やらしい

「いやらしい・卑猥」という意味。広い地域で使われる表現であろうが「いやらしい」とのニュアンスの使い分けとして遠州では重宝されていると思い記載。男女共用。

遠州弁で「いやらしい」だと「えげつない・図々しい・露骨」とかいう意味で使われる事が多いので「このどスケベがあ」とかいう場合にはこちらの「やらしい」という表現が使われることが多い。もちろん明確な決め事となっているわけではないので人それぞれでありこの説明とは異なり「いやらしい」よりパワーアップした表現として「やらしい」を使う人もいる。つまり「スケベ」=「いやらしい」・「ドスケベ」=「やらしい」みたいな。

でもまあ大方の普段使いとしては「いやらしい」には「卑猥」を込めない使い方が多く「やらしい」には「卑猥」を感じるイメージが強いのでこちらの使い方を説明した。

例文

「歳によってやらしいとこん変わるだいね。若い時分はそれこそモロだけど、ちいと落ち着いてくるとチラリで、ええ歳んなってくると隠いてナンボっつうか。」

「つうこたあいくつんなってもやらしいこんに変わりいないっつうこんかあ。」

「だあの。そういうもんだらあ。まあいやらしい話しだけどな。」

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てめえ

一般的な共通語では「おまえ」を賤しめていう表現ということであろうが

遠州弁での使われ方にはそれとは別に例えば「てめえが」だと「自分が」という使い方をする場合がある。「手前」が訛ってかく相成ったかと推察するところである。まあそうはいっても「手前味噌」を「てめえ味噌」とは言わないので説得力はないが。

まあとにかく「おまえ」というニュアンスではなく「自分で」・「自力で」とかいったニュアンスが強いということで賤しめのニュアンスはないというところが共通語の「てめえ」とは異なるところであろうか。

多分に江戸っ子風味があるので遠州独特ということではなかろうがまだ生き残ってる地域でもあろうということで記載。基本男言葉であろうがごく稀に女性の使い手を見る事はある。そういう女性は年齢・血縁関係に関わらず「おっかさ」と呼ばれることが多い。

例文

「どうしようこれ。」

「甘えちゃかん。てめえでなんとかするだあれ。」

  (人に頼るなよ自力でなんとかするもんだ。)

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おとっさとおっとさ

「おとっさ」と「おっとさ」。どちらも「オヤジ」と言っているのであるがこの違い(使い分け)は存在するのかというお話し。

そもそもこれが遠州弁かどうかは定かではないところであるが、それはまあ置いといて遠州での使われ方ということに限定して考えてみる。当然遠州と言っても個人差・地域差はあるのであくまで一個人の私案であることをお断りしておきます。

まあホントに重箱の隅をほじくるような些細な違いなんですけどなんとなくな印象としては、微妙な違いではあるが「おとっさ」という方が「オヤジ」ほどではないにせよ他人行儀な印象を持つ。

「やあおとっさ。いい加減にしろよなあ。」

訳としては「おいオヤジ」って勢いか。

「やあおっとさ。しょろしょろしてるじゃねえよ。」

「おとっさ」にしたら「はきはきやれよ」という意味合いになるが「おっとさ」だと「勘弁してくれよ」といったニュアンスが強くなるのは気のせいか。

「おっとさ」の方が親愛の情を感じるような気がする。「じじい」と「じいさ」との違いに近いか。

では身内が使う際はどうか。

子供が父親に言えばどちらも尊敬してる感は皆無である。他人に自分の父親の事を言うような場合に使うと上記と同じような感じになるかと。

連れ添いが言えば「おっとさ」は旦那を指すが「おとっさ」だと旦那の父親を指す場合がある。無論同居したりしてれば「おとうさん・おじいちゃん」であるが。

ということで大体な感覚としたら距離感が異なるということかもしれない。

なお、前にも書いたが「おっかさ」はあっても「おかっさ」という言い方は無い。母親は別格なのであろう。

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ふんと・ふんとに

「本当」・「本当に」と言っている。

「本当そう思うよ」だと「ふんとそう思うだよ」とかになる。別に笑わせようとかいう意図は全くなく真面目に言っているので「ふんと」と言って笑われたりすると気分を害する。

