。)

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あたま

「あたま切る」(髪を切る)

といった風に「髪」という意味として使われ、その変化形として

「あたまやる」(散髪)

という使い方もしている遠州弁。

古語辞典を読んでたら、「あたま」(頭)・意味 ①髪 ②物事の始め と書かれてあった。

共通語でも「頭を丸める」(出家する)みたいな使い方もあり、遠州弁独特の言い回しではなく古語が生き残っていたということになる。

では、今の「頭」という意味は古語でなんというかというと「つむり」とな。

「おつむ」という言葉が未だ使われてるので死語というものではなさそうだ。

でもやっぱ遠州以外の地で「頭切る」と言うと「え?」と思われることに変わりはない。

例文

「ちょっとあたまやってくるでねえ。」

  (ちょっと床屋に行ってくるよ。)

「あんたしょっちゅうあたまやり行くだねえ。」

  (あなたしょっちゅう床屋に行くよねえ。)

「しょんねえらあ伸びたらうざったいだで。」

  (仕方ないだろ伸びると邪魔臭いんだから。)

「そんなしょっちゅう頭切らんならんなら、はあいっそのこと丸めてきない。」

  (そんな頻繁に髪切らなきゃいけないんなら、もういっそのこと坊主にしてきなよ。)

「勘弁しとくりょを。みばあ よくしんと こぶしょったいじゃん。」

  (よしてくれよ。きちんとしてないと恥ずかしいだろ。)

「基ん ねぐさってる だでとんじゃかねえらあ。」

  (基が基なんだから無駄なあがきでしょうに。)

「随分じゃねえか。」

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かまびすしい

やかましいと言う意味の雅語的表現と辞書に書かれている。決して釜(に使う)ビス(は)C(タイプのものと決まってる)とかいう意味ではない。釜火(で焼いた)寿司(は)良いとか言う意味でもない。

漢字で書くと辞書では「囂しい」。パソコンで「かまびすしい」と打って変換キーを押すと「喧しい」とでてくる。昭和の辞書では「喧しい」という字は記載されていないから最近使われるようになったのであろうか。定かではない。

当然方言などではなく古い日本語ということなのであるがなんかしらんが自分は小さい頃に聞き及んだ言葉で今でも使おうと思えば使いどころが分かる言葉である。

覚えたところが学校で聞きかじったのか近所の大人衆が日常会話の中で普通に使っていたのかも定かではないが、最近「五月蝿い」をもっと別な言い方というのがなかったかな?とずうっと引っかかっていてそれで思い出したのがこの言葉。

例文

「そうゆやあこないだアクト行ってクラシック聴いて来ただって?」

「おお行ったよ。」

「どうだった?楽しかった?」

「特別な空間じゃあなかったの。」

「なんでえなにがよを。」

「けっこい服着てる衆ばっかだったけど、ざあますばっか飛び交って。その癖要は近所の団地のおっかさ連中の井戸端会議と変わらんくきゃんきゃんで。ホントもぉ普段と一緒で かまびすしくて かなわんかったわぁ。」

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なほる

 時代劇なんかで「成敗してくれる。おぬしそこになほれ」とかいうセリフで使われる「なほる」。当然だが読み方は「なおる」。漢字で書くと「直る」。

「そこになほれ」を訳すと「そこに座れとか正座しろ」とかいうことになる。ただ座れと言うことではなく姿勢を正せとかいうニュアンスに聞こえる。

時代劇では「かしずけ」とか「平伏しろ」みたいな印象のシーンでよく使われているけれど遠州弁では「きちんとしなさい」という意味合いで使われていて使いどころは異なる。

いまこの使い方が残ってるとすれば「居直る」であろうか。

「居直る」という言葉は、急に威圧的な態度になるみたいなニュアンスとして今も使われているが、それとは別に、座りなおして姿勢を正すという意味も昔はあったようである。今だと「居直す」と言われたほうがすっきりするのだがそういう使い方はないので開き直ると同じような使い方が今では普通なのであろうか。

他には、気をつけ礼直れ休めの直れであろうか。他にもまだあるのかな思いつかない。

遠州で上記以外で使っているような表現があるかどうかということであるが、「直す」・「正す」とかが使われるので流石に「なほる」は使っていないなあと。

使い方としては「そこすわんない」が「そこなほんない」とかになるのかな。ただ座れというよりも若干かしこまれな要素を含む言い方であるのでそういわれて足を崩したような格好で座ったりなんかすると印象を悪くすることもある。

例文

「おおええとこきた。まあとりあえず座りい、そこなほんない。」

「直んないとこなんかに座らすなや。」

「てんめえぶっさぐるぞ。」

「なんでそんな急に怒るよを。」

とまあとりあえずそこに座って神妙にしてろと抑え気味で言ったつもりが通じてなくて逆にもっと火をつけたみたいな。

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あたける

古語辞典によると「あたける」騒ぎ暴れる・乱暴する・当り散らす

遠州弁では「あだける」となって騒ぎ暴れる・当り散らすと言う意味で使われている。乱暴するという意味で使われてはいない。微妙に異なってはいるがおそらくは古語のあたける=遠州弁のあだけるではなかろうかと推測している。

似たような言葉で「どたける」という遠州弁もあり「ど+あたける」か「ど+猛る」かどちらかで構成されてると推測している。意味としては「ど」(度・弩)という表現からあだけるを凄くした状態というニュアンスになる。

遠州弁とのマッチングということでいえば「だ」を「た」に替えるだけなのでなんの違和感もなく普段の会話の中に取り込める。

例文

「今日の試合残念だったのえ。」

「もう一押しだったんだけどなあ。ミスが痛かったのっ。」

「悔やみきれんとこだいね。ところで監督わあ。」

「ロッカールームであたけてる。だもんでだんれも入れやせんだよ。」

「ロッカーとかけっからかいてるだ?しょんねえなあやあ。」

「なだめてきてやあ。」

「わしんけえ?やだよを。藪蛇んなっちゃうわあ。とんじゃかない奴いんだ?」

「いんもんで苦労してるじゃん。」

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たまさか

「たまさか」漢字で書くと「偶さか」。

意味は古語辞典では、稀や偶然に遭う様・たまたま・まれ・ときどき・もしも・万一。

国語辞典では、思いがけず・まれ。

ネットの辞書にも載ってたのでまだ生きてる表現なんだろうけど普段使いではまあ聞くことはないなあと。時代劇で使われてたような記憶があるけどどうなんでせうね。

「たまたま」とどう違うんだろうと思ったら「たまたま」は「偶」又は「偶々」と書くんだそうな。

今は「たまたま」の方が使われているってことからして意味的に大きな違いはないのかな。

語呂遊びするとなると「~さか」で繋げれそう

「たまさかにこの坂でまさかが起きてもやぶさかにあらず」ぬわんちゃって。

遠州弁とは繋がらないな。「たまたま」はやはり「たまたま」としか言わないから。むりやり近い言葉捜すと「ひょんきん」かな、思いがけず・まれという意味で。

遠州弁にすると幾分強引だが

「ひょんきんな時にこの坂で随分なこん起きたっつってもどうってことないわぁとんじゃかないにい」

みたいになる。

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あたじけない

「あたじけない」けちだ。あつかましい。という意味。流石に遠州でも使われていない古語。いつ頃まで生きてたんでしょうね。

なんとかして、かるたに取り込められないかと考えたが出来なかった。

「買って帰る客はかたじけない

試食だけして帰る客はあたじけない

ごねてただじゃ帰らん客はいただけない

来もしない客は客とも呼べずあじけない」

ってどこに遠州弁とコラボしとるんじゃあ。

無理矢理こじつければ

ケチは「どけち」

あつかましいは「どずうずしい」

と深い意味もなく「ど」をつけることが遠州弁では多いのが特徴か。なんてね。

とりあえず遠州弁に直すと

「買ってく衆にゃあありがとねえでえの

試食だけして帰るっつうんはどずうずしいらあ

ごねくりくさる奴ぁホントばかっつらだにい

きもしんもんは客たあ言えんくつうらいのえ」      

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あたりまなこ

「あたりまなこ」漢字で書くと「当たり眼」だそうな。

意味は目につき次第・当り散らす目つきということだそうな。要は「がんをつける」ことなんだろうかな。

遠州弁と組み合わせると「あたりまなこであたけまくる」(片っ端からつっかかりまくる)

あたけるも古語辞典に載っていたがこれはまだ現役で遠州弁として残っている。

では、あたりまなこも現役かというと流石にそれはなかろうて。でも遠州弁の中に入っても違和感はない。

ところで「ちまなこにあたりまなこで眼を凝らす」とかいう使い方はあるんだろうか。

例文

「なんかしらんが さっきいから ちんぷりかあって あたりまなこんなって そこらじゅう どたけってて 始末におえん だよ。なんとかしてやあ。」

  (なんでか分からないけどさっきからすねてて片っ端から当り散らしていて始末に負えないんだ。なんとかしてくれ。)

「わしにゆっても知らんよを。はあおえんなら警察呼びゃいいじゃん。」

  (私に言ってもどうしようもないよ。手に負えないんなら警察呼びなよ。)

「馬鹿こいちゃかんて。身内110番してどうするよを。薄情だやあ。」

  (なに言ってるの。身内を警察沙汰にしてどうするよ。薄情だなあ。)

なんか違和感ないな。でもこんな使い方はないから実際には「なにゆってるよを」とか言われて通じないけど。

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