遠州弁においての「あんた」と「ホント」はある意味単なる調子合わせで言葉自体に意味がないことが多く。本気で「本当に」といいたい場合に調子合わせの「ホント」と間違われないように「ふんと」とする事があるということ。

したがってただ単に訛ったということだけでなく使い分けの必要に迫られて編み出された表現ではないかとも思える。まあ勝手な想像だけど。

実際は言い易いから「ほ」が「ふ」に変わったんだろうかな。

「ほんと」というよりも「ふんと」の方がびっくりしてるというニュアンスが増すという感じも気のせいかもしれないがあるのではないか。驚いた時によく使われるのはそういうせいかもしれない。

男女共用の表現であろう。

例文

「ふんとにけえ。なんかうそっぽく聞こえるだけどやあ。」

  (本当なの?なんかうそ臭いんだけど。)

「ほんとだって。あんたも信じん人だねえ。そんな疑り深いとホント嫌われるにい。」

  (ホントだって。疑り深いねえあんたは。そんな疑り深いと皆に嫌われるよ。)

「いらんこんじゃん。でもそれふんとにふんとけえ。」

  (余計なお世話だよ。でもそれ本当に本当なの?)

「だでさっきからそうゆってるじゃんほんとだってえ。」

  (だからさっきからそう言ってるじゃないかホントだって。)

「なあんか嘘くさく聞こえるだけどやあ。」

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東京DOGS その10

 最終回。普通にもう一話あるのかと思ってたのに全10話。その分ジャンボ延長で穴埋めか?

いつもより格段に長い割には一気に終わってしまった感があって中身の濃い最終回でありました。見応えあったと書けば済むことですがそれじゃ味気ないので。とにかく面白かったです。

西岡先生(ともさかさん)のぼそぼそと話す声がとても印象に残るところですがお風邪で声が出ないとかじゃなかったらこういう話し方もアリだなと。声を張り上げ朗々と謳い上げるだけが役者さんの仕事ということもないのですから、聞き取れさえすればこういう話し方もいいなあとぞ思ひけり。

神野(仲村さん)逮捕後に奏(小栗さん)の笑顔が観れたんですが、最後まで笑わないという感じで通して欲しかったな。

 オーラスでの背負い投げが象徴的なように、シビアとコメディの両立と共にロマンスの要素も取り込んだという意欲的(観たことない)な作品でありましたが、初物ということもあるのでしょうか観方がこんがらがってしまうところもありまして。あまり複雑な鍋物は好きな方じゃないものでこういう色んな味がしみたのをどう味わっていいんだろうかという感じはありました。見慣れればより愉しめる可能性は感じるのですがこのドラマではちょっと追いつけれなかったです。

コメディを愉しみたい傾向が強かった私としては後半の回はそんな肩に力入れちゃうとギャグが鈍るのにという気分で観てました。奏以外はマイペースでギャグかましていたのになあというのはありますが奏がのってこないとやはり面白さが薄味に思えました。

その分神野が登場してピリッと締まって緊迫感が増しまして、若干違ったドラマにも見えたりなんかして。

別になんだかなあと言ってるつもりはなく、むしろ面白かっただけに欲が出るって感じでありまして、続編かなにかでより馴れてより楽しみたいものですな。

いつも陽気で飄々として大事を成すって作風は以前からよく観たイメージがあるのですが、やるときゃやるがそうでないときはボケまくるというのは新鮮でありまして、そういうの好きです。ただそのメリハリというか切り替えがちょっと追いつけなかったのかもしれません私。

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うそにきまってるじゃん

まあ「嘘に決まってるじゃない」という事でぐでぐでな方言という訳でもないのだが。それでもニュアンスがそこはかとなく方言っぽいかなと思って記載。

当然自分の行動言動に対して「嘘だよ~」という自己申告又は種明かしといった使い方もあるがそれとは別な使い方のお話し。

「そんなのはったりだよ」とか「信じちゃだめだよ」という感じで「騙されるんじゃないよ」と暗に言っていることが多い。もちろん自分の正当性を主張するために他を否定するという使い方もする。

基本はなんかされた言われたと動揺している人に対して惑わされるんじゃないよという励ましの表現。「そんなことないよ」・「大丈夫だよ」とかいうより強い否定で安心させる仕方である。

「うそにきまってるら」だと「嘘でしょそれは」といったニュアンスで確証が薄くなる。

「うそにきまってるに」だと「嘘に違いないよ」といったアドバイス的な要素が強くなる。

例文

「さっきい声掛けられちゃったよを。」

「誰にい。」

「知らん人にい。」

「なんてえ。」

「お小遣い上げるから遊びましょって。」

「いくらあ。」

「○○万。」

「そんなのうそにきまってるじゃん。あんたそれでほいほいついってったら馬鹿だにい。」

「知ってるよを。だもんで今ここに居るじゃん。」

ちなみに「そんなのうそにきまってるら。」だと次に続くのは「あんたそれでほいほいついてったら馬鹿見るにい」(馬鹿見るよ)

「そんなのうそにきまってるにい。」だと「ほいほいついてったら痛い目みるらあ」(ひどい目にあうんじゃないの?)みたいな続きになるであろう。

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JIN・仁 その11

 最終回。素直な感想を述べれば、こりゃ絶対続編あるな。もちろん歓迎ですけど。全くもってとても終わった気がしないのは私だけでせうか。それとも原作がまだ終わっていないのでこうせざるを得なかったのか。

最近死亡フラグなる余分な豆知識を覚えてしまったせいで、ひたすら野風(中谷さん)に死亡フラグ立ちまくってるなあと興ざめな事思いながら観ていたんですが、ここまで林立すると逆に助かるもんだという確信になってくるという気になるのはあら不思議。

なにごともほどほどが肝要ということでせうか。

それにしても仁先生(大沢さん)と咲(綾瀬さん)は以心伝心。どんなに離れていても心の声が伝わるというのは決して一方通行の想いなどではないんでしょうな。橘の家には戻れそうにはなさそうなので、ここまできたら仁先生に責任とって貰うしかないところでしょうな咲の未来は。

野風の顛末は結局ハッピーエンドの部類に入るものなんでしょうか。終わりごろに西洋の建物の前でチラシ配ってる姿が映し出されていましたが。篭の鳥から抜け出れて自由に羽ばたけるようになったということでは大いなる解放ということになりますが、けっこいおべべ着てそれなりに一目置かれる存在でありんしたのにねと思うと無一文で放り出されて世間の荒波に辟易してる風にも受け取られ。自立した女性の魁(さきがけ)という構図であるとも勘繰れも出来。なんか微妙でありんした。一瞬なんで明治の世になってるんだ?と勘違いしてしまいましたしイマイチ分からないところでありんした。まあ明治の御世になればお武家さまは没落の憂き目に遭うんでお妾さんで生涯裕福に暮らしましたとさという訳には行かなかっただろうから上々ということなんでしょうな。

写真の消失は解放の証。つまりこれにて現代に戻るという意識は棄てて江戸の今を生きることに専念するってことなんでせうかね。輝いて見えるということでは介護に明け暮れる現代より江戸で懸命な仁先生の方が格段に輝いて見えましたしね。

前回のモヤモヤ(それぞれの人物の想い)はこの回全てクリアになった勢いを感じたのでありますが、全体としての大きな謎(仁は戻れるのか・現代で手術を受けたのは誰・あの不気味な赤子は何・偏頭痛は何故・時計の針を早めた因果はどうなる)の諸々の答えはスルーされたみたいに感じられました。

恋人未来の方は元気に講義してたみたいなんで仁のやったことは本望(正解)だったんでしょうけど。

したがって以上のことから受けるドラマの印象としましては、人間はちっぽけなものでありただ翻弄されるのみ。だからといって悲嘆に暮れて未来を描き憂いてばかりでは駄目で、ただ毎日を懸命に生きるのみ。それによってこそ充足した人生を送ることが出来るんだというドラマのメッセージと受け取れましてでございます。まあ家に引き篭もっていないで外に出なさいということなんでせうか。

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浜松弁なんていう言い方は知らんにい

 稀に「浜松弁」という検索ワードでお越し下さる方がおられるが

はっきしゆって「浜松弁」なんぞという言い回しはうちの近所ではしない。つうか知らんにい。東京の浜松町での話しってことならわし知らんくても当然だけど。

しぞーか県の浜松市に生まれ育っていっちょ前に長いが地元の衆でそういう言い方をする人聞いたことが無い。と言い切ってみたところで実際検索してみると「浜松弁」と謳ってるサイトがごろんごろんあるだいねなんかしらんけど。

でも私は言いたい、浜松で使われている方言は「遠州弁」であると。

で、「遠州」というのは実は尾張や三河・駿河のような国名ではない。国名ということなら「遠江」の国なのである。しかるに「遠江弁」という人は「浜松弁」と同じくらいいやそれ以上に皆無に近い。

どうして今は「遠江」より「遠州」が普段使いされているのは私にはよく分からないが、「遠州」という呼び名は古くから言われていたらしい。規模は比べ物にならないが古くは関東を坂東と呼称したのと同じようなものか。それと較べて浜松という地名は徳川家康がこの地を治めるようになってからといわれている。(余談だが静岡は明治になってからで大昔からではない。)

私は根拠が有って言ってる訳ではないが遠州弁は独自に変化発展したものではなくて古い日本語が変化が少なく済んで残ってる方言だと思っている。なので浜松と呼ばれるようになった時代頃に発生したみたいな印象を与える「浜松弁」というのは好きくないし浜松でしか使われていない狭い範囲の方言ではないという考えもある。

まあ感情論であり言葉の綾なんですけどとにかくそういうことで

だもんで「浜松弁」なんて知らんにい。

ただ、地域によってその言葉は微妙に異なり、会話にズレが生じたりすることがない訳ではない。新居雄踏言葉とか庄内言葉とか浜北言葉とか掛川言葉とか色々あることは事実である。

なのでそういった違いから「浜松ことば」という表現があるとしたならそれはアリだとは思う。

なので「浜松弁」はないが「浜松ことば」ならある。と思っておりますです。

そこんとこお間違いなきよう。遠州弁で言えば「そこんさあまちがわんでよを頼むにいホント」。

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寒いの種類

さむい さんむい さみい さあむい さぶい さんぶい 冷える う~冷える

ちべた つべた つんめた ちゃぶい ちゃっぷい どさぶい どっさぶい くそさぶい 

くっちゃぶい ばかさむい がんこ冷える ど冷える さぶっ こおる しぬ

まあこれ以外にも「寒い」と伝える表現はあろうがきりがないのでこのへんで。この中でどれが共通語でどれが遠州独特なのかよく区別がつかないので思いついた限り列挙した。

「ひゃっこい」は寒いというより涼しいという夏場とかで使うニュアンスだと私は思っているので外しましたが、地域によっては「寒い」というニュアンスで使われるところもあるやもしれません。

「冬はぬくとい鍋で夏はひゃっこいそうめんがいいな」とかいった風に。

「ど」を使う場合は「さぶい」で「ばか」と「がんこ」を使う場合には「さむい」という言い方をする人が多勢という気がする。

浜松での寒さは風の寒さで、雪国のようなしんしんとした寒さはまず体感するようなことはない。なので厚着でというより風対策が防寒の基本であろう。

とにかく無音の静寂さの中でかじかみつつも背筋が伸びるような凛とした寒さではなく、やたらと屋根の軋みや窓打つ風の騒々しさの中での落ち着きの無い寒さなのである。そうそうはいないが寒さを「(風が)痛い」という表現をするポンポン乗りもいたりもする。

かじかむ、こごえる、いてつく とか言う表現は書き言葉で普段の会話ではあまり聞かない気がする。しばれる という他地方の方言もおちゃらけで使ったりするひともいるがまず使う地域ではない。

ただし、浜松といっても市町村合併でひたすら面積が広くなり山間部においてはこの限りではない。

暑いに関してはこれほどの言い表し方の量はない。

例文

「やあどっさぶいやあ。」

  (うわ~凄く寒いなあ。)

「今年一番だって。」

  (今年一番の冷え込みだってさ。)

「明日氷張ってたらわし来れんで休むでねえ。」

  (明日の朝道路凍結してたら来れないんでよろしく。)

「ばかいっちゃかん。這ってでも来んとかんにい。」

  (なに言ってるんだ。這ってでも来なきゃ駄目だよ。)

「冷たいじゃん。」

「だで一番の冷え込みだってゆってるじゃん。」

「いや、そおじゃなくて。」

以前にも書いたが浜松の平地近辺は朝氷が張ることはあるが雪が積もらない。もし雪が積もったら大抵のところは雪道の準備をしていないのでまあもろもろな事が停止して騒動になるだろうな。

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おじいちゃんの呼び方の種類

特に遠州独特という言い方はないのだけれど、それぞれのニュアンスには地域差とかあるのかもと思って記載。おじいちゃんを挙げたがおばあちゃんに置き換えてもほぼ同じと思われる。

でも実のところ列挙してみたらほとんど共通語の使い方であったとさ。って感じですな。

じいじ

  「じいじあれ買って」 ほぼ身内の祖父に向かって言う表現。本人が孫とかに自分の事を告げる場合にも使われる。

じじい

  「あのじじい嘘ばっかこきゃがってえ」 この野郎という時とかに放つ表現。発言者及び対象者は親族他人に拘らない。

じいさま

  「あそこのじいさま昔ど怖かっただにい今あ丸いけど」 まずもって他人のおじいちゃんに向かって言う表現。多分に敬っている目上の印象を与える。逆に自分の身内に放つと他人行儀(ひな壇に置いたよう)な距離感という印象を与える。

じいちゃ(おじいちゃ)

  「今手え離せんでじいちゃに構って貰いな」 親しい距離という印象を与える。他人でも親しい間柄であれば使われる。

じいさ(おじいさ)

  「やあおじいさ、なにゆってるだあ」 他人に対して放つ表現。ボケかました相手とかにも使うので年齢に捉われない使い方をする。「お」をつければ多少は和らぐ。おばあちゃんが自分の連れ添いを指して言う場合もある。「ちゃ」と「さ」の違いは親密感が「ちゃ」の方が強い感じであろうか。

じじ

  「じじばばにゃこんくらいん丁度ええだあ」 個人を指すのではなく一般的にはという勢いでオタクだとかギャルだとかと同じような括った言い方。

おじじ・じい・じいちゃん(おじいちゃんは使うので別物)

  あまり普段使いでは聞かない印象がある。遠州ではそう使わないのかも。

例文

「おめえんとこのじいさまえらい羽振りんいいっつうじゃん。」

「孫にはの。うちのじいちゃ孫には甘すぎるだよ。『じいじ~』とか言って甘えりゃすぐ財布弛むでの。その分オレにくりょっつうだあなあ。」

「でもまあ最近のじじばばみんな元気だでなあ。もんりいしてくれるでその分助かるだらあ。」

  (でもあれだよ。最近のお年寄りは元気だからねえ。お守りしてくれる分助かってるんだろ。)

「まあの。でもくれ過ぎてわがままんならんか心配だよを。」

「大丈夫だよ。親に似るだで甘やかされんでも十分わがままになる素養はあるって。」

「おめえそれ喧嘩売ってるだ?」

「ホントのことじゃん。」

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